やられた。今思い出してもくやしい。旅に出てから約9ヵ月、今までスリにやられた事も強盗に遭遇することも無かった分、油断していたのだろう。ここにきてとうとうやられたのだ。
朝、ウメ夫妻と猪飼さんと4人でカルロスの家に向かった。カルロスの家まではバスに乗らなければならないが、トロリーで無いバスは、Marinという市バスの発着所に集中する。そこまではきつい下り坂に露店が並んでいるChile通りをいつも通るのだが、今日は日曜日で大変な賑わいだった。歩いていると、子犬売りの夫婦がいた。前に子犬を売っている人をみかけたことがあるのだが、この子犬が非常に可愛く、ついつい4人とも立ち止まって子犬に手を出したりしていた。夫婦は犬のほかに、小さな亀も持っていた。亀売りを見るのは初めてだった。
10、20秒ほど犬を見ていただろうか、再び歩き出そうとして肩から下げていた麻袋に手をかけると、なぜか手帳が手に触れた。何で中に入っている手帳が外から触れるんじゃ?と思って袋を見ると、縦に20センチほど鋭利な刃物で切られており、中に入れていたデジカメが消えていた!おそらく、あの犬に気を取られている間にやられたのだろう。南米では良く聞く手口だが、まさか自分がやられるとは。しかし、全く気付かなかった。麻袋は何重にも織られている丈夫なもので、かなり鋭利な刃物でなければ気付くはずだ。いや、むしろ気付かなくて良かったのかもしれない。相手は刃物を持っているのだから、途中で振り向きでもしたら、何をされたか分からない。
それにしてもサンヨーさんにご提供いただいた大切なカメラなのに・・・。このデジカメは動画も撮れるスグレ物なので、バンの計画をデジタルのロードムービーに収めようと、本格的に動画を撮り始めていた矢先だった。くそー、袋だって、メキシコのグアナファトで買ったお気に入りだったのに。
犬売りもグルだったろうが、証拠も何も無い。騒いでも後の祭りなので、とりあえずはそのままカルロスの家に行く。
今日はバンを塗る日である。まずは停めていた位置から少し前に出そうと思うが、相変わらずタイヤはグリップせず、土を掘るだけ。この車絶対おかしいよ、とみんなで押すが、その時、凄いことを発見した。この車はもともと4WDだが、エンジンの載せ換えにより、後輪駆動の2WDになっているはずだった。しかし!後輪の二つのタイヤのうち、動いているのは右側だけなのだ!左後輪のタイヤには、動力が伝わっていない。何とこの重い車体を、一つのタイヤだけで動かしていたのだ。恐怖の1WD車、こりゃグリップもしないし、坂も登らない訳だわ・・・。きっとデフギアかドライブシャフトがイカれているのだろう。明日、整備工場で見てもらうべき第1の項目はここだな。
さて、1WDのことは今心配してもしょうがないので(心配と言うより、みんなあまりのことに笑っていたが)、車体の塗装に入る。使う色は昨日買った灰色のみ。みんなで車を洗い、塗り始めた模様とは・・・。写真を見て欲しい。これは牛なのである。モー。
みんなで今回の計画をどう命名しようか考えているとき、「マジックバスツアー」という当初の計画の名前から 、「何とかバス」みたいに、「バス」を付けた名前がいいだろうという事になった。その時、私がどういう訳か、「空手バカ一代」という漫画調にバンをペイントしよう、と言い出した。そしたら阿部さんという方が、なるほど「大山バス達」か、と言った。ちなみにその漫画の主人公、大山マス達とは、極真空手を始めた伝説の空手家で、素手で牛を殺した「牛殺し」の異名を持つ人だ。すでに故人だが。
その話題をひきずっているうち、バンは牛模様にしよう、ということになった。牛はスペイン語でVACA(バカ)という。こんな計画は本当に馬鹿げているし、集まった4人は「馬鹿を全速力でやる」ことが大好きだし、これはちょうどいい、と思ったのだ。ちなみに計画の名前は「南米VACA(バカ)一台」。我々としては、非常にイケていると思うのだが・・・。
計画のネーミングが決まってから正式にバンを買ったのだが、何と、前のオーナーの名字が「VACA」さんだったのだ!これはもう、運命を感じたね。牛、万歳!モー。
昨日買った灰色の塗料を水でのばし、下書きも無く本当に適当に塗って行くと、どんどんバンは牛になっていった。塗料はそのまま塗っているので、乾いても爪でこすればすぐにはがれるほど弱いが、塗料はけっこうあまるので、はがれたらまた塗ればいいや。それにしても車を塗るなんて経験はみんな初めて。交代交代に車体を塗り、1時間後には牛ができた。今後は鼻輪をつけたり、しっぽをつけたりするつもりだ。本当は押したら「モー」となくクラクションが欲しいが、そんなものは無いだろう。
しかし、クリーム地に灰色。見方によっちゃ、迷彩色の軍用車にも見える。これはコロンビアで恐いかも・・・。ゲリラに砲撃をうけるかもしれない。今度は字を書いたり、ステッカーを貼ったりして、「個人の車」であることを強調させていこう、ということになった。
今日の作業はここまでにして、宿に向かう。
バスを降りると、朝カメラを盗られたChile通りをまた上がらねばならない。犬売りはもう居ないんだろうなあ、と思ったら、居た!赤いTシャツを着た少年が、朝あの夫婦が持っていたのと全く同じ子犬と亀を持って、通常物売りがするように「いくらだよ〜」と声を出すことも無く、雑踏の中をウロウロしている。4人でその少年を遠くから見ていると、ある白いTシャツを着た男が我々の方を見つめ、少年に近づいて何かささやいた。すると少年は犬と亀を持ったまま、雑踏の中に消えて行った。怪しい。
通りを少し上がると、警察官が大勢いた。一応事情を説明すると、現場に戻ろう、ということになった。警察官数人と現場に戻ると、のこのこと少年は戻っていた。しかし亀はいなく、犬だけを持って。
警察官には、「この少年が犯人とグルかどうかは知らないが、朝、気を引いた犬売りと全く同じ犬と亀を持っていた。 グルである可能性がある」と説明した。しかし、少年は亀など知らないという。さっき、白いTシャツの男にささやかれて消えたときに処分したのだろうか。犬だけなら、他に売っている人もいるので識別できない。亀が重要なのだ。少年が犯人と繋がりがあるかどうかは分からないが、無いなら、なぜ「亀など持っていなかった」などとウソをつくのだろうか。ますます怪しい。
しかし、その後が凄かった。まわりの露店のおばちゃんどもが野次馬とともに集まってきたが、みんな口をそろえて「その少年は亀など持っていなかった。朝から私たちはここで商売していたが、犬と亀を持った夫婦などいなかった。ウソつきはその日本人たちだ」というのだ。寒気がした。この通りは、スリも露店もみんなグルだ。後でウメさんから聞いた話では、通りの入り口にある露店の帽子屋が、我々が警察官と一緒に戻ってきたときに笛を吹いたそうだ。前からその帽子屋がたまに笛を吹くのは目撃していたが、それは警察が来るぞ、やばいぞ、という合図だったのだ!
警察官もそういう事情を知っているのだろう、露店のおばちゃん達の話には耳を貸さず、我々と少年を連れて現場から離れた。少年の両親が別の所でやはり犬を売っているというのだ。しかし、少年の両親は朝見た夫婦とは別人だった。少年はオドオドしていたが、両親の態度は堂々たるもので、「亀も何も知らない。だいたい、その子が持っている子犬も、人から買ったものだ。ただし、誰から買ったかは覚えていない」などどいう。
証拠も何もないから、少年と両親はそのまま開放された。しかし、我々もそうなることは分かっていた。通りぐるみでやっているのだから、それはそれは証拠を残さないようにやっているだろう。Chile通りの一味は、きっと私があきらめ、盗難証明書をもらって保険で処理し、それでおしまいと思っただろう。ところがどっこい、我々は必要以上に騒ぎ立て、大勢の警察官を現場に連れて行った。怪しいと思われる人々の顔も数人の警察官に見てもらったし、これで少しは仕事がしにくくなるだろう。ざまーみろ。
デジタルカメラなんかは、使い方がわからないだろう。きっと泥棒市に並ぶはずだ。警察には、私のカメラはエクアドルで入手不可能だから、市にあればそれは必ず私のだ、と説明し、納得してもらった。警察官は非常に紳士的で、対応もていねいだった。南米の警察官と聞いて抱くようなイメージとは全然違った。まずは明日、新市街の警察署に行って盗難証明書(ポリスレポート)を作成してもらい、その後に市場を見て、あればすぐ警察に来い、ということになった。しかし、あれだけ騒いだから、犯人はほとぼりが冷めるまで売るのは待つかもしれない。しかし、盗難証明書があれば保険がおりるはずだ。そしたら、サンヨーの新しいデジカメを買おう。それまではウメさんのスペアのデジカメを貸してもらうこととなった。盗まれたカメラには写真は残っていなかったし、不幸中の幸だ・・・。
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