旅の日記

エクアドル・バーニョス編その2(2000年11月4〜6日)

2000年11月4日(土) バナナ街道をゆく(Back in Ecuador)

 今まで何度も繰り返してきた牛次郎での国境越えだが、今日が最後。マンコラの町を後にしてエクアドル国境に向かう。

 途中、ビーチに面した食堂で朝食を取り、国境に着いたのは午前11時ごろだった。ここの国境は少々複雑で、イミグレ(入国管理事務所)と税関の位置が違う。まずは手前にあるイミグレでパスポートに出国スタンプをもらい、本当の国境である橋に向かう。
  地図上では町が無いので静かな所かと思ったが、実際はペルー、エクアドル側とも建物が建ち並び、道路上はアヤシイ露店で溢れていた。車を停めるとすぐに両替商やガイド、物売りが声をかけてくる。この猥雑さ、中米の国境のニオイがする。
 税関は橋のたもとにあり、そこで牛次郎のペルミソをキャンセルする。エクアドル側の税関も橋を渡ったところにあるが、牛次郎はエクアドル登録の車なので手続きはなし。町を抜けた道路上にあるイミグレでパスポートに入国のスタンプをもらい、国境を後にする。

 エクアドルに入国したあたりから、まわりの景色がガラっと変わった。ペルー北部の砂漠とうってかわって緑、また緑。道の両側にはバナナ畑が永遠と続き、道ゆくトレーラーにはアメリカの果物会社「DOLE」のマークが。グアヤキルを中心としたエクアドル西南部は低地で熱帯性の気候、エクアドル特産のバナナの一大産地なのだ。だとすると、大動脈であるこの道路はバナナ街道か。司馬遼太郎ならどう書くだろう。

 エクアドルに入国してガソリン代がぐっと下がった。レギュラー1ガロン(約3.75リットル)が80セント(約85円)。ペルーの約3分の1だ。エクアドルでは我々のいなかった間に通貨の改定があり、それまで使われていた「スクレ」が廃止され、国内の流通分も米ドルに統一された。ドル換算をしなくていいのは楽だが、以前の物価と比べる際には結局計算が必要になる。 ちなみに紙幣はアメリカで印刷されたドルをそのまま使用しているが、コインは自前のデザインのものをカナダの造幣局に発注しているらしい。
 ガソリンが安いのはいいが、道の状態がガラリと悪くなった。道は穴だらけ、そしてあの「トペ」が現れた。トペは町の入り口や出口にある速度を落とさせるための凸だが、これがいきなり現れるので恐怖なのだ。ブラジルあたりから姿を見たくなっていたが、エクアドルに入ってそこら中に出てくるようになった。

 バナナ街道を抜け、大きいわりには何故か地図に載っていない町La Troncalに泊まることにする。町一番だという高層ホテルは一泊6ドルだったが、外見の割りに部屋は質素だった。


出費                   4.5S    朝食(チキン)
     1.2$  昼食(シチュー)
     6$  宿代
     3$  夕食(チキン)
計        4.5S(約140円)
         10.2US$(約1080円)
宿泊        Hotel Majestad


2000年11月5日(日) 5ヵ月ぶりのバーニョス(Back in Banos)

 La Troncalの町を後にすると、すぐに道は登りになった。そう、今日の目的地バーニョスも、牛次郎の故郷キトも、アンデスの山中にあるのだ。ここからが最後の正念場、牛次郎、がんばって峠を越えてくれ。

 アンデスに抱かれた都市リオバンバまでの道はメインルートであるはずなのに、舗装の状態はひどかった。穴だらけの急勾配をゆっくり、ゆっくりと登る。時計の高度表示はどんどん上がり、2000、3000メートルと越えていった。そして峠に差し掛かる。高度は3720メートル。牛次郎が経験する最高の地点まで、ほとんど高度の無い町から一気に駆け上がったのだ。空気が薄いのと、オーバーヒート気味とで、エンジンはいつ止まってもおかしくないような、か細い音しかたてない。パワーも平地の7割ほどしか出ていないと思う。
 しかし、まわりの景色は素晴らしかった。ふもとにかかっていた雲は高度を上がるにつれて無くなり、峠からは標高6310メートルのチンボラソ火山の山頂がくっきりと見えた。懐かしい景色だ。帰ってきたんだなあ、エクアドルに。

