旅の日記

ペルー・北部編(2000年11月1〜3日)

2000年11月1日(水) リマを後にする(Leaving Lima)

 すっかりお世話になった香苗さんちを出発する日となった。おいしい朝食をいただき、いざ出発の支度を整える。
 しかし、丸4日放置していた牛次郎のエンジンはやはりかからない。押しがけを試みたり、香苗さんちの車とブースターケーブルで繋いだりするが、それでもかからない。結局、近くのホームセンターで牽引用のロープ(コロンビアで切れてしまったのと同タイプ)を買ってきて、香苗さんの車に30メートルほど引っ張ってもらってようやくかかった。チリのサンペドロ・デ・アタカマ以来、かからない時には徹底的にかからない。そんな時はやはり「引きまわしの刑」が一番効くのだ。
 エンジンがかかったと同時に家の前に邦人観光客を乗せた観光バスが停まり、香苗さんは接客のために走って帰った。ゆっくりお礼も言えなかったけど、大変お世話になりました。また、お世話になりに来ます・・・。

 リマの市街は意外と楽に抜けられた。リマを後にして再びパンアメリカン・ハイウェイを北に向かうと、「ここはサハラか」と思うような風景になった。チリ北部からずっと砂漠は続いていたが、今までは岩がゴツゴツした月面のような砂漠だった。それがここにきてサラサラの砂ばかりの砂漠となったのだ。 細かい粒子の砂は道路上にも溜まり、縞模様のようになっている。そこに風が吹くと、まるでヘビが動いているように道路の上の砂の縞が動くのだ。その光景が幻想的だった。

 また、リマ以北は警察が多くなった。小さな村が続くのだが、村ごとにパトカーが止まっていて書類のチェックや速度違反の取り締まりをしているのだ。
  リマを出て数時間後、ある村を通過中にいきなり建物の影から警官が飛び出してきて我々を停めた。何でも制限速度60キロのところを80キロで走っていたらしい。速度違反の罰金は290ソル(約80ドル)、ちゃんと払わないと車両の番号などが税関に報告され、国境が通過できなくなると脅してくる。それにしても高すぎるというが、文句があるならお前らの仲間、フジモリに言え、と来る。しかし、警官はこの場で払えば半額の40ドルでいいという。この場で払って済む罰金などあるはずが無い。ようするにワイロが欲しいのだ。本来なら払いたくないが、実際制限速度は超えていたと思うし、いやがらせで税関に連絡されるのも面倒だ。時間をかけて金額を交渉し、警官2人に5ドルずつとなったが、サイフの中に5ドル札1枚しかなかったとごまかし、結局5ドルで済んだ。最後に警官はボソっと「この先でもやっているから気をつけな・・・」と教えてくれた。

 昼食は途中のレストランで食べたが、その後ウメさんが大変な事になった。みるみる目が腫れ、鼻水が止まらなくなり、果ては気管まで腫れてきた。昼食で食べた何かにアレルギー反応を起こしたのだ。前にペルーに来たときにも2回ほど起きたらしいが、いずれも今回ほど重症ではなかったそうだ。ウメさんの顔面はまるで「獅子面病」のように腫れあがり、運転もできなくなった。
 というわけで今夜は療養を兼ね、早めに宿に入ることにする。リマから350キロほど来たHuarmeyの町のホテルにチェック・インし、私とKさんはラーメンを作って食べたが、ウメさんは38度の熱を出して寝こんでいた。明日は治れば良いが・・・。


出費                   6.5S    昼食(チキン)
     13S  宿代
計        19.5S(約590円)
宿泊          Hostal Claudia


2000年11月2日(木) 北上する(Driving though the desert)

 朝起きたらウメさんの具合は大分良くなっていた。目はまだ腫れたままだが、普通に行動できるようにはなった。一時は扁桃腺まで腫れあがり、このまま呼吸困難になるのでは、と心配したほどだ。ウメさんは日本ではアレルギーなどとは無縁だったらしい。自分ではアレルギー体質でないと思っていても、海外で未知の物質に触れ、いきなり反応が出ることもあるのだ。ウメさんの場合はそれがペルーの食事だったのだ。いったいどの食材が悪いのだろう?

