旅の日記

ギリシャ編その6(2001年12月19〜25日)

2001年12月19〜20日(水〜木) 松井史織嬢がやってきた(Another friend arrives)

 19日は、かねてからトライしようと思っていたタンシチューを作った。肉屋の軒先にいつもぶらさがっている巨大な牛の舌が前々から気になっていたのだ。タンの皮のむき方はエクアドル、ホテル「スークレ」の従業員カルロスに教えてもらったので知っている。問題はデミグラスソースのつくり方だ。

 インターネットで検索したが、出てくる作り方は「市販のシチューの素を入れて」とか「デミグラスソースを一缶加えて」とか、海外邦人の神経を逆なでする内容のものばかり。
 ・・・そんなのがあれば、苦労はしねえんだよ!

 ひとつだけトマトソースとワイン、ビーフコンソメ、牛乳から作る方法を載せたページがあったので、それに習って午後3時ごろからコトコト煮はじめたが・・・うーん、一応シチューにはなったものの、トマトソースが多すぎたのか、酸味が強くてトマト煮のようになってしまった。
 残ったタンで作ったタン塩が、19日のメニューを支えた。シチューも十分においしいのだが、最近ご馳走が続いたおかげでイマイチ心に訴えるものがない。「エクスタシーがないですねえ・・・」と、多田君も天井を見上げて唸ってしまった。

 翌20日はすき焼きにした。
 海外ですき焼きを作るとき、肉の厚さが一番の問題となる。日本を出ると、すき焼きに適した薄切りの牛肉がまず見つからないのだ。肉屋に行って「薄く切ってくれ」と頼んでも、機械自体の精度が低く、せいぜい厚さ3〜5ミリが関の山だ。
 そこで、我々は肉の塊を半分凍らせる作戦に出た。すると平野君が残していった100円包丁でも、面白いようにスパスパと薄く切ることができた。

 1.3キロの肉の塊から大皿2枚分のすきやき肉ができたころ、フロントに疲れきった松井史織嬢がやってきた。私がメールで送った住所だけを頼りに、クロアチアからフェリーを乗り継いでやってきたのだ。オモニア広場からの道のりで迷ってしまったらしいが、肉が用意できたところに到着するとは、彼女は鼻がいいらしい。
 そして臭いは考古学博物館裏のアパートまで届いたのか、ドラもすき焼きが出来あがったころに遊びに来た。たまたま撮った写真は映画「家族ゲーム」の食事時のようになってしまったが、同い年同士、彼女たちはすぐに友達になっていた。
 こうして考えてみると、ドラ、松井史織、市川君、多田君の4人は21〜23歳。私だけがダントツに年上だ。荒木夫妻、早く来てください・・・。

 さて、すき焼きの方だが・・・割り下の味も肉の厚さも確かに普通のすき焼きなのだが、何かが足りない。ガツンと来るエクスタシーがない。うーん・・・すき焼きといえば久美子が得意なので、メールして聞いておけば良かった。
 「昨日からどうもスランプですねえ」と、今日も多田君は天井を見上げて唸ってしまった。あのかき揚げやお好み焼きで感じた恍惚感は、いつになったら再び味わうことができるのだろうか。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 3000Dr   飲食費
     10000Dr 宿代(4泊分)
     15000Dr 宿のバイク駐車代(無期限)
     1100Dr インターネット
計     29100Dr
(約9190円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月21〜23日(金〜日) マルセル&フラービアに再会(Meeting Marcel&Flavia)

 アテネに来てから雨ばかりだが、21日は特にひどかった。
 松井史織が増え、近々荒木夫妻も来る予定なので、我々は空いている6人用のドミトリーを独占することにした。これならみんなで電気ストーブの温もりを共有できる・・・と思ったが、甘かった。最大1200ワットのストーブひとつでは、とても6人部屋は温まらないのだ。外は冷たく激しい雨、たてつけの悪い窓からはすきま風が入ってくる。市川君、松井史織と「寒い寒い」といいながらストーブにかじりついた。
 夜は栗ごはんに挑戦したが、多田君が国際電話で作り方を教えてもらったにもかかわらず、今日もまた、何か一味足りなかった。そればかりか火加減を誤り、いつも使っている大鍋の底にガンコな焦げ付きを作ってしまった。熱湯につけたりこすったりを繰り返し、この鍋がキレイになったのは2日後だった。
 この日から、松井史織がギリシャに渡るフェリーで出会ったユウキさんが夕食に加わることになった。彼は近くのインターネショナルユースに泊まっているが、そこは暖房がある代わりにキッチンがないという。暖房かキッチンか・・・究極の選択に近い。

