今日牛次郎の代金をもらわなければ、明日からまた週末になってしまう。これ以上は待てないので、今日がダメだというなら牛次郎を返してもらって、明日、車市で自力で売却する覚悟をきめ、買主のところに催促に行く。
まず売買の中に立っている整備士のところに寄り、彼と一緒に買主である弁護士の家に行くと、平日にもかかわらず、予想外に本人がいた。そして今日の午後、金を払うから名義の変更をしたいという。あれ!肩透かしをくったようにスムーズ。
ウメさんとKさんは調子を崩してホテルで待っていたが、名義変更には二人のサインが必要なので、タクシーで呼んできた。そして代金の1000ドルと引き換えに弁護士の用意した売買契約書に二人がサイン。手続きは以上で終了。無事、牛次郎は新しい主のものになりました。
で、これが新しいご主人。どっちが牛かわからないようなガタイだが、とっても良い人で、この人なら可愛がってくれそう。でも、後から整備士に聞いた話によると、彼は牛次郎にちょっと手を加え、転売する予定だそうだ。まあ、確かに金にはなりそうだ。さすが弁護士、自由になる金も持っているし、目の付け所も良い。
というわけで、牛次郎と永遠の別れになった。
最初の出会いから5ヵ月半、車と持ち主の関係にしては短いが、その間の密度はとても濃かった。我々はこの車で移動し、食事し、そして眠った。5ヵ月半の生活の中心が、この車だった。
度重なる故障に憎んだこともあった。この故障が直らずに完全にオシャカになったら、それはそれで楽だ、もう悩まずにすむ、と不謹慎にも思ったこともあった。しかし、その度に牛次郎は復活をとげた。まるで彼自信がキトに戻りたがっているかのように。
ひょっとして我々が牛次郎を選んだのではなく、牛次郎の南米一周の旅に我々が選ばれたのかもしれない。1974年式の牛次郎は今年で26歳。そのうちのわずか5ヵ月だったが、彼の人生の一部を知れて本当に良かった。幸い牛次郎はスクラップ行きなどにならず、これからも働き続ける。「牛次郎」としてではない、彼の人生の新しいページが刻まれて行くのだ・・・。
牛次郎と別れた我々は、整備士の車で新市街まで送ってもらった。
もうキトにいる理由は無い。ウメさんたちは旅行代理店に行き、月曜日のスペイン行きのチケットに予約を入れた。しかしスペイン行きのチケットは片道より往復の方が安く(得てして航空券というのはそういうものだが)、ウメさんたちは片道しか使わないのに、往復分買わなくてはならない。しかも月曜日の往路の席は取れたのだが、使いもしない復路の予約がどの日でも取れず、チケットの発券が出来ないという。チケット発券のためだけに、使わない復路のウエィテング・リストに名を連ねることになった。明日、復路の席が取れたか、確認のためにまた来なくてはならない。
私も月曜日にキトを出よう。先はまだまだ長いのだ。
その後は牛次郎の売却金が入ったのをいいことに、ステーキハウスで豪華な夕食を食べる。ちょっとしょっぱかったが、塩味の肉はとても美味かった。物価の安いキトにいるうちに、どんどん美味いものを食べておこう。
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