旅の日記

チリ・プレン編(2001年2月26日〜3月2日)

2001年2月26日(月) プエルト・モンで休息(Taking a rest in Puerto Montt)

 今日はプエルト・モンで日記を打ったり、ショッピングセンターを冷やかしたりして過ごした。
 本当はもう発てるのだが、次に訪れる予定の、ここから約500キロ北の小さな町に住んでいる人の都合が明日にならないと合わないので、今日は1日、日程調整のような感じだ。

 午後、インターネットをしにいつのも電話屋に行くが、今日はパソコン用の電話回線と会話用の電話回線がなぜか混線して、うまくいかなかった。店の人に文句を言ったら、原因を調べもせずに「じゃあ、インターネットは今日はダメだ。さあ、帰った、帰った」と逆ギレされた。頭に来た。
 プエルト・モンで自分のパソコンが繋げられるカフェはここしかないのだが、それなら明日、テムコの街のカフェに寄ればいいさ。それにしても頭に来たなあ、あの対応。

 夕方になって、朝に出発したはずの大友さんが帰ってきた。国道を使わず、山の中を通って北上しようとしたのだが、行こうと思っていた道がなぜか無く、引き返してきたとのこと。それでも片道40キロ、往復で80キロ。自分の力で漕ぐのは大変だ。


本日の走行距離          0キロ(計37819.6キロ

出費                   780P   切手
   1250P  パンク修理キット
   350P  ツナ缶
計        2380P(約470
宿泊         Hospedaje Familiar Walglad


2001年2月27日(火) 本郷さんに会う(Meeting an ecologist)

 プエルト・ナタレスでパンク防止剤「スライム」を絶賛したばかりだが、やっぱり本格的に走ったらダメだった・・・。

 朝、プエルト・モンを出発し、快調に国道5号線を北上していると、200キロほど走ったあたりで後輪にへんな挙動を感じた。バイクを停めて見ると、後輪の空気圧がだいぶ下がっている。疑う余地はない。あの釘のささった穴が、高速走行でまた開いてしまったのだ。
 今まで走ってきて初めてのパンクだ。その場で直すのが面倒くさいので、ちょっと先にあったMafilの町までそのまま走り、パンク修理屋で直してもらう。ライダーとしては自分で直すべきなんだけど、なんせ200円くらいでやってくれるから、ついつい御願いしてしまう。

 後輪が直ったあとは再び北上。南下してきたときに一泊したテムコの街のインターネットカフェに寄り、ホームページを更新する。街の広場の近くにあるこの電話屋は、前回とおなじようにLAN接続を快諾してくれ、回線の速度も速かった。プエルト・モンのあの店に比べれば月とスッポンだ。

 そしてテムコから50キロほどあがったところで国道を左に折れ、Puren(プレン)という小さな町を目指した。
 この町には、メキシコのペンションアミーゴでずっと一緒だった「ヤマちゃん」の大学の先輩が、海外青年協力隊員として派遣されている。ヤマちゃんは私がチリにいることをこのHPで知り、その先輩を紹介してくれたのだ。

 その先輩、本郷さんは植物生態学の専門家で、プレン周辺の環境保全のために派遣されている。今日が出張先のサンチャゴから帰ってくる日。町に着いてまず彼の職場である役場を訪ねてみると、親切な職員がバイクの後ろに乗って彼の宿舎を案内してくれた。
 本郷さんはすでに戻っていて、無事、対面を果たす。バックパッカーだった本郷さんはとても気さくな明るい人で、町を一緒に歩いていても色んな人に積極的に声をかけ、着実に地元の社会に溶け込んでいる様子だった。聞くと、この町に派遣されてまだ1ヵ月ほどしか経っていないとのこと。ただ、その前に北部のアントファガスタで語学研修を受けたので、スペイン語はとても上手だった。

 本郷さんとは一緒にビールを飲み、旅の話を遅くまでした。明日は本郷さんが守ろうとしている森林を案内してくれるという。お忙しいところを悪いが、楽しみだ。 


本日の走行距離      514.6キロ(計38334.2キロ

出費                  8000P   プエルト・モンの宿2泊分
   8300P  ガソリン
   550P  昼食(コンプレータ、ホットドッグのようなもの)
   7000P  酒
   1000P  有料道路
   1000P  パンク修理
計        25850P(約5100
宿泊         プレンの町役場の宿舎
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2001年2月28日(水) プレンの森をあるく(Walking the forrests around Puren)

