いつものよう市場に買物に行く途中、突然大通りの交通が遮断され、黒塗りのベンツが何台も何台も走ってきた。乗っているのはガタイのいい、背広姿の男たち。
「なんだなんだ、なんの大名行列だ?」と見ていると、ひときわ長いベンツのリムジンが白バイに挟まれて走ってきた。窓は濃いスモークで覆われ、車内の様子は見えないが、どうやら誰も乗っていないようだ。
そういえば、ロシアのプーチン大統領がアテネを訪問中だと聞いた。間違いない・・・この車はプーチンを迎えに行くのだ。
黒塗りの行列は市場の手前、政府関係の庁舎の前で止まった。長いリムジンが出口に横付けされ、赤い絨毯が建物と車の間に敷かれた、と思ったら強風であおられて飛んでいった。数人の背広男が、あわてて絨毯をつかんで敷きなおした。ちょっと間抜けな光景だった。
あのプーチンが今、この建物の中にいるのだ。待っていれば車に乗り込む姿を見ることができるだろう・・・道の反対側で、私はカメラを構えて待つことにした。
しかし10分待っても20分待っても何の動きもない。野次馬の数は増える一方だが、警備員は携帯電話で「ウッソー、マジで?ワハハ・・・」とか私用電話しているし、リムジンの運転手はトランクを開けて掃除をしていた。緊張感ゼロなのである。
ふと道路のこっち側に目をやると、TVカメラ用のやぐらがあるのに気がついたが、カメラは放置されたまま、スタッフは誰もいない。
きっとプーチンが出てくるのはずっと後なのだろう。冷たい小雨が降ってきたので、私はあきらめて市場に向かうことにした。プーチンねえ・・・これがコイズミやアラファトやビンラディンやシャキーラやミック・ジャガー(あ、路線が変わってきた)だったりすれば、がんばって待つのだけれど・・・。
買物を終えて宿に帰り、フロントのオヤジに「プーチンの車を見たぜ」と言ったら、「そう、プーチンが来ているのだ。ロシア人マフィアや売春婦にもっと仕事をさせてくれ、麻薬の輸入量を増やしてくれ、と言いに来たのだ」と彼は冗談半分、本気半分で言った。残念ながら、ギリシャでもロシア人の評判は良くないらしい・・・。
なんか知らんが、いつのまにかこの宿の日本人の間で、私が料理番になってしまった。はじめは多田君と2人で食べるために作っていたのだが、いつのまにかみんなが食べるようになったのだ。
8日は親子丼を作った。この旅で3回目の親子丼だが、今回は最高の出来だった。鶏肉をさばいてワインと醤油につけておいたら、下味がしっかりとついて美味しくなったのだ。
醤油といえば1リットル入りのキッコ−マンを買ってしまった。250ccの小瓶の2倍の金額なので、はるかに大瓶の方がお得なのだ。しかし1リットル・・・塩分を採りすぎない程度にがんばって使おう。
そしてアテネも耐えがたい寒さになってきた。昼間でも摂氏4、5度しかない。
この宿で暖房があるのは私の部屋だけだ。フロントにも食堂にも暖房はなく、料理をしたり食事をするときが辛い。私は部屋に帰ればいいが、ほかのみんなはどこに行っても寒く、「寒い寒い」と会えば挨拶のように繰り返し、ぶるぶると震えている。
一番かわいそうなのは多田君だ。彼は夜11時から朝7時まで、時給500ドラクマ(約150円)でフロントの番をしなくてはならない。深夜から朝にかけては寝袋に入るからまだいいが、起きている間が辛いのだ。
だから、8日の夜は私の部屋の電気ストーブをフロントに持って行って暖めてあげた。しかし1200ワットのフルパワーで使うとヒューズが一発で飛んでしまうほど宿の電気系統は弱いので、800ワットの「中火」で広さ1畳ほどのフロントを暖め、多田君とマチコちゃんと3人で肩を寄せ合って暖をとった。その姿は、きっと焚火にあたる難民の子供たちのようだったろう。
赤く光るストーブの電熱線を見ていたら、冬を実感した。12月なのだから当たり前と思うかもしれないが、実は私にとっては新鮮な感覚なのだ。なぜならこの2年間、私は基本的に夏を追いかけて旅をしてきたので、冬というものをまったく経験していない。雨ばかりの北欧も寒かったが、あれはあれで向こうの夏なのだから、やはり冬という感覚は無かった。
白い息、赤い電熱線、クリスマス模様の街・・・冬なのだ。
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