旅の日記

エジプト編その4(2002年1月14〜17日)

2002年1月14日(月) シケ物館(Museum of junks)

 アスワンからカイロに戻る列車は、夜8時に出て翌朝に着く。昨夜の便に乗ることもできたが、11時間のロング・ツアーのあとに夜行列車に乗るほど僕はタフじゃない。今日一日をアスワンでゆっくりして、今夜の便で帰ることにしたのだ。

 ホテルが朝食つきだったので、シャーイとパンの簡単な食事を済ませてチェックアウトする。日本人を見るとすぐに「ナンデヤネン」とか「サラバジャ!」とかいう陽気なフロントは、快く荷物を預かってくれた。
 郊外にあるヌビア地方の文化財を集めた「ヌビア博物館」に向かうが、昼休みで閉まっていた。次に開くのは午後5時だという。国際的な協力のもとに最近建てられた、一見の価値がある博物館だと聞いていたのに・・・。
 仕方なく、アスワン市の目の前に浮かぶエレファンティネ島に渡ってみる。アスワン博物館、ナイロメーター、クヌム神殿という三つの見所があるが、合わせての入場料が5ポンドというのが示しているように、あまり期待はできないらしい。

 まずは博物館に入るが・・・まいった。まるで理科教室の標本を見ている気分だ。アスワン近郊から出土した土器やアクセサリー、ミイラなどが展示されているが、どれもシケたものばかりで博物館の規模も一軒家程度。こりゃ博物館じゃなくてシケ物館だ!入口で厳重なカメラチェックがあり(係員が暇なので厳重なのだ)、カメラを預けることとなったが、頼まれても写真なんか撮らないって。
 一番の見物はバクシーシ欲しさに付きまとって説明する博物館員だった。いけないことを話しているわけでもないのに、なぜか説明がヒソヒソ声で、何を言っているのかよくわからないのだ。
 最後にもヒソヒソ声で「あのう、チップをください」というので、「誰も説明なんか頼んでねえだろ!」と一喝したら大人しく奥に引っ込んでしまった。悪いことしたかな?

 しかし、博物館裏にあるクヌム神殿とナイロメーターは思ったよりも良かった、というより博物館よりは許せた。

 ナイロメーターはナイル川の水位を測るためのもので、川のほとり、水面から登るようにつくられた階段の壁に目盛りが刻んである。水位があがると水が階段に流れ込み、その高さを読むことによって氾濫を予測したのだという。
 ダムが上流にできた今、このナイロメーターの目盛りまで水が上がることは恐らくないのだろう。階段はすっかり乾いていて、水の跡すらなかった。

 クヌム神殿と、その裏の古代住居跡はほとんど原型を留めていなかったが、まあ、インカの遺跡もこんなものだった。3000年も4000年も前の神殿がデーンと残っているほうがむしろ不自然なのだと思う。
 太陽がポカポカと暖かく、どうせ他にすることもないので、石に腰掛けてボケーッとしていた。

 やがてそれにも飽きたので、東岸に戻ってカフェをはしごする。カフェにいると、やっぱりエジプトは良いところだなあと思ってしまう。
 しかし、 このシャーイの代金も0.5ポンドなのか1ポンドなのかが微妙なラインであり、地元民のたまり場のような汚いカフェだと0.5を黙って渡しても「シュクラン」(ありがとう)と言われるが、ちょっと小奇麗なカフェでは1ポンドを払わないとケンカになる。メニューや料金表がない分、ボラれているか正規の値段なのか、経験を積まないと判断がつかないのだ。

 シャーイばかり飲んでもトイレに行きたくなるだけなので、荷物を預けたホテルに戻り、ロビーで時間をつぶす。ようやく夜7時になったのでホテルを出て、みかんとバナナを屋台で買い(そこでもちょっとバトルがあった)、コジャリのテイクアウトをして駅に向かった。
 エジプトも列車だけは時間通りに出るもので、午後8時、我々を乗せた列車はアスワン駅を後にした。明日の朝にはカイロに戻るが、きっとまた寒いのだろう・・・。


出費                   49LE   列車
     5LE エレファンティネ島
     6LE 飲食費
     1LE 渡し船
計     61LE
(約1720円)
宿泊         カイロ行きの夜行列車


