旅の日記

ギリシャ編その7(2001年12月26〜31日)

2001年12月26〜27日(水、木) やきとり食べてさようなら(A friend leaves)

 市場には牛、豚、羊、うさぎ、いのししと、あらゆる肉類が揃っているが、何といっても一番安いのは鶏だ。1キロで200円くらい、まるまる一羽買ったって4、500円しかしない。
 そして私は鶏肉が大好きだ。KFCに心がときめくし、鶏肉ばかり出てくる中南米の安食堂でも辟易とすることはなかった。鶏肉が苦手人がたまにいるが、そんな人は中南米できっと苦労すると思う。

 そんなわけで、26日は鶏を一羽まるごと買ってきてやきとりにした。
 前々から買ってあった竹串に小さく切った鶏肉を刺し、物置に転がっていた鉄板で作った台にのせ、ガスコンロの火で焼くのだ。火の届く範囲が小さいので焼きムラができたが、それでも多田君が持っていたテリヤキ醤油で作ったタレに漬けると、日本で売っているやきとりのような味になった。
 コンロを囲み、ビールを片手に焼き上がったそばから食べていく。外なのでちょっと寒いけど、ギリシャの宿でこんなことをしているのも面白い。500グラム250ドラクマ(80円)で買った砂肝の歯ごたえもたまらない。

 しかし何といっても、やきとりが一通り終わったあとに作った炊きこみご飯が格別だった。炊き忘れていた米の鍋に余った骨を突っ込み、ついでに大根なんかも入れて、酔っ払った勢いで醤油やコンソメやお酒、余ったタレなんかを入れて炊いたら、自分でも驚くぐらいおいしい鶏ご飯ができた。多田君など、今までの料理の中で一番うまいと絶賛していた。エクスタシー再びなのだけど、何をどれだけ入れたか覚えていないので、もう一度作れと言われても無理だと思う。

 そしてそれが市川君との最後の晩餐だった。彼はバンコク経由で日本に帰るため、27日の早朝に宿を発った。彼は日本でお金を貯めて4月にアテネに戻ってくる。そのときにまた会えればいいけど。
 彼は愛車DF200Eのキーを私に託していった。荒木夫妻が2台のオートバイとともに来る予定なので(それにしても一体いつになるんだろう?)、4台分の駐車スペースを確保するために彼のバイクを動かす必要があるからだ。
 うーん、DF200E・・・コンパクトで、混雑したアテネの街を走るのにピッタリだなあ。バイクの運転を覚えたいと言っていた松井史織にもちょうど良いサイズだ。
 しかし本当に運転したりすると、ここ3日間、ガソリンを抜いてピカピカにバイクを磨いていた市川君が発狂して私を殺しかねないので、やめておくことにした。でも買物とかにも便利そうだなあ・・・(まだ言っている)

 27日の午後、いよいよ私は近所の旅行代理店で航空券を買った。
 頭の薄くなりかけたテンションの高い中年オヤジと、美人だけど神経質そうなお姉さんが2人でやっている小さなオフィスのお得意さんは、里帰りのチケットを買う中東、アジア諸国からの出稼ぎ労働者だ。彼らが買うのだから信用に値する店だろう。日本に帰った平野君、マルタ島経由でチュニジアに飛んだトシヤス君もここでチケットを買った。
 アテネ〜カイロストップ・オーバー〜バンコク、6ヵ月オープンの往復で182,000ドラクマ(6万円弱)。私は1月4日にアテネを発ち、カイロへ。2週間ほどピラミッドやスフィンクスなんかを見て過ごし、1月18日、今度はバンコクに飛ぶ。3月中〜下旬にアテネに戻るつもりだが、それまでタイ各地やカンボジアのアンコールワットなどを見て回るつもりだ。つまり、私は春まで新米バックパッカーとして過ごすのだ。でも、公共交通機関って意外と疲れそうだな・・・。

 そしていきなりだが、バンコクまで松井史織がついてくることになった。
 彼女は日本に帰るチケットを探していたのだが、今の時期で一番安いのは私と同じエジプト航空、つまりカイロを経由するのだ。だったらストップオーバーをしてピラミッドを見ない手はない。そしてエジプト航空はカイロからバンコクを経由して成田へと飛ぶが、彼女の住む岐阜県は名古屋空港が一番近い。だったらバンコクで降りて名古屋行きのチケットを探した方が、わずかなプラスアルファで東南アジアにも寄れるのだ。(彼女は成田からはるばる岐阜まで帰るのが本当に億劫だという)
 旅の終盤にさしかかって気力の失せている彼女も、私と一緒なら北アフリカや東南アジアを見て回りたいらしい。そんなわけで、彼女は私と同じカイロ経由、バンコクまでの航空券を片道で買った。金額は124,000ドラクマ(約4万円)。バンコクから名古屋はいくらぐらいで買えるのだろうか?

