旅の日記

メキシコ・メキシコシティ編(1999年12月19〜24日)

1999年12月19日(日) ペンションアミーゴに到着(Pension “Amigo”)

 朝、約束どおりジーザスのパン屋へ行く。すると、思ったよりも立派な店構え。日曜なので休みかと思いきや、従業員はせわしく働いている。しばらく店頭で待つと、ジーザスが息子と登場。17才の息子は彫りが深いが、顔が濃くてまゆげもあと少しでつながりそうだ。ジーザスのパンをいただくが、とてもおいしかった。なんでも彼は元建築家で、2年前まで活動して大金を貯め、その後は「サイドビジネス」としてパン屋をはじめたそうだ。だから店はほとんど従業員に任せており、営業中でも遊びに行けるいい身分なのだ。
 ジーザスに先導されてグアナファトを後にする。彼は50過ぎのいいオヤジだが、ライディングは結構アグレッシブだった。向こうも息子を乗せたタンデムだったが、きついワインディングをいいペースで攻めて行く。ブラインドコーナーでもとりあえず突っ込んでおいて、曲がりきれそうになければ途中でもブレーキをかけるという過激ぶり。こっちはアナタのBMW−GSパリダカより200ccも小さいし、荷物も積んでるし、もっとゆっくり走りなさいって。でもおかげで早いペースで目的のレストランへ。
 ジーザス行き付けのそのレストランは峠にあり、眺めが良かった。そこで朝食をごちそうになる。ジーザスと息子が本当に仲良さそうにふざけあっているのが微笑ましかった。息子もBMWに乗るらしく、前はエンデューロバイクで一緒に山の中で遊んでいたらしい。今でも年に一度はアメリカにスキーに行くとのことで、相当裕福な様子だ。この旅、金持ちと知り合う機会が多い。
 ジーザスは結局ドロレス・イダルゴまで付き合ってくれた。そこで別れてさらに30分ほど進み、サン・ミゲル・アジェンデに着く。その時点でまだ午後1時だったので、今日はそのままメキシコシティを目指すことに予定を変更。高速道路をひたすら飛ばし、夕方前にはメキシコシティに着いた。世界最大の人口を誇る大都市、そして標識の少ないメキシコだから街に入ってから道が全然わからん。何回か道を尋ね、ようやくかの有名なペンションアミーゴに到着。
 ここアミーゴは本にもなった、有名な日本人宿。なんでも世界三大日本人宿の一つだそうだ。あとの二つは知らないが。建物に看板は無く、ただ黒い扉に日本の国旗がペイントされているのみ。ブザーを押すと、管理人のツルさんが開けてくれた。何か秘密クラブみたいな感じ。幸運にも個室が空いていたのでチェックイン。
 ここにはバックパッカーやライダーなどの貧乏旅行者をはじめ、キックボクサー、火吹き芸人等々、様々な人が宿泊(生活)している。バイカーは私を含めて4人。その中にホンダのゴリラで世界一周中の伊原マサがいた。彼のことは話に聞いており、我々がロスにいる間に抜かされたことは知っていた。それがこんなところで追いつくとは。そしてアミーゴには、メールでやりとりしているライダー、Yoggyとイトケンが最近まで居た痕跡があった。もはやメキシコを抜けるライダーが必ず立ち寄ると言っても過言ではないアミーゴは人類学博物館、ティオティワカンのピラミッドと並ぶシティの観光名所だ。
 夜はアミーゴで餃子を食べてあったまる。そして食後はゴリラのマサと、BMWでパナマから北上してきた中国系アメリカ人のリーさんらと深夜まで話しこむのだった。

本日の走行距離     381.4キロ(計16173.3キロ)

出費             114N$ 高速代
                 70N$ ガス
                  4N$ 公衆トイレ
                 40N$ 夕食(餃子)
計              228N$

宿泊           ペンションアミーゴ

「久美子の言わせて!」
たったっ大変でござる。私達の予想はズバリ的中!おそろしや〜。あのラパスで出会った日本人にメキシコシティー、ペンションアミーゴで再会してしもうた。しかもあのTシャツを着ている。あちゃちゃ。HPを持っていることをあまり大きな声で言えない。どうしよう。カズと話し合いあの部分は収まりの良い様に変えようかとまで思った。危うしクミコ。話して見るといい人であれやこれやとメキシコの情報を教えてくれたりと、見た目よりかなりいいひとだ。誤解して、ごめんちゃい。そしてゴリラ(原付)で世界一周しているマサ(伊原さん)をGETした。久しぶりにそういう人に出会えてうれしいな。マサもここで私達に会えると思ったんだって。それとBMWで旅をしている季(リー)さんがなんと、ここに来る前にYoggyとメキシコ南部で会っていた。世の中狭い狭い。あとはYoggyと、同じくライダーのイトケンをGETするのみ!泥棒と刑事みたいで楽しいな。まってろー必ず捕まえてやるぅ。 



