24日はクリスマスイブである。しかしアテネ、少なくてもホステル「アナベル」にはロマンチックな雰囲気のカケラもない。
25、26日と市場が閉まるので、24日も含めた三日分の献立を考え、みんなで年末年始のアメ横を思わせる賑わいの中央市場に買物に行く。イブはソーセージとスパゲティ、クリスマスは煮物、26日のボクシング・デイは焼き鳥丼と設定。手分けして野菜や肉、そして我々の喉の乾きを安価に癒してくれるオランダ産缶ビールを大量に買った。
夕方にドラがクレープの材料を持って来て、夕食後、デザートの製作にとりかかったが・・・なぜかクリームが泡立たない。
すると、シンダグマ広場のイベント会場に行っていたというマルセルとフラービアが現れた。パン職人だったマルセルによると、泡立つには最低35パーセントの脂肪分が必要で、我々の買った低脂肪分クリームでは永遠にホイップクリームは出来ないという。
仕方なくクリームはあきらめ、クレープはチョコレートソースで食べることにしたが、ココアパウダーで作ったソースはココアの味しかしなかった。しかも焼き始めたのが午前零時前だったので、クリームのかわりになぜか泡立ってしまった生地が何とかパンケーキとクレープの中間のようなものになったのは、午前1時過ぎのことだった。
いつもは早く寝るマルセルとフラービアも、今夜ばかりはスイスから持ってきた洋ナシのリキュールをみんなに振舞いながら、午前2時半まで付き合ってくれた。
最後に、食堂にいたみんなでクリスマスの記念撮影をした。
ちなみに最近、「チェ」と名乗る、写真右上のオランダ人青年が密かに我々の注目を浴びている。タトゥーだらけの腕、食堂でいつも描いているサイケデリックな絵、洗いざらしのブロンドヘアー、深い青の瞳などなど、彼というキャラクターを構成するひとつひとつの要素がどれもさりげなくカッコいいが、何といっても腹から響くウッドベースのような低い声が我々をシビれさせるのだ。(ちなみに、この写真の彼は実物より相当に格好悪い)
神はキザな台詞を吐かせるためにその喉を与えたのだろう。ビールが切れたしまったという彼に一缶差出すと、彼はウインクしながら「今年はサンタさんが来てくれたみたいだゼ」と言った。
それを聞いた私はもうメロメロになって、いてもたってもいられなく、多田君や市川君やドラや松井史織にそのことを伝えたが、みんなもメロメロになっていた。私なんか人からビールをもらったら、「えっ?いいんスか?マジすか?いやあ、悪いなあ・・・」だもんなあ・・・。
そんなわけでその後、我々の間では低い声でキザな台詞を言うのが流行りとなった。
旅に出てから3回目のクリスマスだけどよ、みんなのハートにもサンタさんが来るよう祈っているゼ!(精一杯低い声で)
翌日のクリスマス、朝食と昼食を兼ねたラーメンを食べている我々に、食堂に現れたチェは「Merry
Christmas, people」と声をかけた。私、松井史織、市川君の3人はその一言だけでトロけてしまった。・・・もう、好きにして!
天気がまずまずだったので、私と松井史織はリカヴィトスの丘に登ってみた。アクロポリスの丘の隣にある、高さ300メートル弱の丘だ。
さて、ここでちょっと補足。松井史織さんは今後、このHPで松井史織と呼び捨てにされる。もはや誰も「松井さん」などと呼んではいなく、「マツイシオリ」と、まるで「マツモトキヨシ」のように親しみを込めて呼んでいるからだ。
こんなことをわざわざ書くのも、彼女が私のHPを読んで「最初、青山さんは、はーれーごりさんのことを『武田さん』と書いていたのに、いつのまにか『ごり君』になりましたよね」と細かいツッコミを入れたからだ。
だけど日本人ってそうだろう!いきなり最初からあだ名で呼び合うか!?え?俺が古い?そういえばドラの本名は未だに知らんな・・・・。
リカヴィトスの丘から小汚いアテネの街を見渡し、日本の正月のように静まり返った街を歩いていると、いつの間にかドラの部屋の近くに出た。
せっかくなので寄ってみると、夜遊び大好きの彼女はまだ寝ていた。コーヒーをご馳走になったあと、宿のボイラーの調子が昨夜から悪いので、ずうすうしくもシャワーまで借りてしまった。
そしてさらにずうずうしくも、電気バリカンがあるというので髪の毛まで切ってもらった。最近、髪の毛が伸びてきて切る必要性を感じていたのだが、どうせこれから暑いところに行く予定なので、思いきってボウズにしてもらった。
1年半ぶりのボウズ(といっても、あのときはスキンヘッドだったが)・・・ヒゲがないから、とっても童顔になってしまった。タイに行ったら小坊主と間違えられるかもしれない。でもアテネにいる間は寒いだろうからと、ドラはニットの帽子までくれた。
彼女は明日、アムステルダムに遊びに行く。戻ってくるのが1月4日だから、私がその前にアテネを発つのなら彼女とはもう会えない。ドラ・・・いろいろとお世話になったのう。まあ、3月か4月、俺がアテネに戻ってくるときにまた会えるけどね。
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