 ちなみに夕食はかき揚げ丼だった。前回はエクスタシーだったので今回も期待したのだが、何がいけなかったのか、べちゃべちゃになってしまって美味しくなかった。テキトーに作った昨夜の鶏メシが最高で、前回通りに作ったかき揚げがマズいんだから、料理ってやっぱり難しい。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 1000Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     182000Dr 航空券
     1600Dr インターネット
計     189600Dr
(約59870円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月28〜29日(金〜土) 荒木夫妻がやってきた!(Araki couple arrive)

 28日の午後、ついに荒木夫妻がわがホステル「アナベル」に到着した。
 トルコからギリシャ入国を試みること3回。2回は雪に阻まれて引き返し、バイクを載せられる列車を探すが見つからず、結局、3度目の挑戦で無事に越境。しかしギリシャ北部の道も雪で閉ざされているので、国境から間もないアレキサンドロポリからフェリーを乗り継いでやってきたのだ。
 最近晴れが続いているおかげで、確かに一週間前などに比べると暖かいのだが、夫妻はしみじみと「アテネは暖かいですね〜」と言っていた。イスタンブールは昼間でもマイナス3度しか無かったという。
 俺もバイク乗りなんだから、アテネぐらいの寒さでガタガタ言っている場合じゃないのかもしれない。

 ああ、それにしても荒木夫妻!特に奥さんの優子さん(旧姓・滝野沢さん)は、私が世界一周に憧れ始めた10年以上も前から、バイク雑誌で海外ツーリング特集があると必ず載っていたビッグネームだ。今夏ロシア、中央アジアを走破してヨーロッパに向かっていることはネットで知っていたが、まさか会えるとは思わなかった。
 これもアフガンのあの戦争が無かったら会えなかったんだから、災い転じて・・・などというと不謹慎かもしれないけれど、まあ良かった良かった、なのだ。

 夫妻の関係で三つのHPがあるので、とりあえずご覧いただければと思います。

世界を旅する滝野沢優子(奥さんの個人HP)

滝野沢優子夫妻のワールドツーリング2001(ご夫妻のリアルタイムHP)

FineTravelerが見る世界の風景(フジ・ファインピクスで撮ったデジタル写真)

 夫妻もバイクを預けてどこか別の場所で越冬するので、彼らのオートバイ、ジェベル250とセロー225も宿の物置に入れることになった。これで私のDR800Sと市川君のDF200Eを含め、4台のオートバイがこの宿で春を待つことになる。
 私は南米でバイクを人の家に半年間預けたことがあるが、そのときは中途半端な量のガソリンを残していたのでタンク内部にサビが浮いてしまった。今回は満タンにしておきたいので、ガソリンスタンドに向かう前のご主人のからガソリンを分けてもらった。そしてコックをオフにし、エンジンが止まるまでアイドリングを続ける。これでキャブレター内のガソリンは無くなるはずだ。タンク内のガソリンより、キャブレター内に残されたガソリンの方がバイクに悪影響を及ぼすはずだ。

 夕食はご主人の監修のもと、カツ丼となった。彼らは豚肉がご法度のイスラム国家トルコから来たばかりなので豚肉に飢えているのだ。市川君の友達で、アテネの親戚の家に滞在中の吉本さんも遊びに来て6人での夕食になったが、カツ丼はなんでもっと早く作らなかったのだろう?と後悔するほど美味しかった。昨日のかきあげに続いて揚げ物となってしまったが、しつこいなどとは微塵たりとも感じなかった。
 個人的には、この前の鶏メシよりもはるかに性的興奮、じゃなかった、味覚的興奮を覚えた。俺はひょっとして鶏肉より豚肉の方が好きなのか?

 おかげで酒も進み、お開きになるころにはテーブルの上には空のワインボトルが三本(しかもうち2本は1.5リットルのお徳用大ボトル)、そして安いオランダビールの空き缶が無数、栄華を極めた古代都市が朽ちたあとの遺跡のように並べられていた。
 そしてそれだけ飲むと、さすがに次の日は激しい二日酔いだった。午後にようやくベッドから這い出し、近くのカバン屋にデイパックを買いにいっただけで、まるで人生最後の日みたいに具合が悪くなった。
 二日酔いの辛さといったら、もう筆舌に尽くすことができない。気持ちが悪いのだが、それは酔いによるものなのか空腹によるものなのか、ひどく曖昧なのだ。試しに何かを食べようとしても食欲はわかないし、頭も痛いし、からだ全体が下から引っ張られている感じがする。もう酒は飲まないと、そのときだけは反省するんだよな・・・。

 結局29日はたいして何もできず、夕食はごく簡単に乳麺を茹で、ネギをかけて食べた。さっぱり系の食事が好きな松井史織は、実はこの夕食に一番のエクスタシーを感じたらしい。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                  450Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     3500Dr デイパック
     1000Dr インターネット
計     9950Dr
(約3140円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月30〜31日(日、月) 3度目の年越し(Third countdown)

 30日になると体調は回復した。さすがに三日酔いというものは経験したことがない。
 午後、新年用の日本酒を買うため、黒人が経営する中華食材屋「アフロ・アジアン」まで歩いた。720mlの「大関」が3200ドラクマ(約1000円)、少しばかりの贅沢だ。
 しかしレジまで持って行くと、鼻孔の大きい黒人の店員は3800ドラクマだと言った。確かに値札は3800になっているが、陳列棚にはピンクの文字で「3200!」とセンセーショナルに書かれている。値下げしたという意味ではないのかと聞くと、「逆だ。3200だったのが3800になったのだ」と、彼は鼻の穴をさらに広げて自信満々に言った。確かに3800の値札をはがすと、下から3200の文字が現れた。陳列棚の表示が3200のままなのは彼の知ったことではないらしい。
 わっけわからん・・・なんでこんな値上げの仕方をするの?といいたいが、彼の鋭い眼光は「買いなくないのなら買わなければいい」と無言で語っていた。新年にはどうしても日本酒で乾杯したいので、我慢して3800ドラクマで買う。

 その夜はおでんにした。たまご、大根、じゃがいもしか具が調達できずに困っていたが、多田君のアイデアでエビ団子を作ることになった。先日大量に買った小エビがまだ冷凍庫に残っていたのだ。
 その夜からクロさんというバックパッカーが夕食に加わることになり、みんなでエビをむき、身をすりつぶして小麦粉と練った。クロさんのアイデアで卵白や生姜を加えると、おでんの主役に踊り出るほどおいしい団子ができた。やはり、おでんに練り物は必要なのだ。

 そして大晦日。午前10時半にマルセルとフラービアが迎えに来て、彼らと、彼らを訪ねにスイスからやってきた一組の夫婦と、アテネ郊外にあるオリンピックスタジアムを見に行くことになった。久しぶりの観光である。

 さて、ギリシャ人はヨーロッパの中で「浮いている」と言われるが、スイス人も「自分の国に自信を持ちすぎている」「天狗になっている」と煙たがられることがある。彼らがEUに加盟しなかった一つの理由に、自分たちの税金が他国のインフラ整備に使われるのが我慢ならないから、というのがある。
 マルセルにも彼の友人にもその傾向はある。ゴミだらけのアテネを見てはいかにスイスのゴミ収集システムが優れているかを説明し、地下鉄に乗ってはスイスの鉄道網を誇る。だから郊外のオリンピック競技場に着いたときも「これはひどい。できたばかりなのに、もう50年も経ったような老朽ぶりだ」「建築技術のレベルが低いんだ」「だいたい、あの地下鉄の駅では小さすぎるぞ」「バカだ。ギリシャ人はバカだ」と大変な騒ぎであった。そんな彼らを見ていると、「あ〜、EUに入らなくて良かった」とシミジミと言っているように聞こえて面白い。
 競技場は実は8年前に建てられたもので、おそらく2004年のオリンピックを前にこれから改修されるのだろう。

 オリンピック競技場の後は同じ地下鉄路線の終点、キフィシアまで足を伸ばした。アテネ郊外の高級住宅街で、途中の地下鉄からの車窓も(ここまで来ると線路は地上に上がって地下鉄とは言えないが)、駅で降りてからの街並みも、東京の郊外、東急大井町線あたりの沿線にそっくりだった。
 高級喫茶店に入り、マルセルの友人にコーヒーをおごってもらう。ギリシャのコーヒーも煮詰めるトルコ風で、対して我々に馴染みの「薄い」コーヒーはフレンチコーヒーといわれる。
 フレンチコーヒー一杯で700ドラクマ。間もなく姿を消す通貨ドラクマだが、日本の3分の1ほどだと言われるギリシャ人の収入を考えると、ドラクマをそのまま円に直せば大体の物価感覚がつかめて便利なのだ。たとえばこのコーヒーは700円でちょっと高め。マクドナルドのセットが1300円というのは割高だし(だから食べていない)、地下鉄をちょっと乗って250円というのも高すぎると思う。そのかわり市場ではビール9缶が1000円、鶏肉1キロが600円だ。

