旅の日記

メキシコ・メキシコシティ編その2(1999年12月25〜31日)

1999年12月25日(土) ルチャ・リブレを見に行く(Watching professional wrestling)

 朝、マサが旅立っていった。クリスマスは休日なので交通量が少なく、路肩を車に抜かされながら時速30キロで走るゴリラにはちょうど良い日なのだそうだ。今日の目的地はプエブラ。それからオアハカ、タパチュラを経由してグアテマラに入るらしい。1月初旬にグアテマラシティで再会することを約束した。それまでお元気で。気をつけてね。
 夕方からはルチャ・リブレを見に行った。ルチャ・リブレとは「自由への闘争」と言う意味で、プロレスのことである。ご存知の方も多いと思うが、メキシコはプロレス大国。小柄なメキシコ人レスラーは「空中殺法」を得意とし、ミル・マスカラスなど国際的に有名なプロレスラーを輩出した。ペンションアミーゴの近くには日本人レスラーが一人住んでおり、彼が所属する団体の試合があるというので皆で見に行った。
 会場までは地下鉄とバスで約1時間。「結構危ないところにある」とレスラーが言うとおり、バスから見た街はすごかった。ボロボロで落書きだらけの建物、道に散乱するゴミ、けたたましい音を立てて走るポンコツ車。でも7人の団体行動だし、うち一人はプロのレスラー、もう一人はその卵、もう一人はボクサーなので心強い。しかし、途中で体中に刺青を入れた、いかにも凶悪なストリートギャングといった感じの少年3人組がバスに乗りこんでくると(しかも無銭乗車)、みんな「恐え〜」「悪そ〜」とビビっていた。レスラーがビビるんだから、素人はもっと恐い。結局何もせずに大人しく降りて行ったが。
 そんなこんなで会場に到着。入場料はリングサイドでも30ペソと安い。我々は25ペソの席にしたが、それでもリングから3、4メートルしか離れていない。もっとも、小さな団体なので観客は全部で2、300人ほどしか入っていなかったが。
 第一試合のみシングル(一対一)マッチで、後はニ対二、三対三の試合。善玉と悪玉がはっきり分かれていてわかりやすい。試合の内容もコントのようで、昔のプロレスを思い出した。以外だったのは、悪玉が勝ってしまう事。全部で5試合ほどあったが、2試合は悪玉が勝った。途中には女子のタッグマッチもあり、一回で二度おいしい。記念に写真を撮ろうとデジカメを出した瞬間、とんでもないことに気づいた。昼間に日記をつけたので、スマートメディア(写真の記憶媒体)をパソコンに入れたままだ。これじゃあ撮れない。せっかく良い席なのに残念。
 全試合で約2時間、帰りは夜になった。行き同様バスと地下鉄で帰ったが、地下鉄の中で犯罪の現場を目撃する。地下鉄に乗ったのは今日が初めてだが、強盗やスリの巣窟みたいに聞いていたので、そのキレイさを意外に思っていた。しかし、ある駅でドアが閉まる瞬間、目の前に座っていたおじさんの野球帽をひったくって列車から降りた男がいた。次の瞬間にはドアは閉まり、おじさんはどうすることも出来なかった。帽子をひったくった男は頭に3つほど野球帽を重ねて被っていた。きっとあれらの帽子は明日にでも露店か何かで売りにでるだろう。見事なまでのワザ。やはり油断はできない。
 夜は自炊。最近自炊が多いので食費が助かる。マサからは余った野菜や米をもらったし。昨日あれだけ飲んだので、今夜はクリスマス用に他の人が開けたシャンパンを一杯飲んだだけで酒は自粛。ビールを買わなかったのはアミーゴに来て初めてだ。
 
本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費              10N$ 昼食(タコス)
                 12N$ ジュース
                 10N$ バス
                 50N$ プロレス入場料
                  3N$ 地下鉄
               25.5N$ ベーコン
計            110.5N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月26日(日) コリーダ・デ・トロを見に行く(Watching Bull Fight)

