旅の日記

エクアドル・クエンカ編(2000年11月20〜22日)

2000年11月20日(月) 別れと出会い(Goodbyes and the new meeting)

 ウメ夫妻やカルロス、そして他の「スクレ」の宿泊者たちに別れを告げ、キトを発つ日がきた。昨夜ウメさんとピンガ(さとうきびの酒)を飲みすぎて二日酔いだが、これで今日出ないと、またズルズルと長居してしまいそうな気がする。意を決し、旅支度をする。

 昨夜泊まりの番だったカルロスは、今朝、家に帰る。一緒にタクシーでバイクの置いてある彼の家に行くことを約束していたが、支度ができても、彼は悠長に屋上で腕に「15日で消える」ニセ刺青を入れてもらっていた。 キトはすでに雨季に入ったらしく、最近は午後になると雨が降る。天気が良い午前のうちに距離を稼ぎたかったのだが、カルロスの刺青が終わるころには、その望みは消えていた。
 ようやく終わり、さあ、出発と思ったら、カルロスはこれからバスを見に行くので、一緒には行けないという。かわりにこの前会った彼のお兄さんと行く事になったが、そうならそうと早く言って・・・。
 ちなみにカルロスは今、バスの運転手を目指している。エクアドルでは普通免許を取って10年経つと、自動的に「プロの免許」にグレードアップするらしく、バスでもタクシーでも個人営業できることになるらしい。彼は私と同い年、すでに「プロの免許」は持っていて、あとはバスを買うだけ。個人バスの運転手になると、一日に60ドルは稼げるようになるという。ちなみにホテル勤めの今の月給(月ですよ、月)は、60ドル以下だ。一気に数十倍の高給取りに変身することになる。 しかしバスは中古でも2万ドル前後はするらしく、現在、奥さんやお義父さんと一緒に資金集めに奔走しているとのこと。

 ウメ夫妻とカルロスに、わざと簡単な別れの挨拶をして「スクレ」の前でタクシーを拾う。ちゃんと気持ちを伝えようとしたら、きっと泣いていただろう。ウメさん、Kさん、今まで一緒にいることが当たり前だったね。次に会う時まで気をつけて、元気で。カルロス、早くバス運転手になれればいいね。そしたらタダで乗せてね。

 カルロスの家に着き、DRに久々に荷物を積む。自炊道具が増えたのでちょっと心配だったが、全部ちゃんと載せることができた。天気が良いうちにと、すぐに出発する。
 カルロスの家の裏には丘の上を走るバイパスが通っていて、そこを走るとキト市街が見渡せた。アンデスの山々に囲まれた、情緒あふれる美しい街だ。旅を終えたときに帰ってきたい場所が、一つ増えた。

 さて、今日の目的地はバーニョス。キトから200キロほど南の例の温泉地が、半年ぶりのバイク移動のゴールとしてはちょうど良いと思ったのだ。本道から30キロほど入らなければならないが、バーニョスなら勝手も知ってるし、バイクを置ける宿も知っている。今日はとにかくキトを出られればいいのだ。
 緑の山々が眩しい「アンデスの廊下」と呼ばれる国道を南下する。南北アメリカを縦断する「パンアメリカン・ハイウェイ」の一部で、今までにバスで2回、牛次郎で1回通ったことのある道だ。しかし天気が良いのとバイクが快調に走るので、気分は格別だ。
 走りながら、これからは1人だ、と思った。今までの半年間はそばに常に誰かいたが、これからは違うのだ。すべて1人で行動し、悩み、解決せねばならないのだ・・・。

 しかし、驚くべきことにウメさんたちと別れて3時間後、早くも次の出会いが待っていた。
 「アンデスの廊下」を東に折れ、バーニョスへ向かう道路を走りはじめた時だった。道沿いにあった民芸品の市に、明らかに旅人のものと思われるアルミボックスをつけたBMWのバイクが止まっていた。以前、牛次郎で来たときに買物をしたことがある市だ。
 近寄ると、BMWのそばにいた白人もこっちに気付き、まずは握手と自己紹介から始まった。彼の名はクリス、イギリス人で、アフリカを走った後アメリカに渡り、ここまで下ってきたそうだ。ここからのルートは私とほぼ同じだという。
 そしてよく見ると、彼のBMWの横にホンダのオフロードバイク(ドミネーター)がもう1台。こちらは軽装で、エクアドルのナンバーをつけている。民芸品の露店から出てきたオーナーはリカルドといい、身長2メートルはあろうかという大男。エクアドル人だが、アメリカに長くいたことがあるそうで英語がペラペラ。また、リカルドは彼女と二人乗りだが、彼女の方も「親に無理やり入れさせられた修道院の13年間で」英語を学んだらしく、我々の会話は終始英語となった。
 リカルドは最近まで南米一周をしていたらしく、クリスとは旧知のバイク仲間。クリスがリカルドの住んでいるキトに立ち寄った際に合流し、エクアドル南部をこれから一緒に見るのだという。
 彼らも今夜はバーニョスで過ごすそうなので、一緒に行動することにした。

