いや〜、あいかわらず汐見荘は楽しい。今回は宿泊者の年齢層がグッと若く、みんなとても元気だ。1月の汐見荘や上野邸は異常に平均年齢が高かったから、こういう雰囲気は久しぶり。
この3日間は朝起きてパソコンに向かい、午後に買物を兼ねて街のインターネットカフェに行き、夜はみんなでご飯を食べ、酒飲んで麻雀かトランプをするという、まことに正しい沈没生活を送った。南米もそろそろ夏が終わるので、街では夏物のバーゲンが行われていた。ここぞとばかり、まとめて服を買う。
5日にはキヨシさんや4人いたチャリダー(自転車野郎)のうち3人が出発したので、がらりと淋しくなってしまった。日本人宿にはこういう傾向が強い。というのは、長期滞在者たちは常に「いつ出ようかな・・・」などど考えているのだが、他の人が出るのをきっかけに自分も出発する事が多い。そうなると、まとめて何人も出ていったりするのだ。
私も含め、残った人たちもあと2、3日のうちに出て行く。我家のように感じている空間から我々が完全に姿を消し、また知らない人たちがやってきて、別の雰囲気をつくる。ちょっと変な、淋しいような感じだ。次に汐見荘に来るときは、どんな雰囲気なのだろう。
わざわざ海外にいて、なんで日本人と一緒に過ごさなければならないのかと考える人もいるだろう。しかし海外で出会う日本人は、日本で普通に生活していて知り合う日本人とはまったく違う。歳も違えば職業も出身地もバラバラ、それぞれ色んなものを背負いながら(あるいは全く背負わず)、海外を放浪しているのだ。たとえば10歳年下の、まったく違う世界を生きてきた絵描きと友達になる機会など、少なくても日本で日々の仕事に追われていた私には無かった。
これまで1年半旅をしてきて、友達になり、メール交換を続けている人の人数は相当数になる。日本で日本人に囲まれて1年半生活していても、この半分も友達はできないだろう。私が旅を続ける理由は、こんなところにあるのかも知れない。
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