旅の日記

チリ・プエルトナタレス編(2001年2月18〜21日)

2001年2月18日(日) パイネを脱出!(Evacuation from Paine!)

 朝、川の様子を見に行くと、水位は若干下がって60〜80センチくらいになっていた。昨日は通れなかったマイクロバスも、ハイラックスに牽引されて渡れるようになっていた。しかし、依然として流れは速い。わがバイクで通るのは、まだイチかバチかといったところだ。
 さあ、どうしたものか。さらに待つにしても食料は無いし、雲行きも芳しくない。もしこれでまた雨が降ったら、川はまた増水するだろう。第一、私は22日にフェリーに乗るために21日にはプエルト・ナタレスの事務所で予約の再確認をしなくてはならない。そして、その前にツアーでいいからアルゼンチン側のペリト・モレノ氷河を見たいのだ。
 やはり、バイクを載せられるトラックか何かをヒッチするしかない。実は昨日からキャンプ場やホテルで探していたのだが、バイクの載りそうな車が見当たらなかったのだ。唯一、ホテルの白いトラックがバイクを載せるのに十分な大きさなのだが、昨日はこのトラックでも渡れないほど水位が高かったのだ。

 くやしいなあ。わずか400mほどなのに。対岸にいる人や車が見えるほど近いのに・・・。
 川を目の前にしながら考えていると、向こう側から大型のピックアップトラックが水飛沫を上げながら渡ってきた。荷台も大きい。これだ!と思って、手を上げて止め、バイクを載せてもらえるよう交渉する。
 その黒いトラックは公園内の別のホテルの車だった。これからキャンプ場の隣のホテルで客を二人拾い、自分のホテルへ連れて行くところだという。運転手は渋い顔をしたが、なんとかOKと言わせた。そしてホテルに行った後にキャンプ場に寄ってくれるように頼み、急いでキャンプ場に戻って荷づくりをする。
 15分ほどで荷物をまとめるが、しかしというか、やはりというか・・・そのトラックは来なかった。ホテルのフロントへ行って聞いて見るが、とっくに客を拾って出発したとのこと。・・・渋い顔していたからなあ、いやな予感はしていたのだが。

 荷づくりも済んだし、これは何がなんでも今日中に渡りたい。もし車が見つからないなら、もう金を払ってでもいいから街から呼ぼう。そんな覚悟で、ダメもとでホテルのあの白いトラックに載せてもらえないか、再度交渉して見る。
 すると今日は水位が下がったので、あのトラックでも渡れるという。ちょうど昼頃に対岸に行く用事があるというので、その時に載せてくれるという。おおお!やった!これで帰れるぞ。
 約束の時間にホテルのガレージに行き、木の板を荷台に渡してバイクを積みこむ。いつもは荷物を固定しているタイダウンロープでバイクを固定し、動かないようにする。運転手のアレックスという男は親切にもいろいろと手伝ってくれるだけでなく、果物まで分けてくれた。あの黒いトラックに裏切られた後だけに、この人が本当に仏に思える。

 そして出発。改めて遠ざかるキャンプ場を見ると、とても美しいところだ。しかし、もうお腹いっぱいだ。さらばラス・トーレスのキャンプ場よ。
  途中で川を渡りたいというトレッキング客を何人も拾い、白いトラックの荷台はバイクと人でいっぱいになった。7キロほど走り、あの問題箇所に着く。このゴツいトラックでもまだ自力では渡れないらしく、昨日から大活躍しているあのハイラックスに牽引してもらい、川へ突入。
 深さはやはり、一番深いところで70センチほどだった。死ぬ気で頑張れば自力で渡れたかも。でも、問題はやはり流れの速さだろう。まあ、冷たい思いをしなくて済んだし、万一川の中でバイクを倒して水を飲ませたら、それこそ一大事だ。良かった良かった。

 白いトラックはあまりにも遠かった400mを無事に渡り切り、対岸に来た。やったぜベイベー、地面にキスしたい気分だ!
 バイクを降ろしてもらい、アレックスに丁重に礼を言って別れる。本当ならこれからグレイ湖など、公園の奥を見てからプエルト・ナタレスに帰りたいところなのだが、実はまた一つ、バイクにトラブルが発生した。リアタイヤを何気なく見たら、釘が思いっきり刺さっているのだ。しかしパンク防止剤が効いているのか、パンクはしていない。釘を抜こうかどうか迷ったが(チューブレスタイヤだったら無理に抜かない方がいいのだが、わがバイクは一応チューブが入っている)、とりあえずこれで空気は漏れていないので、このまま走る事にした。
 向かった先はやはりプエルト・ナタレスの街。公園内でパンクされたらやっぱり面倒だ。もう疲れた。街へ帰ろう・・・。