 翌22日は土曜日。日曜日の分まで買いだしをせねばならず、市川君とクリスマス前でごった返した市場に行き、ビール1ケースや豚肉、サバ、各種野菜などを仕入れた。来週の25、26日は休みとなるので、24日にまた市場の人ごみに揉まれなくてならない。
 宿に戻ると、マルセルとフラービアからのメッセージが残されていた。昼過ぎに来たが私がいないので、また夜7時に来るという。彼らはドブロウニクからパトラまでフェリーで一緒だった、ヤドカリのように荷物が多いスイス人のライダー夫婦。私より先にアテネに到着したが、その後クレタ島に渡り、最近になって戻ってきたのだ。
 夕食をどうするつもりか分からないが、彼らのために今日はロールキャベツを作ることにした。

 ロールキャベツなんてひき肉をキャベツで包むだけだと思っていたが、インターネットで調べると、えっ、先にキャベツをゆでんの?以外に手間だなあ。マルセルはパン屋で味にうるさそうだから、できればちゃんと作りたい。午後5時ぐらいから下ごしらえを始めた。
 キャベツの葉をゆですぎて破れやすくなり、肉を巻くのに難儀したが、牛乳とバターでクリームシチュー風にしてみても意外と煮くずれなかった。

 そして午後7時きっかり、おそろいの白いハンチング帽を被ってマルセルとフラービアが登場。彼らもユウキさんが泊まっているインターショナルユースに泊まっていて、そのまま年を越すという。
 マルセルとフラービア、そして宿のみんなと食卓を囲んだが、ロールキャベツはまずまずの味で誰もが(表面上)満足していた。多田君も、今日は「じわじわとエクスタシー」と言っていた。

 食後、彼らのバイク、トライアンフ・タイガーを市川君に見せにユースに行った。「ユースはバイクが止められるのだ」とマルセルは言っていたが、前の歩道に路上駐車しているだけだった。フロントが24時間空いているので安心だというが・・・うーん、アテネでも一番治安の悪いオモニア広場周辺、俺ならやっぱりここには停めないなあ。だけどマルセルは鉄の意志の男なので、自分が安全だといったら絶対に安全なのだ。
 多すぎた荷物はさすがに減らす方向にあるらしい。「長さ4メートル、幅2メートル」のテントも今後使わないので、送り返す代わりに小さいのを取り寄せているという。よかったよかった。あの荷物のままインドを目指すのはかなり辛いだろう・・・。
 彼らもまだまだアテネにいるので、今後も会うことになるだろう。

 23日は日曜日なのに、クリスマス前のために市場も商店も開いていた。なんだよ、昨日苦労して買いだししなくても良かったじゃん。
 小さな電気製品の店で超小型の電気コンロを発見、衝動買いする。これがあれば寒い部屋の中でお湯が沸かせるだろう。

 そして包みをぶら下げて街を歩いていると、路上に停められた超クールなバイクをみつけた。ショートホイールベースのネイキッドボディに空冷Vツインの組み合わせ、ハーレーのエンジンを搭載したわが愛しのスポーツバイクBuellを彷彿とさせるデザインだ。サイドカウルには「Bulldog 1100」のロゴが、そしてタンクにはヤマハのエンブレムが入っていた。これで1100ccか・・・速いんだろうなあ。しかし、いつのまにヤマハはこんなバイクを出したのだろう?

 宿に帰り、今日も近所のユースから遊びに来たユウキさんにあのバイクのことを訪ねてみた。ユウキさんは日本で1100ccのカタナに乗っていて、バイクのことにかなり詳しいのだ。
 彼によると、あの「Bulldog」なるバイクは彼が日本を発つ直前に行われたモーターショーで発表されたばかりで、日本ではまだ発売になっていないはずだという。きっとヨーロッパのスズキが独自に発売したのではないか、と彼は推測した。
 日本で発売されないかな?逆輸入だと高いから・・・。しかし、浮気もこのへんにしておこう。きっとDRが嫉妬して、いらぬ故障を招くことだろう。

 さて、ユウキさんなる人物はバイクのことだけでなく、いろいろと物知りである。その夜はふたたびサバの煮つけを作ったが、サバをさばいていた私のおぼつかない手つきを見て、「やりましょうか?」と言ってくれた。交代してもらうと、あら、これが同じ包丁でさばいたの?と思うくらい見事な切り口でサバは3枚におろされた。
 そして夕方に市川君にポケットナイフの正確な研ぎ方を教え、夜には松井史織にフォトショップの使い方を教えていた。
 しかし、何で知っているのかという問いに彼はあまり答えない。「いやいやいや・・・」とか「金にならない知識ばかりで・・・」とか、爪の隠し方まで知っているのだ。


3日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 4650Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     3000Dr 超小型電気コンロ
     1000Dr インターネット
計     13650Dr
(約4310円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月24〜25日(月、火) クリスマス坊主!(Merry Christmas!!)