2002年1月15〜17日(火〜木) かんづめ(Concentrate on writing)

 列車は1時間遅れで濃霧に包まれたカイロに到着した。
 井尻さんはタラアト・ハルブ広場近辺でシングルの部屋を探すといい、駅で我々と別れた。僕と松井史織は「サファリ」からそう遠くない場所でホテルを探す。「サファリ」も快適なのだが、寒いのと集中してパソコンができないのが辛い。我々はエジプトを発つ前に日記を打ってアップロードしなければならないのだ。
 「サファリ」の誇る日本図書や情報ノート、日本食などは捨てがたいが、あそこのドミトリーで「ルクソールはどうでしたか?」「はあ、パソコンですか」「ホームページを持っているんですか」などど話しかけられながらパソコンに向かっていては、いつまでたってもエジプト編の日記は終わらない。どこか静かなホテルで「かんづめ」にならなければ。

 「地球の歩き方」に載っている宿を数軒あたるが、結局、一番最初に部屋を見たホテル「ミネルバ」に決めた。一人17.5ポンドは少々贅沢だが、部屋は広くて天井は高く、バルコニーからはカイロでも最も繁華なタラアト・ハルブ通りが見下ろせる。6階にあるので街の喧騒もそんなに気にならない。いつ壊れて落下しないとも限らない木造のエレベーターも、やはり無いよりはいい。
 15日はチェックインした後、さっそくパソコンに向かって日記を打ち始めた。夜は「サファリ」ほどではないにしろやはり寒いので、エジプト産のウォッカをちびちびやって体を温めた。

 16日の午前中、日記はまだまだ終わっていないのだが、我々は来る18日に起こるかもしれないトラブルを未然に防ぐため、街に出た。「起こるかもしれないトラブル」とは、バンコクまでの片道航空券しか持たない松井史織がカイロ国際空港で搭乗を拒否される、ということだ。

 我々日本人は、観光が目的とした30日以内の滞在であればタイに入国するのにビザは要らない。タイから出国する航空券を持っていなくても(つまり片道しか持っていなくても)、入国時に問題が起きることはまずない。
 ただし、航空会社が自主的に搭乗を拒否する場合がある。もし問題が起きると、乗せてきた航空会社の責任も問われるからだ。航空会社はよっては「私一人で責任を負います」という誓約書を書かせて乗せる場合もあるが、エジプト航空では帰路、あるいはバンコクから第3国に飛ぶ正規価格のチケットの購入を迫ることがあるという。

 もちろん全員が全員、そんなことになるわけではない。むしろ問題なく飛ぶ人の方が多いが、これはいい加減なチェックインカウンターの係員にあたるか、厳しい人にあたるか、運による部分が大きい。僕は楽天的に考えていたのだけど、この前「サファリ」の宿泊者で搭乗拒否にあい、宿に戻ってきた人がいたばかりなのだ。 過去にも何人かいたそうで、「高い正規チケットを買わせるためにやっているんじゃないか」という噂が「サファリ」ではたっていた。
 そのような場合、チェックイン時では時間がないぶん客側が不利になる(モメている間に飛行機は離陸してしまうのだから)。よって、我々は時間のあるうちにタイ大使館やエジプト航空に行き、「日本人は片道でも入国できる」というお墨付きをもらうことにしたのだ。

 タイ大使館の場所がわからないので、まずはツーリスト・インフォメーションに行って聞いてみる。
 恰幅のいい、親切なおじさんが丁寧に教えてくれたので、「この人は頼りになるかもしれない」と判断した私は彼を巻き込むことにした。「実は、こんな問題が日本人の間で起きているのです・・・」
 僕の説明を聞いた彼は、それなら向かいにエジプト航空のオフォスがあるので一緒に行ってみよう、と言ってくれた。よし、いい風向きだ!