 途中、ヘルメットのシールド(プラスチックの風防)の片側の止め具が割れてしまった。 おかげでシールドは片方だけでかろうじてヘルメットにくっついている状態、風や振動でバタバタと揺れる。まったくもって、トラブルが続くなあ。
 一時間半後、プエルト・ナタレスに到着。ウメさんやギュウちゃんが勧めてくれた、「チラの宿」(Hospedaje Chila)にチェックインする。そして早速、リアタイヤから釘を抜いて見る。ここまで100キロ以上も走って、空気はまったく漏れていない。すると、釘は予想以上に長かった。6センチはたっぷりとある。しかし釘を抜いた瞬間だけ、穴から若干の空気とパンク防止剤の液体が出てきたが、やがて止まった。恐るべし!「スライム」の効果!入れてて良かった〜。

 その後は街でインターネットをやったり、宿のキッチンで夕食を作って食べたり。宿の女主人、チラは噂どおり面倒見のよい人で、宿のことや街のことなどいろいろと教えてくれた。あー、久々の人里(ちょっと大げさだが)は落ち着くなあ・・・。


本日の走行距離      133.4キロ(計37790.2キロ

出費                  2500P   昼食(チキン、ビール)
   1200P  瞬間接着剤
   4720P  スーパーで買い出し
   1000P  インターネット
計        9420P(約1850
宿泊         Hospedaje Chila
インターネット Turismo Maria Jose


2001年2月19日(月) チラの宿でゆっくり(Taking a rest)

 今日はプエルト・ナタレスの街でゆっくりと過ごした。
 日記がたまっていたので午前中は宿の部屋にこもって打ち、昨日のインターネットカフェに行って更新した。1年前の情報によると、このカフェはパソコン一台ごとに専用の電話線がきていて、その線と店のIDとパスワードを借りてダイヤルアップする方式だったそうだ。しかし今ではLANシステムが入り、「遅い」とされていた速度も改善されていた。パソコンやインターネットの世界は移り変わりが激しい。あるはずのカフェが無かったり、逆に1軒も無いとされていた街にカフェが並んでいたりするのだ。

 明日、アルゼンチン側のペリト・モレノ氷河を見に行こうと日帰りのツアーに申し込む。料金は30000ペソ(約54ドル)。食事も国立公園の入場料も含まれていない純粋な往復の交通費だけなのだが、氷河観光の基地となるアルゼンチン側の街カラファテをバスで往復するだけでも4、50ドルはかかり、さらにそこからも氷河のツアーは40ドルくらいはするそうなので、それを考えるとこの料金はおトクだ。
 そしてツアーは明日の朝7時出発というので、早めに寝た。夜は木造のチラの家が揺れるほど風が強かった・・・。


本日の走行距離       15.5キロ(計37805.7キロ

出費                  3617P   スーパーで買出し
   1000P  インターネット
   30000P  ペリト・モレノ氷河ツアー
計        34671P(約6800
宿泊         Hospedaje Chila
インターネット Turismo Maria Jose


2001年2月20日(火) 「生きている」氷河に感動する(The Glacier of Perito Moreno)

 朝7時過ぎ、ツアーのダッジ・バンが宿に迎えに来た。あたりはまだ薄暗いが、天気はまずまずだ。バンは街をめぐって他の客を拾い、アルゼンチンとの国境を目指した。朝焼けの中、ダートを走るバンに乗っているのはドライバーを含めて10人。ちょっと窮屈だ。
 日帰りでもパスポートの手続きはしなくてはならず、チリの出国スタンプとアルゼンチンの入国スタンプをパスポートにもらう。そしてバンはまた延々と走りつづける。なにしろプエルト・ナタレスから氷河までは片道で300キロは優にある。そして、そのほとんどがダートなのだ。今日のツアーの16時間の行程のうち、実に13時間ほどを車の中で過ごすことになる。

 アルゼンチン側に入ってカラファテの街に近づいたときだった。坂の向こうから、突然2台のオートバイが現れた。一台はホンダXRバハ、もう一台も同じくホンダのSL230!そしてあの見覚えのあるジャッケットは・・・まぎれもない、クスコで会ったtakataka夫妻ではないか!!
  トレッキングや山登りが好きな彼らは、先日南米の最高峰アコンカグア(6960m)に登頂(!) し、パタゴニアに南下してきていると私にメールをくれた。そろそろどこかで会えるかと思っていたが、こんなところですれ違うことになるとは!私は車に乗っているので、彼らは気付く由も無い。ほんの一瞬の再会だった・・・。
 一応チラの宿の住所はメールしておいたのだが、彼らのことだから、きっとこのままパイネ国立公園に入ってキャンプしながらトレッキングを楽しむのだろう。再会はむずかしいかもしれない。そういえば、ゴリラのマサとも会えなかったし・・・。