 マルセルたちにカウントダウンはシンダグマ広場で迎えようと誘われたが、丁重に断った。ホステルの門番をしている多田君は早朝にならないと身が空かないので、カウントダウンは宿で過ごし、初日の出を見にアクロポリスの丘まで行こうと決めていたのだ。

 宿に戻ってくると、日本はもう新年を迎えようとしていた。荒木夫妻の短波ラジオからは紅白歌合戦で熱唱している美川憲一の声が聞こえてきた。だけど我らがホステル「アナベル」はいつも通り、まったく平和で穏やか。大晦日という雰囲気はまったくしない。
  2001年最後の晩餐はカニ鍋だった。カニと格闘し、仕上げの雑炊を食べ終わると、もう新年まで2時間しか残されていなかった。だけど盛り上がる雰囲気とかワクワクする気持ちとか、まったく無い。いつもの通り安いオランダビールを飲みながら、こんなに穏やかな大晦日はいつぶりだろうかと考えた。クリスマスとかカウントダウンとか、そういった節目のイベントは盛り上げないと寂しくなるタチなので、これまでの10数年間、大晦日には必ず何かをしていたのだ。(おととしはメキシコシティのソカロでマリアッチ楽団の大合唱を聞き、去年はペルーのアマンタニ島でインディヘナのおばちゃんたちと踊っていた)

 にわかに気分が高まってきたのは11時50分だった。食堂のテレビにはシンダグマ広場の様子が映っていたが、大きなステージの上ではノリノリのキューバンミュージックをやっていた。おお!すげえ、ブエナビスタ・ソーシャル・クラブのメンバーもいるじゃん。やっぱり行けば良かったかな、いや、でもこの群衆じゃ何も見えないぞ・・・。
 でも、いったいなんでギリシャの一大中心地、シンダグマ広場のカウントダウンがカリビアンな雰囲気なのだ?

 そして音楽が止んだあと、大物政治家らしき人(大統領?首相?)が出てきて演説をし、カウントダウン。
 2002年1月1日が来た瞬間、シンダグマ広場上空には花火があがり、蛍光灯で飾られた巨大なタワーが光り輝いた。金字塔のように輝いたタワーがテレビの画面に映し出されたが、タワーのてっぺんをよくみるとEUの統合通貨ユーロの巨大なマークが乗っかっていた。そうか、今年からユーロだもんね・・・だけど少々マヌケで笑ってしまった。
 そんなテレビをみんなで見上げながら、我々は2002年を迎えた。旅に出てから3度目の、そしておそらく最後の年越しだ。

 カリビアンな年越しの後、画面上のステージにはようやく地元のアーティストが登場した。といっても額の広がった中年のロックシンガーで、ケミカルウォッシュのジーンズに白いスニーカーと白いベルト、白いTシャツの上に黒い皮ジャンを着て、真っ赤なエレキギターを鳴らしながらシャウトしていた。2002年を迎えたばかりなのに、まるで1980年代に逆戻りした感じがして、この後にAC/DCやモーターヘッドが控えていたらどうしようかと思った。
 だけどステージ前のギリシャの若者たちはご満悦の様子で、みんなヘッドバンギングをしながら踊り狂っていた。その光景も懐かしいものがあった。

  テレビの向こうの盛り上がりもいつしかフェード・アウトして、我々はいつもの通りそのまま食堂で飲み会となった。しかし新年の抱負を語るわけでもなく、みんなダラダラと酒を飲み、熱くなって口論する者もいれば泣き出す者もいて、いつの間にか空は白み始めた。その頃には、三が日用にと買っておいた1.5リットル入りのお徳用ワインがまた2本空になっていた。
 本当はアクロポリスの丘に登り、アテネ市街に上がる初日の出を見ながら感慨にふけるつもりだったが、空は暗雲が立ち込めて雨粒まで落ちてきた。この状況では誰も初日の出を見に行こうと音頭を取るものもいなく、結局、ホステルの屋上でビルの谷間からのぞく、かろうじて明るくなった鉛色の空を見上げて初日の出とした。

 そして眠気とアルコールでフラフラになりながら、みんなそれぞれの寝室へと消えて行った。大晦日に酒ばかり飲んでいるのは、ここ10数年間変わっていないな・・・。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 7850Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     600Dr インターネット
計     13450Dr
(約4250円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe