考古学博物館に続いては、エジプト観光の代表格ピラミッドを見に行くことにした。数あるピラミッドの中でも規模、知名度でナンバーワンなのはカイロ郊外にあるギザのピラミッド群。アテネのホステル「アナベル」で一緒になり、「サファリ」で再会した井尻さんと一緒に3人で行くことになった。
「サファリ」の近くにいた数台のタクシーのうち、一番穏やかそうな顔の運転手を選んで乗ったら、相場通りの金額で快くギザまで我々を運んでくれた。運転の方は穏やかとは言えなかったが・・・。
そろそろピラミッドが見えてくるはず、と車窓に注目すると、ビルの谷間から天にそびえる巨大な石の固まりがチラリと見えた。でかい!あれこそ高さ137メートル、世界最大のクフ王のピラミッドだ!
入場口の前で降ろしてもらい、チケットを買ってクフ王のピラミッドを目指す。いわゆる「ギザのピラミッド群」は主にクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドとスフィンクスから成っており、我々の入った入場口はクフ王のピラミッドの裏側にあたる。
近寄るにつれ、ピラミッドはますます大きくなっていく。しかしアングリと口は開けていられない。空は晴れているものの風が強く、そこら中でつむじ風が砂を舞い上げてミニ砂嵐を起こしているのだ。
クフ王のピラミッドの内部(玄室)は現在、午前9時からと午後1時から限定でチケットを売りだして公開されている。修復のためにいつなんどき公開中止になってもおかしくないそうなので、せっかくなら入っておきたい。午後1時までには時間があるので、先に他のピラミッドを見ておく。
三つのピラミッドのうち一番大きいのはクフ王のピラミッドだが、表面の化粧岩がはがれてしまったために真ん中のカフラー王のピラミッドの方が実は高い。頂上まで143メートルあるといい、エジプトでも最も美しいピラミッドとされる。
そう、ピラミッドはかつて表面が化粧岩に覆われてツルツルだったのだ。現在見られる表面のゴツゴツとした巨大石は基礎にすぎない。4500年の時を経て、その面影が残っているのはカフラー王のピラミッドの上部だけということになる。
一番小さいのがメンカウラー王のピラミッドだが、それでも高さ65メートルあるという。その奥に三つのピラミッドが重なって見えるスポットがあるので、砂漠に足跡をつけながら歩いた。
ピラミッドはさすがに素晴らしい。4500年も前にこんな建造物を作るとはエジプト人、恐るべし・・・じゃないのだ!おい、どうしたんだ現代のエジプト人!やっぱり昔の栄光にすがるだけなのか!?
少し歩くごとにラクダ使いが現れ、「ヘイ、ミスタール!ジャパニーズ?ヤマモトヤマ(意味不明)?キャメルに乗らんか、キャメル。安くしておくよ。10ドル10ドル、5ドル5ドル・・・オーケー、ファイナルプライス、ヘイ、ミスタール!ミスタール!」と数分はまとわりつく。写真スポットについてポーズを取れば、無理やりターバンを巻かせたりラクダのムチを持たせてバクシーシをむしり取ろうとする。
すぐに逆ギレするモロッコ人よりはマシかと思っていたが、一度、無視したラクダ使いに「ステューピッド・ピープル」(馬鹿な人たち)といわれた。コラ、お前らだろ!
時間となったのでクフ王のピラミッドまで戻り、チケットを買って玄室に入る。ちなみに「玄室」というのは古墳などで遺体を安置する部屋のこと。ピラミッドの中心だ。
ピラミッドが巨大な割には、玄室に通ずる通路は幅、高さとも1メートルほど、しゃがまないと通れないほど狭い。そんな通路を苦労しながらまっすぐ50メートルほど登ると、さっきまでの狭さが嘘のように高さ6メートル、幅3メートルほどの「大回廊」に出る。これに設けられた階段をさらに50メートルほど上ると、目指す玄室にようやく到着する。
縦8メートル、横4メートルほどの玄室には石棺があった。ここにクフ王のミイラがあったのだろうが、今では空だ。ただ、ここに一体の遺骸を収めるためにこの巨大な建造物が造られたのかと思うと、途方もない贅沢さを感じる。
現代において、ここまでの権力を誇る個人が存在するだろうか?21世紀の建築技術をもってしても、これほどのものをつくるのは決して簡単ではないだろう。ビル・ゲイツが私財を投げ売ったらひょっとして可能かな・・・?