1999年12月20日(月) 東大生になる(Making an International Student Card)

 本当は今日人類学博物館に行きたかったが、月曜は休館とのことなのであきらめる。昨日の疲れもあるので、とりあえず今日は国際学生証でも作りに行く。
 なぜ学生証が必要かというと、学生証を提示すると博物館や遺跡の入場料、航空券が割り引きになるケースがあるのだ。でも、私は学生ではない。で、どうするかというと、国際学生証を発行してくれる機関(旅行代理店など)に行って日本の免許証を見せるのである。あまり大きな声では言えないが、向こうは漢字が読めないから、それが日本の学生証だと思ってホイホイと国際学生証を作ってくれるのだ。世界には何ヵ所か国際学生証の作りやすいところがあるそうだが、ここメキシコもその一つ。というわけで、昨日知り合ったリーさんと一緒に作りに行く。
 その旅行代理店までは歩いて行ったが、予想以上に遠かった。着いてからも待たされ、ようやく番がまわってきた。カードを作るために書類に記入するが、問題はどこの大学にするかだ。出身大学をそのまま書くのも芸が無い、勝手な大学を作ってしまおうか、とか考えているうちに夫婦そろって東大にしてしまった。せっかくだからなどど思いながらも、これも芸が無いなあ。リーさんはスキューバダイビングの免許を見せ、「京大生」になることを画策したが、KyotoとTokyoは似ているので、彼も東大生になってしまった。係の人は提示した免許証を疑うこともなく、すぐに国際学生証を作ってくれた。今までにはお茶の箱の中に入っていたアンケート葉書に写真を貼り、これが自分の学生証だと言って作ってもらった人もいるらしい。で、ここでもう15ペソ払っておけばメキシコの学生証も作れるのだが、これをケチったことがあとでミスだったと発覚するのである。
 帰りにリーさんと昼食を食べ、その後はアミーゴでゆっくりする。そして夜はまたビールを飲み、アミーゴの怪しい住人たちと盛り上がるのだった。

本日の走行距離        0キロ(計16173.3キロ)

出費             200N$ 学生証
                 49N$ 昼食(トルタス)
               79.7N$ 買物(食材、サンダルなど)
                 23N$ ビール
                 30N$ アミーゴでインターネット接続
計            381.7N$

宿泊           ペンションアミーゴ

「久美子の言わせて!」
メキシコへ来てから足腰が筋トレされている気がする。なぜかというと、たいがいのトイレには便座が無い。紙(とっても貴重)でいちいち拭くのはめんどいし、なんで人のものを拭かなくっちゃいけないわけぇ。そうすると自然に立ちションならぬ中立ちちっこになる。こうゆう時ってほんと男に生まれれば良かったと思う。別に潔癖症じゃないけど人様の使ったあとの便器には座れませーん。みんなはどうやっているんだろう。公共の場にある綺麗なトイレをGETしよう。うまくいくかな?



1999年12月21日(火) 国立人類学博物館(Natinonal Museum of Amthoropology)

