旅の日記

エクアドル・キト編その9(2000年6月11〜14日)

2000年6月11日(日) やられた!! (Got my Camera stolen)

 やられた。今思い出してもくやしい。旅に出てから約9ヵ月、今までスリにやられた事も強盗に遭遇することも無かった分、油断していたのだろう。ここにきてとうとうやられたのだ。

 朝、ウメ夫妻と猪飼さんと4人でカルロスの家に向かった。カルロスの家まではバスに乗らなければならないが、トロリーで無いバスは、Marinという市バスの発着所に集中する。そこまではきつい下り坂に露店が並んでいるChile通りをいつも通るのだが、今日は日曜日で大変な賑わいだった。歩いていると、子犬売りの夫婦がいた。前に子犬を売っている人をみかけたことがあるのだが、この子犬が非常に可愛く、ついつい4人とも立ち止まって子犬に手を出したりしていた。夫婦は犬のほかに、小さな亀も持っていた。亀売りを見るのは初めてだった。
 10、20秒ほど犬を見ていただろうか、再び歩き出そうとして肩から下げていた麻袋に手をかけると、なぜか手帳が手に触れた。何で中に入っている手帳が外から触れるんじゃ?と思って袋を見ると、縦に20センチほど鋭利な刃物で切られており、中に入れていたデジカメが消えていた!おそらく、あの犬に気を取られている間にやられたのだろう。南米では良く聞く手口だが、まさか自分がやられるとは。しかし、全く気付かなかった。麻袋は何重にも織られている丈夫なもので、かなり鋭利な刃物でなければ気付くはずだ。いや、むしろ気付かなくて良かったのかもしれない。相手は刃物を持っているのだから、途中で振り向きでもしたら、何をされたか分からない。 それにしてもサンヨーさんにご提供いただいた大切なカメラなのに・・・。このデジカメは動画も撮れるスグレ物なので、バンの計画をデジタルのロードムービーに収めようと、本格的に動画を撮り始めていた矢先だった。くそー、袋だって、メキシコのグアナファトで買ったお気に入りだったのに。
 犬売りもグルだったろうが、証拠も何も無い。騒いでも後の祭りなので、とりあえずはそのままカルロスの家に行く。

 今日はバンを塗る日である。まずは停めていた位置から少し前に出そうと思うが、相変わらずタイヤはグリップせず、土を掘るだけ。この車絶対おかしいよ、とみんなで押すが、その時、凄いことを発見した。この車はもともと4WDだが、エンジンの載せ換えにより、後輪駆動の2WDになっているはずだった。しかし!後輪の二つのタイヤのうち、動いているのは右側だけなのだ!左後輪のタイヤには、動力が伝わっていない。何とこの重い車体を、一つのタイヤだけで動かしていたのだ。恐怖の1WD車、こりゃグリップもしないし、坂も登らない訳だわ・・・。きっとデフギアかドライブシャフトがイカれているのだろう。明日、整備工場で見てもらうべき第1の項目はここだな。
 さて、1WDのことは今心配してもしょうがないので(心配と言うより、みんなあまりのことに笑っていたが)、車体の塗装に入る。使う色は昨日買った灰色のみ。みんなで車を洗い、塗り始めた模様とは・・・。写真を見て欲しい。これは牛なのである。モー。
 みんなで今回の計画をどう命名しようか考えているとき、「マジックバスツアー」という当初の計画の名前から 、「何とかバス」みたいに、「バス」を付けた名前がいいだろうという事になった。その時、私がどういう訳か、「空手バカ一代」という漫画調にバンをペイントしよう、と言い出した。そしたら阿部さんという方が、なるほど「大山バス達」か、と言った。ちなみにその漫画の主人公、大山マス達とは、極真空手を始めた伝説の空手家で、素手で牛を殺した「牛殺し」の異名を持つ人だ。すでに故人だが。
 その話題をひきずっているうち、バンは牛模様にしよう、ということになった。牛はスペイン語でVACA(バカ)という。こんな計画は本当に馬鹿げているし、集まった4人は「馬鹿を全速力でやる」ことが大好きだし、これはちょうどいい、と思ったのだ。ちなみに計画の名前は「南米VACA(バカ)一台」。我々としては、非常にイケていると思うのだが・・・。
 計画のネーミングが決まってから正式にバンを買ったのだが、何と、前のオーナーの名字が「VACA」さんだったのだ!これはもう、運命を感じたね。牛、万歳!モー。