 今日は日曜日。コリーダ・デ・トロ(闘牛)が行われる日だ。以前から26日は闘牛を見に行こうとリーさんと約束していた。スペインの影響が強く残るメキシコでは闘牛は最も人気のあるスポーツの一つで、メキシコシティには6万4千人収容の世界最大の闘牛場がある。特に11月から3月がシーズンで、本場スペインから人気のマタドール(闘牛士)もやってくるらしい。
 午後4時から始まるというので、午前中に人類学博物館へ行ってきたリーさんと会場前で待ち合わせる。しかし人ごみの中でなかなかリーさんと会えず、ようやく入場した時にはもう第一試合は始まっていた。
 本日登場する牛は全部で5頭。対するマタドールは3人。マタドールと牛は一対一で対戦するわけではなく、まずはじめに下っ端のマタドール3人(メインのマタドールの後輩か?)が牛にちょっかいを出して興奮させる。そこで真打ち登場、ヒラリヒラリとマントで牛をかわす。優秀なマタドールになると動きはより優雅に、牛に触れるくらいの距離を保ちながら牛をクルクル回す。その動きが賞賛に値すると、観客から惜しみない「オーレ!」の声が送られる。しばらくそういった事を続けると、今度は騎士が二人、馬に乗って登場する。何故騎士が登場するのかよく分からないが、牛は怒って騎士の乗る馬を角で攻撃する。騎士は槍で牛をエイエイと刺すが、牛はお構いなしに馬をグリグリ角で押す。なんの関係もない馬、とてもかわいそう。これをしばらく続け、騎士が逃げるように退場すると、今度は下っ端のマタドールが牛の背中に矢を数本刺して弱らせる。そして再び真打ち登場、今度は剣を片手に牛をクルクル回す。元気な牛だと背中に矢が刺さったまま10分くらいは暴れまわる。最後にマタドールが牛の背中に剣を立て、牛が倒れたところで試合は終了。その後に下っ端が小さな剣で牛の頭を刺し、グリグリ回して(かなり残酷な光景)とどめを刺す。かわいそうな牛のご遺体は馬に引っ張られて退場、観客から拍手が送られる。
 これが普通の流れだが、もちろん普通じゃないことも起きる。リーさんによると行動の予測のつく牛と、そうでない牛がいるらしい。我々が見た第二試合の牛は後者のパターン。馬に対して通常以上に執着し、馬がひっくり返るまで角で押した。マタドールはマントでかわそうとしたが、牛はマントでなくマタドールめがけて角を振り、マタドールの体は宙高く舞った。こうなると、そこら中から彼を助けようと下っ端のマタドールが一斉に出てくる。無事倒れたマタドールは救出され、他のマタドールが早めに牛にとどめを刺した。
 そして試合は続き、最後に登場したのが本日最大の牛、体重は563キロ。ところが、この牛が大きいためにスタミナがあり、背中に矢が刺さっても全然弱まらない。マタドールが幾度も背中に剣を刺そうとするが、その度に失敗し会場は総ブーイング。てこずっている間に観客はレンタルの座布団をマタドールめがけて投げ、帰り始める。ホントに大相撲のように座布団が飛び交う。ようやく牛は倒れ、マタドールは罵声を浴びながら退場していった。闘牛を見るメキシコ人の目は厳しいのだ。
 殺された牛の肉がどうなるのか分からないが、出来れば食べて欲しいな。殺されるためだけに育てられるというのは、とてもかわいそうな気がする。特に動物保護論者ではないが、闘牛は一回見れば良いような気がしたのだった。
 
本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費            13.5N$ パン 
                  5N$ タコス
               17.2N$ 夕食の買物(コンソメ、スパゲティ等)
                120N$ 闘牛入場料
                  6N$ 地下鉄
                 30N$ アミーゴでネット接続 
計            191.7N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月27日(月) デジカメを待つ(Waiting for the new camera)

 待っているデジカメがなかなか来ない。宅配便業者によると早くても28日とのことなので、気長に待つしかない。28日に来れば、早ければ29日にここを出発できる。でも、アミーゴの年越しも魅力的だなあ。
 パソコンをつなげてメールをチェックすると、両親からメールが来ていた。毎月、クレジットカードの利用明細を送ってもらっているのだ。それによると、12月1日にティファナの国境で支払った600米ドルのデポジットの分が引き落とされていない。お、もしかしたら伝票を破棄してくれたのか?と期待してしまう。でも、もしかしたら遅れて来月の分かもしれない。いずれにしても600ドルを支払ったという領収書はあるので、グアテマラに抜けるときに税関で返金を要求しよう。もしかしたらカードの引き落としも無く、国境で600ドルを「返して」くれるかもしれない。そんなミラクルを期待してしまう今日この頃だった。
 そんなこんなでウダウダしているうちに日は暮れた。もはや沈没状態。

