ウメ夫妻やカルロス、そして他の「スクレ」の宿泊者たちに別れを告げ、キトを発つ日がきた。昨夜ウメさんとピンガ(さとうきびの酒)を飲みすぎて二日酔いだが、これで今日出ないと、またズルズルと長居してしまいそうな気がする。意を決し、旅支度をする。
昨夜泊まりの番だったカルロスは、今朝、家に帰る。一緒にタクシーでバイクの置いてある彼の家に行くことを約束していたが、支度ができても、彼は悠長に屋上で腕に「15日で消える」ニセ刺青を入れてもらっていた。
キトはすでに雨季に入ったらしく、最近は午後になると雨が降る。天気が良い午前のうちに距離を稼ぎたかったのだが、カルロスの刺青が終わるころには、その望みは消えていた。
ようやく終わり、さあ、出発と思ったら、カルロスはこれからバスを見に行くので、一緒には行けないという。かわりにこの前会った彼のお兄さんと行く事になったが、そうならそうと早く言って・・・。
ちなみにカルロスは今、バスの運転手を目指している。エクアドルでは普通免許を取って10年経つと、自動的に「プロの免許」にグレードアップするらしく、バスでもタクシーでも個人営業できることになるらしい。彼は私と同い年、すでに「プロの免許」は持っていて、あとはバスを買うだけ。個人バスの運転手になると、一日に60ドルは稼げるようになるという。ちなみにホテル勤めの今の月給(月ですよ、月)は、60ドル以下だ。一気に数十倍の高給取りに変身することになる。
しかしバスは中古でも2万ドル前後はするらしく、現在、奥さんやお義父さんと一緒に資金集めに奔走しているとのこと。
ウメ夫妻とカルロスに、わざと簡単な別れの挨拶をして「スクレ」の前でタクシーを拾う。ちゃんと気持ちを伝えようとしたら、きっと泣いていただろう。ウメさん、Kさん、今まで一緒にいることが当たり前だったね。次に会う時まで気をつけて、元気で。カルロス、早くバス運転手になれればいいね。そしたらタダで乗せてね。
カルロスの家に着き、DRに久々に荷物を積む。自炊道具が増えたのでちょっと心配だったが、全部ちゃんと載せることができた。天気が良いうちにと、すぐに出発する。
カルロスの家の裏には丘の上を走るバイパスが通っていて、そこを走るとキト市街が見渡せた。アンデスの山々に囲まれた、情緒あふれる美しい街だ。旅を終えたときに帰ってきたい場所が、一つ増えた。
さて、今日の目的地はバーニョス。キトから200キロほど南の例の温泉地が、半年ぶりのバイク移動のゴールとしてはちょうど良いと思ったのだ。本道から30キロほど入らなければならないが、バーニョスなら勝手も知ってるし、バイクを置ける宿も知っている。今日はとにかくキトを出られればいいのだ。
緑の山々が眩しい「アンデスの廊下」と呼ばれる国道を南下する。南北アメリカを縦断する「パンアメリカン・ハイウェイ」の一部で、今までにバスで2回、牛次郎で1回通ったことのある道だ。しかし天気が良いのとバイクが快調に走るので、気分は格別だ。
走りながら、これからは1人だ、と思った。今までの半年間はそばに常に誰かいたが、これからは違うのだ。すべて1人で行動し、悩み、解決せねばならないのだ・・・。
しかし、驚くべきことにウメさんたちと別れて3時間後、早くも次の出会いが待っていた。
「アンデスの廊下」を東に折れ、バーニョスへ向かう道路を走りはじめた時だった。道沿いにあった民芸品の市に、明らかに旅人のものと思われるアルミボックスをつけたBMWのバイクが止まっていた。以前、牛次郎で来たときに買物をしたことがある市だ。
近寄ると、BMWのそばにいた白人もこっちに気付き、まずは握手と自己紹介から始まった。彼の名はクリス、イギリス人で、アフリカを走った後アメリカに渡り、ここまで下ってきたそうだ。ここからのルートは私とほぼ同じだという。
そしてよく見ると、彼のBMWの横にホンダのオフロードバイク(ドミネーター)がもう1台。こちらは軽装で、エクアドルのナンバーをつけている。民芸品の露店から出てきたオーナーはリカルドといい、身長2メートルはあろうかという大男。エクアドル人だが、アメリカに長くいたことがあるそうで英語がペラペラ。また、リカルドは彼女と二人乗りだが、彼女の方も「親に無理やり入れさせられた修道院の13年間で」英語を学んだらしく、我々の会話は終始英語となった。
リカルドは最近まで南米一周をしていたらしく、クリスとは旧知のバイク仲間。クリスがリカルドの住んでいるキトに立ち寄った際に合流し、エクアドル南部をこれから一緒に見るのだという。
彼らも今夜はバーニョスで過ごすそうなので、一緒に行動することにした。
バーニョスに到着したのは昼過ぎ、まずはみんなで昼食を食べる。
レストランの庭のテーブルを4人で囲みながら、ツーリング談議となった。私とリカルドは、ベネズエラの警官のタチの悪さと、首都カラカスの人の冷たさで盛り上がった。彼はベネズエラを走っていたとき、ある男に自分のバイクをけなされたので、その男をののしった。すると、その男は観光庁の役人で、「役人を侮辱した罪」で警官に捕まったそうだ。それにしても観光庁だぞ。観光客に対してそんな態度とってどうする。
コロンビアのゲリラの話になったとき、急にリカルドの顔が曇った。するとクリスが、「彼はゲリラに誘拐されたことがあるんだよ・・・」と言った。最近ではゲリラは外国人に手を出さない、というのが定説だが、彼の場合はメスティソ(白人とインディオの混血)でコロンビア人にも見えるし、高価なバイクに乗っていたから、標的とされるコロンビアの富裕層の人間に見えたらしい。しかし彼が解放された際、警察に最近誘拐された人のリストを見せてもらったのだが、それによるとリストにあった360人の被害者のうち60人が外国人だったという・・・。どういう経緯で解放されたのか興味津々だったが、いい思い出ではなさそうなので、つっこむのはやめた。
昼食後はホテル探しとなったが、リカルドお勧めの宿はツアー客で満杯だったので、私が過去2回のバーニョス滞在で利用した「カサ・ブランカ」を案内する。地元のエクアドル人にホテルを案内するのって、なんか良い気分。
チェックイン後、彼らは散策に出たが、私は疲れたのでホテルで待っていた。調子が悪かったのは二日酔いだけでなく、風邪気味でもあるみたいだ。
夕食はイタリア料理屋に行って、スパゲティを食べる。そこでも遅くまで旅の話に花を咲かせた。クリスもリカルドも、その彼女もユーモアのある人で、会話は弾んだ。クリスは母国では教師だったらしく、リカルドはエクアドルでバイクツアーを主催する会社をやっていたが、旅から帰ったばかりで今は休業中。2人とも年のころは40前後だろうか、しかしリカルドの彼女はどうみても25歳以下だろう。結構美人で、「修道院にいた」とか、「車の免許は父の友人の軍のジェネラル(将軍)の紹介状を持って行ったら、5分で取れた」などという話から、かなりのお嬢様と見うけられる。リカルド、やったなあ。でも、彼も富裕層の一員であることは間違い無いが・・・。
そんなこんなで、今日も1人では無かった。旅はまったく先が読めない。
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