 今日は国立人類学博物館へ。ここはメキシコにかつて存在した古代文明が残した石像、石碑などから、現代の各地方の風俗まで紹介する世界屈指の規模の博物館で、メキシコシティ観光のマストプレイスの筆頭にあがる。ちゃんと見ようと思ったら二日はかかる、といろんな人から聞いており、期待に胸は膨らむ。
 アミーゴを後にし、レフォルマ通りを西に向かうペセロ(小型バス)に乗る。「地球の歩き方」にはペセロ内部でのスリや強盗が多いので気をつけるべきとあるが、そんな感じはしなかった。ただ運転は荒く、乗り心地は悪いが。
 適当なところで降ろしてもらい、いよいよ博物館へ。入場する際に昨日作った国際学生証を見せるが、なんとメキシコの学生証でないと割り引きは無いという。せっかく大枚はたいて作った学生証なのに、使えないとは何てこったい。これなら15ペソ払ってメキシコの方も作っておけばよかった。仕方なく、正規の料金を払って入場する。
 中に入ると大きな中庭を囲むように2階建ての展示室があり、反時計まわりに展示を見ていく方式になっている。展示の内容を細かく書くときりが無いが、目玉は何といっても「太陽の石」。アステカ時代のカレンダー(一月20日、年18ヵ月)を示したもので、直径3.6メートルもある。結構この石が気に入り、この模様が印刷されたマウスパッドを買ってしまった。
 博物館には数多くの展示があるが、多くはスペイン語の説明しかなく、たまに英語があっても何か読む気がしない。この像はナインティナインの岡村に似ている、これは・・・とか言っているうちにスタスタと展示を見てまわり、二日かかると言われた博物館を4時間ほどで見終わってしまった。何てもったいない、とお思いの方も多いでしょう。
 途中で昼食を食べに外に出たが(中のカフェテリアは高かった)、前の広場ではトトナック地方の収穫を祝う儀式ロス・バラドレスを実演していた。これは高さ30メートルほどの柱の上から4人の男が逆さまにロープでぶら下がり、笛と太鼓を演奏しながらクルクルと回るもの。ロープは柱に巻きつけてあるので回ると徐々にほどけて長くなり、男たちは少しづつ降りてくる。男たちが地上に着くまで約2、3分、頭に血が上るだろうなあ。柱は鉄で出来ているが(昔は当然木だった)、細いために風が吹くと結構しなる。男たちを支えているのは一本のロープのみで、頑丈な金具などもなく地上についた時にすぐほどけるように腰に結んでいるだけ。まさに命がけのパフォーマンスだ。普段ケチな我々はこういった大道芸の類には金は出さないが、こればかりは財布の中のセンタボ硬貨(100センタボ=1ペソ)をかき集めてオヤジに渡してしまった。(それでも計10円ほどだったが)
 夜はリーさんと一緒に鶏肉を焼いて食べた。アミーゴでは希望者には一人20ペソ(約220円)で夕食が出るが、二人では自炊の方が安く、せっかくキッチンもあるので自炊することにした。そして夜はまたビール。アミーゴに来て以来、午前4時ごろに寝る日々が続いている。

本日の走行距離        0キロ(計16173.3キロ)

出費               5N$ バス
                 26N$ 昼食(ハンバーガー、ホットドッグ)
                 50N$ 博物館入場料
               44.8N$ 夕食の買物 
                 16N$ ビール
計            141.8N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月22日(水) ティオティワカンへ(The Pyramids of Teotihuacan)

 メキシコシティーの北約50キロに、古代都市ティオティワカンの遺跡がある。この都市は紀元前3世紀ごろから建設され、紀元4世紀から6世紀ごろに繁栄の頂点に達し、その時の人口は20万人。ラテンアメリカ最大の都市国家だった。7世紀ごろに謎の消滅をたどるが、その影響はその後の文明にも見られるという。今日はその遺跡を見に、リーさんと三人でバイクで出かけた。
 バイクに乗るリーさんを見るのは初めてだったが、カッコよかった。涼しげな顔に長髪、スラっとした長身や、BMWのR100GSを腰で乗りこなすのも当然カッコよかったが、何といっても高速の料金所で値切る交渉をしたのがカッコよかった。ティオティワカンまでは高速を利用すると便利だが、バイク、車とも26ペソもする。料金所に着いたとき、先行するリーさんが「もし料金を払うことになったら、私がまとめて払っておきます」と、謎の発言をした。え?払うことになったら?と思っていると、リーさんは窓口に行き、流暢なスペイン語で何やら話を始めた。料金所のオヤジは首を横に振るが、リーさんは粘る。どうやら、3人なので車1台分にしてくれ、と言っているようだ。オヤジは仕方なく上司を呼んできたが、やはり値切ることは無理だった。その間約3、4分。2台のバイクの後ろには渋滞ができ、クラクション鳴りっぱなし。それでも動じないリーさん、恐るべし。中米を走ってきたリーさんに治安や道路の状況を聞いた時、「全然問題無いヨ」と言っていたが、心配になってきた。
 そんなこんなでティオティワカン到着。下が砂利の駐車場に停めるとき、痛恨の立ちゴケ3回目。久美子が左足をバイクに挟み、あまりの痛さにうずくまる久美子。ひゃ〜こりゃ怒られる!!
 気を取りなおし、観光を開始。遺跡群は広大な敷地に点在しているが、中でも見所は太陽のピラミッドと月のピラミッド。太陽のピラミッドは一辺の長さ225メートル、高さ65メートルで、ピラミッドとしては世界3番目の大きさ。エジプトみたいに墓ではなく、宗教儀式を行う目的で建造されたもので、平坦な頂上にはかつて神殿が建っていたという。対する月のピラミッドは太陽のよりは一回り小さいが、前にある広場の規模はこっちの方が大きく、重要度は月のほうが大きかったらしい。
 まずは太陽のピラミッドを登る。どの程度修復されたのかは分からないが状態は良く、表面の階段を普通に歩いて登れる。頂上は遺跡群が一望できる絶景。多くの観光客が写真を撮ったり日光浴をしたり、瞑想をしたりと思い思いの時間を過ごしていた。その後は遺跡群をぐるっと見て回り、夕陽を月のピラミッドの頂上で見た。石の巨大な建造物が赤く染まり、とても綺麗だった。結局遺跡が閉まる6時までいたが、何しろ敷地が広大なので歩きつかれた。きっと5、6キロは歩いたろう。
 帰りは下の道を利用したが、暗かったのでまさに恐怖。メキシコの道にはスピードが出せないよう所々コンクリートの凸がある。高さは30センチほどで、アメリカなどでもこういったのはあったが、恐いのは何の前触れもなく現れること。特に夜はライトで照らして見えた瞬間にブレーキをかけても間に合わない。ミニ・ジャンプ大会と化してしまうのである。ところがリーさんはそんな状況もなんのその、反対車線に車がいても気にせずに追い越しをかけて先行する。何回もはぐれ、道に迷いながら行きの二倍の時間をかけてアミーゴに到着。
 夜は親子丼を作って食べ、またも深夜までビールを飲んでしまった。