本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費           67.70N$ 夕食の買物(ワイン、ステーキ肉) 
                100N$ テレホンカード
               17.2N$ 夕食の買物(コンソメ、スパゲティ等)
               13.5N$ スナック
                 30N$ アミーゴでネット接続 
計            211.2N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月28日(火) 大変盛りあがる(Having a big party)

 今日、というより今夜は大変なことになった。アミーゴに来てから夜な夜な宴会は続いていたが、今夜は最高に盛りあがった。こりゃ、今度の大晦日もここまでは盛り上がらないだろう、と思うほどだ。なぜ今日、クリスマスでも大晦日でもないのにこんなになったのか。その説明は長くなる。
 まず、日中の行動を先にしよう。昼まで寝ました。夕方からこの前とは違う場所のプロレスを見に行きました。内容はまあまあでした。撮影禁止だったので残念ながら今回も写真は撮れませんでした。以上。
 で、物語はアミーゴに帰ったところから始まる。アミーゴには先週から、Kさんという方が宿泊している。Kさんは30歳、一人で旅行をしており、今回が初めての海外旅行だという。Kさんは結構酒を飲む方で、夜な夜な酔っ払ってはアメリカの空港で離陸の7分前に搭乗口に行き、飛行機に乗れなくて「逆ギレ」した話や、メキシコに入ってからいちいち物乞いにチップを払っているので金がかかる、などの「いかにも日本人的」なエピソードを若干「カラみ」ながら話し、アミーゴの中では彼の存在自体が一つのパロディと化していた。
 我々がアミーゴに帰ってすぐ、M君という21歳の男の子が帰ってきた。M君は開口一番「あれ、Kさんて帰ってないんスか」と言った。なんでもM君とKさんは今日一緒にティオティワカンへ行って、帰るときにはぐれたらしい。M君は仕方ないので一人でバスに乗り、途中で寄り道をしながら帰ってきたので、もうとっくにKさんは先に帰っていると思ったのだ。はぐれたのが夕方の6時ごろ、その時の時刻は夜10時になろうとしていた。あのKさんが一人で迷子、大変なことになった。帰ってきたときにはさぞかし大冒険談が聞けるものと、みんな期待に胸を膨らます。
 その時、警察官と一緒に今日着いたばかりのAさんが帰ってきた。Aさんはソカロの近くで、3人組みの強盗に襲われたらしい。一人の男にいきなり後ろから首を絞められ、サイフを盗られたらしい。幸いケガもなく、サイフもカード類とかは一切入っていなかったので、被害額は現金の600ペソのみ。危険なメキシコといえど夜8時の犯行、まあ、宝くじに当たったとでも思うよう、みんなで励ました。
 そしてその後、メインイベンターKさんが中年の日本人男性と一緒に帰ってきた。KさんはM君とはぐれたあと、バスターミナルが見つからずにハイウェーをとぼとぼと3時間ほど歩き(!)、どういう訳かその日本人男性に保護されたらしい。で、そのメキシコ在住の男性は悪名高い、一種の詐欺師みたいな人らしく、タクシーで200ペソくらいの道のりを「危ないから友人の車で送ってあげよう」といい、その報酬として650ペソ(!)をKさんからふんだくった。なんと強盗に逢うよりも被害額が大きい。みんなそのエピソードを聞き、笑いをこらえるのに必死だった。Kさんは涙目になりながら必死にいいわけし、M君に対してはマジで怒っていた。
 さすがのアミーゴでも、ここまでトラブルが続くのは珍しいらしい。明日はOさんという女性の誕生日だし、もうこりゃ飲むしかないと、いつしか食堂は大宴会場と化していた。二度ほど買い出しに行き、テキーラのイッキ飲み大会が始まった。そして宴は最高潮になり、火吹き芸人のHさんが中庭で火を吹き出した。3メートルほどにあがった火柱に狂喜乱舞するアミーゴの住人たち。その後、ちゃんとこぼれた灯油を雑巾で拭くHさんがかわいかった。
 いつしか人は減り、時計は4時を指していた。我々もフラフラしながら部屋へ戻った。そういえば、今日もカメラは来なかった。こりゃ、年内の出発はムリだな。というわけで、年越しもアミーゴに決定。