 24日はクリスマスイブである。しかしアテネ、少なくてもホステル「アナベル」にはロマンチックな雰囲気のカケラもない。
 25、26日と市場が閉まるので、24日も含めた三日分の献立を考え、みんなで年末年始のアメ横を思わせる賑わいの中央市場に買物に行く。イブはソーセージとスパゲティ、クリスマスは煮物、26日のボクシング・デイは焼き鳥丼と設定。手分けして野菜や肉、そして我々の喉の乾きを安価に癒してくれるオランダ産缶ビールを大量に買った。

 夕方にドラがクレープの材料を持って来て、夕食後、デザートの製作にとりかかったが・・・なぜかクリームが泡立たない。
 すると、シンダグマ広場のイベント会場に行っていたというマルセルとフラービアが現れた。パン職人だったマルセルによると、泡立つには最低35パーセントの脂肪分が必要で、我々の買った低脂肪分クリームでは永遠にホイップクリームは出来ないという。

 仕方なくクリームはあきらめ、クレープはチョコレートソースで食べることにしたが、ココアパウダーで作ったソースはココアの味しかしなかった。しかも焼き始めたのが午前零時前だったので、クリームのかわりになぜか泡立ってしまった生地が何とかパンケーキとクレープの中間のようなものになったのは、午前1時過ぎのことだった。
 いつもは早く寝るマルセルとフラービアも、今夜ばかりはスイスから持ってきた洋ナシのリキュールをみんなに振舞いながら、午前2時半まで付き合ってくれた。

 最後に、食堂にいたみんなでクリスマスの記念撮影をした。
 ちなみに最近、「チェ」と名乗る、写真右上のオランダ人青年が密かに我々の注目を浴びている。タトゥーだらけの腕、食堂でいつも描いているサイケデリックな絵、洗いざらしのブロンドヘアー、深い青の瞳などなど、彼というキャラクターを構成するひとつひとつの要素がどれもさりげなくカッコいいが、何といっても腹から響くウッドベースのような低い声が我々をシビれさせるのだ。(ちなみに、この写真の彼は実物より相当に格好悪い)
 神はキザな台詞を吐かせるためにその喉を与えたのだろう。ビールが切れたしまったという彼に一缶差出すと、彼はウインクしながら「今年はサンタさんが来てくれたみたいだゼ」と言った。
 それを聞いた私はもうメロメロになって、いてもたってもいられなく、多田君や市川君やドラや松井史織にそのことを伝えたが、みんなもメロメロになっていた。私なんか人からビールをもらったら、「えっ?いいんスか?マジすか?いやあ、悪いなあ・・・」だもんなあ・・・。
 そんなわけでその後、我々の間では低い声でキザな台詞を言うのが流行りとなった。
 旅に出てから3回目のクリスマスだけどよ、みんなのハートにもサンタさんが来るよう祈っているゼ!(精一杯低い声で)

 翌日のクリスマス、朝食と昼食を兼ねたラーメンを食べている我々に、食堂に現れたチェは「Merry Christmas, people」と声をかけた。私、松井史織、市川君の3人はその一言だけでトロけてしまった。・・・もう、好きにして!

 天気がまずまずだったので、私と松井史織はリカヴィトスの丘に登ってみた。アクロポリスの丘の隣にある、高さ300メートル弱の丘だ。
 さて、ここでちょっと補足。松井史織さんは今後、このHPで松井史織と呼び捨てにされる。もはや誰も「松井さん」などと呼んではいなく、「マツイシオリ」と、まるで「マツモトキヨシ」のように親しみを込めて呼んでいるからだ。
 こんなことをわざわざ書くのも、彼女が私のHPを読んで「最初、青山さんは、はーれーごりさんのことを『武田さん』と書いていたのに、いつのまにか『ごり君』になりましたよね」と細かいツッコミを入れたからだ。
 だけど日本人ってそうだろう!いきなり最初からあだ名で呼び合うか!?え?俺が古い?そういえばドラの本名は未だに知らんな・・・・。

 リカヴィトスの丘から小汚いアテネの街を見渡し、日本の正月のように静まり返った街を歩いていると、いつの間にかドラの部屋の近くに出た。
 せっかくなので寄ってみると、夜遊び大好きの彼女はまだ寝ていた。コーヒーをご馳走になったあと、宿のボイラーの調子が昨夜から悪いので、ずうすうしくもシャワーまで借りてしまった。
 そしてさらにずうずうしくも、電気バリカンがあるというので髪の毛まで切ってもらった。最近、髪の毛が伸びてきて切る必要性を感じていたのだが、どうせこれから暑いところに行く予定なので、思いきってボウズにしてもらった。
 1年半ぶりのボウズ(といっても、あのときはスキンヘッドだったが)・・・ヒゲがないから、とっても童顔になってしまった。タイに行ったら小坊主と間違えられるかもしれない。でもアテネにいる間は寒いだろうからと、ドラはニットの帽子までくれた。
 彼女は明日、アムステルダムに遊びに行く。戻ってくるのが1月4日だから、私がその前にアテネを発つのなら彼女とはもう会えない。ドラ・・・いろいろとお世話になったのう。まあ、3月か4月、俺がアテネに戻ってくるときにまた会えるけどね。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 4000Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     1000Dr インターネット
計     10000Dr
(約3160円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe