旅の日記

突然の一時帰国編(2001年3月13〜30日)

2001年3月13〜15日(火〜木) ロス経由で日本に帰る(Back to Japan via Los Angels)

 13日の朝、アミーゴのみんなに見送られてタクシーで空港に向かう。 え?どこに行くのかって?まあ、ちょっと待って。

 昼過ぎにメキシコシティを飛び立ったタカ航空機はグアテマラシティを経由し、サンサルバドルへ。エルサルバドルの首都サンサルバドルは大地震があったばかりで、空港も良く見ると天井が壊れていたり、壁にヒビが入っていたりと被害を受けていた。トランジットに2時間ほど時間があったので、空港の喫茶店でコンセントを借りてメールなんかを書く。
 現地時間で午後7時、ふたたびタカ航空機で飛び立ち、午後11時、ようやくロサンジェルスに到着。メキシコシティから直行すれば4時間ほどで着くのに、私が買ったタカ航空の一番安いチケット(メキシコシティ〜ロス往復270ドル)は、こんなにも遠回りだったのだ。
 空港にはトーランスに住む梶さんの奥さん、ホーリーさんが迎えに来てくれた。1999年11月にロスに来たとき、お世話になったご家族である。車で懐かしい梶さんの家に到着したのは深夜12時過ぎ。疲れていたので、とりあえずすぐ寝た。

 14日、梶さんの車を借りてロスのダウンタウンにある旅行代理店に、インターネットで購入していた日本行きのチケットをピックアップに行く。そう、はるばるチリからメキシコを経由してロスまで来たのは、日本に帰ることが最終目的だったのだ。
 チリで直接日本行きのチケットを買いたかったのだが予想以上に高く、とりあえずロスまで行って、そこで日本へのチケットを買うことにしたのだ。結局、ロス〜東京往復で355ドル+税71ドル。うん、やっぱり安い。

 15日、梶さんもホーリーさんも仕事だったので、近所に住む石橋さんという方が空港まで車で送ってくれた。私のような見ず知らずの人のために、すみません。
 これから日本に向けて飛ぶわけだが、今は卒業旅行のシーズン、ロスの国際空港は日本の若者で溢れかえっていた。修学旅行だろう、制服の高校生の団体もいて、まるで渋谷を歩いているようだった。はやくも帰国した気分になる。
 結局、梶さんのお宅には2泊しかできなかったが、二人のお子さん、セレナ(世礼菜)とエミナ(恵美菜)も元気そうで何よりだった。そして日本から梶さんの大学時代のご友人、湯谷さん一家もやってきていて、梶家はたいへん賑やかだった。梶さんたちには、また日本から戻ってくるときに会えるだろう。

 そして15日の午後、マレーシア航空機は日本に向けて飛び立った。それにしても、何でいきなり帰国かって・・・?


3日間の走行距離          0キロ(計39271.4キロ

出費                   40N$   メキシコ、タクシー代
   39$  メキシコ空港使用税
   2$  コーヒー
   270$  メキシコ〜ロス、往復チケット
   426$   ロス〜東京、往復チケット
計        40N$(約470
         737N$(約88440
宿泊         梶さん宅
インターネット 梶さん宅


2001年3月24日(土) 長い沈黙と帰国のわけ(The reason of my return)

 16日の夕方、私は約半年ぶりに日本の土を踏んだ。
 いや〜チリからここまで、長かった!なんせ、サンチャゴ→パナマシティ経由→メキシコシティ→グアテマラシティ、サンサルバドル経由→ロサンジェルス→東京だもんね。これほど乗り継いでロストバゲージが無いのが奇跡のよう。
 久しぶりの日本は、思ったより寒くなかった。ちょっと前まで雪が降っていたと聞いていたが、ここ数日でいきなり温かくなったようだ。

 さて、いきなりの帰国と2週間もHPを沈黙したわけ!それは、サラリーマン時代の大事な後輩が結婚するので、その2次会に乱入しようと思ったのだ。しかも、その後輩と面識のある久美子も一緒に!なんて楽しくって、縁起が悪いんでしょう!
  ま、その他にも理由はあるんだけど、どうせ夏にはカルネの再申請とかで帰ろうと思っていたから、それをちょっと早めたというか・・・。
 
