旅の日記

ペルー・カハマルカ編(2000年11月23〜26日)

2000年11月23日(木) エクアドル脱出(Leaving Ecuador)

 宿代に含まれている朝食を食べ、午前8時過ぎにクエンカを出発する。

 今日は標高2500メートルのクエンカから海までを走る。従ってクエンカを出ると、すぐに長い下りとなった。最初のうちは牧草と家畜の美しい田園風景が続いていたが、下るにつれて熱帯性の植物が増え、ジャングルっぽくなってきた。
  そしてふもとに近くなるとバナナ畑が道の左右に広がるようになり、出発してから3時間後、例のバナナ街道にぶつかった。牛次郎で先日走った、バナナ畑ばかり続くエクアドル西部の低地を縦断する主要国道だ。
  ここまで来ると高度はほとんど無い。風邪を引いているので暑さが嬉しいが、さすがにフリースは脱ぐ。あとはペルーとの国境まで一直線だ。

 バナナ街道に出てから国境の町ウアキージャスまでは約1時間で着いた。町の手前にあったイミグレーションで忘れる事なくパスポートに出国のスタンプをもらう。牛次郎で1回通った国境だから、勝手がわかる。
 国境を越える前に安いエクアドル側でガソリンを満タンにしたかったのだが、残念ながらスタンドにハイオクが置いてなかった。この前はハイオクだけでレギュラーが無かったのに、世の中うまくうかないものだ。ガソリンタンクもそんなに空では無かったので、あきらめてペルー側で入れることにする。

 さて、税関のある国境線に向かう。ウアキージャスは相変らず猥雑で、国境をまたぐ主要道路でさえ左右に露店が張りだし、まるで駅前の商店街ほどの幅しかない。人と自転車、リアカーで混雑したその道路を行くと、すぐに自称ガイドや闇両替商が群がってくる。
 ペルーの通貨ソルはすでに持っているので、両替商には用は無い(ちなみにこの国境で偽ソル札をつかまされたという話をかなり聞くので、ここでは替えない方が無難)。そしていつもは通関の手伝いをしてくれるという自称ガイドも追い払うのだが、今日は人の良さそうなお兄さんのガイドを1名雇い入れる。 というのも、わがDRは与えられた3ヵ月間のエクアドルでの使用期限を大幅にオーバーし、すでに7ヵ月目に突入している。税関でもめることが予想され、味方が1人でも多いほうが良いと思ったのだ。

 さて、道路脇にある税関の窓口に何食わぬ顔で書類を提出する。すると、最初は気付かずに出国の手続きを進めていた税関の職員だったが、しばらくして私に事務所の中に入ってくるように言った。さあ、おいでなすった。
 狭い事務所の中には3人の職員がいた。真ん中の、机の上のDRの書類に向かっているのが一番偉そうな、というか厳格そうな人で、その人が私を呼んだのだ。
  「このバイクが入国したの5月9日だろ、今は11月だぞ。そんなに長い間、何していた?」 と聞くので、「新しいカルネ(通関書類)を取得するのに日本に帰っていた。日本は遠く、時間がかかった。期限がオーバーしているのは申し訳無いが、今日出国するから売るわけでは無い。問題はないはずだ」と答える。ワイロやチップは要求されれば払う用意はあった。しかし、求められる前にこっちから切り出すわけには行かない。落ち度があるのを認めることになるからだ。
 「それにしても長すぎる」。真ん中の職員は眉間にしわを寄せて、出国させていいものかどうか迷っている様子だ。しかし、あとの2人の職員の態度が私に味方した。「今日出るんだから、そんなの構わなくてもいいじゃないか」と、面倒くさそうに言ってくれるのだ。真ん中の職員はしばらく書類に見入っていたが、やがてパスポートと免許のコピーを取ってくるよう私に告げた。それは出国させてくれることを意味していた。やった!
 要求された通りコピーを提出し、カルネに出国のスタンプをもらう。この間、雇ったガイドは予想通りというか、あまり役に立たず、バイクを見張っているに留まった。まあ、見張りも必要だし、無事出国できたからいいか。
 これで肩の荷が降りた。エクアドルはさほど厳しいとは聞かないが、隣のペルーなどでは出国のチェックが厳しくて、期限オーバーでバイクを没収されたという話も聞く。もしかしたらと思っていたが、問題無く出国できて本当に良かった。