本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費              10N$ 昼食(タコス) 
                 50N$ プロレス入場料
                  4N$ バス
                  3N$ 地下鉄
                 52N$ 夕食(中華料理屋)
                 20N$ ビール、テキーラなどへの出資金 
計              139N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月29、30日(水、木) 風邪をひく(Catching cold)

 最高の夜の次には最低の朝が待っているものである。29日の昼すぎに目覚めると、猛烈な二日酔いの上に喉が痛い。喉は昨日から痛かったが、昨日の夜の騒ぎで悪化した様子だ。久美子も大変具合が悪いらしい。夫婦で寝まくる。
 29日の午後にアミーゴの年越し祝いパーティ用の買いだしを手伝いに日本食スーパーへ行く。自分たちの分の食材も買おうと思ったが、何しろ高い。みそ1パック60ペソ、カップ麺30ペソもする。最近5タコス5ペソの感覚で食事を作っているので、手が出ない。結局お茶漬けの素を買っただけだった。
 30日には久美子が回復したが、私が悪化し、1日中寝ていた。明日はいよいよ大晦日、アミーゴでは昼からバーベキューで盛りあがるらしい。それまでに回復すれば良いが。

二日間の走行距離       0キロ(計16290キロ)

出費           31.90N$ お茶漬けの素
                 15N$ 夕食(アミーゴのカレー)
               15.4N$ りんご3個
              65.99N$ 夕食の買物
計           128.29N$

宿泊           ペンションアミーゴ


1999年12月31日(金) メキシコの年越し(Countdown at Zocalo)

