旅の日記

ギリシャ編その5(2001年12月14〜18日)

2001年12月14日(金) 手作り餃子と市川君(A firiend arrives)

 自分でいうのもなんだが、昨夜の煮物はかなりいいセンだったと思う。しかし、私は凝り性で完璧主義者だ。今日も明日も明後日も、よりよいメニューを作るために努力を惜しむつもりはない。
 しかしながら、贅沢な話ではあるのだが、さすがに日本食は少々飽きてきた。今夜は趣向を変えて中華料理、小麦粉から皮を練って餃子を作ることにした。

 餃子の皮の作り方は、エクアドルでウメ夫妻から教えてもらった。お湯を少しずつ加えながら、普段のうっぷんを込めて生地をこねるのだ。
 ・・・ビンラディンのうんこたれ・・・コネコネ・・・寒さのバカヤロー・・・ぐりぐり・・・パソコンウイルスを作るヤツは死刑だ・・・えいえい・・・
 小麦粉の固まりに手応えが出てきたころ、フロントからオヤジの話す声が聞こえてきた。「ミスターもバイクで来たのかい?」

 小麦粉まみれのままフロントをのぞきに行くと、やっぱり!市川君が無事に到着したのだ。
 久しぶりに会う彼がたくましく見えたのは、新しく生やしたヒゲのせいだけではないだろう。彼は極寒のトルコで凍結した道路と格闘してきたのだ。その経験は21歳になったばかりの若者を大きく成長させたことだろう。

 市川君が来たので、私は彼とツインの部屋をシェアすることにした。そうすれば一つしかない私の暖房を共有できるし、部屋代も安く済む。
 荷物を部屋に運び入れた後、市川君の愛車を私のバイクを預けている立体駐車場に持って行った。彼も冬の間バイクをアテネに置いて、バンコク経由で日本に一時帰国する。寒い中を走るのはもうコリゴリらしい。

 皮の生地を冷蔵庫でしばらく寝かせたあと、夕方から多田くんと市川君と3人で餃子の製作にとりかかった。具は白菜、シイタケ、豚ひき肉とニンニク、そして宿に泊まっている中国人女性のチェンさんがくれた生姜。
 チェンさんはロンドン留学を終えてヨーロッパで唯一労働ビザをくれたギリシャに来たが、「月給3〜400ドルで働くのは馬鹿らしい」といい、奨学金をもらってアテネでも留学しようと試みている。彼女は自分が奨学金をもらうのにふさわしいアカデミックな人間で、「肉体労働しか出来ない人が肉体労働をすればいい。私のような人間には学問、研究がふさわしい。人にはそれぞれ役目というものがあるのだ」と言ってはばからない。宿には肉体労働をしている中国人も住んでいるのだが、彼女はつとめて彼らとは距離を置き、外国人との英語の会話を好む。その自尊心の高さに、私と多田君は密かに彼女のことを「選ばれた中国人」と呼んでいるのだ。

 しかし、彼女も料理をするときだけは日本人の持つ中国人像と重なる。いつもシイタケや中華麺やきくらげなんかを買ってきて、うまそうな臭いをさせて料理に励んでいる。黙々と野菜を刻んでいる姿は、「食は中国にあり」と無言で語っているようだ。
 
 何はともあれ、チェンさんの生姜のおかげで絶妙な具ができ、寝かせた皮もビール瓶で簡単に伸びるちょうど良い固さになった。皮と具ができれば、あとは楽しい包む作業。包みかたの極意も2年前、ロスザンジェルスの梶さん家で教えてもらったのでお手のものだ。
 そして餃子をフライパン代わりの大きな鍋で焼いていたら、作業を見に来たチェンさんが止めに入った。「餃子ってのは焼くものじゃなくて煮るものよ。今すぐ鍋にお湯を入れた方がいいわ!」
 しかし生姜をもらおうが彼女が中国人だろうが、ここは譲れない。日本で餃子といったら焼き餃子に決まっているのだ!
 果たして焼き目をつけたあと、ちょっと蒸らして出来あがった餃子を彼女に食べさせたら・・・「あら、おいしいわ」。あったりめえでい!餃子だってラーメンだってカレーだって、日本人は日本人なりのこだわりがあるのだ!