 今日は本郷さんにプレン周辺を案内してもらう日だが、あいにくと午前中は雨が降っていた。
 午後になってから天候が好転したので、ヘルメットをもう一つ借りて、本郷さんと二人乗りで森に向かう。本郷さんの仕事は環境保護のための調査が主なので、こうして森を回って歩くのも仕事のうちなのだ。

 まずは滝があるのというので、そこへ連れていってもらう。
 滝と言ってもそんなに名所ではなく、訪れる人の少ない小川沿いの険しい山道を登った奥にある。周辺の森は予想以上に湿度が高く、「雨林」といわれるのだろうか、広葉樹のほかにもシダやタケなどがうっそうと茂っていた。本郷さんによると毒こそないものの、タランチュラなみに大きなクモも生息するという。
 今までにチリは北から南まで見てきたが、こんな景色は初めてだ。まるで日本の山の中のようで、北部は砂漠、南はフィヨルドと針葉樹、と単純にチリを割り切っていた自分を反省した。
 本郷さんの派遣期間はあと2年。がんばって、この森を守ってください。

 ぬかるみや一本橋、濡れて滑りやすくなった岩の上をこえ、汗をかきながら30分ほど登ると、ようやく滝に到着した。高さは20メートルほどだろうか、小さくもなく、大きくもない。とても静かなところで、滝が起こす風が心地よかった。汗をかいた顔を川の水で洗う。
 その後はさらに奥にある湖をバイクで見に行き、街に戻った。

 夕方からまた宿舎で酒を飲み、お互いのパソコンで旅の写真を見せ合った。協力隊の隊員も、今ではパソコン持参が当たり前らしい。本郷さんもCD-R/Wドライブを持っているが、そういうのを持っているとやっぱり人からCDを焼いてくれ、とよく頼まれるようで、この夜も同じ宿舎の子に頼まれて作業をしていた。  


本日の走行距離       68.4キロ(計38402.6キロ

出費                  1200P   ビール
計        1200P(約240
宿泊         プレンの町役場の宿舎


2001年3月1〜2日(木、金) ヨーロッパ行きの準備(Hot, hot Santiago)

 1日の朝、本郷さんに別れを告げてプレンを後にする。
 次の目的地は首都サンチャゴ。600キロ以上はあるのだが、DRは本日もすこぶる快調。スリップサインが出るほど擦り減ったリアタイヤも何のその、120キロで巡航し、「すごい飛ばせば4時に着くかも」と本郷さんと冗談で言ったいたとおり、本当に4時すぎに着いてしまった。

 ただし、やはり宿、というより駐車場探しで苦労した。
 駐車場、あるいはバイクの停められるスペースのある安宿を探すのだが、前回同様、やはりみつからない。仕方なくバイクはバイクで有料駐車場に入れることにし、セントロにある安宿の定番「ヌエボ」にチェックインする。さて、バイクを駐車場に入れに行くと、周辺には駐車場が無数にあるにもかかわらず、どこも夜間は閉めるのでバイクは置けないという。
 炎天下のなか、汗だくになって渋滞のサンチャゴを走りまわり、結局3時間後、前回停めたのと同じ駐車場に入れる事になった。ただし、今回の宿から相当遠いのだ。(歩いて20分)
 しかもホコリだらけのガレージに入れたら、かけたはずのサイドスタンドがいきなり外れ、バイクもろともひっくり返った。全身ホコリで真っ白になり、とてもみじめだった。
 1日はそんなこんなで大変疲れたので、ウメさんのHPに載っていたインターネットカフェに行ってインターネットをして、眠った。

 2日、ヨーロッパ行きの準備を始める。
 まずは、エクアドルで出会ったイギリス人ライダー、クリスから教えてもらったスイス・カーゴ(スイス航空の輸送会社)のオフィスに電話してみる。すると情報どおり、約800ドルでスイスへ送れるとのこと。残念ながらスイスからスペインに送るのは輸送機の大きさの問題で無理とのことだが、スイスでも800ドルで送れれば十分だ。
 ただし、この英語の堪能な担当者は明日から休みだそうで、しかも、実際に送る日の1週間前には電話をして予約を取らねばならないそうだ。やはり、そんなにすんなりとはいかない。チリでしばらく足止めだ。
 というわけで明日、大好きなビーニャデルマルの「汐見荘」に移動することにした。そこには、ある知り合いが待っているはずなのだ・・・。


2日間の走行距離     683.3キロ(計39085.9キロ

出費                  6200P   ガソリン
   11170P  食費(外食)
   1400P 有料道路
1780P 地下鉄
   1000P  インターネット
   937P  トレットペーパー、果物など買物
計        22487P(約4420
宿泊         Hotel Nuevo
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