旅の日記

メキシコ・メキシコシティ編その9(2001年3月8〜12日)

2001年3月8日(木) メキシコシティに戻る(Back in Mexico City)

 乗った「コパ航空」はパナマの航空会社で、従ってパナマシティで乗り換える必要があった。無論、飛行場から出ることはできないが、着陸する際にパナマシティが見渡せた。この街にいたのは昨年の4月末。もう10ヵ月以上経っているのか・・・。そう考えて見ると、メキシコシティの「ペンションアミーゴ」を出発したのが昨年の2月20日だから、一年以上もかけて地道に陸路で進んできた道のりを、私は一気に飛行機で遡っていることになる。なんか、ふりだしに戻っているみたいな感じだ。

 午後1時すぎ、乗り換えたコパ航空機は無事メキシコシティに着陸した。メールでもらっていたとおり、昨年アミーゴでずっと一緒だったチャリダーの唯土(ゆいと)と竹葉さんが車で空港まで迎えにきてくれた。唯土は到着ロビーで プロレスマスクを被り、日本国旗を振って待っていてくれた。アミーゴらしい歓迎で嬉しい。
 ライダーと呼ぶべきか、元ライダーと呼ぶべきか、微妙な位置にいる竹葉さんも昨年アメリカでワーゲンのキャンパーバンを買い、北米を旅していた。その愛車に乗りこみ、アミーゴを目指す。

 車窓から見える景色が懐かしい。落書きだらけの建物にパタパタと音を立てて走る黄緑色のビートルタクシー、うす汚れた空気、強い陽射し。道ゆく車の運転はすさまじく荒く、あちこちでクラクションの音が聞こえる。・・・メキシコシティの混沌に戻ってきたんだなあ。

 アミーゴに到着すると、唯土と竹葉さんは私が一番好きな、しかし泊まった事のない10号室のベッドを押さえていてくれた。今は学生旅行のシーズンでアミーゴは満室状態。事前に連絡していて良かった・・・。
  そして、この旅に出発する直前、1999年9月に多摩川で行われたNorthernWalkersの永原さん主催のバーベキュー大会で知り合ったライダー、どいうらさんとも再会を果たした。どいうらさんはオーストラリアを旅した後、バイクを送ってカナダから南下し、昨年の12月にアミーゴに到着。そして以後3ヵ月にわたって沈没と、私のパターンとよく似ている。私も99年12月にアミーゴに来て、そのまま翌年の2月20日まで居たから・・・。
 そうこうしているうちに、アミーゴの食堂では新しく管理人になった(といってももうすぐ帰国するが)小林さんと唯土が、プロレスマスクとTバック姿で踊り出した。アミーゴのメンバーは昨年とほとんど入れ替わっているが、やっていることは同じだ。・・・メキシコシティの混沌に戻ってきたんだなあ。

 夕方から、前いた時にもさんざん行ったスーパー「アオレラ」に行って、テキーラやつまみなど大量に買物をした。物価の安いメヒコだから、と油断していたら相当な金額になってしまった。まあ、いいや。
 そして帰りにタコス屋に行ってタコスを食べる。この屋台は5タコス5ペソだったが、今は8ペソに値上がりしていた。味も落ちたと聞いていたが、私には懐かしい味がした。 タコス屋からアミーゴに帰る路上には所狭しと屋台や露店が並んでいて、夜でも電気をこうこうと点けて商売をしている。通りは人で溢れ、整然としていたチリのビーニャデルマルとは全く違う雰囲気だ。うーん・・・メキシコシティの混沌に戻ってきたんだなあ。
 でも疲れるとかうんざりするとか、嫌な感じはまったくしない。とても懐かしく、温かく、そして体からエネルギーが沸いてくるような混沌なのだ。

 夜は早速、麻雀となった。食堂のテーブルに毛布を敷き、その上にマットを敷くいつものやり方。つくづく戻ってきたなあ、と思った。(結果は惨敗!)