 バーニョスに到着したのは昼過ぎ、まずはみんなで昼食を食べる。
 レストランの庭のテーブルを4人で囲みながら、ツーリング談議となった。私とリカルドは、ベネズエラの警官のタチの悪さと、首都カラカスの人の冷たさで盛り上がった。彼はベネズエラを走っていたとき、ある男に自分のバイクをけなされたので、その男をののしった。すると、その男は観光庁の役人で、「役人を侮辱した罪」で警官に捕まったそうだ。それにしても観光庁だぞ。観光客に対してそんな態度とってどうする。
 コロンビアのゲリラの話になったとき、急にリカルドの顔が曇った。するとクリスが、「彼はゲリラに誘拐されたことがあるんだよ・・・」と言った。最近ではゲリラは外国人に手を出さない、というのが定説だが、彼の場合はメスティソ(白人とインディオの混血)でコロンビア人にも見えるし、高価なバイクに乗っていたから、標的とされるコロンビアの富裕層の人間に見えたらしい。しかし彼が解放された際、警察に最近誘拐された人のリストを見せてもらったのだが、それによるとリストにあった360人の被害者のうち60人が外国人だったという・・・。どういう経緯で解放されたのか興味津々だったが、いい思い出ではなさそうなので、つっこむのはやめた。

 昼食後はホテル探しとなったが、リカルドお勧めの宿はツアー客で満杯だったので、私が過去2回のバーニョス滞在で利用した「カサ・ブランカ」を案内する。地元のエクアドル人にホテルを案内するのって、なんか良い気分。
 チェックイン後、彼らは散策に出たが、私は疲れたのでホテルで待っていた。調子が悪かったのは二日酔いだけでなく、風邪気味でもあるみたいだ。

 夕食はイタリア料理屋に行って、スパゲティを食べる。そこでも遅くまで旅の話に花を咲かせた。クリスもリカルドも、その彼女もユーモアのある人で、会話は弾んだ。クリスは母国では教師だったらしく、リカルドはエクアドルでバイクツアーを主催する会社をやっていたが、旅から帰ったばかりで今は休業中。2人とも年のころは40前後だろうか、しかしリカルドの彼女はどうみても25歳以下だろう。結構美人で、「修道院にいた」とか、「車の免許は父の友人の軍のジェネラル(将軍)の紹介状を持って行ったら、5分で取れた」などという話から、かなりのお嬢様と見うけられる。リカルド、やったなあ。でも、彼も富裕層の一員であることは間違い無いが・・・。

 そんなこんなで、今日も1人では無かった。旅はまったく先が読めない。


本日の走行距離      175.1キロ(計24254.7キロ

出費                   0.8$    朝食(野口カフェのホットサンド)
     8.8$ スクレ宿泊代(11泊分、相変らず激安!)
     5$ 昼食(チキン)
     4$ 夕食(スパゲティ)
計        18.6US$(約2010円)
宿泊         Hostal Casa Blanca


2000年11月21日(火) さらに次の出会い(Next meeting)

 クリスたちは今日もバーニョスに滞在するらしい。私は先に進みたいので、朝食を一緒に食べて別れることになった。
 これが朝食時の写真だが、一番左がリカルドである。たくましい、デカイ体に厚い唇。プロレスラーみたいだが、子供のように振る舞うところもあってかわいいのだ。真ん中がその彼女。名前は結局聞きそびれた。お父様が手塩にかけて育てたのだろう、とても知的でチャーミングな人だった。 そして一番右がクリスである。長旅と髪の毛の相関関係はあえて尋ねなかった。

 クリスはたどるルートが同じだから、今後も会う事になるだろう。メールで連絡を取り合う事を約束した。リカルドは2002年に、ヨーロッパから日本まで横断する旅をしたいらしい。2002年7月が日本でのサッカーW杯だから、それに合わせたいのだそうだ。それなら俺が日本を案内する、と反射的に言ったが、W杯のチケットって取れるのか!?
 
 3人に別れを告げ、バーニョスを出発する。今日の目的地はクエンカ。エクアドル第3の都市だが、第2のキトよりはるかに小さく、静かで良いところらしい。
 クエンカを目指しながら、これからは1人だ、と思った。昨日は偶然の出会いがあったが、これからも幸運が続くとは限らないのだ。すべて1人で行動し、悩み、解決せねばならないのだ・・・。

 しかし、驚くべき事にクリスたちと別れて2時間後、早くも次の出会いが待っていた。
  カハバンバというパンアメリカンハイウェイ上の小さな町を通過中、道路脇に1台のバイクが停まっているのが見えた。カワサキのエリミネーターという、アメリカンタイプのバイクだ。ビニールに入れたギターなどを載せていて、クリスなどとは違うタイプだが、これも明らかに旅人のものだ。
 バイクの側には2人の人がいた。「ミゲル」と名乗る黄色いウインドブレーカーの男と握手をし、スペイン語で日本から来た事を告げると、「俺のパートナーも日本人だ。名前はクミコだ」と言うではないか!
 ぬおお!なんという偶然、「実は私も以前は2人乗りでして、クミコという・・・」と関をきったように日本語で話し出したら、白いメルメットを脱いだ小柄な女性は、「あの、クミコではなくてフミコなんですけど・・・」と言った。あいや、こりゃ失礼。

 コロンビア出身のミゲルとフミコさんはチリでバイクを買って、そこからコロンビアまで北上したそうだ。そして、これからまたイグアスの滝を目指して南下するという。中古のエリミネーターは問題が多く、押しがけで無いとエンジンがかからないそうだ。なんか、牛次郎を思い出した。

 2人と会ったのがレストランの前だったので、そこで一緒に昼食を食べることになった。話を聞くと、ペルーのナスカからクスコまでのダートロードが一番辛かったらしく、そこで50ccのホンダゴリラに乗った日本人に助けられたそうだ。って、そりゃゴリラのマサじゃん!世界は狭いなあ・・・。
 チリからコロンビアまでは警察がいなさそうな所を除いてほとんどミゲルが運転していたが、後に乗っているだけのフミコさんがあまりにもつらいので、彼女もコロンビアでバイクの免許を取り、今は交代交代で運転しているそうだ。そうか、やっぱり2人乗りをつづける秘訣は2人で運転することか・・・。

 2人はこれから海側へ出て、まっすぐペルーとの国境を目指すという。つまり、牛次郎で北上してきたときと同じルートを逆にたどるのだ。私はやや山寄りのクエンカを目指すので、カハバンバの町を出てすぐに別れる事になった。彼らともメールアドレスを交換したので、またどこかで会えるだろう・・・。

 クエンカを目指して再び走り出すと、道はどんどん悪くなり、天気も悪くなった。リカルドに朝、今日はクエンカを目指すと言ったら、「無理はしない方がいい。あそこまでの道は悪く、午後は必ず雨が降る」と言われた。地図で見ると400キロほど、第3の都市に続く道だからDRなら問題無いと思うし、雨も少々降ってもいい覚悟で走り出したのだが、やはり地元民の言う事は正しい。道は思ったより険しく、しかし何より辛かったのは濃霧だった。
 谷にへばりつくような道はどんどん細くなり、「これで合っているのか?」と思うほど。ところどころにあるダート箇所はそんなに辛くはないのだが、谷は濃霧で満たされており、10メートル先も見えないほど。いきなりダートになったりカーブになったりするので、30キロくらいしか恐くて出せないのだ。これなら普通の雨の方がよっぽどマシだ。

 道は幾度と無く小さな村を通過した。その度に数匹の犬が全速力で追っかけてきて、飛びかからんばかりに威嚇する。バイクや自転車で旅する者にとって、アンデスの犬たちは大敵なのである。犬の性格にもよるのだが、少なくてもなわばり意識の強い、番犬として飼われてる犬たちには、バイクや自転車は敵に見えるらしい。バイクならまだ逃げ切れるが、自転車だとそうはいかない。実際に噛まれるチャリダーもいるという。