 昨日買った灰色の塗料を水でのばし、下書きも無く本当に適当に塗って行くと、どんどんバンは牛になっていった。塗料はそのまま塗っているので、乾いても爪でこすればすぐにはがれるほど弱いが、塗料はけっこうあまるので、はがれたらまた塗ればいいや。それにしても車を塗るなんて経験はみんな初めて。交代交代に車体を塗り、1時間後には牛ができた。今後は鼻輪をつけたり、しっぽをつけたりするつもりだ。本当は押したら「モー」となくクラクションが欲しいが、そんなものは無いだろう。
 しかし、クリーム地に灰色。見方によっちゃ、迷彩色の軍用車にも見える。これはコロンビアで恐いかも・・・。ゲリラに砲撃をうけるかもしれない。今度は字を書いたり、ステッカーを貼ったりして、「個人の車」であることを強調させていこう、ということになった。
 今日の作業はここまでにして、宿に向かう。

 バスを降りると、朝カメラを盗られたChile通りをまた上がらねばならない。犬売りはもう居ないんだろうなあ、と思ったら、居た!赤いTシャツを着た少年が、朝あの夫婦が持っていたのと全く同じ子犬と亀を持って、通常物売りがするように「いくらだよ〜」と声を出すことも無く、雑踏の中をウロウロしている。4人でその少年を遠くから見ていると、ある白いTシャツを着た男が我々の方を見つめ、少年に近づいて何かささやいた。すると少年は犬と亀を持ったまま、雑踏の中に消えて行った。怪しい。
 通りを少し上がると、警察官が大勢いた。一応事情を説明すると、現場に戻ろう、ということになった。警察官数人と現場に戻ると、のこのこと少年は戻っていた。しかし亀はいなく、犬だけを持って。
 警察官には、「この少年が犯人とグルかどうかは知らないが、朝、気を引いた犬売りと全く同じ犬と亀を持っていた。 グルである可能性がある」と説明した。しかし、少年は亀など知らないという。さっき、白いTシャツの男にささやかれて消えたときに処分したのだろうか。犬だけなら、他に売っている人もいるので識別できない。亀が重要なのだ。少年が犯人と繋がりがあるかどうかは分からないが、無いなら、なぜ「亀など持っていなかった」などとウソをつくのだろうか。ますます怪しい。
  しかし、その後が凄かった。まわりの露店のおばちゃんどもが野次馬とともに集まってきたが、みんな口をそろえて「その少年は亀など持っていなかった。朝から私たちはここで商売していたが、犬と亀を持った夫婦などいなかった。ウソつきはその日本人たちだ」というのだ。寒気がした。この通りは、スリも露店もみんなグルだ。後でウメさんから聞いた話では、通りの入り口にある露店の帽子屋が、我々が警察官と一緒に戻ってきたときに笛を吹いたそうだ。前からその帽子屋がたまに笛を吹くのは目撃していたが、それは警察が来るぞ、やばいぞ、という合図だったのだ!
 警察官もそういう事情を知っているのだろう、露店のおばちゃん達の話には耳を貸さず、我々と少年を連れて現場から離れた。少年の両親が別の所でやはり犬を売っているというのだ。しかし、少年の両親は朝見た夫婦とは別人だった。少年はオドオドしていたが、両親の態度は堂々たるもので、「亀も何も知らない。だいたい、その子が持っている子犬も、人から買ったものだ。ただし、誰から買ったかは覚えていない」などどいう。
 証拠も何もないから、少年と両親はそのまま開放された。しかし、我々もそうなることは分かっていた。通りぐるみでやっているのだから、それはそれは証拠を残さないようにやっているだろう。Chile通りの一味は、きっと私があきらめ、盗難証明書をもらって保険で処理し、それでおしまいと思っただろう。ところがどっこい、我々は必要以上に騒ぎ立て、大勢の警察官を現場に連れて行った。怪しいと思われる人々の顔も数人の警察官に見てもらったし、これで少しは仕事がしにくくなるだろう。ざまーみろ。

