旅の日記

エジプト編その2(2002年1月8〜11日)

2002年1月8〜9日(火、水) 驚異!スーフィーダンス(Amazing Sufi dance)

 8日は「サファリ」の寒い部屋でずっと日記を打っていた。考古学博物館やピラミッドに行った分を、ルクソールに下る前に更新しておきたいからだ。
 夕方、雨の中をラムセス中央駅まで列車の切符を買いに行く。井尻さんも一緒にルクソールに行くことになり、明日の夜、我々3人はカイロを発ち、ナイル川沿いの古代遺跡を巡る旅に出ることになった。ゆっくり寝て行きたいので、贅沢だが1等車両にする。切符は車両番号もプラットホームの番号も席番号も全部アラビア語で書かれているので、案内係のおじさんに訳してもらった。
 それにしても雨!エジプトの冬は寒いし、雨も降るのだ。ギリシャもエジプトも常夏で一年中青い空が広がっていると思っていたが、大きな間違いだった。それはきっと、日本にはまだサムライやニンジャがいると思うのと同じくらいの間違いだと思う。

 9日の朝、「サファリ」をチェックアウトする。パソコンなどの余計な荷物は僕の大型バックパックにまとめて預けて行くことにした。これで僕も松井史織もデイパック一つずつ。ますます身軽になって嬉しい。
 「王家の谷」などで知られるルクソール行きの夜行列車は夜10時にカイロを出る。それまで時間があるから、まずは近くのインターネットカフェでHPの更新を試みる。
 「サファリ」のみんなもよく使う「Hany Internet」は日本語で打つことができてフロッピードライブも使わせてくれるが、プロキシサーバーの設定があってFTPソフトが使えない。結局少し離れた「Internet 4U」まで行き、今年初めての更新に成功した。

 昼食を食べるころには晴れていたのに、スーフィーダンスの会場まで歩いて行く途中にまた雨が降ってきた。街角のカフェに入ってシャーイ(紅茶)を飲みながら雨宿りする。
 アラブ諸国のご多分にもれず、エジプト人もよく紅茶を飲む。ガラスコップに注がれた紅茶に砂糖を3杯も4杯も入れて、水パイプを吸いながら、あるいはおしゃべりをしながら、あるいはドミノなどのゲームをしながら、または何もしないでボケーッとしながら、時間をかけて楽しむのだ。
 カフェは男の社交場だから、外国人以外の女性の姿はまず見られない。水パイプの煙とむさくるしさに満たされたタフな空間なのだ。はじめは入りにくいが、慣れてしまえば甘いシャーイをすすりがら現地のおっちゃんたちを見ていることに落ち着きを感じるようになる。1日に何度もカフェに入りたいと思うようになる。そしてエジプトもなかなか良い所じゃないか、と思うようになる。

 夜7時からスーフィーダンスを見た。これはエジプトの民族舞踊で、カイロの旧市街シタデルでは毎週水曜日と土曜日に無料の公演があるのだ。「サファリ」の情報ノートでは「カイロ最大の見物」となっている。期待を胸に会場の椅子に身を沈めたが・・・

 スーフィーダンスは一言でいえば驚異だった。
 はじめに弓矢のような弦楽器やチャルメラのような管楽器や太鼓や小型のシンバルなどを持った数人の男たちが登場して、音で場を盛り上げる。そしてカラフルなスカートを履いたおじさんが舞台の中央に踊り出て、おもむろに回り始める。クルクルクルクル回りはじめる。時にはスカートのすそを遠心力で広げながら、正月のコマのように回る。次は何だろう?と思っても、まだ回っている。そろそろ飽きてきたな、と思ってもまだ回っている。こっちが目が回ってきても、気持ち悪くなってきても、時に恍惚とした表情を浮かべながらおじさんはまだ回る。
 20分ほど回ると、さすがにおじさんも額に手を当てて「目が回ったな。困っちゃったな」という苦痛と困惑のあいのこのような表情を浮かべるようになった。バックの音楽もスローテンポになり、疲弊した雰囲気を演出する。
 しかし、そこでおじさんは「カッ!」と目を見開き、「まだまだ回れまっせー」とばかりに笑顔を浮かべながら、まるで水冷V型4気筒エンジンがレッドゾーンに突入したみたいにハイスピードで回転をはじめた。さっきのはフェイントだったのだ!

 結局、おじさんは40分間ほど回りつづけていた。しかも最後はピタッと足をそろえて止まり、満場の拍手の中、深々と お辞儀をして見せたのだ。(退場の時には千鳥足だったけれど・・・)
 フィギュア・スケートの選手も砲丸投げの選手もよく回るけど、長時間回り続けことに関したら、このスーフィーダンスのおじさんの右に出る者はいないだろう。確かにある意味、カイロで最大の見物かもしれない。(しかも無料!)

 公演の後は時間がなかったのでタクシーを捕まえて中央駅まで行く。1等の車両はなかなか豪華で、新幹線のグリーン車のようだった。フカフカのシートでテイクアウトのコジャリを食べていたら、定刻通り列車はプラットホームから滑り出した。
 しかし井尻さんが来ない!待ち合わせていたスーフィーダンスの会場にもルクソール行きの列車にも姿をあらわさないとは、何かあったのだろうか!?


出費                   40LE   列車代
     7LE 宿代
     2.5LE タクシー
     18.5LE 飲食費
     7.5LE インターネット
計     75.5LE
(約2130円)
宿泊         Hotel Safari(8日)
         ルクソール行きの列車(9日)
インターネット    Hany Internet
    Internet 4U


2001年1月10日(木) カルナックの大神殿(Temple of Karnak)

 列車は暑いくらいに暖房が効いていると聞いていたが、実際は寒く、夜明け前に目を覚ました。しかし車窓の風景だけはトロピカル。朝霧の中にヤシの木が浮かぶ。
 その向こうの地平線に太陽が昇った。車内売りのシャーイを飲みながら、しみじみと今年はじめての日の出を見る。アフリカの日の出だ。

 午前7時すぎ、カイロからナイル川を約500キロさかのぼったルクソールに着く。ホームに降り立つと、ザックを背負ってとぼとぼ歩く日本人男性を発見。井尻さんだ!彼は別の車両に乗っていたが、彼によれば我々の方が車両を間違えていたという。あれ?まあ、いいや。
 観光都市ルクソールの駅前に集まる客引きはしつこいと聞いていたが、それほどでもなく、思ったよりもこぢんまりとして静かな街だった。カイロのホテル「サファリ」の部屋が何しろ寒かったので、ちょっと贅沢してきれいめな駅前のホテル「Anglo」にチェックインするが、それでも一人350円。結果からいうとこのホテルはシャワーの出もいいし、部屋はきれいだし、大正解だった。

 列車の中では熟睡できなかったので、少々昼寝をしてから観光に出かけた。ルクソールはナイル川を挟んで東岸と西岸に分かれるが、「王家の谷」など主な観光スポットは西側にある。今日は街の中心に近い東岸をみることにし、まずは一番の見所であるカルナック神殿まで歩いて行った。

 さて、ルクソールはかつて「テーベ」と呼ばれ、古王国、中王国に続く古代エジプトの第3期、新王国の首都として栄えた。最盛期が約3500年前だから、クフ王なんかがギザに大ピラミッドを築いた古王国よりも約1000年新しい。どっちも大昔であることには変わりはないが、1000年という隔たりは大きい。何しろ今から1000年前といえば、日本はまだ平安時代なのだから。
 そう考えると、悠久の時の流れの中で少しずつ築かれていった神殿や都市の跡を「エジプトの古代遺跡」と一言でまとめてしまうのはひどく乱暴な気がする。それはきっと、「たのきんトリオ」と「嵐」をジャニーズ系として一緒にしてしまうのと同じくらい乱暴なのだ。

 さて、そのカルナック神殿だが、1000年新しいということもあって保存状態はギザのピラミッドとは比べ物にならない。大石柱群のレリーフはくっきり残っているし、雨の当たらない(もともと雨などほとんど降らないだろうが)部分では鮮やかな彩色の跡が見られる。
 そう、エジプトの神殿などはかつて原色をふんだんに使い、派手にカラーリングがされていたのだ。ちなみに中米のマヤ文明の遺跡も同様で、博物館で見た復元図のあまりに悪趣味なカラーリングに閉口したものだ。

 大ピラミッドより1000年新しいとしても、よく3500年も前にこんな手の込んだ石の大神殿を建てたものだと思うし、それがよくこの状態で残っているな、とも思う。大石柱の高さは23メートル。その上にあったという石の屋根はどうやって積み上げたのだろう?