 クエンカより先に行ければ行こうと思っていたが、とんでもなかった。ほうほうの体でクエンカに着いたのは午後6時を回っていた。ミゲルとフミコさんに教えてもらったグラン・ホテルという宿にチェックインする。バイクも屋内に停められ、おしゃれでキレイなところだった。
 しかも部屋には温水のシャワーとトイレに加え、なんと電話があるではないか!オペレーター経由ではないらしく、どうやらネット接続が試せそう。ただしクエンカにはアクセスポイントが無いので市外電話になるのだが、通話料は1分30セント・・・バカ高である。
 しかしパソコン雑誌に連載を持つ身としては、たまには違うことをやらなきゃ。ということで、久々に自分のアカウントを使用してダイヤルアップしてみる。アカウントとってもニフティではなく、IPASSという、海外接続サービスを行う会社と提携しているbiglobeの方。念のため、一時帰国したときに個人的に加入したのだ。

 普通、ホテルの電話からのダイヤルアップはなかなかうまくいかない。電話回線の状態が悪かったり、はたまたアクセスポイントのホストが原因不明の接続拒否をしたりと、障害が多いのだ。
 しかし、グアヤキルにあるIPASSのアクセスポイントに挑戦して見ると、あっけなく繋がった。目が丸くなった。高いからメールの送受信くらいしかできないけど、LAN接続させてくれるカフェを探すよりはずっと楽。こりゃいいわ。

 久しぶりの大移動は、悪天候と悪路に阻まれて大変疲れた。喉の痛みも悪化した。クエンカは噂にたがわず良さそうなところだし、部屋でネットも出来るので、明日はここで一日ゆっくりしよう。


本日の走行距離      362.5キロ(計24617.2キロ

出費                     1$    朝食(ホテルのアメリカンブレックファースト)
     3$ 宿代
     6.61$ ガソリン
     1$ 昼食(アルムエルソ)
     2.25$ 夕食(ホットサンド、ビール)
     0.3$ 水
計       14.16US$(約1530円)
宿泊         Gran Hotel インターネット ホテルの電話から


2000年11月22日(水) クエンカの一日(A day in Cuenca)

 昨夜は10時から今朝は9時まで、たっぷりと寝た。それでも体はちょっと重い。今日は休みにして良かった。

 午前中は日記を打ち、午後からクエンカのセントロ(中心街)を散策する。石畳の細い路地が碁盤の目のように走っている街並みはとても上品で、ほかの南米の都市に見られるような猥雑さがまるで無い。治安も良さそうで気に入った。

 ただし観光に関しては、私の心をくすぐるものは無かった。カテドラルや博物館など「地球の歩き方」に載っているのだが、足があまり向かない。一年もラテン世界にいるので、「コロニアルな街並み」「スペイン統治時代に建てられたカテドラル」「独立をテーマにした博物館」などに、ちょっと飽きてきたのかもしれない。
 ただ、通りから見たクエンカのカテドラルは青いドームが他のとは違っていて、青空に映えてキレイだった。

 カテドラルの近くでは花の市がたっていて、さらに別のところでは民芸品の市がたっていた。アメリカで買ったトレーナーが少々くたびれてきたので、民芸品市で安物のフリースを買う。
 
 食堂で昼食を食べてホテルに戻ると、予想以上に疲れていたので3時間ほど昼寝をしてしまった。まだ本調子では無いみたいだ。プロポリス喉スプレーのおかげで喉の痛みは大分取れたが。
 そうそう皆様、プロポリスの喉スプレーはお勧めです。私はあまり健康食品などに関心は無いのですが、ブラジルで買ったプロポリスは効きます。とくに喉の痛みに。私は風邪というと必ず喉の痛みから始まって、咳が止まらなくなり、熱に繋がるのですが、プロポリス液を喉に噴射すると、初期段階で食いとめることができるのです。今まで色んな売薬を試しましたが、プロポリスがベスト。健康食品として毎日飲むよりも、喉に使う場合は速効性があります。
 なんでもプロポロスはミツバチが巣の内側に塗る物質だそうで(ロイヤルゼリーとはちょっと違う)、自然界の抗生物質と呼ばれているそうな。ちなみに私はブラジルの回し者ではありません。なりたいくらいブラジルは好きだけど・・・。

 さて、明日はペルーへ越境する日。実はエクアドルには3ヵ月間しかバイクは持ちこめないのに、わがDRはキトの空港で受け取ってからすでに半年以上経っている。果して無事出国できるか、乞うご期待!


本日の走行距離          0キロ(計24617.2キロ

出費                     5$    フリース
     0.6$ 昼食(アルムエルソ)
     2.2$ 夕食(チキン)
計       7.8US$(約840円)
宿泊         Gran Hotel
インターネット ホテルの電話から