旅の日記

エジプト編(2002年1月5〜7日)

2002年1月5日(土) 「サファリ」に移動(Hotel "Safari")

 大枚はたいて泊まった中級ホテル。朝一番のアザーン(街頭のスピーカーから大音量で流される祈りの呼びかけ)と、ノックもせずにドアを開けるお掃除おばちゃんによって2回起こされたが、それでもしつこくチェックアウトの12時ぎりぎりまで寝ていた。

 さて、タクシーをつかまえて「サファリ」へ移動しようとしたが、ホテルのフロント(もしくはフロントにたむろしている暇な従業員の一人)が、行きたい場所はどこかと訪ねる。ドラから借りたロンリープラネット・カイロ編の巻末についている地図を見せ、新市街のオラービ広場に行きたいと告げると、彼は「ムムム、そこは近いぞ。ここから歩いてすぐなのだ」と言った。
 え?昨夜自分で調べたところでは、このホテルはナイル川の西岸に位置しており、目指す場所は東岸、直線距離にして4キロはあるはずなのだが・・・。

 私の疑問に対し、彼は「いや、この地図に載っている射撃場はすぐ近くだ。ほら、そこに見えるだろう。だからお前の目指す方向はあっちだ」と、ホテルの表に出て指差した。確かに数百メートル先に緑地がある。
 もう一度ロンプラの地図をよく見ると、彼が「射撃場」と指差した場所には「アスバキーヤ公園」と書いてある。射撃場の「シ」の字もない。
 何のことはない。彼は見せられた新市街の地図をホテル近辺に無理やり当てはめ、地図上の公園を近所の射撃場と勘違いし、まったくでたらめな方角を教えたのだ。あぶなあぶない。重い荷物を担いで歩き出していたら、とんだ骨折り損になっていただろう。
 スーツ姿なのでちょっと信頼してしまった。彼に悪気も反省もないが、この一件でアラブ世界に戻ってきた事をまた実感した。

 最初の計画通り、タクシーに乗ってオラービ広場へ。英語を流暢に話す若い運転手と料金で少しもめ、10ポンド(300円弱)を払ったら大人しくなった。しかし後で調べるとこれでも相当ボラれた方で、本来ならその半分でも十分らしい。
 カイロのタクシーはメーターがついていなかったり、ついていても示される数字は我ら外国人にとって何の意味もなく、事前に料金の交渉をしても「何の事だ?」ととぼけられる事が多い。だから最善の策は相場を把握した上で行き先だけを告げて乗り、降りる時に黙ってその金額を渡すことだ。
 外国人とみればその金額でも「冗談じゃない」と言ってくる事が多いが、相場を払っている以上、こっちが無視して歩き去っても向こうは強く出られない。
(たまに強く出る運転手もいるらしいが・・・)
 タクシーに乗るたび、いちいちこんなバトルが繰り広げられるのだ。アラブ世界においてはタクシーだけでなく、一事が万事、こんな調子なのだけど・・・。

 そうしてようやくホテル「サファリ」に到着。オラービ広場近くの古くて巨大な雑居ビルの6階に位置し、宿泊客はオブジェと化した錆付いたエレベーターの残骸を横目に階段を延々と上らなければならない。
 同じビルには「スルタン」、「ベニス」など比較的新しく日本人宿化したホテルもあるが、何といっても目指すは伝統の(あるいは宿泊客の濃さの)「サファリ」である。「アミーゴ」をはじめとする中南米の日本人宿を転々とした私にとって、アフリカ最大最強の「サファリ」は外せない。聞いた話では「アミーゴ」、「サファリ」、そしてインドの「久美子ハウス」 が「世界三大日本人宿」らしい。(それにしても日本人旅行者は「世界三大」というのが大好きだ)

 新しい日本人宿に足を踏み入れるとき、まるで初めて教室に入る転校生のような気分になる。世界の裏だろうが日本人が集まると、程度の差こそあれ日本人の社会がそこに出来あがる。そこには先輩と後輩のおぼろげな地位が存在し、新参者は少々疎外感を覚えることになる。
 しかし、それはある意味仕方のないことだろう。日本人は人見知りしやすく、初対面で気を使いあう傾向があるから、時間をかけて仲良くなった者同士でくっつきがちなのだ。これが西洋人のように「ハーイ、俺の名前はカズ。ファーストネームで呼んでくれていいよ。敬語はいらないサ」など妙にフレンドリーになると、かえって変だ。

