旅の日記

チリ・フェリーで北上編(2001年2月21〜25日)

2001年2月21日(水) 超ラッキー!(Getting on the boat)

 明日はプエルト・モン行きのフェリーが出航する日。その前日、つまり今日、フェリーの事務所で予約の再確認をしろというので朝一番に行って見ると、フェリーは明日の早朝に出るので今夜8時に乗りこんでくれという。何だそれ、3泊4日の航海のはずが実質4泊5日じゃん。

 というわけで、ちょっと慌しくなった。船の中で酒を買うと高いだろうから、スーパーで1.2リットル入りの紙パックの白ワインとピスコを1瓶買いこむ。そしてインターネットをし、荷物をまとめる。
 午後8時前、チラに別れを告げて宿を後にする。再びフェリーの事務所に行くが、やっぱり9時に来てくれという。予定がコロコロ変わるなあ。仕方ない、街中を1時間ブラブラしようとバイクにまたがったら、あまりの強風で立ちゴケしてしまった。え?風ぐらいでコケるなって?じゃあ来てみろ、パタゴニアに!ホントにこの風は尋常じゃないんだから!

 というわけで、移動するのが嫌になった。風から逃れようと埠頭の近くの建物のかげにバイクを停めたら、一台のオレンジ色のオフロードバイクがやってきた。KTMという、知る人ぞ知るオフロードバイクの名門メーカーのバイクだ。実はこのバイクはパイネ国立公園でも見て、プエルト・ナタレスの街中でも見かけていた。ナンバープレートがチリのものだったのでチリ人かと思っていたら、乗っているのはアメリカ人のジョンという陽気な中年だった。アメリカから送って、チリ人の友人の計らいでこっちで登録したらしい。
 同じライダー同士、アミーゴになるのにはコンマ数秒しかかからなかった。彼もこれからフェリーに乗りこむというので、一緒にバイクを積みこむ。

 さて、我々の乗りこむ船は「プエルト・エデン」号。全長113m、全幅19mで定員は167名。見た目はゴツく、フェリーというより南極観測船といった感じがする。
 車両搬入口は船尾にあるのだが、ジョンとそこへ向かうと、一人の日本人男性が荷物満載の自転車を船に上げている。そして良く見てみると、それはウシュアイアの上野邸で会った59歳のチャリダー、大友さんだった!なんという偶然続き!彼もこれからフェリーで北上するらしい。これは楽しい船旅になりそうだぞ。

  車両用の甲板は広く、端っこにポツンとジョンと私のバイクを停めてロープで固定した。そして荷物を持って船のメインロビーに行き、部屋の指定されるのを待つ。私の買った200ドルのチケットは一番安い大部屋(ドミトリー)の料金。部屋の説明、誘導は高い料金を払った個室の客から始められ、私を含めた大部屋の客はその間ずっと待っていた。
 しばらく待つが、一向に私の番が来ない。ちなみにジョンも大友さんも6人部屋の準個室だそうで、とっくにそれぞれの船室に入っていった。やがて大部屋の客もどんどん部屋が割り当てられていったが、私はいくら聞いても「お前は待て」といわれるだけ。

  そして最後の最後、私を含めて残った4人が「じゃあ、こっちに」と誘導されて、ロビーのすぐ裏の船室に案内された。そこは2段ベッドが二つと専用のトイレ、そして海が見える窓がついた(これがあるとないとで、また料金が変わる)、4人用の個室。一つ一つのベッドにライトがあり、そしてコンセントもある!そして、なによりベッドがとてもキレイ!なんじゃこりゃ、どういうこった!?
 聞くと大部屋でベッドが足りなくなり、私だけ(同じ部屋のほかの3人は個室料金を払っている)、空いているこの部屋のベッドがあてがわれたのだ!
 おおお!スーパーラッキー!まるで格安航空券でファーストクラスに乗ったみたい!しかも、飛行機ならせいぜい10数時間で終わってしまうが、この船旅は今夜を含めると4泊5日なのだ!トラブルがもとでこの船に乗ることになったが、いや〜旅、そして人生は何が起きるかホントわかりまへんなあ。

 ただし同部屋のほかの3人はすべて女性・・・。スイス人の親子(推定50代&20代)とアメリカ人の女性(推定30代前半)なのだ。うらやましいと思うかもしれないが、個室といえど部屋は狭く、トイレで屁をしようものなら部屋中に響くほど密集度が高いのだ。・・・気を使ってしょうがないではないか。
 しかし、女性の方は私がいようとお構いなしらしい。スイス人の娘は「男がいたほうが吸血鬼が来たときに頼りになるわ」などと冗談をいいながら目の前で下着になって着替え出すし、私の上のベッドのアメリカ人女性は荷物をぶちまけ、私の頭に大量の生理用品が降ってきた・・・。
 でも、同じ船のはるか下の大部屋(本当に船というものは料金の高い部屋が上にあり、安い部屋は船底の方にある)を見に行くと、あぐらをかくこともできないほど天井の低い3段ベッドがずらりと並んでいるだけで、窓も無い。まるで潜水艦の中のように無機質だ。やっぱり俺は超ラッキーだ!ちなみに、あの4人部屋の通常の料金は2倍の400ドルらしい・・・。

 今夜の夕食も出るというので食堂に行くが、個室の客と大部屋の客は食事もわけられているらしく、さすがに私は下の階の大部屋客用の食堂に行けと言われた。そこはとても狭く、並ばないと食べられないのだが、メニューの内容はどうやら同じらしい。今夜はスパゲティミートソース。味はまあまあだった。
 そして幸せな気分で就寝。船はまだ港を出ていないので、酔うこともないだろう。