本日の走行距離           0キロ(計39271.4キロ

出費                  230N$   酒、食材など買物
   15N$  インターネット
   16N$  夕食(タコス)
計        261N$(1ドル=9.5メキシコペソ、約3020
宿泊         ペンションアミーゴ
インターネット ペンションアミーゴ


2001年3月9日(金) RYUTAさんの家に行く(Visiting a friend's house)

 今日は唯土と一緒に、以前アミーゴに住んでいたRYUTAさんの家に遊びに行った。RYUTAさんは私がアミーゴを出たあとに輸入関係の仕事に就き、今は自分で家を構えている。昨年末は強盗に遭って足を刺されるなどのハプニングがあったが、無事二人目の子供・さくらちゃんが誕生し、奥さんのチェリー、長男の隆盛も元気そうで、とても幸せそうだった。
 そしてRYUTAさんの家には、昨年もボクサー修行でメキシコに来ていた徳永くんが遊びに来ていて、熱心にボクシングの試合のビデオを見ていた。まだ頑張っているんだなあ・・・体重が増えたことでRYUTAさんにお叱りを受けていたけど。

 アミーゴに戻ると、早速、餃子の支度を始めた。RYUTAさんの家の近くには日本食スーパーがあり、遊びに行くついでに今夜の餃子大会の材料を買ったのだ。餃子希望者を募ってみると、15人ほども集まった。みんなで手分けして野菜を切り、肉と混ぜたあとは、皮に包む作業を延々とした。しかし、話をしながらこの作業をやるのがまた楽しいのだ。

 苦労したかいがあって、餃子は美味かった。ご飯と食べるといつもは12、3個でお腹がいっぱいになるのに、今夜は与えられた18個を全てたいらげた。
 そして食後はまた麻雀。うーん、まことに正しいアミーゴでの生活だ・・・。


本日の走行距離           0キロ(計39271.4キロ

出費                   18N$   昼食(定食)
   4N$  ペセロ(乗合タクシー)
   10N$  ビール
   20N$  夕食(餃子)
   15N$  インターネット
計        67N$(約760
宿泊         ペンションアミーゴ
インターネット ペンションアミーゴ


2001年3月10、11日(土、日) マルコスがやってくる(Leader of a Guerilla group)

 10日は日中、テピートという泥棒市に行って洋服やCDなんかを買った。テピートはあいかわらず凄い活気だった。広いエリアに無数の露店が並んでいて、服やCD、電化製品などが売られているが、どうも怪しいニオイがして、盗品と言われても不思議はない。
 夜はアミーゴの近くにあるもう一つの日本人宿、「サンフェルナンド館」に俊介を訪ねに行った。俊介はちょうど一年前、メキシコはカンクンの「カサ吉田」で一緒だった学生で、よく一緒に酒を飲んでいたのだ。彼も、今年もメキシコに旅行にやってきたのだ。
 サンフェルナンド館に入るのは初めてだったが、とてもきれいで、若い学生さんでいっぱいだった。アミーゴとはまったくノリが違うので、しばしとまどう。しかし俊介と再会し、彼の友達たちとも一緒にビールを飲んでいたら、とても楽しかった。
 
 11日の朝、管理人の小林さんが帰国のためアミーゴを出ていった。中庭でみんなで記念撮影をする。小林さんなき後は、唯土が暫定的に管理人ということになった。
 小林さんを見送ったあとは、国立人類学博物館に行った。昨年も行っているのだが、そこの売店はけっこういい物が売っているので、また行きたくなったのだ。しかも11日は日曜日で入場料が無料。ペセロ(乗合タクシー)で博物館に行き、3時間ほど博物館と売店をウロウロする。
 午後からはラグニージャという、テピートよりやや雰囲気がきれいな洋服やアクセサリーの市場に行って買物をした後、ソカロ(中央広場)に歩いて向かった。ラグニージャから歩くのは初めてだったが、道に迷う事は無かった。なぜなら、すごい人の群れがソカロに向かって歩いていたので、彼らにくっついて行けば良かったのだ。そう、今日はソカロで一大イベントがあるのだ!

