アテネを発つ日。朝からやることが多いのに、だるくて早起きが出来ない。これではいかんと起き上がったのが午前10時。11時半までには部屋を明け渡さなければならない。
しかし、親切な宿のオヤジは我々が出発する午後5時まで部屋にいてもいいと言ってくれた。宿代を払ってでもそうしたいと思っていたところだったので、本当に助かる。夕方まで暖房に効いた部屋で荷物の整理をしたりメールを打ったりしていた。
それにしても今日は寒い。オヤジによるとアテネに吹く南風は湿っていて暖かく、北風が乾いていて冷たい。昨日、おとといと晴れている代りに寒い日が続き、今日、そこに湿った南風が吹きこんで雪となった。午後はちらほらと舞う程度だったのに、宿を出る段になって本降りになってきた。
多田君、クロさん、そして荒木夫妻に見送られて私と松井史織の2人はホステル「アナベル」を後にした。結局一ヵ月強もいたことになるので去りがたい感じもするが、3月の終わりになれば戻ってくるし、多田君とはバンコクで再会する予定だ。
クロさんは「青山さんは面白いですねえ。一緒に行く松井さんは笑い死んでしまうんじゃないですか?」と大きな目で私を「殺し」ながら言っていたが、いやいや、クロさんにはかないませんってば。
不要な荷物はバイクと一緒に預けてきたので、私の荷物はパソコン類を入れたデイパック一つと80リットルのザック一つ。これでもバイクに乗っていたころと比べるとはるかに身軽だ。ザックの半分は松井史織の荷物なので、彼女もデイパック一つに小さなポーチといい軽装だ。
エジプトと東南アジアに行くのに、さすがにライディングジャケットは要らないだろう。フリースの上にウインドブレーカー代わりのカッパを一枚着て出たが、雪の舞うアテネではやはり寒い。
オモニア広場から地下鉄に乗って二つ先のシンダグマ広場で降りると、雪は強い風に乗って横殴りになっていた。数十メートル先が見えない、ちょっとした吹雪だ。よりによって最後の日にこんなに降られるとは・・・こんなんで飛行機は飛んでくれるのか?
シンダグマ広場からバスに乗り、空港に向かった。市内は雪が積もり始めたために交通の流れが極端に悪かったが、郊外に出ると2連結のバスは少々の雪などものともせず、1時間半ほどで到着した。思ったより雪の影響はなく、飛行機も問題なく飛んでいるらしい。
残ったドラクマを空港でユーロに換えようとしたが、それは銀行でしかできないらしく、そして空港内の銀行はちょうど閉まったところだった。両替所でドルになら換えられるというので、極悪のレートでも換えておく。ギリシャに戻ってくるころにはドラクマは紙くずになっているはずだ。
そして、いざ搭乗ゲートへ・・・と思ったら、手荷物検査が非常に厳しい。金属探知機などはポケットの中のコイン一つで反応するほど感度を上げているし、ズボンの下のマネーベルトの中まできっちり調べられた。
私の検査が終わり、やれやれ、と振り向くと、今度は松井史織のデイパックが念入りに調べられている。女性の係官が真剣な表情で小物入れを一つ一つ開けているのだ。何をそんなに調べているの?こんな女の子がハイジャックするわけないじゃない、まったくもう神経質なんだから・・・って、おいおいおいおい、出てきた出てきた、折りたたみナイフと事務用カッターが!!
「なんでこんなの手荷物に入れているの?」(青)
「わたし何にも考えていなかった・・・」(松、あいかわらず口をポカンと開けながら)
女性係官はX線の透視機に写ったこれらの刃物を探していたのだ。まったく、こんなに航空会社がピリピリしている時期に不注意なんだから・・・。
他にも検査でひっかかっている人たちがいたが、みんな爪切りや爪やすり、小型のはさみなど可愛いものだった。それに比べて松井史織のポケットナイフは刃渡りこそ短いものの、少年ギャングがポケットに潜めていそうな凶悪なデザイン。モスクワで買ったものらしいが、当然ながらその場で持って行かれることとなってしまった・・・。
アテネ発カイロ行き、エジプト航空748便は1時間遅れで離陸した。なかなか飛び立たないので眠ってしまい、その瞬間はあまり覚えていない。エジプト航空の機体は思ったより新しかったが、満員で窮屈だった。2時間余りのフライトだったが、あまり楽しめたとは言えない。
そして午前0時、カイロ着。タラップ上の私に吹いた風は暖かかく、51カ国目のエジプトは私を穏やかに迎え入れたようだった。
没収されたと思った松井史織の少年ギャングナイフは意外にも降りるときに返された。今度は預ける方の荷物に入れるのだゾ!
入国審査の手前にある銀行で70エジプトポンド(2000円弱)の入国税を支払い、観光ビザを取得。そして入国審査の列に並んでいると、市内にある三ツ星ホテルのサービスカウンターがあった。参考までに料金を聞くと、空港からの車代を含めて2人で220ポンドだという。
本当は、かの有名な日本人宿「サファリ」もある安宿集中地帯に行きたかったのだが、すでに時刻は午前1時になろうとしていた。空港から市内までのタクシー代の相場は25〜30ポンドだというし、その金額まで持っていくのに運転手と粘り強く交渉する必要もありそうだ。行ったところでベッドにありつけるかどうか保証はないし(実際、年末の「サファリ」は満室だったらしい)、慣れない都市で荷物を抱えたまま午前1時に右往左往したくはない。少々贅沢だが松井史織にも依存はないようなので、料金を200ポンドにまけてもらい、今夜は「Raja
Hotel」というそのホテルで過ごすことにした。
カウンターにいたオヤジに宿泊する旨を告げると、彼は「俺についてこい」といって入国審査と税関に付き合ってくれ、おかげで実にスムーズに空港を出ることができた。そして駐車場に停まっていた送迎用のミニバスに乗り、車線や信号、時には進行方向まで無視する深夜の暴走の末、カイロ市内ドッキ地区のホテルに到着。
バクシーシ(チップ)欲しさのボーイ(というより単なるオッサン)が少々うっとうしかったが、そんなに期待していなかったのと、それでも久しぶりに泊まる中級ホテルなので、部屋にはまあまあ満足した。音ばかりデカくて全然温風を出さないエアコンと、見た目ばかりキレイでお湯をちょっとした出さないシャワーは、この際許してあげよう。
ベッドに入って目を閉じると、絡み付くようなイスラム音楽が遠くから聞こえてきた。どこかでライブ・ショーでもやっているらしい。モロッコ以来、約半年ぶりにイスラム国に来たんだとあらためて実感した。
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