本日の走行距離        7.1キロ(計37812.8キロ

出費                   750P   インターネット
   3200P  船で飲む酒
   12000P  チラの宿4泊分
   580P  コーヒー
計        16530P(560チリペソ=1ドル、約3250
宿泊         Puerto Eden号
インターネット Turismo Maria Jose


2001年2月22〜24日(木〜土) 快適な船旅(A comfortable cruise)

 22日の早朝に船は出航する予定だったが、結局船が港を出たのは午前9時過ぎ、快適な眠りから目を覚ましてしばらくたったころだった。
 さすがに動き出したら揺れるかと思っていたが、船はフィヨルド状の湾内や島の間をぬうように進むので、海はまったく平穏。体に感じるのはエンジンからの軽いバイブレーションだけだ。

 この船で面白いのは操縦室が解放されていることで、乗客は自由に出入りして船員が操舵するところを見られる。船はけっこう狭い海峡を通るのだが、操舵の様子を見ていると緊張した様子は全く感じられない。船長にカメラを向けると、さりげなく顔とポーズをつくるのがおかしかった。

 3度の食事は朝が8〜9時と、昼が12〜1時、夜が7〜8時。1日に3回あるこの「イベント」の他は、部屋でパソコンに向かったり本を読んだりと、のんびりと過ごす。ロビーでは1日2、3回、スペイン語字幕付きの映画のビデオも上映された。

 山田太一の「遠い声を捜して」を読み終わったあと、ラディゲという20世紀初頭のフランス人作家の作品(題名すら忘れた)にとりかかったが、訳があまりにも直訳で、文面も難しすぎるので、最初の2ページで挫折してしまった。かわりにこの2冊の文庫本と、大友さんが持っていた真保裕一の「ホワイトアウト」を交換してもらう。 あの映画にもなった、ダムをテロリストを乗っ取るヤツだ。
 23日の夕方ごろから船は外海に出て、予想以上に揺れるようになった。歩くのも困難で、トイレの中にあるゴミ箱が揺れるたびに転がって音を立てた。ただ座っているだけでも脂汗をかいてしまうほど気分が悪くなるので、ベッドに横になって本を読む事くらいしかできなかった。おかげで600ページ以上ある「ホワイトアウト」が進んだ。

 次の朝には船はふたたび湾内に入り、揺れは止まった。午後には「ホワイトアウト」を読み終え、ロビーで会った大友さんに報告すると、「早すぎる」と驚かれた。彼は私のあげたラディゲの文庫本の最初の数十ページとの格闘を終えたところだった。

 部屋のシャワーもお湯がたっぷりと出て、窓からの景色も素晴らしく、まったくもって快適な船旅だった。私も今までに国内、国外ともフェリーに乗った経験があるが、こんなに快適な船旅は初めてだった。トラブルがもとで乗ることになったが、本当に乗って良かったと思う。
 24日の夜、つまり最後の夜にロビーで簡単なパーティが行われ、残り少ない船旅をみんなで惜しんだ。 


3日間の走行距離         0キロ(計37812.8キロ

出費                  1000P   売店でコーヒー2杯
   500P  食堂へのチップ
計        1500P(約300
宿泊         Puerto Eden号


2001年2月25日(日) プエルト・モン到着(Arriving in Puerto Montt)

 25日朝、船は予定通りプエルト・モンの港に着いた。
 しかしフェリーの船着場は1ヵ所しかなく、同じ会社のもつ別のフェリーが使用中だという。そして船着場が空き、車やバイクを降ろせるようになるのは午後7時ごろだというのだ。
 幸い、人間だけは小さな船に乗り換えて陸に上がれるので、夜まで船内で待っていても仕方ないと思い、とりあえずの荷物だけを持って大友さんとプエルト・モンに上陸する。

 ほぼ1ヵ月ぶりのプエルト・モン。サンチャゴから下ってきたときには寒いと感じたが、プエルトナタレスやウシュアイアに比べればはるかに暖かい。そして、あの忌まわしい風が無いのが嬉しい。
 前回泊まった宿も悪くはないのだが、シャワーの調子がイマイチなのと、部屋にカギがかからないのが心配なのだ。「地球の歩き方」に載っていた「Hospedaje Familiar Walglad」というところをのぞいてみると、バイクも屋根の下に停められ、部屋もまあまあなので大友さんとチェックインする。

 夕方までは市場で食事をしたり、インターネットをやったりした。宿には日本人がけっこう来るらしく、日本語の情報ノートもあったが、オーナーが日本語の読めないのを良い事に宿の不満がけっこう書いてあった。でも書かれているみたいにシャワーの出も悪くなく、深夜もうるさくなかった。相場よりちょっと高いのかもしれないが、それでも前回の宿よりずっといい。

 夜7時すぎになってバイクを取りに行くと、船着場にチリ北部で会ったアメリカ人のクリス のBMWが停まっているではないか!彼もウシュアイアを目指すといっていたが、ここにバイクがあると言う事は今夜初のフェリーで私の来たルートを逆行するのだろう。
 しかし彼のバイクの前で一時間ほど待っても、街中を流しても、彼の姿は見られなかった。腹も減っていたので仕方なく宿に帰る。クリスにはメールを送っておこう。


本日の走行距離        6.8キロ(計37819.6キロ

出費                  2500P   昼食(市場で貝のスープ)
   350P  缶ビール
   680P  インターネット
   3309P  スーパーで食材の買い出し
   8200P  ガソリン
計        15039P(約2960
宿泊         Hospedaje Familiar Walglad
インターネット Centro de Llamados