 具合が悪いのでまた昼過ぎまで寝てしまった。久美子はちゃんと朝4時半に起き、衛星放送でNHK紅白歌合戦を見ていた。何でも郷ひろみと三波春夫に大変感動したらしい。
 チャリダーの鈴木君に起こされて中庭に降りると、すでにアミーゴのバーベキュー大会は始まっていた。寝起きにバーベキューというのも若干つらいが、回復のためには食うべし、と食べまくる。野菜、豚肉、イカ、魚と何でもドンドン焼いて食べ、みんな昼から酒をくらい上機嫌。私も熱が下がり、少しは楽になった。
 果てしなく続くかのように思われたバーベキューが一段落したころ、火吹き芸人のHさん(28日参照)が大晦日ライブを行うというので、みんなで出かける。Hさんがライブを行う場所はバスで20分ほど走ったところにある教会の前の広場で、大晦日のイベントのために鉄骨でステージが組まれ、私たちが着いたときにはすでにラテンバンドが演奏していた。
 Hさんが責任者と交渉したところ、出番は8時ということになった。さて、8時まではまだかなり時間がある。みんな露店を冷やかしたり、教会を見に行ったりして時間をつぶしていたが、午後7時ごろにまた集合したとき、Hさんが深々と頭を下げながらやってきた。何でも、出番が8時半になったので(ということはメキシコ感覚ではおよそ9時半)、それでは来てくれた友だちに悪い、今やらせてくれなければ帰る、と責任者に詰め寄ったところ、じゃあ帰れ、と言われてしまったらしい。しかも、Hさんも後から分かったことだが、交渉したときにHさんと一緒にいたスペイン人の友だちがかなり汚い言葉を使って責任者に迫ったらしく、それでケンカのようになってしまったようだ。イベントそのものを無視し、そこら辺の空き地でゲリラ的に吹く、という選択肢もあったが、そこら中セキュリティの警察官だらけで難しそう。仕方なくあきらめ、みんなで地下鉄で帰る。
 帰るころにはみんな腹が減っていたので、バーベキュー大会再開。先ほどまで見たくもないと思ったいた、昼間食べたのと同じ食材をまたドンドン焼いて食べる。やがて時計は夜10時を指し、1999年も残すところあとわずか。みんなで手早くバーベキューを片付け、メキシコ中で一番カウントダウンが盛りあがると予想されるソカロ(中央広場)へ。
 ソカロまでは歩いて20分ほどの道のり。途中からすごい人の波になり、広場に入るためには空港にあるような金属探知機をくぐらねばならぬほどセキュリティも厳しかった。あの普段クールでかっこいいリーさんが酔っ払い、メキシコに限らず多くの国でご法度とされる「公共の場で酒のビンを裸で持つ」ということをやってしまい、警察官に捕まった。結局50ペソのワイロを払い許してもらったが、その後も笑いながらビンを持っていたので仕方なく没収し、私の麻袋に入れる。ああ、みんなのリーさんが壊れていく。
 ソカロに着いたのは午後11時過ぎ。すでにイベントは始まっており、何万人か、何十万人か分からないほどの群衆がソカロを埋め尽くしていた。私たちははぐれないように、電車ごっごのように一列になって人波の中に突入していったが、広場に入って20メートル行ったくらいでもう前には進めなくなった。巨大なスクリーンを見ると、すぐそこのビルからロープで降りてくるレンジャー部隊のパフォーマンスを映していた。
 そして2000年まであと10分を切った。ステージにはメキシコ中から選りすぐられたと思われるマリアッチ(メキシカンハットを被ってメキシコ音楽を奏でるオッサンたち)が行進しながら大合唱。やがて一人のマリアッチがソロで歌い始めると、みんなウットリと聞き入っていた。このオッサンはきっとマリアッチの中のマリアッチ、きっと日本でいうなら北島のサブちゃんくらいの人なんだろう。
 オッサンが歌い終えると、時刻は11時57分。群衆は「メヒコ!メヒコ!」と一体となって叫び、ソカロの気温急上昇。やがて残り1分をきると、カウントダウン開始。トレス、ドス、ウノ・・・そんでドカーン!。メキシコシティ時間で2000年1月1日、午前0時0分0秒に撮った写真が左のとおり。みんな街頭で15ペソで買ったスプレーの泡を吹きまくり、私も頭からカメラまで泡だらけになってしまった。5年間勤めた会社を退社、長年の夢だった旅へと出発した1999年もこれで終了。今年も無事旅が続けられますように。
 無事新年を迎えた後は、ソカロ中が一体となってメキシコ国家を歌った。するとカテドラルの上空で花火が炸裂。どうせメキシコだからすぐ終わると思ったが、それが惜しみもなく大連発。しかし安全管理はさすがメキシコ、群衆の頭上でも花火はバンバン鳴り、火薬の粉がポロポロ落ちてくる。重要文化財であるはずのカテドラルが煙に巻かれようが、火の粉が落ちようが、おかまいなしに光と音のショーは30分ほども群衆を魅了した。
 花火が終わった後もステージではマリアッチのオッサンが歌い上げていたが、私たちはアミーゴに戻る事に。アミーゴでは若干遅いが年越しそばが振る舞われ、みんなで新年を祝った。久美子は近くの革命記念塔でもイベントが行われているというので出かけて行ったが、私は長い間外にいたせいか再び熱が出てきたので寝る事に。体調不良のままの新年となってしまった。

本日の走行距離       0キロ(計16290キロ)

出費              11N$ バス代
                  3N$ 地下鉄代
                160N$ アミーゴ忘、新年会会費
計              174N$

宿泊           ペンションアミーゴ

「久美子の言わせて!」
メキシコの年越しは最高だった!ソカロ(でっかい広場)へ行って何万人という人ごみにもまれ、マリアッチ(楽団)演奏後、スペイン語(あたり前)でのカウントダウン。カテドラル(教会)の真上にはなりやまぬ花火。目の前に花火炸裂!感動感動!一緒に行った日本人皆で抱き合い涙する人あり。私もいつまでもつづく綺麗な花火を見ていたら感動のあまり泣いてしまった。一生このとき、この瞬間は忘れないだろう。と感動している後ろではかっこいーと皆から言われているあのリーさんが酔っ払って騒いでいたが、皆他人の振りをし、花火を見ていた。花火、音楽、感動、酔っ払い、そんな光景を忘れられないだろう。