 正午前、バンはカラファテの街のガソリンスタンドに入った。氷河の方にはまともに食べられるところが無いというので、スタンドでハンバーガーを食べる。
 すると、店内に一人のライダーが入ってきた。身長190センチあまり、顔は昔のアニメ「クラッシャージョウ」に出てきた「タロス」(知ってる?)のように、もっと分かりやすく言えば、フランケンシュタインのように、ゴツい。・・・って、ありゃエクアドルで会ったリカルドじゃん!なーにやってのよ、こんなとこで・・・。
 というわけで再会を喜び、抱き合う。彼は私とバーニョス会ったあとキトに戻り、そしてまた南を目指して下ってきたそうな。ペルー、ボリビアの山中を通ってきたというが、なるほど、ピカピカだった彼の黄色いホンダ・ドミネーターは(実際、あまりにも黄色が鮮やかだったので、彼の彼女は「ピカチュウバイク」と呼んでいた)、キズだらけのボロボロになっていた。厚い唇で「大したことないさ」とニヤリと笑うが、たいへんな苦労がうかがい知れる・・・。
 ツアーのバンが出るというのであまりゆっくりと話すことが出来なかったが、お互いの旅の無事を祈り、またメールを送ることを約束した。・・・まあ、彼なら殺しても死ななそうだが。(彼はコロンビアのゲリラに誘拐された経験もアリ)

 さて、そこから目指す氷河はさらに2時間かかる。山中のダートを揺られ、「ロス・グラシアレス国立公園」の入園ゲートで一人5ペソを払い、さらに進むと、ぬおお!アルヘンティーノ湖に落ちこむ巨大な氷の塊が見えてきた。あれが幅4キロ、長さ14キロ、水面からの高さ約50m、そして世界でも極めて活発に「流れている」氷河、ペリト・モレノ氷河だ!
 駐車場に止まったバンを降り、興奮のあまり急ぎ足で展望台まで行くと、そこからの眺めはこ〜んな感じだった。

 ひゃ〜!まさに氷の河、すんごい迫力で展望台の間近まで迫っております。氷河といえば、もう一年以上も前にカナダで「アサバスカ氷河」を見たけれど、こっちの方が断然に「生きている」という感じがする。というのも、アサバスカ氷河は表面まで行って歩いたけれど、「動いている」というのは実感できない。それに比べて、このペリト・モレノ氷河は一番激しいところで1日に2mも移動し、展望台から見ていると頻繁に「ピシッ」とか「パキッ」とかいう、氷が動いている音が聞こえてくるのだ。
 そしてときおり氷河の先端部が崩れ、轟音を立てて湖に落ちて行くのが見える。幸運でなければ見られないと思っていたが、私がいた2時間のうちに何度も崩落はあり、一番大きなものでは直径20メートルほどの氷の塊が水飛沫をあげて湖に落ちて行った。(上の写真の左端、湖面に広がっている白い波紋がその氷が落ちた跡)
 いや〜、その光景と音に大感動!そして、氷の美しいこと。太陽が出ると本当に氷が真っ青に見えるのだ。氷河の氷はすごい圧力で固められた極めて透明度の高いものだから、青以外の光を吸収してしまうためらしい。

 氷河はたいへん美しいが、その分、空気もたいへん冷たい。まるでスキー場にいるような寒さ、耳がキーンと痛くなる。自分のバイクで来れなくて良かったかも・・・。
 見学時間の2時間はあっというまに過ぎ、再びバンは来た道を引き返した。帰りにカラファテの街中に30分ほど寄ったが、プエルト・ナタレスよりもずっとセンスの良いみやげ物屋をゆっくり見て回るには短すぎた。

 夜9時、国境で実に6個目となるチリの入国スタンプをもらう。一応、これが最後の予定だが・・・。
 チラの宿に帰ったのは10時半頃。疲れたが、氷河は実に素晴らしかった。南米で感動した場所の5本指には確実に入るな・・・。


本日の走行距離          0キロ(計37805.7キロ

出費                     5P   昼食(ハンバーガー)
   5P  国立公園入場料
計        10P(1アルゼンチンペソ=1ドル、約1100
宿泊         Hospedaje Chila