 さて、今度はペルー側に渡って通関の手続きをする。カルネの扱いをよく知っているらしく、すぐにスタンプを押してくれて手続きは終了した。税関の後は国境線から少し離れたイミグレーションオフィスに行き、パスポートに入国のスタンプをもらう。何も言わずに90日の滞在許可をくれた。
 結局、国境越えは全部で1時間もかからなかった。予想をはるかに上回るスムーズさだった。

 DRにとって12カ国目、ペルーを走り出す。日はまだ高く、今夜泊まるつもりだったマンコラの町に着いたのが午後2時前だった。牛次郎で来たときに食べたレストランで昼食を食べ、再び走り出す。今日はさらに150キロほど離れたピウラまで行こう。
 途中、検問をやっていたり道端にパトカーが止まっていたりしたが、止められたのは1回だけで、しかも簡単な書類チェックだけだった。牛次郎の時にはパトカーがいる度に止められ、執拗なチェックがあったものだ。やっぱり牛次郎は怪しく見えたのかな。料金所もバイクはタダで通過できるので、優越感がある。

 ピウラの町に着いたのは午後5時ごろだった。これといって見所の無い町だが、バイクが止められるというので選んだ若干高めのホテルでは、なんとNHKの衛星放送が見られた。ペルーの片田舎でNHKニュースや連ドラが見られるのは不思議な感じがする。
 今日は疲れていたのと、あまり風邪の様子がよく無いので、ホテルの部屋でラーメンを作って食べ、すぐに寝る。皆様、プロポリスの件では言いすぎました。今回は風邪を初期段階で食いとめられなかったようです・・・。


本日の走行距離      534.8キロ(計25152キロ

出費                 20.85$    クエンカの宿2泊+電話代
     4.6$ ガソリン
     10S ガイド、両国あわせて
     8.5S 昼食(魚フライ)
     40S ガソリン
30S  ピウラの宿代
計       25.45US$(約2750円)
        88.5S (1ドル=3.5ソル、約2730円)
宿泊        Hostal San Juan(NHKが見られる!)


2000年11月24日(金) 再びアンデスを登る(Climbing the Andes again)

  朝起きたら、頭がボーっとして体がだるい。こりゃ、ちゃんとした(?)風邪だ。今日一日、このホテルでNHKを見ながらゆっくりしてようか・・・。
 しかし、昨日買ってきたパンとゆで卵の朝ごはんを食べたら元気になってきた。同じゆっくりするなら、何にも無いこの町より温泉のあるカハマルカでゆっくりしようと、支度をして出発する。
 そう、今日の目的地はカハマルカ。アンデスの山の中にある温泉地で、インカ最後の皇帝アタワルパも愛したというところだ。ちなみにアタワルパはここの温泉に入っているところをスペイン軍に捕まり、インカ帝国は滅亡したのだ。戦争中に油断をしてはいけませんなあ。

 ピウラを出ると砂漠地帯が続いた。昨日の朝はアンデスの田園に囲まれ、昼はジャングルを抜け、そして今日は砂漠。忙しいなあ。見通しの良い直線で、久しぶりに三脚を使用して自分の写真を撮った。
 200キロほど走ると、チクラヨの町に着いた。この前、金銀財宝ザックザックのブルーニン博物館を見たところだ。
  ガソリンスタンドで給油をしたら、やっぱりというか、すごい燃費の良さだった。実は昨日あたりから気になっていたのだが、燃費がここにきて大幅に向上した。中米を走っている頃は1リットル16〜19キロだったのに、今は21キロくらい走っている。これは思うに、巡航速度がだいぶ落ちたからだ。中米までは時速110〜120キロほどで巡航していたが、最近は牛次郎で遅い速度に目が慣れ、恐くて100キロくらいしか出せない。速度が違うとこんなに燃費も違うとは。ガソリン代が高い国ではゆっくり走りましょ。