 バーニョスまであまり距離は無かったのだが、道が険しいので到着は夜になった。バーニョスは5ヵ月前に一度訪れた温泉地だ。キトへ帰るルート上だし、旅の疲れを癒そうと最後に立ち寄ることにしたのだ。日が落ちる少し前、バーニョスのすぐ近くにあるトゥングラウア火山から噴煙が上がっているのが遠くからはっきり見えた。日本の外務省はまだ「大噴火の恐れのある」トゥングラウア火山周辺に「危険度3」を出しており、旅行者に近づかないよう勧告している。しかし火山が恐くて温泉に入れるか。(本当に大噴火するとは誰も思っていない)
 まずは例の露店風呂に入り、温まった後に以前も泊まったカサ・ブランカという宿にチェック・インする。ここは個室で一人3ドル、温水シャワーやTVもついていてとても割安だ。今度バイクで下ってくるときにもここに泊まろうかな。


出費                   1.2$    朝食(卵、パン)
     0.8$ 昼食(肉、とうもろこし)
     1$ 風呂代
     2.7$ 夕食(ラザニア)
計        5.7US$(約605円)
宿泊         Hostal Casa Blanca


2000年11月6日(月) 休息する(A day off)

 ここまで来ればゴールのキトはもう目と鼻の先だ。今さら急いでも仕方ないので、今日はゆっくりバーニョスで過ごすことにする。

 朝はゆっくり寝ようと思ったのだが、駐車場の牛次郎を動かすようにと宿の人に起こされた。午前10時前だったから、まあいいか。朝食を食べ、午前中は日記を打つ。
 午後になってインターネットをしに町に出る。外人旅行者の非常に多いこの町には、他の観光地同様多くのカフェがある。しかし、1軒目のカフェでは苦労してLAN接続した瞬間、通常の2倍の金額を要求してきた。自分のパソコンを使う追加料金だそうだ。何じゃそりゃ、それならいい、と他をあたる。しかし、他のカフェでも断られるか、OKのところでもプロキシサーバーの設定があったりでうまくいかなかった。仕方なく、ネット接続はキトに持ち越す。

 その後はウメさんたちと食堂では定食(アルムエルソ)を食べた。スープの次におかず(普通は肉)と米が出てくる、定番の昼食だ。キトにいるころによく食べていたものだ。
  食堂の近くの棺桶屋ではトラックが積みきれないほどの棺桶を載せ、どこか運ぶところだった。そういえば朝、ラジオでバーニョスの町で12人が死んだとか言ってたっけ・・・。なぜ死んだのか興味津々だったので棺桶屋のオヤジに聞くと、どうやらバスか何かがガケから落ちたらしい。ここらの道は大変険しい。我々も最後で落ちないよう、気をつけよう。
  食後は土産物屋をぶらつく。私はTシャツと絵葉書を買った。町のメインストリートにはエクアドル名物、ピエロの形のゴミ箱がたくさん置いてあった。このゴミ箱、エクアドル中で見るのだが、他の南米諸国には流れていない。こんなゴミ箱一つでも、戻ってきたことを実感するのだ。

 夜になってまた風呂に行こうとも思ったが、夕食時に飲んだ1杯150円のカミカゼのウオッカが濃く、予想外に酔って面倒くさくなってしまったので中止。まあ、温泉は今度でも入れるだろう。


出費                     1$    朝食(卵、パン)
     1$ 昼食(アルムエルソ=定食)
     10$ Tシャツ2枚
     0.24$ 絵葉書2枚
     4$ 夕食(ラザニア、カクテル)
計        16.24US$(約1720円)
宿泊         Hostal Casa Blanca