 その後輩の名前は仲川崇。奥さんは祐子さん。式は24日(土)で、本来なら披露宴から出たいところだが、やっぱ驚かせた方が面白いと思って。そして乱入するなら、さすがに披露宴はマズいだろうと思い、2次会にしたのだ。いや、ご祝儀をケチッているわけではございません。決して。
 彼らは私の帰国をまったく知らない。それどころか式で流すから、ビデオメッセージを送ってくれとメールをよこしてきたのだ。私は「飛んで火に入る夏の虫♪」とほくそえみ、デジカメで「地球の裏側からおめでとう」というメッセージを収録し、CD-Rに焼きつけて彼らに送ったのだ。

 そして当日。乱入企画を知っているのは幹事など、会社関係でもほんの一部。それまでHPも更新せず、メールがあっても海外にいるフリをして潜伏していたのだ。
 2次会が始まって約30分後。会場近くのファミレスで待機していた私と久美子のもとに、幹事から「そろそろ・・・」という携帯コールが入る。久美子の用意したプロレスマスクを被り、会場へ。入口付近でビデオメッセージの上映が終わるのを待つ間、怪訝そうにこちらを見る知人らと目が合ったが、さすがにマスクを被っているから正体はバレない。
 そして1分ほどの短いメッセージが終ると、司会の合図とともに、いるはずのない二人が登場!しかも、久美子が私にヘッドロックをしながら!

 → 

 いや〜、マスクを取ったときの仲川の顔が忘れられん。ホント、目が点になっていた!まさか、俺が日本にいるとは思わなかっただろう。
 驚きの登場の後は、一生懸命考えた祝辞を披露。2次会のノリがあまりにも若く、それに比べればちょっとジジくさい挨拶になってしまったが、まあ、よしとしましょう。

(仲川崇と祐子さんへの祝辞)
 
仲川、そして祐子さん、結婚おめでとう。
 仲川、少年のような眼差しをしていたお前が朝日新聞社に入社してきたのが、ついこのあいだのように思える。 いつまでも少年、少年と思っていたが、お前も結婚するまで成長したか。 先輩として嬉しいと同時に、自分もヤバイ年齢になってしまったとあせっている。
  お前はこだわりを持って、楽しみながら仕事をできる人間だ。 これからも俺の分まで、朝日新聞社と日本経済に貢献し、そして幸せな家庭を築いてもらいたい。

 仲川、お前との思い出もたくさんある朝日新聞だが、 知ってのとおり、俺は嫌で辞めた訳じゃない。 俺には日本人初のオートバイ二人乗りによる世界一周という目標があったんだ。 出発前、俺は色んなことを心配した。 オートバイは壊れないだろうか。危険な目には会わないだろうか。金は足りるだろうか。 俺は数年かけて色々と調査し、準備万端で日本を出たつもりだった。 しかし、俺はとんでもない忘れ物をしていたんだ。 それは仲川、今、お前の胸にあるだろう、心のときめきだ。
  俺は一番身近に、一番壊れやすいものがあることに気付かなかった。 そして出発してからわずか七ヵ月、俺の目標も、結婚も、すべて白紙に戻ってしまった。お前のお母さんに作ってもらった結婚指輪、無駄になってしまった。申し訳ない。

 でも、俺は久美子と結婚したことは、これっぽっちも後悔していない。 なぜなら4年前、お前もあの場にいたろう、俺と久美子が式を挙げたときに感じた心のときめきは、本物だったと言えるからだ。 しかし仲川、お前はそのときめきを、絶対に忘れてはならない。それは、お前の人生の宝だ。そのときめきの、ほんのかけらでいい、それをタイムカプセルに入れて心の隅にしまっておけ。
 よく結婚はゴールインと言われるが、お前と祐子さんは今日、旅に出るんだ。夫婦の旅路は素晴らしい旅路だが、世界一周よりも長くて険しい、困難な道のりでもある。 時には投げ出したくなることもあるだろう。 そんなとき、そのタイムカプセルをそっと開けて、今のときめきを取り戻せ。俺らが祐子さんに会うのは今日が初めてだが、仲川、お前は頑固者で、妥協というものを知らない男だ。そんなお前が選んだのだから、きっと本当の相手だろう。お前と祐子さんなら、その旅路をきっと乗り越えられると思う。