 では、なぜ日本人宿なんかに行くのか?なぜ、海外に出てまで日本人といるのか?
 それは一つに、日本人宿には情報があるから。先人の旅人が情報を書き残した「情報ノート」があるし、日本語のガイドブック類も豊富である。ついでに漫画や雑誌や文庫本なんかもあって、日本のTVやビデオが見られる宿だってある。
 日本人宿にはだいたいキッチンがあって自炊できるし、得てして料理好きな人がまとめて作ってくれるから、おいしい日本食を安く食べるチャンスでもある。
 また、そこで会う日本人は日本で会う日本人とは違う。大道芸人、医大〜美大までの現役の学生、トラック運転手、植木屋、フリーター、板前、新聞記者、銀行家、フリーライター、輸入雑貨屋、不定職・海外放浪ウン年・・・少なくても、私が普通にサラリーマンを続けていたら知り合えなかった人たちがいる。
 「せっかく海外にいるのだから、日本人と一緒にいたくはない」という考えはもったいないと思う。日本人宿では日本人の友達を作って、その他のチャンスで現地人の友達を作れば良いのだ。実際、私は英語のメールに追われるくらい現地の友達だってたくさん出来ている。
 
 「コンニチハ」と言って「サファリ」のドアをくぐると、「コンニチハ」とロビーにいたみんなが言ってくれた。正面の机に座ったエジプト人のオヤジが従業員であるらしく、聞くとベッドは二つ空いているという。大部屋で6ポンド、3人部屋で7ポンド。パソコンを使いたいのでゆったりとした3人部屋にした。

 そして部屋に入って一段落したあと、街に出てみた。「サファリ」はカイロの中心地にあり、しかもちょっとしたスーク(市場)に面しているので、一歩外に出ると都市の混沌に身を置くことになる。同じビルの一階には簡易的なイスラム教の礼拝所があり、ちょうど信者たちが膝をついて頭を垂れているところだった。

 アテネでひいた風邪がまだ治らず、調子があまり良くないので「サファリ」の周辺だけをブラつき、マカロニグラタンのようなものを昼食に食べた。帰りにスークでバナナを買ったが、昼食の金額に比べるとかなり割高。アラビア数字が読めないと値札が読めないので不利だ。がんばって覚えることにしよう。

 夜、「サファリ」の長期滞在者たちのお願いで、彼らと一緒にシェラトン・ホテル内の免税店に買い物に行くことになった。我々は昨夜、正確にいうと今日の午前にエジプトに入国したので、今日明日と酒類、たばこを免税で買う権利がある。「サファリ」の長期滞在者たちはそんな宿泊客が来ると一緒に免税店に行ってもらい、ビールやたばこを免税価格で買うことにしているのだ。
 そして少しの利益をつけてみんなに販売し、そのアガリで「やる気の無い」オーナーに代わって机や食器、洗濯桶などの共同備品を購入している。私としてはそのやり方に特に依存はないし、どうせヒマなので、夜のタクシードライブとシェラトンホテルの買い物を楽しんだ。
 すべてが終わったあと、私と松井史織にお礼金の5ポンドずつが渡された。わずかな金で色々と買い揃えているみたいなので悪かったが、決まりみたいなので受け取っておいた。

 さて、「サファリ」での夜だが・・・寒い!なんだこりゃ!寒い!
 カイロが中途半端に暖かいぶん暖房がなく、しかも無理やり増築したと思われる我々の3人部屋と外界と隔てているのはペラペラのベニア板のみ、そしてベッドの上には薄い毛布が一枚のみ・・・ひいい!アテネの夜の方がまだ暖かかったぞ!
 明日、考古学博物館に行く予定だが、その前に頭から毛布を被って自らミイラと化して眠るのだった・・・。


出費                    5LE   タクシー
     7LE 宿代
     5.5LE 食事代
     12LE 喫茶店でコーヒー(2人分)
     2.5LE バナナ
     ▲5LE 買い物のお礼金
計     27LE
(約760円)
宿泊         Hotel Safari


2001年1月6日(日) 黄金マスクと対面(Meeting the golden mask)

 最近沈没ばかり繰り返してすっかり不良旅行者となってしまった私だが、エジプトで過ごせるのはわずか2週間。南のルクソール(王家の谷)の方にも足を伸ばしたいので、あまりゆっくりはできない。今日から早速観光をはじめることにして、まずは第一弾、考古学博物館に行く事にした。(2週間を「わずか」などというと、日本のみんなにぶっ殺されそうだけど・・・)

 「サファリ」から博物館までは歩いて15分ぐらい。入館の際には厳重な荷物チェックがあったが、「カメラ券」を買わずに2人ともカメラを持ちこめたところを見ると、たいして意味はないらしい。
 さて、エジプトが誇る博物館だから、さすがに展示物はすごい!というか、たぶんすごいと思う。というのも、この博物館は展示物の素晴らしさに頼っていて、展示の工夫や説明がイマイチ。詳しいガイドブックがないと何がなんだかよくわからんのだ。(たぶんガイドブックを買えということなのだろうけど)

 それにしてもおそらく考古学上、非常に貴重な石像、石棺などが本当に無造作に置いてある。ケースに入っているわけでもなく、「触るな」とは書いてあるものの実際触っている人は多い。そればかりかフラッシュ禁止なのにみんなビカビカ光らせているし、石像の台座には落書きがしてあるし、観光客のマナーがひどすぎる!と思っていると、今度は掃除夫がほこりをはたくのに石像の上に乗っていた・・・お〜い、みんな目を覚ませ!4〜5千年前のものだぞ!

 博物館の1階が石像や石棺などの「石」関係、2階は小物類のほか、この博物館のツー・トップ、「ツタンカーメンの部屋」と「ミイラの部屋」がある。

 「ツタンカーメンの部屋」はさすがにセキュリティーが厳重だった。かの有名な「黄金マスク」をはじめとする展示物はみんなガラスケースに収められている。観光客が多いとマスクの正面に回ることすら一苦労だそうだが、幸い、空いていてゆっくりと見ることができた。
 今から約3500年前、ツタンカーメン王は18歳という若さで早世した。若い王だったために権力が弱く、墓が地味で目立たなかったことが1922年の発見まで盗掘を免れた理由とされる。
 エジプトの歴史上たいして脚光を浴びるこのないツタンカーメン王の墓でも、考古学界が腰を抜かすほどの量の金銀財宝で埋まっていたのだ。盗掘がなければ、偉大な王たちの墓にはどれほどの財宝が眠っていたのだろう?
 黄金のマスクと対面して、しみじみと思った・・・「あ〜被ってみてえ!」

 最後に「ミイラの部屋」に行ってみた。ここには偉大な王たちのミイラが眠っているが、博物館そのものより高い別料金がとられ、カメラの持ちこみは不可。みんなが「フラッシュ禁止」を守れば持ちこみが許可されるのだろうが、こうもあちこちでピカピカ光っているようでは無理だろう。この博物館といえども、それほどミイラの保存には気を使っているのだ。
 部屋には11体のミイラがあった。包帯姿のままかと思いきや、顔なんかはけっこう露出していて表情まで良く見える。みんな鼻や口に詰め物をされているが、眠っているように穏やかで高貴な顔をしている。彼らが絶大な権力を誇った古代の王本人だと思うと、時の流れが嘘のようだ・・・でもまさか、彼らも数千年後にこうして親類縁者と集まることになるとは思いも寄らなかっただろう。
 彼らは復活を夢見てミイラになった。しかし、こうしてふたたび世の光を浴びることになったのも、ある意味復活と言えるのではないだろうか?

 博物館は3時間ほどで見終わったが、風邪で体調がイマイチなので、その後は「サファリ」に戻って寝て過ごした。夕食にエジプトのローカル・フード、ぶっかけメシのような「コジャリ」を食べに出たが、料金のことでやはりモメ、ちょっと疲れた・・・。


出費                   30LE   博物館
     7LE 宿代
     4LE 食事代
     7LE ケーキと紅茶
計     48LE
(約1360円)
宿泊         Hotel Safari


2001年1月7日(月) ギザのピラミッド(Pyramids of Giza)