 僕は中南米でマヤ文明やインカ文明の遺跡をたくさん見たし、この間は古代ギリシャの遺跡も見て来たけど、エジプトの遺跡は格別に感じてしまう。だってマヤやインカはせいぜい1000年前だし、古代ギリシャも2500年前であの状態だ。ミケーネ文明でかろうじてエジプトの新王国と同じぐらいの時期だが、今にして思えばミケーネの遺跡なんてカルナック神殿に比べたらショボくて話にならない。

 いや、インカの遺跡にだってマチュピチュなど素晴らしいのはあるけど、マチュピチュは遺跡そのものよりあの立地条件が素晴らしいのであって、いわば反則だ。メキシコのパレンケやグアテマラのティカルも大好きだけど、保存の状態はやはり勝負にならない。
 保存状態だけで遺跡の優劣はつけられないけど、それにしても、今更ながら遺跡というものに感動している自分に驚いたのだ。そういえばエジプトにはみんな大きな期待を寄せて行くが、「期待外れだった」という話は聞いた事がない。

 結局夕陽があたりを染めるまで居たので、次のルクソール神殿を見る時間がなくなってしまった。でもカルナック神殿より規模がだいぶ小さいみたいなので、まあ構わない。
 夜は日本人パッカーが集まるというホテル「アッサラーム」に行き、屋上のレストランでモロヘイヤのスープと炒飯を食べる。噂通りとてもおいしかった。西岸のツアーは我々のホテルでも受け付けているが、「アッサラーム」で申し込んだ方が安いので、基本ツアーの45ポンドにツタンカーメンの墓20ポンド、ネフェルタリの墓60ポンドを加えて合計125ポンドを支払って申し込む。
 明日、午前8時半からみっちりと西岸の観光だ。


出費                   10LE   カルナック神殿
     12.5LE 宿代
     17LE 飲食費
     125LE 西岸ツアー
     0.75LE トイレットパーパー
計     165.25LE
(約4670円)
宿泊         Hotel Anglo


2001年1月11日(金) ルクソール西岸(West bank of Luxor)

 ホテル「アッサラーム」の屋上で朝食を食べてから、迎えに来た西岸ツアーの中型バスに乗りこむ。メンバーは我ら3人のほかに「アッサラーム」に泊まっている若い日本人男性が一人、あとは各地ヨーロッパからの白人が大勢、の10数人。
 バスはルクソール市内を出発し、約9キロ上流にかかる橋を渡って西岸へ。そして「メムノンの巨像」という高さ15メートルはある一対の巨大な石像を見たあと、「王妃の谷」へと向かった。

 歴代の王の墓が集まる「王家の谷」に対し、「王妃の谷」には文字通り王妃たちが眠る。ツアーはここでティティという王妃の墓とラムセス3世の幼い息子の墓を見るが、我々3人は追加料金を払っているので、合間を見てラムセス2世の妻ネフェルタリの墓へ入った。
 在位67年間、絶大な権力を誇ったラムセス2世の妻の墓はさすがに手が込んでいて、保存状態も極めて良い。結果からいうと「王妃の谷」、「王家の谷」の墓の中でこの「ネフェリタリの墓」が一番美しかった。もっと言えば、このネフェリタリの墓を見れば、あとはもうツタンカーメンの墓を見るだけで十分だ。

 追加料金はなんと学生でも50ポンド(約1400円)、他の墓の入場料すべてを含むツアー代そのものよりも高い。しかもそれだけの金額を払っても10分間しか見ることができず、入場は1日150人限定。だからチケットを手配する際、ガイドは「手に入りにくいから」と10ポンドほど手数料を上乗せするのが常だ。
 しかし僕は断言する。もしあなたがルクソールに来ることがあったら、「ネフェルタリの墓」は絶対訪れるべきだ。50ポンド、国際学生証がないなら100ポンドのモトは確実に取れる。なにせ、この墓の装飾は「ペンキ塗りたて」の札がないのがおかしいほどに鮮やかなのだ。(そして墓自体の規模は大きくないから、10分もあれば十分に見ることができる)

