旅の日記

コロンビア・カリ編(2000年6月15〜20日)

2000年6月15日(木) コロンビア突入 (Entering Colombia)

  キトから北上し、コロンビア国境まで行く道はアンデスをぬう険しい道だが、とにかく走りつづけた。街灯などない暗い道で、牛次郎のライトは本当にささやかなものしかついていないが、それでも月が明るかったのでそんなには困らなかった。途中何回か給油したが、燃費を計ると4、5キロ/リッターだった。山道をだから仕方がないか。
 夜明けごろまで運転したが、眠気がピークに達してきたのでウメさんに代わってもらう。その後しばらく走ると、坂を下ったところで警察に止められた。何でも、下り坂で制限速度をオーバーしたという。牛次郎はそんなにスピードが出ないはずなのに。難癖をつけられそうになったが、ウメさんが得意なスペイン語でうまくカンベンしてもらった。いいぞ!ウメさん。

 朝8時ごろに国境に到着。南米での国境越えは初めてだが、ここの国境はエクアドル側、コロンビアとも建物が綺麗で驚いた。エクアドル側で出国の手続きを済ませ、税関に行って車の出国手続きについて聞くが、国境から数キロ戻ったトゥルカンの街まで行って書類を取る必要があるという。それは面倒なので何とかならないかと相談すると、じゃあいい、というのでそのままコロンビア側へ。
  コロンビア側でパスポートに入国のスタンプをもらい、税関に行って車のペルミソをもらおうとしたら、やはりトゥルカンまで戻り、コロンビア領事館で書類を作る必要があるという。フリーパスで通過しているエクアドルナンバーの車が多いので、あれらの車はどうしているのかと訪ねると、何でもカリまでは手続き無しで行けるらしい。カリ以北や、コロンビアから他の国へ抜ける場合に書類が必要らしいのだ。面倒くさいが、仕方がない。パスポート上ではコロンビアに入国したことになっているまま、エクアドルへ戻ってトゥルカンの街へ。

 トゥルカンに着くと、すでに車が通行できないよう道の真ん中でタイヤが燃やされていた。しかし、動いている車に対して物を投げるような過激なことは無く、人々はむしろお祭り気分だった。通れる道を探し、コロンビア領事館へ。
 しかし、そこでも書類は作れなかった。領事館で作れるのはコロンビアへ入国してエクアドルへ戻る書類のみで、ベネズエラなど第三国へ車両で抜ける場合はコロンビア側の国境の町イピアレスの税関事務所でペルミソを作らねばならないという。何だ、わざわざエクアドルまで不法に戻ってきたのに意味ないじゃん。

 再び国境を越え、コロンビアへ。最初の町イピアレスの税関に行くと、ペルミソは無料で発行してくれた。これでエクアドルナンバーの車でもベネズエラへ通過できるらしい。本当は今日中にゲリラ危険地帯を抜けてポパヤンまで行きたかったが、すでに昼過ぎになっていたのであきらめる。かわりに、今日はイピアレスから約7キロ離れたサントゥアリオ・デ・ラスラハスへ行く事にした。ここはホンダ・ゴリラで世界一周中のマサのおすすめで、何でも橋の上に教会が建てられているらしい。

 イピアレスを後にしてしばらく進むと、深い峡谷に石造りの橋が架けられ、その上に灰色の美しい教会が建てられている光景が遠くに見えた。おお、これは予想以上にすごいぞ、と思って進み、教会近くの駐車場に牛次郎を停めると、何やらタイヤからシューという音が。見ると、右前輪がパンクしているではないか!今までDRでは24000キロ走ってパンク無しなのに、牛次郎は早くも初日でパンク・・・。トホホの巻、なのだ。きっとトゥルカンで何か踏んでしまったのだろう。
 仕方なく、イピアレスまで戻って道端で見つけたパンク修理屋で直してもらう。牛次郎のタイヤは今では珍しいチューブタイヤだが、オヤジはタイヤマシンなどないのに自転車のパンクを直すように軽々とタイヤをはがして直してしまった。そういえば、エクアドルではバスのタイヤを手で交換している人たちがいた。便利な機械がない分、すごい技を持っている人たちがいるのだ。