本日の走行距離     116.7キロ(計16290キロ)

出費             105N$ ガス
                 26N$ 高速代
                 50N$ 遺跡入場料
                 40N$ 電池
                 28N$ 昼食(ハンバーガー、ポテトチップス)
                 16N$ ビール
計              265N$

宿泊           ペンションアミーゴ

「久美子の言わせて!」
足が痛いよー。またこけた。無理そうだったら行かなきゃいいのに。ばかたれ。あまりの痛さに声も出ず、地べたにうずくまる。リーさんが心配して「大丈夫?」と声をかけてくれるが、今はほっといてくれってかんじで、なんとか「大丈夫」と言ったが全然大丈夫じゃない。リーさんの前ではあまりカズを怒れない。それでも怒っちゃったけど。痛い足を引きずり、嫌な感じのまま遺跡見学へ。さっそくリーさんが太陽のピラミッドへ登ろうと言ったけど痛くてこのまますぐ登れるか!と思い、別行動にしてもらった。遺跡見学はとても興味深く面白かった。だが敷地がとても広いので端から端まで歩きピラミッドに登り、朝痛めた足にこたえた。あっという間に時が経ってしまった。夕陽を月のピラミッドの頂上と太陽のピラミッドの中腹から2回眺める。夜アミーゴで話をしていたら、なんで足が挟まるのか?という話になった。運転者(カズ)が、「あー、やっ、倒れるー」と言って、どの辺でバイクを見捨てたのかを判断すればいいのか、後ろに乗っている方はわからん。もし後ろが先に見切ってしまい、バイクを投げ出し逃げていいんだったら足は挟まらないけど、今度は前の人が犠牲になってしまうだろう。優しい私は結局足が挟まってしまう。「愛だねー愛」といったら、カズは「どこがー」という顔をしていた。夜ぶつけた所をみたら大きな青アザが出来ていた。どおりで痛いわけだ。絶対マッサージ1時間してもらおうっと。いや、もっとだな。 



1999年12月23日(木) 特に何もしない(Nothing special)

 メキシコシティ滞在の一つの目的に、荷物の受け取りがある。Sanyoさんが旅のために新しいデジカメを提供してくれたので、それを海外宅配便で送ってもらったのだ。そろそろ着くころかと思い宅配便業者のオフィスへ何度か電話したが(荷物はオフィス気付で送ってもらった)、応答が無いので今日は直接オフィスへ行って見た。
 応答が無かったのでやはりというべきか、オフィスは移転していた。移転先が分からないので、仕方なくグアダラハラにある同じ業者のオフィスへ電話して聞く。移転先へ電話すると日本人の担当者が応対してくれたが、荷物はまだ届いてないという。クリスマスと重なったので遅れているそうだ。
 仕方なくアミーゴに戻ると、その海外宅配便業者から電話があった。荷物はまだマイアミにあり、早くても28日になってしまうという。クリスマス明けにはシティを発ちたかったが、どうやら無理のようだ。下手したら年越しもアミーゴかも。
 昼食は近くの屋台へ。近くに5タコスで5ペソという驚異的な安さを誇る屋台があるというので行って見ると、結構味も良く、大満足だった。お代は二人で100円ちょい。
 今日は他にすることもないので、午後はたまっていた日記をつける。その後スーパーへ行って写真を4本分現像したら、キャンペーンとかで包丁のセットをタダでくれた。アーミーナイフが2本ある我々には必要無いので、アミーゴに置いていくことにする。
 アミーゴの住人の半分はみんなでレンタカーを借りてアカプルコに行ってしまったので、夜は静かだった。