 チクラヨと次の大きな街トルヒーヨとの中間くらいに、パンアメリカン・ハイウェイを左に折れ、カハマルカに向かってアンデスを登る道はあった。カハマルカは標高2750メートル、今から一気に上がるのだ。ちなみにバスだとチクラヨから7時間かかるという。
 DRは細いワインディングを小気味良く登った。ところどころダートだったり、砂が浮いていたり、岩が転がっていたりしたが、ガンガン他の車を抜かし、アンデスを駆けあがる。これは思ったより早くカハマルカに着くのでは、と思った。

 しかし猛スピードで登っているにもかかわらず、一向にカハマルカに着かない。100キロも走れば着くと思っていたのだが、120キロ走っても150キロ走っても、カハマルカは見えてこない。最初のうちはライディングが楽しくてアドレナリンの分泌も活発だったのだが、飽きてくるととたんに疲れと風邪の症状が出て、そのままバタンと倒れて眠りたいくらいになった。
 パンアメリカン・ハイウェイを折れて160キロほど登ったころ、カーブを抜けると、いきなり盆地が見渡せる見晴らしの良い場所に出た。そしてその盆地の奥に、街の姿が!

 写真ではわかりづらいかもしれないけれど、とにかくホッとしたんだから。
 盆地は青空と白い雲と黒い雲が複雑に絡み合った空に覆われ、とても美しく見えた。先日下ったばかりなのに、また登ってきたんだなあ。

 カハマルカは古くて落ち着いた感じの街だった。バイクの止められる宿は探すのが難しいと思われたが、1軒目に入った宿でフロントの前に置いていいと言われた。至極質素な宿だが、従業員の愛想もいい。ピウラから8時間で走ってきたと言ったら、とても驚かれた。街の中心であるアルマス広場にも面しているので、ここに決める。
 宿の裏にあったインターネットカフェではすぐにLAN接続もできた。これでこの街に不服は無い。ゆっくりとしよう。


本日の走行距離      492.1キロ(計25644.1キロ

出費                    51S    ガソリン代
     20S 宿代
     1.5S インターネット
     2.5S 水
     10.5S 夕食(ピザ)
計       85.5S(約2640円)
宿泊        Hostal Peru
インターネット Telenet


2000年11月25日(土) ぐうぐう寝る(Sleeping all day)

 今朝、というより今日は午後12時過ぎまでたっぷりと寝た。身体の調子はまずまずだ。
 インスタントスープとクラッカーの朝/昼食を食べて、とりあえず街に出る。カハマルカの醍醐味は何と言っても温泉だが、それは大事を取って明日行く事にする。今日は街が一望できるというサンタ・アポロニアの丘に登る。
 急な階段を息を切らせて登ると、丘の頂上に出た。カトリックの国では、決まって高い山や丘の頂上には十字架か聖母、キリスト像を立てる。ご多分に漏れず、ここも白い十字架が街を見下ろしていた。

 丘を登り、町をぶらついたら、意外と疲れた。ビールを一缶飲んだらとても眠くなったので、部屋で昼寝する。風邪にもこの方が良いだろう。
 夜はご飯を炊き、ふりかけとインスタント味噌汁で食べた。自炊ができるようになって嬉しい。卵も買ったので、明日の朝が楽しみだ。


本日の走行距離          0キロ(計25644.1キロ

出費                    20S    宿代
     1S サンタ・アポロニアの丘入場料
     0.8S 米
     0.6S 卵
     0.8S 砂糖
     4S ビール、ジュース
計       27.2S(約840円)
宿泊        Hostal Peru


2000年11月26日(日) インカの温泉に入る(The hot spring of the Inca)

 朝ごはんは卵を2個使ってスクランブル・エッグを作ったが、フライパンを洗って水をよく切らないまま使ったので、油がはねてストーブもまわりの床も油だらけになった。失敗失敗。