 パンク修理が終わると、再びサントゥアリオ・デ・ラスラハスへ。駐車場に牛次郎を停めて急な坂を歩いて降りて行くと、さっきはるか上から見えた教会はあった。V字の峡谷の底には川が流れており、架けられたアーチ構造の橋の高さは45メートル。教会はその上に今世紀前半に造られ、祭壇はむき出しのがけがそのまま利用されている。この旅では大小さまざまな教会を見てきたが、ここの美しさは文句無しにナンバーワン。よくもこんな所に教会を建てたなあ。わざわざ寄り道してきたかいがあった。マサ、教えてくれてありがとう。

 教会の近くで昼食を食べ、再び走り出す。今夜はゲリラ危険地帯の入り口、パストの町に泊まる事にした。パストから北へ約230キロ離れたポパヤンまでの間が、ゲリラが出没する可能性が高い危険地帯なのだ。ここは明日の午前中に走ろう。
 パストへ着いたのは夜7時ごろ。偶然入ったガソリンスタンドの裏に24時間営業の駐車場があったのでそこに牛次郎をを預け、近くの適当な安宿にチェックインする。夕食を近くの食堂で済ませた後、夜は日記でも打とうかと思ったが、眠くてそのまま寝てしまう。昨夜はウメさんが運転している間に車の中で仮眠しただけなのだ。眠いはずだ・・・。


出費                 20000S  朝食(シチュー)
5000S  昼食(チキン)
7000S  ホテル
3500S  夕食(肉)
計        20000S
          15500P(1米ドル=1900コロンビアペソ)

宿泊         Hotel Miramar


2000年6月16日(金) ゲリラ地帯突破 (The land of Guerrillas)

 今朝は朝食も食べず、パストの町を後にする。
 問題のゲリラ危険地帯はかなり険しい山道で、牛次郎には苦労かけっぱなし。登り道は3速、場合によっては2速でエンジンを回さないと登っていかないが、下り坂でもトップの4速で下ろうとするとすぐにブレーキが焼けてくる。舗装の状況も悪く、穴ぼこだらけ。所々がけ崩れが起きており、工事中の箇所が多い。実際ゲリラはがけ崩れを 利用して車を挟みうちにし、金品をまき上げたり、車を奪ったり、乗客を誘拐したりするそうだ。
 北上にするにつれて緑が深くなり、霧が出ていていかにもゲリラが出てきそうな雰囲気だが、平日を選んだので交通量が多く緊張感はあまりない。日本人のライダーとすれ違ったが、そのまま走り去っていってしまったので話は出来なかった。
  途中寄ったガソリンスタンドで、エンジンからオイルが漏れているのを発見。やれやれ、昨日はパンク、今日はオイル漏れか。家畜は手がかかるなあ。オイルはどうもクラッチケースとエンジンの繋ぎ目から出ているようで、エクアドルでクラッチをチェックしてもらった後の組み付けが甘かったようだ。もともと新しいガスケットなどないので、液体ガスケットをベッタリ塗ってよしとしているが、それがうまくいかなかったのだろう。またどこかで見てもらおう。
  ウメさんと交代で運転し、5時間ほどかけて無事ポパヤンに到着。一応、危険地帯は抜けたことになる。

 ポパヤンで昼食を食べたあとは、 本日の目的地カリ目指して走り出す。ポパヤンから先はまっすぐな道となり、走りやすくなった。途中日本人のチャリダー2人組みとすれ違う。今度はゆっくりと話をすることができた。彼らも今年末のウシュアイアを目指しているというので、またどこかで会えるだろう。しかし、あのパスト〜ポパヤン間の険しいゲリラ地帯に自転車で挑むとは、根性が違うなあ。

