8日は「サファリ」の寒い部屋でずっと日記を打っていた。考古学博物館やピラミッドに行った分を、ルクソールに下る前に更新しておきたいからだ。
夕方、雨の中をラムセス中央駅まで列車の切符を買いに行く。井尻さんも一緒にルクソールに行くことになり、明日の夜、我々3人はカイロを発ち、ナイル川沿いの古代遺跡を巡る旅に出ることになった。ゆっくり寝て行きたいので、贅沢だが1等車両にする。切符は車両番号もプラットホームの番号も席番号も全部アラビア語で書かれているので、案内係のおじさんに訳してもらった。
それにしても雨!エジプトの冬は寒いし、雨も降るのだ。ギリシャもエジプトも常夏で一年中青い空が広がっていると思っていたが、大きな間違いだった。それはきっと、日本にはまだサムライやニンジャがいると思うのと同じくらいの間違いだと思う。
9日の朝、「サファリ」をチェックアウトする。パソコンなどの余計な荷物は僕の大型バックパックにまとめて預けて行くことにした。これで僕も松井史織もデイパック一つずつ。ますます身軽になって嬉しい。
「王家の谷」などで知られるルクソール行きの夜行列車は夜10時にカイロを出る。それまで時間があるから、まずは近くのインターネットカフェでHPの更新を試みる。
「サファリ」のみんなもよく使う「Hany Internet」は日本語で打つことができてフロッピードライブも使わせてくれるが、プロキシサーバーの設定があってFTPソフトが使えない。結局少し離れた「Internet
4U」まで行き、今年初めての更新に成功した。
昼食を食べるころには晴れていたのに、スーフィーダンスの会場まで歩いて行く途中にまた雨が降ってきた。街角のカフェに入ってシャーイ(紅茶)を飲みながら雨宿りする。
アラブ諸国のご多分にもれず、エジプト人もよく紅茶を飲む。ガラスコップに注がれた紅茶に砂糖を3杯も4杯も入れて、水パイプを吸いながら、あるいはおしゃべりをしながら、あるいはドミノなどのゲームをしながら、または何もしないでボケーッとしながら、時間をかけて楽しむのだ。
カフェは男の社交場だから、外国人以外の女性の姿はまず見られない。水パイプの煙とむさくるしさに満たされたタフな空間なのだ。はじめは入りにくいが、慣れてしまえば甘いシャーイをすすりがら現地のおっちゃんたちを見ていることに落ち着きを感じるようになる。1日に何度もカフェに入りたいと思うようになる。そしてエジプトもなかなか良い所じゃないか、と思うようになる。
夜7時からスーフィーダンスを見た。これはエジプトの民族舞踊で、カイロの旧市街シタデルでは毎週水曜日と土曜日に無料の公演があるのだ。「サファリ」の情報ノートでは「カイロ最大の見物」となっている。期待を胸に会場の椅子に身を沈めたが・・・
スーフィーダンスは一言でいえば驚異だった。
はじめに弓矢のような弦楽器やチャルメラのような管楽器や太鼓や小型のシンバルなどを持った数人の男たちが登場して、音で場を盛り上げる。そしてカラフルなスカートを履いたおじさんが舞台の中央に踊り出て、おもむろに回り始める。クルクルクルクル回りはじめる。時にはスカートのすそを遠心力で広げながら、正月のコマのように回る。次は何だろう?と思っても、まだ回っている。そろそろ飽きてきたな、と思ってもまだ回っている。こっちが目が回ってきても、気持ち悪くなってきても、時に恍惚とした表情を浮かべながらおじさんはまだ回る。
20分ほど回ると、さすがにおじさんも額に手を当てて「目が回ったな。困っちゃったな」という苦痛と困惑のあいのこのような表情を浮かべるようになった。バックの音楽もスローテンポになり、疲弊した雰囲気を演出する。
しかし、そこでおじさんは「カッ!」と目を見開き、「まだまだ回れまっせー」とばかりに笑顔を浮かべながら、まるで水冷V型4気筒エンジンがレッドゾーンに突入したみたいにハイスピードで回転をはじめた。さっきのはフェイントだったのだ!
結局、おじさんは40分間ほど回りつづけていた。しかも最後はピタッと足をそろえて止まり、満場の拍手の中、深々と
お辞儀をして見せたのだ。(退場の時には千鳥足だったけれど・・・)
フィギュア・スケートの選手も砲丸投げの選手もよく回るけど、長時間回り続けことに関したら、このスーフィーダンスのおじさんの右に出る者はいないだろう。確かにある意味、カイロで最大の見物かもしれない。(しかも無料!)
公演の後は時間がなかったのでタクシーを捕まえて中央駅まで行く。1等の車両はなかなか豪華で、新幹線のグリーン車のようだった。フカフカのシートでテイクアウトのコジャリを食べていたら、定刻通り列車はプラットホームから滑り出した。
しかし井尻さんが来ない!待ち合わせていたスーフィーダンスの会場にもルクソール行きの列車にも姿をあらわさないとは、何かあったのだろうか!?
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