 気を取りなおし、向かった先はインカ帝国最後の皇帝アタワルパが幽閉されていたという「部屋」。部屋というよりは小屋ですな、外見は。
  温泉に入っているところをフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍に捕らえられたアタワルパは、幽閉されたこの部屋の中で手を頭上に伸ばし、その高さまでこの部屋を金銀財宝で埋める代わりに自分の解放を要求したという。しかしアタワルパはさんざん利用されたあげくに結局は処刑されてしまい、400年以上も続いたインカ帝国は滅亡したのだった。

 インカ帝国は北はコロンビアから南はチリ北部まで5000キロに及ぶ大帝国だったのだが、後継者問題で内紛が生じ、スペイン軍はそのスキをうまくついたらしい。ちなみにピサロ率いるスペイン軍は精鋭ではあるものの、わずか200人しかいなかったという。私はてっきりヨーロッパから大量の兵士がドンブラコと船に乗って押し寄せたのかと思ったら、そうでは無かったのね。インカの兵士は収穫の季節になると戦線を離脱して畑に行ってしまったりして、そういうこともスペイン軍にとって有利に働いたらしい。
 いずれは大軍が来たかもしれないが、ピサロが勝利を収めたのは予想外のハプニングが味方したからだ。ちょっとした偶然の上で歴史は成り立っているんだなあ。

 その後はインターネットをやり、午後から例の温泉、その名も「バーニョス・デル・インカ(インカの温泉)」へ。
 温泉へはカハマルカの中心街から頻繁にコレクティーボ(乗合タクシー)が出ている。15分ほど揺られると、郊外の温泉に着く。

 温泉は思ったよりもモダンな造りだった。入り口で入場料を払うのだが、ここの温泉はすべて個室。普通のと上級のがあるらしいが、1ソルしか変わらないので上級の方にした。チケットを受け取り、湯畑の向こうの建物へ。

 中に入ると長い廊下の左右に個室が並んでおり、ドアの前のベンチには順番待ちの客が座っている。しまった、今日は日曜日だ。思ったより客が多い。
 ラテン社会では得てしてそうだが、ここでも客は一列に並ぶなどどいうことはしない。個室が空いたら近くにいる人がサッとドアの前まで行き、次にそこを使う権利を得たことを主張する。ドアの前でしばらく待つと清掃係のお兄さんが来て、1回1回浴槽を掃除してくれるのだ。シャワーが無いから体を洗うのも浴槽の中。よって1回ごとに湯を入れ替えるシステムなのだ。贅沢でしょ。

 待つこと約10分。思ったよりも早くマイ・個室をゲットしたカズヒロは、さっそく浴槽に湯をためる。ノブをひねると、怒涛の勢いで熱い湯が出てくる。こりゃすごい湯量だ。しかし湯は無味透明、あまり温泉という感じはしません。
 個室の大きさは3畳ほど。ドアを開けたところが脱衣場になっていて、その向こう、段を下がったところが深い浴槽になっている。湯量は自分で調節できるが、深さ1メートルぐらいまではためられそうだ。

 ゆっくり湯につかろうと思ったのだが、熱い。お湯はぬるめにしたつもりなのだが、小さな個室は湯気の逃げ場が無く、ムンムンとすごい熱気でサウナのよう。個室も清潔なんだけどあまり情緒が無く、こう言うと大変失礼なんだけど、病院か何かの施設の風呂か、以前テレビで見た競馬馬の風呂のような感じがする。やっぱり温泉は露天がいいですな・・・。

  しかし久しぶりの風呂は気持ち良かった。20分ほどであがり、またコレクティーボに揺られて街に帰る。
 中華料理屋で昼ご飯とともにビールを飲んだら、また気分が良くなって眠くなった。部屋に帰り、3時間ほどぐうぐうと昼寝する。温泉にビールに昼寝。いい身分だなあ。

 夜は部屋で日記打ち。さて、体調もまずまず回復したし、明日はここを出るか・・・。


本日の走行距離          0キロ(計25644.1キロ

出費                    20S    宿代
     4S 「幽閉の部屋」入場料
     1.5S インターネット
     1S コレクティーボ往復
     4S 温泉入場料
     10S 昼食(中華野菜炒め、ビール)
計       40.5S(約1250円)
宿泊        Hostal Peru
インターネット Telenet