 内部の撮影は一切禁止、入場の際は厳重な荷物チェックを受けることになる。そして階段を下ると、気温を一定に保たれた玄室の壁にレリーフが浮かびあがる。鳥、動物、人間など、壁を埋め尽くす象形文字一つ一つが細かく浮き彫りされ、白く塗られた壁をベースに黄色、赤、青など鮮やかに彩色されている。きっと長い年月をかけてコツコツ仕上げられたのだろう。王の墓でも手を抜いたもの、時間をかけなかったものの模様は溝をただ彫って塗料を流し込んだだけで、奥行きがまったく違うのだ。

 この墓は公開が始まった当初、見学者は靴にカバーをかけたり、口にマスクを しなければ入場できなかったという。今ではそれほど厳しくないが、それでも普段はチャラチャラしているエジプト人警備員からもシリアスな雰囲気が感じられた。
 しかし松井史織はデジカメを持ちこむことに成功、こっそり撮ったのがこの写真である(もちろんフラッシュなしで)。何が何だか分からないかもしれないけれど、美しさの一端を見ていたたければと思います。

 そしてツアーは「王家の谷」に移動。ここでも我々は20ポンドの追加料金を払っているのでツタンカーメンの墓に入ることができた。
 黄金マスクで知られるツタンカーメンの墓は1922年に発見されるまで、名だたる大王たちの墓と墓の間でひっそりと眠っていた。古王国、クフ王の時代には王たちは権力を誇示するために巨大なピラミッドを建てたが、新王国の王たちは盗掘を恐れて砂漠の谷に墓を掘った。それでも新しい王が生まれると墓を掘り始め、死ぬまで掘りつづけるのが習慣だったから、在位が長ければ長いほど墓は深く大きくなり、そして目立つこととなる。ツタンカーメンの墓の後にラムセス3、4、9世の墓を見たが、規模が大きい代わりに盗掘の傷跡や、その後に住みついた(!)古代キリスト教・コプト教の信者による落書きが生々しく、装飾の痛みも激しかった。

 ツタンカーメン王はわずか在位9年、18歳で早世したために墓は小さく、盗掘者たちも見つけることができなかったのだろう。ネフェルタリの墓ほどではないにしろ、壁画は当時の鮮やかさをほぼ保っており、中央の石棺にはダミーのマスクを被ったツタンカーメン王のミイラが眠っている。
 本当はここも撮影禁止なのだけど・・・誰もいないので撮ってしまった。あ、ツタンカーメンって呪いでも有名なんだっけ。たしか発掘の際に謎の事故が相次いだという話を聞いたことがある。盗撮などしたら僕も呪われるのだろうか?

 前述のとおり、ツタンカーメンの墓の後はツアーの団体と合流してラムセス3、4、9世の墓を見て、その後に昼食の時間となった。
 ガイドは事前にサンドイッチの注文を取っていたが、法外な金額なので我々は見合わせた。代りにそこらへんの店でスナックでもつまもうと考えていたのだが、バスが向かった先はエジプト土産の定番・パピルス(古代風の紙に絵を描いたもの)屋。ツアーはそこの店内でパピルスを見ながらサンドイッチを食べるのだ。近くには他に店もなく、我々はもう一人の日本人がもっていたピーナッツを食べて空腹をしのいだ。

 パピルスを眺めていると買いたくなる人もいるようで、大金を払って買っている人が何人かいた。人のことだからあまり言いたくはないけれど、それだったらネフェルタリやツタンカーメンの墓を見た方がはるかに良かったんじゃないか、と思う。だって墓めぐりをしているのにこの二つの墓を見ないのは、寿司屋に入ってカッパ巻きや玉子ばかり食べているようなものだ。(え?個人的な好みもあるだろうって?)

 さんざんパピルス屋で長居させ、もうこれ以上誰も買わないとあきらめると、明らかに店からマージンをもらっているガイドは重い腰をあげて次のスポット、ハトシェプスト葬祭殿へと向かった。
 ハトシェプストはトトメス2世の妻だったが、夫が早死にしたために自らファラオを名乗り、17年間にわたってエジプトを統治した。その間彼女はつけひげをし、女王ではなく男の王として君臨したという。彼女は現在のソマリアに使節団を派遣したが、彼女の建てた葬祭殿にはその様子がレリーフとして残されている。

 さて、その葬祭殿はまわりの絶壁と比べても見劣りしないよう3階建てになっている。全体が妙にきれいだと思っていたら、案の定ポーランド人技師によって大部分が修復されたものだという。あまりにきれいすぎて、遺跡というよりは私鉄の駅ビルのようだ。一階にツタヤ、ドトールコーヒー、文教堂書店、マクドナルドが入っていて、2階に切符売場とキオスクがあるような感じだ。
 ちなみにこのハトシェプスト葬祭殿は1997年のあの恐るべきテロの舞台となったところで、日本人10人を含む60人近い観光客が犠牲となった。今では野良犬が昼寝をしていたりして、そんなことが嘘のようにのどかなのだが・・・。

  我々が見学していると、一台の黒いランドクルーザーが場内に入ってきた。ガイドによると政府の役人が乗っているそうで、修復がどれだけ進んでいるか視察に来たのだという。
 なるほどなるほど、こうしてエジプトの役人も遺跡の修復と保存に尽力しているんだなあ・・・と思ったら、おいおい!!なんと、そのランドクルーザーは2階に上がるスロープをそのまま登って行ってしまった。修復したとはいえ遺跡だぞ!しかも役人自らがそんなことをしてどうする!?車は下に停めて歩けばいいじゃないか。わずか30メートルほどなんだから・・・。
 きっとその役人は、「俺はこんなことが許されるんだゾ」と得意げになってやったのだと思う。それはまるでバイク通学が禁止であった高校に卒業後、バイクで遊びに行って優越感に浸るような子供じみた行為だ。(僕はやったことがあるからよく分かる)
 これにはさすがにガイドのおじさんも憤慨していた。役人が降りてきたら態度を豹変してゴマをすっていたけど・・・。

 ツアーはその後、またも土産物屋に寄ってからルクソール市に戻るというので、うんざりとした我々はそこでツアーを離脱。乗合のタクシーをつかまえてラムセス3世葬祭殿に行ってみた。

 ラムセス3世もラムセス2世ほどではないが、31年ものあいだ王座にいた権力者だった。彼の葬祭殿は東岸のカルナック神殿に勝るとも劣らない規模で、天井や壁、柱のレリーフが見事だった。見学時間が終わるギリギリに行ったから、最後の客である我々で夕陽に染まる大遺跡を貸し切ることができた。
 この葬祭殿の入場料は学生で6ポンドと安いが、おそらく西岸の神殿の中でもピカ一の規模と美しさだ。何でツアーはここに寄らないのだろう?というより普通にあのツアーに参加していたら、ネフェルタリの墓もツタンカーメンの墓もラムセス3世の葬祭殿も見ずに、高いサンドイッチとパピルスを買って帰る事になるのだ。安いツアーだからといって参加すると、内容もそれなりになるから注意が必要だ。

 警備員にそれとなく追い出されるまでファラオの時代を偲んだあと、我々はまた乗合タクシーを捕まえてルクソール市内へと戻った。昼食を抜いていたので目が回るくらい腹が減っている。そのままホテル「アッサラーム」の屋上レストランに行き、今朝約束したとおりハトの丸焼きに挑戦した。

 ハト料理はエジプト名物の一つらしい。そういえばスーク(市場)の鶏肉屋でも生きたままのハトが売られている。でも、どうせペルーでクイ(ネズミ)を食べた時みたいに骨と皮ばかりでおいしくないのだろうな、と思ったら、全くその通りだった。中に米が詰まっていなかったら本当に食べるところがない。
 まあ、こういうものは「ハトを食べた!」とか「ネズミを食べた!」などと、ある意味自己満足するために食べる「イベント性追求型料理」だから、味うんぬんを言っても始まらないのだけど・・・。


出費                    5LE   中古の「地球の歩き方イラン編」購入
     12.5LE 宿代
     18.5LE 食事代(ハトなど)
     0.75LE 乗合タクシー
     6LE ラムセス3世葬祭殿
     1LE フェリー
計     43.75LE
(約1240円)
宿泊         Hotel Anglo