 皮がちょっと厚ぼったくなったが、それがまた手作りの感覚でいい。餃子を口にした多田君はあまりの美味さに天井を見上げ、「エクスタシー」とつぶやいた。イスタンブールの日本人宿で日本食ばかり食べていた市川君も、眼鏡の奥の細い目をさらに細めていた。
 昨日までは料理へのこだわりと質でチェンさんがこのホステルで一番だったと思うが、今日、我々は彼女を越えたと確信した。中国人に中華を食わせて「うまい」と言わせたのだから・・・。


本日の走行距離           0キロ(計67752.1キロ)

出費                 2250Dr   飲食費
     ▲2000Dr 宿代、シェアした戻り
     1400Dr インターネット
計     1650Dr
(約530円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月15〜17日(土〜月) つづく快進撃(Cooking days)

 15日は市川君とスーパーマーケットに行き、ダンボール箱をいっぱい拾ってきた。
 2人ともバイクをアテネに置いたままどこかで越冬するが(市川君は日本、私は東南アジアが濃厚)、ヘルメットやテントなど、その間に使わない荷物は宿に預けることになる。その整理のためにダンボール箱が便利だと思ったのだ。
 今年のアテネは特に寒いらしい。スーパーの前、ごみの山からダンボール箱を引きずりだしている怪しい東洋人2人は、越冬の準備をしているホームレスに見えたかもしれない。

 前夜、餃子と一緒に食べるために炊いたご飯が多すぎたので、15日の夕食は大人しく炒飯にした。調子に乗って切りすぎた野菜のせいで水分が多くなってしまったが、中華食材店で買ったトーバンジャンで味付けしたら、そこそこ美味くなった。

 しかし、われわれのご馳走メドレーは翌日からふたたび大音響で鳴り響くこととなる。まるで北島サブちゃんと和田アッコのトリに向けて盛り上がる紅白のように・・・。
 焼く、炊く、炒める、煮る、などという料理の過程を経験してきたが、今度は本格的に揚げるということをやりたくなった。先日、小魚を唐揚げにしたが、あれはおつまみの域を脱していない。今夜はジャパニーズ・フライド・フードの王道・天ぷらに挑戦、魚介たっぷりのかき揚げを作ってみることにした。

 はて・・・?てんぷらの生地って、卵どんぐらいれんの?え?水もいれんの?そうだよなあ、卵だけじゃ無理だよなあ・・・たしかかき揚げって、粘度あげないとバラバラになるよなあ・・・そうっスよねえ・・・とか言いながらみんなで作った適当度120%の生地に各種野菜、エビ、シイタケを入れてマゼマゼ・・・。
 そしてオタマですくって熱い油に落としたら、ジュン・・・・コパコパコパ!と予想をはるかに上回るいい音と泡を立てて泳ぎ出し、バラバラになることもなく、こんがりとキツネ色になったかき揚げが出来あがった。

 丼に炊きたてのご飯を盛ってかき揚げをのせ、だしと醤油で作った熱いてんつゆをかけたら・・・やべえ、マジやべえって、この味。かき揚げはサックサク、メシはホックホク、そしてつゆはアッツアツ。食べ始めから一息つくまで、一気に丼半分をかっこんでしまった。多田君はアテネにある某日本食レストランで食べたことがあるそうだが、はるかに我々の方が勝っていると鼻息風速100メートルで言った。
 「はじめての天ぷらコンテスト」、あるいは「天ぷら新人賞」があれば、間違いなく世界に輝く味だった。
 
 唯一の失敗といえば生地を作りすぎたことだった。オタマひとすくいで十分かき揚げができるとは知らずに、3人で大鍋いっぱい作ってしまったのだ。
 これ、どうしよう?・・・美味かったものの、明日もかき揚げというのはちょっと辛い。そこで市川君がとてもいい案を出した。「これにキャベツとか加えて、お好み焼きにしましょうよ」
 おお!ちょうど平野君が残して行ったブルドッグ印の「中濃ソース」を効果的に使わねば、とも考えていたところだったのだ。

 翌17日、買物にいった多田君がキャベツ、豚肉の他にも新たにエビ、イカを買ってきて、生地は「スペシャルミックス玉」の様相を呈してきた。卵や小麦粉の比率など、かき揚げとお好み焼きの生地の違いはよくわからないが、これで誰が見てもかき揚げの残りとは思わないだろう。
 そして唯一こげつかない加工がされた小型フライパンで一枚一枚ていねいに焼くと、フライパンの形のままの、まんまるのお好み焼きが出来あがった。今日はイスタンブール方面からやってきた井尻さんも夕食に加わったが、ソースとマヨネーズをたっぷりかけると大阪人の彼も満足の味となった・・・かつおぶしと青海苔が無いのが誠に残念。
 新たに材料を加えたことで、6枚焼いたあとも生地はまだ半分近くが残っていた。捨てるのは忍びない。この生地も3日目になるが、明日もお好み焼きにしよう。