 今日はずっと移動していた。チャンチャン遺跡で有名なトルヒーヨの町を通ったが、遺跡は今度におあずけ。町は通過するだけだったが、道に迷って苦労した。
  それにしても、リマに限らずペルーの都市部の車の運転は荒すぎる。牛次郎で南米8ヶ国を運転したが、ペルーがピカ一の荒さだ。ウインカーを使わなかったり、信号を守らなかったりというのは他のラテン諸国と同じだが、ペルーの場合は割りこみや飛び出しが激しい。優先道路を走っていても、脇からバンバン車が出てくるので油断ができないのだ。大体、パトカーや白バイからしていきなり目の前を横切るような走りをするからたまらない。最近牛次郎のブレーキの調子が良いが、そうで無かったら走るのは不可能に近い。

 夜にチクラヨの町まで来て、そこのガソリンスタンドで就寝。久しぶりの牛次郎泊も悪くない。


出費                   1.5S    朝食(コーヒー、パン)
     5S 昼食(焼肉)
計        5.5S(約170円)
宿泊         チクラヨのスタンドに停めた牛次郎


2000年11月3日(金) 金銀財宝を見る(Bruning Museum)

 香苗さんちのおいしい食事を食べていたら、すっかり胃が膨れた。朝からチキンサンドを2個も食べてしまう。

 朝食後、チクラヨの北12キロにあるランバイエケの町のブルーニン博物館を見に行く。ここは近郊にあるシパン遺跡から出土した財宝の数々が展示されているのだ。シパン遺跡は紀元700から1300年ごろに栄えたプレ・インカ(インカ帝国以前の文明)のモチェ文化の遺跡で、シパンとはそこに財宝とともに埋葬されていた王の名前らしい。
 出土品は、まさに金銀財宝ザックザク、という感じ。金の冠やネックレスには手の込んだ細工がなされ、博物館というよりは銀座かどこかの宝石店にいるみたい。残念ながら入口にあった王様の人形以外、写真撮影は禁止だったが、黄金の仮面がカッコ良かったので密かに撮ってしまった。

 博物館を見た後は北上を再開。ピウラの町でファンベルトが外れ、道端に停めて直していると、銃を持った兵隊がやってきて職務質問を始めた。いつもの警察のチェックと違い、緊張感に満ちている。ウメさんなんか銃を向けられ、そのまま降りてこいと言われていた。一通りチェックが終わると、兵隊は厳しいチェックの訳を教えてくれた。我々が車を停めたすぐ近くには軍事施設があり、ここから国境が近いエクアドルはペルーの「アミーゴ」ではないらしい。施設の近くにエクアドルナンバーの車が停まっていて、中で誰かがゴソゴソしているので不審に思ったらしい。確かに両国間には国境線問題があるというし、理解できる話だ。

 無事ファンベルトも直り、エクアドルとの国境の町ツンベスを目指すが、その手前80キロあたりのマンコラ(Mancora)という海に面した町が雰囲気が良かったので、そこで泊まることにする。町にあった宿には駐車場は無かったが、目の前の警察署が車を停めさせてくれた(夜勤の警官にチップを多少払ったが)。
 マンコラの町には魚介を出すレストランが建ち並び、良く見ると白人のツーリストが多い。夕食を食べようとレストランのメニューを見せてもらうと、目の玉が飛び出るほど高い。しまった、ここは意外とツーリスティックな所だった。日本語のガイドには載っていないが、白人旅行者の隠れ家かもしれない・・・。
 それでも魚介が食べたいので、町中を歩いて一番安いレストランを見つける。5ソルの魚のフライは他の店の半額以下だが、とても柔らかくて美味かった。

 夜は久しぶりの水シャワーを浴びて早めに寝る。明日は牛次郎の故郷、エクアドルに再入国だ。


出費                     6S    朝食(チキンサンド)
     7S  博物館
     3S  昼食(ビーフジャーキーのような肉)
     10S  宿代
     10S  夕食(魚フライ、ビール)
     1S  水
計        37S(約1130円)
宿泊        Hospedaje Grecia