 さて、エジプト航空のオフィス。おじさんは「supervisor」というカウンターに座っている、屈強そうなおばさんにアラビア語で事情を説明した。しかし(というか案の定というか)、おばさんは屈強そうな顔をしかめて「日本人でも片道ではタイには入国できない。帰路のチケットがないなら、そのご婦人を乗せるわけにはいかない」とニベもない。
 「そんなことはない。今すぐ、その電話でタイ大使館に聞いてみればよい。日本人は問題なく入国できるのだ」
 「そんな必要はない。ダメといえばダメだ。そんなにいうなら、あなたがタイ大使館に行って書類でも何でも持ってくればいい」
 押し問答が続いていると、オフィスの奥から今度は穏やかな顔つきのおばさんが現れた。身なりも気品も、屈強おばさんとは全然違う。どうやら彼女の上司らしい。そしてその上司おばさんは屈強おばさんに言った。「あの画面を見せてさしあげたら?」
 そのコンピューターの画面はタイ大使館が各航空会社に発表している、国籍別の入国条件を表したものだった。それによると、なんと「日本人=有効な出国チケットがないと入国は不可」となっている。やばい!いきなりの逆風!ここに来たのはヤブヘビだったのか?パンドラの箱を開けてしまったのか?

 しかし、そこで「わかりました。彼女にバンコクから日本へのチケットを買わせます」と言うほど、僕は物分りがよくない。エジプトで航空券を買うと高いし、松井史織が欲しがっているバンコク〜名古屋間はエジプト航空は就航していないのだ。正規チケットで成田まで飛び、そこからはるばる岐阜まで帰っていては、とんでもない金額になってしまうではないか!
 「しかし現に多くの日本人がエジプトから片道でバンコクに飛んでいる。日本人旅行者の間ではチケットの安いバンコクまで片道で飛び、そこで次のチケットを買うことが常識になっているのだ。俺の友達も何人も・・・(以下ダラダラ、ギャーギャー)」
 あきらめないで粘っていると、穏やかな上司おばさんは我々を彼女の部屋に通してくれた。オフィスの奥にある重厚な個室。どうやら彼女は支店長らしい。

 彼女は、それではタイ大使館に電話をしてみましょう、といい、秘書に電話を繋げさせた。そして大使館のビザ担当官に聞いてみると・・・「うーん、片道ではほんとはダメなんですがね、いや、実際みんな行っているし、たぶん大丈夫でしょう(?)。タイで日本行きのチケットを買うお金は持っているんでしょ?だったら問題ないでしょう。あ、いや、この電話が入国を保証するわけではありません。え?私の名前?だから、私が保証するわけではないので名乗れません。うちでお墨付きの書類を出す?いや、そんなことは行っておりません・・・」
 これはエジプト航空の問題というより、タイ側の曖昧な態度の問題なのだろう。航空会社には「片道では乗せるな」と言っているのに、タイまで飛んでしまえばパスポートの提示だけで問題なく入国させてしまう。どちらかのルールに徹底しないと、片道で飛べるか否かは本当に運次第ではないか!
 結局、支店長おばさんは松井史織が「タイで名古屋行きのチケットを買う財力があります」という覚書にサインすることで、彼女の搭乗を保証してくれた。話のわかる、とても頭のよい人だった。
 やれやれ、一時はどうなるかと思ったがこれで安心。少なくてもヤブヘビにならなくて良かった。

 さて、これからエジプトからタイへ片道で飛ぼうとする皆さん。エジプト航空(及び、他の航空会社でも同じだと思いますが)の名誉のためにいいますが、彼らはタイ大使館から「片道で乗せるな」という通達を受けており、搭乗を拒否しても、それは職務を忠実に遂行しているに過ぎないのです。中にはワイロを受け取り、こっそり搭乗を許可するチェックインカウンターの係員もいるそうですが、「正規チケットを売りつけるためにやっている」という、いわゆる「陰謀説」はあくまでも噂にしか過ぎなかったのです。
 だから今後もエジプトからタイまで片道で乗れるか否かは、本当に運次第なんです・・・。

 その後、昼食を食べてから宿に帰り、ふたたびパソコンに向かった。
 17日の午後になってようやくアブ・シンベルまでの分の日記が完成、大きなショッピングセンターの中にあるインターネットカフェからアップロードする。これでタイへ飛ぶ準備は整った。
 今思っても、エジプトで2週間というのはやっぱり短い。カイロもまだまだ見尽くしていないし、シナイ半島や紅海も見ていない。疲れる部分もあるけど、また来たいと思える国だ。


出費                 52.5LE   宿代
     9.5LE インターネット
     1.25LE トイレットペーパー
     44.8LE 飲食費
計     108.05LE
(約3050円)
宿泊         Hotel Menerba
インターネット    Ben Net