 デジタルカメラなんかは、使い方がわからないだろう。きっと泥棒市に並ぶはずだ。警察には、私のカメラはエクアドルで入手不可能だから、市にあればそれは必ず私のだ、と説明し、納得してもらった。警察官は非常に紳士的で、対応もていねいだった。南米の警察官と聞いて抱くようなイメージとは全然違った。まずは明日、新市街の警察署に行って盗難証明書(ポリスレポート)を作成してもらい、その後に市場を見て、あればすぐ警察に来い、ということになった。しかし、あれだけ騒いだから、犯人はほとぼりが冷めるまで売るのは待つかもしれない。しかし、盗難証明書があれば保険がおりるはずだ。そしたら、サンヨーの新しいデジカメを買おう。それまではウメさんのスペアのデジカメを貸してもらうこととなった。盗まれたカメラには写真は残っていなかったし、不幸中の幸だ・・・。


出費                 21500S  朝食(サンドイッチ)
6000S  バス
10000S  夕食(定食)
9000S  ビール
計        46500S
宿泊         Hostal Sucre


2000年6月12、13日(月、火) 牛の整備 (Tuning up the car)

 月曜は朝一番で我々の牛を整備工場に持って行く。昨日発見した、後輪が片側しか回らない現象を説明するが、メカニックのお兄さんは問題ないという。デフギアーが正常に働いているからというが、車重がかかっている方が回らないと言うのは変だろう。ジャッキで車体を浮かせ、エンジンをかけて確認するが、お兄さんのいうとおり、ちゃんと両輪とも回る。あれ?おかしいな・・・。
 すると、お兄さんは右後輪のショックアブソーバーを固定するボルトが折れ、外れているのを発見した。もしかしたら、これで車体が右側に傾いていたのかも・・・。これで直ればいいが。お兄さんは手際良くブレーキをバラし、オーバーホールに入った。手際が良く、優秀そうだ。まかせておけば大丈夫だろう。エクアドルの整備工場では、見習として働いている少年の姿が目立つ。きっと整備学校など無いだろうから、小さい頃からこうして修行をつみ、メカニックになっていくのだろう。
  他にクラッチのチェックや、ギアが入りづらい現象を説明して工場を後にする。

 その後はみんなでスーパーへ行って旅に必要な買物をし、その帰り、私は新市街の警察署へ行った。昨日盗られたカメラのポリスレポート(盗難証明書)を作ってもらうためだ。順番の列は長かったが、自分の番が回ってきて切られた麻袋や状況を説明したら、すぐに書類を作ってくれた。これで保険がおりるはずなので、それで新しいサンヨーのデジカメを買おう。
 工場に戻ると、我らの牛はクラッチまでバラバラになっていた。全部作業が終わるのは明後日だという。また出発が延びたが、ここまで来たらあせっても仕方がない。

 火曜日も朝から工場に行く。工場では手が足りなく、早く作業を終えるためは我々が必要な部品を買いに行かねばならないのだ。工場のお兄さんは油圧クラッチの部品を交換せねばならないというので、ウメさんと2人で近くの部品屋街は買いに行く。その道で、一軒の眼鏡屋を発見。フレームの折れた前の眼鏡を見せ、このレンズを使って新しいのを作れないかと相談すると、フレーム代込みで10ドルでやってくれ、明日にはできるという。こりゃ安いわ。即、お願いする。
 他にも必要な部品がポロポロと出てくるが、それらを買いに行く合間がヒマなのでフロントガラスに貼ってある邪魔なスクリーンをはがし、バンパーをピンク色に塗った。バンパーがピンク色になるだけで、かなり牛に見えてきた。もう迷彩色の装甲車とは言わせないぞ。

 作業は明日には終わるはずだ。そしたら、すぐに出発。キトでの沈没生活も残り少なくなった。


出費                 20000S  トロリー
15000S  インターネット
5.01$  酒、まくら
125500S  食費
10$  眼鏡
計        160500S
15.01$


宿泊         Hostal Sucre
インターネット    The Magic Roundabout Hostal


2000年6月14日(水) さらばキト (Goodbye Quito)