本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費               8N$ バス
                 10N$ 昼食(タコス)
               15.5N$ スーパー(アイス、スパゲティ)
              194.4N$ 写真現像代
                 30N$ テレカ
                 16N$ ビール
                 30N$ アミーゴにてネット接続(1時間)
計            303.9N$

宿泊           ペンションアミーゴ



1999年12月24日(金) ソカロへ行く(Going to Zocalo)

 朝、リーさんと一緒にブレーキ液を交換する。まだ交換時期ではないが、リーさんがボトルを一本買ってきたので分けてくれた。リーさんはアミーゴに来てからフォークオイルを換えたり、プラグケーブルを換えたりしていて、これからシートを張りかえるという。リーさんは10年落ちのBMWをパナマで買ったが、目的地のロスに着くころにはピカピカになるだろう。ツーリングをしながら良くなっていくバイクというのも珍しい。その後、マサのゴリラを囲んで記念写真を撮る。マサは明日、アミーゴを発つらしい。(マサは一番右、リーさんは左から三番目、赤いジャケットの女性の後ろ)
 さて、今夜はクリスマスイブ。カトリックの国メキシコではそりゃ盛り上がるだろうと思い、昼間のうちにカテドラルのあるソカロ(中央広場)へ下見に。
 途中のカメラ屋で探していた小型三脚を見つけた。今まで二人での写真は人に撮ってもらっていたが、ちゃんと撮れるのは5割くらいで、あとは頭が切れていたり、バックに入れてもらいたいものが入っていなかったりと散々。あとはカメラを人に預けるのが若干不安だったのだ。110ペソは少し痛いが、これで二人の写真が安心して撮れる。
 ソカロに着くと、まだ大きな鉄骨を組み合わせてステージみたいなものを作っていた。どうやらクリスマス用ではなく、新年のイベントに向けてのものらしい。カテドラルへ入ってみるが、ここも大きなミサがあるのは明日の昼で、そんなに盛りあがってはいない。
 仕方ないので国立宮殿などを見ながらアミーゴに帰る。その途中、露店ですごいピカチュウを見る。日本のアニメ「ポケットモンスター」はここメキシコでも大人気で、どこのおもちゃ屋に行ってもポケモングッズがぶら下がっている。露店でも著作権法など無視したオリジナルのピカチュウグッズが売っているが、今までも出来の悪いものばっかりだった。しかし、ここメキシコシティで一気に偽ピカチュウのレベルが下がった。あまりの可愛く無さに腹を抱えて笑い、思わず写真まで撮ってしまった。いくらなんでもこれは無いでしょう。子供だって違いが分かると思うが。これは多分メキシコ人の気質だな。アジア人なら偽物を作るときにいかに本物に見せるかこだわるが、ここではラテンのノリで深く考えずに作ったんだろう。メキシコ人気質、ある意味では羨ましい。
 夜まで待って再びソカロへ行くが、やはりイマイチ盛りあがっていない。カテドラルではささやかなミサが行われ、途中の公園では移動遊園地が人気を博していたが、それでも商店は軒並み閉まっていて街は暗い。メキシコ人はやはりクリスマスは家族で過ごすのだ。イブくらいは洒落たカフェででも食べようかと思っていたが、結局公園に出ていた屋台の食堂しか開いていなかった。
 夜はいつものビールにテキーラを奮発して買い、マサと最後の夜を過ごした。

本日の走行距離         0キロ(計16290キロ)

出費              18N$ 昼食(タコス)
                110N$ 三脚
                 20N$ 南京錠三つ
                 70N$ 夕食(公園の食堂)
                 12N$ 屋台のケーキ
                  3N$ トイレットペーパー
                 33N$ ビール、テキーラ
計              266N$

宿泊           ペンションアミーゴ