最後にスフィンクスを見た。高さ20メートルの石の獅子はかつて威厳に満ちた眼光で王国を見下ろしていたのだろうが、今では顔を削られた上にアゴひげを大英博物館に持っていかれ、かなり痛々しい。だいたいイギリスもアゴひげだけ持っていくなんて、なんて中途半端なことをしたんだろう?
単体でみればスフィンクスも相当でかいのだが、やはり背後のピラミッドと比較してしまって小さく見えた。ネコ好きな私としては、なんだか励ましたくなった。
「お前も苦労してんだな。政府がヒゲを返すようイギリスと交渉しているから、もうちょっと辛抱してろよ・・・」
スフィンクス側の入場口から出たが、こっちの方が正面らしく、客待ちのタクシーや土産物屋、その他モロモロのアヤしい暇人などでごった返していた。帰りもタクシーに乗ろうと思っていたが、こんなところで客引きをしているタクシーに乗ったら料金でもめるのは火を見るより明らかだ。
離れたところでタクシーを捕まえようと歩き出すと、市内行きのバスが停まっていたので乗ることにした。相場通りであればタクシーでも一人80円だが、バスはさらにその10分の1だ。
帰路でまた、エジプトという国を感じた。
ギザから走りだしたバスはすぐに一本のドブ川を渡ったが、幅15メートルはあろうかと思われるその川すべてがゴミで埋まっていた。まるでエジプトにはゴミの雨が降り、ゴミが山の斜面を転がったり、家の屋根に落ちて道路脇の下水道を転がったりして川に注ぎ込んだような(いや、転がり込んだような)、そんな川だった。
だれがどうやってあの始末をつけるのだろうか?あるいは永遠につけないのだろうか?
バスの中、我々の前に座った青年2人は口ひげなんかを生やして顔だけは大人だった。どう若くみても18〜20歳はいっているだろう。しかし彼らのやることと言えばバスの窓から爆竹を投げ、道行く人や他の車を驚かして笑うことだった。白バイの警察官も「仕方ないなあ」という表情を浮かべるだけで、注意はしない。どうやらエジプトではバスから爆竹を投げることは合法らしい。そういえば驚かされた人たちも、その後でニヤニヤしていた。
「サファリ」の近くに着き、一軒の食堂に入ってチキン定食を食べた。チキンとサラダとパンとライスがついて一人6ポンドと何回も確認したのだが、見るからに小悪党のような顔つきのウェイターは予想通り、「ライスは別料金、一人8ポンドよこせ」とボってきた。こっちも疲れてイラだっていたので、声を張り上げて文句を言ったら、むこうも感情的になってきた。最後は怒鳴りあいの末、ようやく向こうが「もってけよ、このドロボーが!」みたいな感じで3人分18ポンドを20ポンドで払ったおつり、2ポンドを投げてよこした。
たかが2ポンド(50円)の差で、なんで大の大人がケンカせにゃならんのよ。客に気持ち良く帰ってもらったら、また来るかもしれないとは思わないのだろうか?モロッコもそうだったけど、目先の利益ばかりを追って大きな獲物を逃していることに気がつかないのだ。
・・・まあ、それが彼らの世界であり、やり方であり、私はそこを通りすぎる旅人にしか過ぎない。こういうことがあると、私はいつも「フフフ君たち、そんなやり方では未来永劫、わがジャパンのような経済大国にはなれないよ」と心の中でつぶやき、優越感で怒りを静めるというイヤな奴になるのだ。ざまーみろ!
夜、「サファリ」のパソコンでインターネットをやったが、残念ながらフロッピードライブがついていなかった。松井史織はフロッピーを挿入し、「コトン」とパソコンの内側に落ちる音でその事に気がついたという。
メールをやるだけなら便利だが、フロッピーが使えないのならHPの更新ができない。街で別のインターネット屋を探さなくては・・・。
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