  お前も旅行が好きだから、俺の旅をうらやむかもしれない。 だけど世界中を旅し、色んなものを見て、聞いて、味わい、嗅ぎ、感じ取るのと同じぐらい素敵な旅を、お前は祐子さんと一緒に日本ですることができる。体が旅をしていても、心が旅をしなければ何にもならないと、俺は久美子に教えてもらった。最近、ようやくそれに気付いたところだ。

  仲川、お互い心の旅をしよう。今日がその出発だ。 ときめきを胸に秘めて、良い旅を。そして祐子さん、仲川のことをよろしくお願いします。(終り)


 ・・・とまあ、こんな挨拶なのでした。
 というわけで、私は日本に帰ってきました。次は4月の中旬にバイクを置いてきた南米に戻ります。それまで、HPも小休止します。
 久々に久美子と再会し、「久美子に言わせて!」の号外をもらいました。久美子ファン、必見です。↓


「久美子の言わせて!」号外!!
 お久しぶりです。久美子を憶えている方、おーこいつが久美子かとはじめての方、突然でびっくりするかと思いますが私がデビル久美子です。
 今回のドッキリ一時帰国は後輩の結婚2次会に出席するということだったので、特に心配はしてなかったんだけど、久しぶりに会ってみてどうだったかというと…。茶髪にして少し色黒になった彼をみても、変わってないねぇーと思った。内面こそ成長したが、彼のほかの友達がびっくりするほど驚きはなかった。

 かずくんがひとりになっていろんな人と出会えたこと、友達になれたこと。 これはすごい財産だと思う。もちろんHPを読んでメールをくれた人たちもそう。 たぶん二人で旅をしていたらそこまで仲良くならなかった人もいると思う。 いいわけになってしまうのが嫌なんだけど、これでいいのだ!と思った。
 彼は人としてすごく成長してるじゃん。まぁまだまだ青いけどね。しーっしっし。 私も負けないようにがんばらなくっちゃです。 これからまだ1年くらいはバイクで 旅を続けるみたいだけど、引き続き応援していきたいと思う。

 お互いが別の道を歩み出してまだちょっとだから、まわりの人達にとって、私たちの仲はとても謎みたい。今回も普通に会って、飲んでバカ言い合ったりしてると復縁か!と思うらしいが、 世の中不思議なことばかり。こんな元夫婦があってもいいじゃん!普通がなんじゃ! たまに「おいおい」と思うこともあるが、一度は一緒になった仲。なかよくやろうぜ、です。

 私は華のOLやってるけど、夏ごろにはイギリスに行く予定。WH(ワーキングホリデー)という制度が今年から開始し、年齢制限25歳だというのも無理無理突破!このチャンスを生かせるように何かを掴みにいってきます。

 1年後の二人が楽しみ。お互いの道こそ交差してしまったけど、方向は同じ方に進んでいると思う。ゴールのない旅だけど、何十年経っても後悔のない良い旅にしたいから、時間の許せる今を大切に前に進んでいこう。私だってまだ行きたい場所は分からない。道に迷ったっていいじゃん。迷ったらとことん迷っちゃえばいいじゃん。道は続いているんだから。
 そんなもんだよ人生。ドラマのようなシナリオどおりにはいきません。迷った時にどうするかが、一番大切なんじゃないかな。誰かに相談してもいいし、助けてもらってもいい。
 でも最後に決めるのは自分なんだから。自分の道は自分で切り開く!タダでは絶対転ばない!

 これからも怪我、事故のないように気をつけてね。皆さんもかずくんの応援よろしくお願いします。