午前3時20分にホテルのスタッフにたたき起こされ、まだ暗い中、ツアーのミニバスに乗ってホテルを後にする。
陸路ツアーが再開されたとはいえ、まだ100パーセント安全とは言いきれないので、アブ・シンベルへ向かうバスや車は警察の護衛つきでコンボイを組むことになる。今朝のコンボイは大型観光バス、ミニバスなどで十台ほど。マシンガンを持った警官の乗るパトカーに挟まれてアスワンの街を出発するが、砂漠の中の一本道に出ると大型バスは構わず時速140キロくらいで飛ばして行く。安いツアーのミニバスは遅れを取り、結局10台の間隔は大きく開く。これでもコンボイの意味はあるのだろうか?
ここまで南下しても砂漠の夜の冷え込みは厳しく、暖房の効かない車内ではなかなか眠ることができない。今年2回目の日の出は砂漠から登る真っ赤な太陽だった。
アスワンからアブ・シンベルまでは280キロあるが、信号のない一本道なので3時間ほどで着いてしまう。午前7時過ぎ、雲ひとつない空の下で神殿の観光を開始する。
アブ・シンベルは67年の在位を誇ったラムセス2世の自己顕示欲を満たすため、岩山をくりぬいて築かれた大神殿だ。入口を挟むようにして並ぶ、高さ20メートルの4体の巨像はいずれも彼自身がモデルで、さらに内部には高さ10メートルの像が8体並ぶ。
ここまでするのはかなりすごいと思う。ケンタッキー・フライドチキンの前にカーネル・サンダース人形があったり、漬物屋の前に梅宮辰夫像があるのとは次元が違う。こんな地にこれだけのものを作らせたのだから、ラムセス2世の権力がいかに強大だったかが伺い知れる。
ちなみにラムセス2世の在位中、かのモーゼが「出エジプト」を果たしたらしい。海が割れ、モーゼに率いられたユダヤ人たちが歩いて対岸へ逃れたというあのエピソードの時代の王なのだ。それを考えると、3300年前というのはなんという昔なんだ、と思う。モーゼの時代なんて僕にしてみればアダムとイブの時代と区別がつかない。旧約聖書という大昔のおとぎ話の登場人物で、リアリティがまったく感じられないのだ。
巨像を見上げながら内部に入ると、今までの神殿や墓の内部と比べ、自然の凹凸を生かした荒削りな部屋が広がる。表面には美しいレリーフが彫られているのだが、部屋全体が歪んでいたり壁が波打っていたりして、これはこれで趣がある。安っぽい壁だとしっくいで塗り固めた上からレリーフを施すのだが、この神殿では固い岩盤にそのまま刻んでいるのだ。それだけでも手のかかり具合がだいぶ違う。
大神殿の内部を一通り見た後は、隣の岩山にある小神殿を見に行く。これはラムセス2世の妻ネフェルタリに捧げられた神殿だが、こちらの方が分解されたときの跡が強く残っている。
分解!そう、アスワンハイダムの建設によって生まれたナセル湖のほとりにあるアブ・シンベル神殿は、かつて今の位置より60メートル下、今では水に沈んでいる地点にあった。ダムができる際、ユネスコを中心として国際的な寄付と救済方法のアイデア募集のキャンペーンが行われ、結局神殿は1000個もの部品に分解され、今の位置で組み立てられて水没の危機を脱したのだ。
「地球の歩き方」の解説を読む限り、どうも当時のエジプト政府は遺跡の保存にはあまり興味がなかったみたいで(ダム建設の方がはるかに優先だった)、それでユネスコが動いたらしい。ちなみにそうして作られたアスワンハイダムだが、ぶっちゃけた話あまり役にたっていないらしい。ナイル川の氾濫は確かに無くなったが、全長500キロにも及ぶ巨大人造湖の出現によって環境が変化し、新たな問題を引き起こしているのだという。
何はともあれ、小神殿の前にもラムセス2世とネフェルタリの像は並び、内部はこぢんまりとしていたが、やはり手の込んだレリーフが美しかった。
こんなにも愛された感のあるネフェルタリだが、ラムセス2世は彼女のほかに正妻3人、側室が200人以上もいたらしい。ソッチの方でも絶大な権力を誇っていたのだ!
