すっかりお世話になった香苗さんちを出発する日となった。おいしい朝食をいただき、いざ出発の支度を整える。
しかし、丸4日放置していた牛次郎のエンジンはやはりかからない。押しがけを試みたり、香苗さんちの車とブースターケーブルで繋いだりするが、それでもかからない。結局、近くのホームセンターで牽引用のロープ(コロンビアで切れてしまったのと同タイプ)を買ってきて、香苗さんの車に30メートルほど引っ張ってもらってようやくかかった。チリのサンペドロ・デ・アタカマ以来、かからない時には徹底的にかからない。そんな時はやはり「引きまわしの刑」が一番効くのだ。
エンジンがかかったと同時に家の前に邦人観光客を乗せた観光バスが停まり、香苗さんは接客のために走って帰った。ゆっくりお礼も言えなかったけど、大変お世話になりました。また、お世話になりに来ます・・・。
リマの市街は意外と楽に抜けられた。リマを後にして再びパンアメリカン・ハイウェイを北に向かうと、「ここはサハラか」と思うような風景になった。チリ北部からずっと砂漠は続いていたが、今までは岩がゴツゴツした月面のような砂漠だった。それがここにきてサラサラの砂ばかりの砂漠となったのだ。
細かい粒子の砂は道路上にも溜まり、縞模様のようになっている。そこに風が吹くと、まるでヘビが動いているように道路の上の砂の縞が動くのだ。その光景が幻想的だった。
また、リマ以北は警察が多くなった。小さな村が続くのだが、村ごとにパトカーが止まっていて書類のチェックや速度違反の取り締まりをしているのだ。
リマを出て数時間後、ある村を通過中にいきなり建物の影から警官が飛び出してきて我々を停めた。何でも制限速度60キロのところを80キロで走っていたらしい。速度違反の罰金は290ソル(約80ドル)、ちゃんと払わないと車両の番号などが税関に報告され、国境が通過できなくなると脅してくる。それにしても高すぎるというが、文句があるならお前らの仲間、フジモリに言え、と来る。しかし、警官はこの場で払えば半額の40ドルでいいという。この場で払って済む罰金などあるはずが無い。ようするにワイロが欲しいのだ。本来なら払いたくないが、実際制限速度は超えていたと思うし、いやがらせで税関に連絡されるのも面倒だ。時間をかけて金額を交渉し、警官2人に5ドルずつとなったが、サイフの中に5ドル札1枚しかなかったとごまかし、結局5ドルで済んだ。最後に警官はボソっと「この先でもやっているから気をつけな・・・」と教えてくれた。
昼食は途中のレストランで食べたが、その後ウメさんが大変な事になった。みるみる目が腫れ、鼻水が止まらなくなり、果ては気管まで腫れてきた。昼食で食べた何かにアレルギー反応を起こしたのだ。前にペルーに来たときにも2回ほど起きたらしいが、いずれも今回ほど重症ではなかったそうだ。ウメさんの顔面はまるで「獅子面病」のように腫れあがり、運転もできなくなった。
というわけで今夜は療養を兼ね、早めに宿に入ることにする。リマから350キロほど来たHuarmeyの町のホテルにチェック・インし、私とKさんはラーメンを作って食べたが、ウメさんは38度の熱を出して寝こんでいた。明日は治れば良いが・・・。
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