 今日も朝から工場に行って修理を手伝う。先日、別の工場でステアリングのリンクを換えてもらったが、反対側も交換した方がいいとお兄さんが言うので、事故を起こすよりはマシだとお願いする。お兄さんの作業中、我々は車体に緑色で「南米VACA一台」「花の牛次郎」などの文字や、ウメさんと私のホームページのURLなどを書いた。我らが牛の名前は、前オーナーの名前「セグンド・バカ(第二・牛)」から、「牛次郎」と命名したのだ。
 途中工場をウメさんにまかせ、コンチネンタル航空のオフィスにチケットのキャンセルに行く。7月10日にニューヨークからロンドンへ飛ぶチケットを持っているが、今から車で旅しようとするとこの日に乗るのは無理だし、ベネズエラあたりからだとニューヨークに飛ぶのもロンドンに直接飛ぶのも、金額的に大きな違いは無さそうだ。幸い払い戻しが可能なチケットなので、とりあえず7月10日の予約をキャンセルする。

 帰りにキトでの最後のインターネットをし、昨日お願いした眼鏡を受け取って夕方に工場へ戻ると、まだ作業は続いていた。しかし、お兄さんによると明日はエクアドル全土で交通機関のストがあるらしい。南米における交通機関のストは強烈で、バスなどが動かないばかりか、あらゆる車が動けないよう道にガラス片をまいたり、障害物を置いて道路封鎖をしてしまうのだ。明日動けないと、キトを出るのは金曜日。そうすると、コロンビアに入って最初に通るパスト〜ポパヤン間のゲリラ危険地帯を通るのが週末になってしまう。ゲリラといえど普段は別の仕事を持っている人が多く、また交通量が少ないことから、車が襲われるのは週末が多いらしいのだ。これはどうしても今日中に作業を終えてもらい、今夜徹夜でコロンビア国境まで走らないと、また3、4日間が無駄になってしまう。工場のお兄さんに頼みこんで突貫工事で作業を終えてもらうと、もう夜の8時ごろになっていた。

 宿に戻ると、スクレのみんなが最後の晩餐のために鍋を作って待っていてくれた。大変おいしいが、ゆっくり味わう時間が無い。いそいで荷物をまとめ、鍋を食べ、シャワーを浴びるともう11時になった。最近早起きが続いていたので眠いが、そんなことは言っていられない。
 最後にスクレの前で記念撮影をし、この日のために買っておいたシャンパンを開けて我らが牛次郎に吹きかける。残ったシャンパンをみんなで回し飲みし、スクレに残る人たちに別れを告げる。1ヶ月以上も滞在してあれだけゆっくりしていたのに、最後は感傷に浸る間もないあわただしさだった。まあ、旅立ちというのはいつもこんな感じだが。

 そして夜12時前、スクレを出発。牛次郎による新たな旅の始まりだ。ここで、最初に牛次郎に乗りこむ4人のメンバーをもう一度紹介しよう。(あいうえお順)


青山和広(28歳)
バイクに乗って旅をしているはずが、なぜか牛次郎に乗ることに。妻の久美子は「南米VACA一台」計画には参加しないことを正式に表明。ブロークンハートのまま、キトを出発。最近ターバンを巻いてみて、自分はアラビアのロレンスの生まれ変わりであることに気付いた。

血液型:A型

 

猪飼直之(27歳)
今ごろ彼女とペルーでマチュピチュを見ているはずが、なぜか牛次郎に乗ることに。彼女は友達と一緒にそのままペルーへ下ってしまった。複雑な気分のまま、キトを出発。最後に髪を切ってから2年、自分は江口洋介そっくりであることに最近気付いた。

血液型:A型

 

ウメ(26歳)
雑誌「Yahoo!InternetGuide」に連載を持ちながら妻Kとともにインドを目指しているが、なぜか牛次郎に乗ることに。最近三つ編みにしていた髪をほどき、自分はボブ・マーレーの生まれ変わりであることに気付いた。

血液型:O型

 

K(26歳)
夫ウメともに今ごろはアフリカのはずだったが、なぜか牛次郎に乗ることに。勘違いばかりしているあとの3人と一緒に行動することに不安を覚える常識人。「御願いだから、他の3人と写真は一緒にしないで」

血液型:B型

 

出費                 13000S  朝食(サンドイッチ)
12000S  昼食(定食)
46000S  タクシー
7500S  トロリー
3000S  バス
15000S  インターネット
25500S  夕食(鍋)
432000S  宿泊費(36泊分、激安!)
計        554000S

宿泊         夜通し運転
インターネット    The Magic Roundabout Hostal