 考古学博物館に続いては、エジプト観光の代表格ピラミッドを見に行くことにした。数あるピラミッドの中でも規模、知名度でナンバーワンなのはカイロ郊外にあるギザのピラミッド群。アテネのホステル「アナベル」で一緒になり、「サファリ」で再会した井尻さんと一緒に3人で行くことになった。

 「サファリ」の近くにいた数台のタクシーのうち、一番穏やかそうな顔の運転手を選んで乗ったら、相場通りの金額で快くギザまで我々を運んでくれた。運転の方は穏やかとは言えなかったが・・・。
 そろそろピラミッドが見えてくるはず、と車窓に注目すると、ビルの谷間から天にそびえる巨大な石の固まりがチラリと見えた。でかい!あれこそ高さ137メートル、世界最大のクフ王のピラミッドだ!

 入場口の前で降ろしてもらい、チケットを買ってクフ王のピラミッドを目指す。いわゆる「ギザのピラミッド群」は主にクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドとスフィンクスから成っており、我々の入った入場口はクフ王のピラミッドの裏側にあたる。
 近寄るにつれ、ピラミッドはますます大きくなっていく。しかしアングリと口は開けていられない。空は晴れているものの風が強く、そこら中でつむじ風が砂を舞い上げてミニ砂嵐を起こしているのだ。

 クフ王のピラミッドの内部(玄室)は現在、午前9時からと午後1時から限定でチケットを売りだして公開されている。修復のためにいつなんどき公開中止になってもおかしくないそうなので、せっかくなら入っておきたい。午後1時までには時間があるので、先に他のピラミッドを見ておく。

 三つのピラミッドのうち一番大きいのはクフ王のピラミッドだが、表面の化粧岩がはがれてしまったために真ん中のカフラー王のピラミッドの方が実は高い。頂上まで143メートルあるといい、エジプトでも最も美しいピラミッドとされる。
 そう、ピラミッドはかつて表面が化粧岩に覆われてツルツルだったのだ。現在見られる表面のゴツゴツとした巨大石は基礎にすぎない。4500年の時を経て、その面影が残っているのはカフラー王のピラミッドの上部だけということになる。

 一番小さいのがメンカウラー王のピラミッドだが、それでも高さ65メートルあるという。その奥に三つのピラミッドが重なって見えるスポットがあるので、砂漠に足跡をつけながら歩いた。
 ピラミッドはさすがに素晴らしい。4500年も前にこんな建造物を作るとはエジプト人、恐るべし・・・じゃないのだ!おい、どうしたんだ現代のエジプト人!やっぱり昔の栄光にすがるだけなのか!?

 少し歩くごとにラクダ使いが現れ、「ヘイ、ミスタール!ジャパニーズ?ヤマモトヤマ(意味不明)?キャメルに乗らんか、キャメル。安くしておくよ。10ドル10ドル、5ドル5ドル・・・オーケー、ファイナルプライス、ヘイ、ミスタール!ミスタール!」と数分はまとわりつく。写真スポットについてポーズを取れば、無理やりターバンを巻かせたりラクダのムチを持たせてバクシーシをむしり取ろうとする。
 すぐに逆ギレするモロッコ人よりはマシかと思っていたが、一度、無視したラクダ使いに「ステューピッド・ピープル」(馬鹿な人たち)といわれた。コラ、お前らだろ!

 時間となったのでクフ王のピラミッドまで戻り、チケットを買って玄室に入る。ちなみに「玄室」というのは古墳などで遺体を安置する部屋のこと。ピラミッドの中心だ。
 ピラミッドが巨大な割には、玄室に通ずる通路は幅、高さとも1メートルほど、しゃがまないと通れないほど狭い。そんな通路を苦労しながらまっすぐ50メートルほど登ると、さっきまでの狭さが嘘のように高さ6メートル、幅3メートルほどの「大回廊」に出る。これに設けられた階段をさらに50メートルほど上ると、目指す玄室にようやく到着する。

 縦8メートル、横4メートルほどの玄室には石棺があった。ここにクフ王のミイラがあったのだろうが、今では空だ。ただ、ここに一体の遺骸を収めるためにこの巨大な建造物が造られたのかと思うと、途方もない贅沢さを感じる。
 現代において、ここまでの権力を誇る個人が存在するだろうか?21世紀の建築技術をもってしても、これほどのものをつくるのは決して簡単ではないだろう。ビル・ゲイツが私財を投げ売ったらひょっとして可能かな・・・?

 最後にスフィンクスを見た。高さ20メートルの石の獅子はかつて威厳に満ちた眼光で王国を見下ろしていたのだろうが、今では顔を削られた上にアゴひげを大英博物館に持っていかれ、かなり痛々しい。だいたいイギリスもアゴひげだけ持っていくなんて、なんて中途半端なことをしたんだろう?
 単体でみればスフィンクスも相当でかいのだが、やはり背後のピラミッドと比較してしまって小さく見えた。ネコ好きな私としては、なんだか励ましたくなった。
 「お前も苦労してんだな。政府がヒゲを返すようイギリスと交渉しているから、もうちょっと辛抱してろよ・・・」

 スフィンクス側の入場口から出たが、こっちの方が正面らしく、客待ちのタクシーや土産物屋、その他モロモロのアヤしい暇人などでごった返していた。帰りもタクシーに乗ろうと思っていたが、こんなところで客引きをしているタクシーに乗ったら料金でもめるのは火を見るより明らかだ。
 離れたところでタクシーを捕まえようと歩き出すと、市内行きのバスが停まっていたので乗ることにした。相場通りであればタクシーでも一人80円だが、バスはさらにその10分の1だ。

 帰路でまた、エジプトという国を感じた。
 ギザから走りだしたバスはすぐに一本のドブ川を渡ったが、幅15メートルはあろうかと思われるその川すべてがゴミで埋まっていた。まるでエジプトにはゴミの雨が降り、ゴミが山の斜面を転がったり、家の屋根に落ちて道路脇の下水道を転がったりして川に注ぎ込んだような(いや、転がり込んだような)、そんな川だった。
 だれがどうやってあの始末をつけるのだろうか?あるいは永遠につけないのだろうか?

 バスの中、我々の前に座った青年2人は口ひげなんかを生やして顔だけは大人だった。どう若くみても18〜20歳はいっているだろう。しかし彼らのやることと言えばバスの窓から爆竹を投げ、道行く人や他の車を驚かして笑うことだった。白バイの警察官も「仕方ないなあ」という表情を浮かべるだけで、注意はしない。どうやらエジプトではバスから爆竹を投げることは合法らしい。そういえば驚かされた人たちも、その後でニヤニヤしていた。

 「サファリ」の近くに着き、一軒の食堂に入ってチキン定食を食べた。チキンとサラダとパンとライスがついて一人6ポンドと何回も確認したのだが、見るからに小悪党のような顔つきのウェイターは予想通り、「ライスは別料金、一人8ポンドよこせ」とボってきた。こっちも疲れてイラだっていたので、声を張り上げて文句を言ったら、むこうも感情的になってきた。最後は怒鳴りあいの末、ようやく向こうが「もってけよ、このドロボーが!」みたいな感じで3人分18ポンドを20ポンドで払ったおつり、2ポンドを投げてよこした。
 たかが2ポンド(50円)の差で、なんで大の大人がケンカせにゃならんのよ。客に気持ち良く帰ってもらったら、また来るかもしれないとは思わないのだろうか?モロッコもそうだったけど、目先の利益ばかりを追って大きな獲物を逃していることに気がつかないのだ。

 ・・・まあ、それが彼らの世界であり、やり方であり、私はそこを通りすぎる旅人にしか過ぎない。こういうことがあると、私はいつも「フフフ君たち、そんなやり方では未来永劫、わがジャパンのような経済大国にはなれないよ」と心の中でつぶやき、優越感で怒りを静めるというイヤな奴になるのだ。ざまーみろ!

 夜、「サファリ」のパソコンでインターネットをやったが、残念ながらフロッピードライブがついていなかった。松井史織はフロッピーを挿入し、「コトン」とパソコンの内側に落ちる音でその事に気がついたという。
 メールをやるだけなら便利だが、フロッピーが使えないのならHPの更新ができない。街で別のインターネット屋を探さなくては・・・。


出費                   35LE   ピラミッド
     7LE 宿代
     4LE タクシー
     0.25LE バス
     9LE 食事代
     5LE インターネット
計     60.25LE
(約1700円)
宿泊         Hotel Safari
インターネット    Hotel Safari