3日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 2570Dr   飲食費
     5000Dr 宿代(2泊分)
     500Dr 地下鉄
     600Dr 砥石
     2800Dr 切手
     2400Dr インターネット
計     13870Dr
(約4500円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月18日(火) バイクを宿に入れる(Leaving the motorbike)

 今日は市川君とバイクの整備に行くつもりだった。冬の間預けるのにバッテリーを外したり、キャブレターからガソリンを抜かなければならないのだ。
 しかし考えてみると、今預けている立体駐車場は一ヵ月で15000ドラクマ(約4500円)も取る。2台で30000、ギリシャでは大金だ。それなら2台で15000ぐらいで預かってくれる個人がいるのではないか?という疑問がわいた。

 しかし、ドラなんかに無理に頼んで迷惑はかけたくない。とりあえず宿のオヤジに相談してみたら・・・「よし、オーナーに相談してみよう。お金を少し払ってもらうことになると思うが、たぶん裏の物置に置けるだろう」と言ってくれた。
 そして早速、携帯電話で2人のオーナーと交渉を始めた。宿は、ある男性と女性の2人の共同所有物なのだが、フロントのオヤジに理解を示す男性に対し、女性の方はいつも小言ばかり言っている。
 しかし、その女性も無事OKを出してくれ、私と多田君は15000ドラクマずつ払うことで春までバイクを置けることとなった。物置に通じる狭い通路には階段もあるが、市川君とオヤジと3人でやれば私の重いDR800Sも運べるだろう。

 その作業はオヤジの手の空く夜にやることにした。その前にとりあえず立体駐車場に行き、私は一ヵ月分、市川君は4日分の料金を払ってバイクを引き取り、宿の前まで持ってきた。

 すると、ちょうどドラが遊びに来たところだった。耳のうしろに妙なハゲがあると思ったら、クリスマスに向けて星型に剃ったのだという。ホントだ、残った星型の部分が黄色になっているよ。しかも自分でやったというのだから器用なもんだ。俺なら頚動脈を切って死んじゃうよ。

 午後はドラと市川君と「アフロアジアン」というアジア食品屋に行ってみることにした。アフロ?アジアン?どういう組み合わせなんだろう。
 街を歩いていると、いたるところでゴミが山積みとなっているのが目に付いた。アテネはもともとゴミが多く、決してきれいな街とは言えないが、最近は特にひどい。ドラによれば収集業者のストライキで、ゴミは溜まる一方なのだという。そういえばこの前は農民グループがトラクターで田舎の道を封鎖するデモンストレーションをしていた。通貨統合を前にギリシャは混乱しているなあ。
 ちなみに現在流通しているギリシャの通貨ドラクマは、現存している通貨の中でも一番古いものらしい。

 そして宿から20分間たっぷり歩いて「アフロアジアン」に着いたが、そのネーミングの理由はすぐにわかった。黒人の経営するアジア食品店だったのだ。
 かなり期待して行ったのだが、日本食に使えそうな食材はあまりなかった。これなら市場の近くの中華食材屋の方が品揃えがある。ラーメンだけを数種類買い、喫茶店に寄ってコーヒーを飲んでから宿に帰った。

 そして昨日の残りのお好み焼きを食べた後、いよいよバイクを物置に入れることになった。
 通路に置いてあったセメントの袋や洗濯機をどけると、何とかバイクが通れそうな幅は確保できた。通路の入り口をふさぐように停まっていた車が邪魔だったが、なんとか3人がかり通路を抜け、階段を下ろし、わがDRを物置まで運ぶことができた。DRが運べれば、車重が半分ほどの市川君のDFは簡単だ。2台を並べ、冬眠のための整備は明日以降に行うことにした。
 この2台がふたたび陽の目を見るのは来年の春になる。それにしても、なんでもっと早くオヤジに相談しなかったのだろう?

 さて、メールによると本日、松井史織嬢がクロアチアのドブロウニクから、そして荒木夫妻がトルコのイスタンブールからそれぞれアテネに向けて出発したはずだ。果たしていつ会えるのだろうか?


本日の走行距離           0キロ(計67752.1キロ)

出費                15000Dr   駐車場代
     1060Dr ラーメン数種類
     700Dr ノート
計     16760Dr
(約5430円)
宿泊         Hostel Annabel