見学時間の2時間はあっという間に過ぎた。その頃には陽射しが暖かくなり、最後は大神殿の前のベンチに座って日を浴びながら、しみじみと4体の巨像を見上げた。
カイロから約1000キロ南。スーダンは目と鼻の先だ。しかし、ここまで苦労して下ってきたかいは確かにあった。辺境の地に古代ロマンの極みが待っていた気がした。
午前9時半ごろにミニバスはアブ・シンベルを出発し、砂漠の一本道を引き返した。行きの車内は寒かったのに、帰りは暑い。砂漠というのは忙しいところだ。
アスワンの郊外まで戻ってきたところでロング・ツアーとショート・ツアーの客が分かれた。ショートの客はバスを乗り換えて、そのままアスワン市内へ戻る。我々のバスには他のバスのロング・ツアー参加者も乗ってきて、まずはアスワンハイダムへと向かった。
アスワンハイダムは見る価値がない、とさんざん聞かされていたが、5ポンドと入場料が安いので行ってみると、まったくその通りだった。
普通ダムを見るというと、我々は黒部ダムのようなコンクリートの絶壁を期待する。しかも世界最大級のダムなんだから、それはそれはギアナ高地のテーブルマウンテン級の絶壁を想像してしまうのである。
しかし実際のアスワンハイダムには絶壁はない。なだらかな土手で、高さも大してない。これでは荒川の土手といい勝負だ。向こうから金八先生が「こらぁー、かとぉー」とかいいながら歩いてきそうな雰囲気なのだ。現実には金八先生の代りに暇そうな犬が日向ぼっこをしていたのだけど・・・。
同じ世界級のダムでも、南米のイタイプー・ダムの足元にも及ばない。もちろん観光地としては、という意味において。
ダムの後、バスはナイル川に浮かぶフィラエ島に向かった。島には死者の保護者、イシス神を奉った神殿があるが、こちらも水没の憂き目にあって移転された。神殿の壁や柱には水に浸かっていたころの跡が残っているという。
さて、このフィラエ島の入口はナイル川の東岸にあり、料金を払って入場してから渡し船に乗ることになる。船代は料金に含まれておらず、船頭と一から交渉しなければならないのだ。
なんて面倒なシステムなんだろう?我々は一人往復10ポンドというのをなんとか4ポンドにさせたが、それでも10分ぐらいはかかった。こんなの、はじめから入場料に含ませておけばいいのに。まあ、アラブらしいといえばアラブらしいが。
島にあるイシス神殿は確かに一見の価値があった。
アブ・シンベルツアーのおまけ、と片付けるのはもったいない。水没の跡はあるのだが、神殿全体を包むレリーフは非常に手が込んでいて、中庭に並ぶ石柱群などは一本一本のデザインを微妙に変えてあるのだ。おそらく装飾の美しさでは、この神殿はトップクラスに位置すると思う。
ターバンを頭に巻いた警備員がなぜか朗々とイスラムの歌を歌い上げていて、その声が神殿中にこだましていたのも雰囲気を高めていた。
フィラエ島からナイル東岸に戻り、バスに乗り込むとすぐにアスワン市内。11時間に及ぶロング・ツアーはようやく終わった。
ベッドになだれこみたい気分だが、まずはホテルを「マルワ」から若干ランクの高い「ヌビア・オアシス」に換えた。「マルワ」の親父もかなり良い人なのだが、部屋が埃っぽく、しかもハエが大量発生しているのだ。
2倍の部屋代(といっても一人300円もしないが)をとるだけあって、部屋はまずますきれいだった。チェックインしてすぐに寝入り、夕食に起きて、サンドッチを放り込んだあと、また眠った。
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