  夕方6時ごろ、ようやくコロンビア第三の都市カリに到着。目的の日本人宿「達磨」を目指して市内をさまようが、おどろいたことにカリはとても洗練された街で、ラテンらしさ、南米らしさを感じさせない近代的な街並みが続いた。
  さて、「達磨」に無事チェックインするが、噂どおりの居心地の良さだ。近くには日本人協会の運営する図書館もあるというし、沈没の危険性高し。しかし、今後のスケジュールを考えるとあまりゆっくりできないんだよなあ・・・。
  「達磨」の近くには修理工場があり、夜間駐車場も兼ねているので牛次郎はそこに預けることにした。


出費                  2500P  昼食(チキン)
8000P  夕食(中華)
750P  ビール
計        11250P

宿泊         達磨


2000年6月17〜20日(土〜火) 「達磨」の日々(The Days of Daruma)

 「達磨」は大変居心地がいい。鹿児島から越してきた西さん家が家族でこじんまりとやっており、宿というよりむしろ、知り合いの家にやっかいになっているみたい。達磨はちょっとした雑貨屋も兼ねているので、酒やジュースは外出しなくても手に入る。朝起きて、達磨に置いてあったビッグコミックスピリッツなんぞを読んでいると、もう昼。昼飯を適当に食って、外は暑いので達磨で飼っているネコ、リュウと戯れているともう夜。適当に夕食を食って、酒を飲みながらパソコンをやっていると、いつのまにか眠くなって、寝る。大変危険な沈没パターンである。さて、何日で抜けられるのであろうか!?

 17日は、文字通り1日中パソコンをやっていた。スクレを出てから全然パソコンを触っていなかったし、書くこともいっぱいあるので、日記を打つだけで数時間はかかった。達磨にはパソコンが置いてあり、インターネットが出来る。当然我々は電話線を借りて、自分のパソコン、自分のIDでダイヤルアップを試みるが(カリにはGRICのアクセスポイントがある)、先に試したウメさんが失敗に終わった。パソコンの世界では、ウメさんには不可能だが私は可能、ということは一つも無い。あきらめて西さん家のIDを借りてダイヤルアップすると、かなり速い回線速度で接続できた。ただしインターネットエキスプローラーではダメで、ネットスケープでしかウェブを見られない、という奇妙な現象が起きた。ウメさんによると、プロキシの設定に関係があるらしい。

 18日は車を預けた工場にオイル漏れの症状を見に行く。良く見るとオイルはクラッチとエンジンの間から出ているのではなく、バルブを覆っているカバーから出ている。エンジンをかけると、カバーの付根からドバドバとオイルが流れてくる。こりゃガスケットを交換しなきゃだめだ。
 夜はみんなでバーベキューを食べた。キトでもやったが、いつ食っても炭で焼いた肉は美味いなあ。

 19日はオイルが漏れているカバーを外してウメさんと液体ガスケットを塗りなおし、試運転を兼ねて市内の大型スーパーへ。しかし、駐車場に入れた時にはすでに下にオイルの水溜りが出来るほど漏れ出していた。こりゃ新しいゴムパッキンを買わなければ・・・。
 とにもかくにも、スーパーで買物をする。しかしコロンビア、物価が高い。電化製品などは日本並みの高さだ。牛次郎には工具が揃っていないので、一番安い工具セットを選んで買った。

 20日の朝、牛次郎を預けている工場のオヤジが新しいゴムパッキンを買ってオイルが漏れているカバーに取りつけてくれた。すると、あれだけ漏れていたオイルがピタッと止まった!やった、これで出発できるぞ。
 直った牛次郎で、昨日とは別のスーパーへ行く。帰って「達磨」の前に牛次郎をしばらく停め、そのあと工場に持って行ったら、達磨の前にオイルの溜まりが出来ていた・・・。けっこうガックリ来た。しかし、明日は何としても出発するぞ。オイルが漏れようが、足しながら走ってやる!
 明日の目的地はメデジン付近。明後日にはカルタヘナに着きたいのだ。


出費                   9550P  食費
            110$  牛次郎費用1回目精算(修理費など)
計          9550P
           110$ 宿泊         達磨
インターネット    達磨