 そのイベントとは、メキシコで一番先住民の比率が高く、そして貧しいチアパス州を拠点にしたゲリラ組織EZLNのリーダー、マルコスの演説。先日選挙で選ばれた新しい大統領がゲリラとの対話路線を進め、このたび両者の正式な会談がもたれることになったのだ。そこでマルコスは本拠地のチアパスを皮きりに各地を遊説して回り、今日、ゴールのメキシコシティに到着して最後の演説を行うことになったのだ。
 マルコスはいつも目のまわりしか露出しない黒いマスクを被っており、その姿をプリントしたTシャツなどはメキシコ土産の一つになっている。かつては国民的英雄だったが、今では支援金の使途が不明だったりして、ちょっと人気が落ちているそうだ。それでも彼の演説を聞こうと徹夜組も現れ、ソカロは群衆で埋まっていた。

 早く着きすぎたのでソカロ周辺の露店などを冷やかしていると、本物のゲリラの方たちがマルコスTシャツを売っていた。写真を撮ってもいいか、と聞いたらダメと言われたが、悲しい顔をしてみせたら「じゃ、いいよ」と言ってくれた。やった!モノホンのゲリラとツーショット。俺ってミーハー!
  マルコスグッズを扱う露店はけっこうあって、時間を忘れて見ていた。その間、ソカロに組まれた中央ステージには支援者とかゲリラのメンバーが入れかわり立ちかわり演説をして、そこそこ盛りあがっていた。
 やがてゲリラのテーマソングが流れて、みんなが歌い出した。そして歌い終わると、群衆は四方に散らばり始めた・・・。おいおい、どないやねん、と一人の若者を捕まえて聞くと、「マルコス?今、演説が終わったよ」とのこと。
 ・・・・オー!なんてこった!買物に夢中になって、メインイベントを見逃してしまった!きっとマルコス本人が出てきたらソカロがひっくり返るほどの騒ぎになるだろうと思っていたのだが、予想以上にみんな静かで、気付かなかったのだ。

 まあ、それほど盛りあがらなかったということだからいいか、と思ってアミーゴに帰ると、ソカロの中心で演説を聞いていた唯土やどいうらさんが、「何言ってんスか?ステージ周辺はメチャクチャ盛りあがりましたよ。マルコスコールで熱狂してましたよ」とのこと。・・・やっぱりショック!俺ってバカ!


本日の走行距離           0キロ(計39271.4キロ

出費                  1.5N$   地下鉄
   9N$  ペセロ(乗合タクシー)
   270N$  服、CDなどキ買物
   100N$  テレホンカード
   10N$  ビール
   67.5N$  食費
   15N$  インターネット
計        473N$(約5480
宿泊         ペンションアミーゴ
インターネット ペンションアミーゴ


2001年3月12日(月) 髪を脱色する(Bleaching my hair)

 今、アミーゴでは風邪と髪の毛の脱色が流行っている。長期滞在者の多くが髪の毛を脱色し、そして咳をしながらベッドで寝こんでいるのだ。両者の関連性は?だが、長いものにはとりあえず巻かれるカズヒロは、今、アミーゴで脱色をさせたらナンバー1との声が高いライダー・どいうら氏に協力を依頼。人生初・脱色を敢行することとなった。

 アミーゴの近くの薬局でブリーチ(約70円)を買い、アミーゴの中庭でいざ、脱色せん。手慣れた手つきでどいうら氏はペタペタと白い溶液を塗りこんで行くが、私の髪の毛は細くて柔らかく(久美子は私の頭髪の将来について、常に悲観していた)、塗ってるそばから色が落ちるとともに、痛んできた。頭皮への刺激は感じられないが、アミーゴのアイドル、アカネちんが私がくすぐったがり屋であることを竹葉さんから教わり、私のわき腹を刺激する。その度に私がオーバーなリアクションをとるので(実際くすぐったいんだもん)、アカネちんは大喜び。いやいやアカネちん、大事な作業中だから、やめなさい・・・ギャハハ・・・やめなさいって・・・・アハハハ・・・・でも、ちょっと幸せ・・・ギャハハ。

←昨年の夏  ←今回

 こうして塗りこんだあとしばらく待ち、色を見てここだ、というタイミングでシャワーを浴びる。結果は上々。でも、もっと落としても良かったかも。うーん、こうして見ると、坊主+ヒゲよりも、はるかに自分に似合っている気がする。みなさんも、そう思いません?


本日の走行距離           0キロ(計39271.4キロ

出費                 28.1N$   パンなど、食材
   6.5N$  ブリーチ
   200N$  アミーゴ宿泊費5泊分
計        234.6N$(約2720
宿泊         ペンションアミーゴ
インターネット ペンションアミーゴ