旅の日記

ギリシャ編その4(2001年12月7〜13日)

2001年12月7〜8日(金、土) プーチンが冬を連れてやってきた(Russian president and Winter)

 いつものよう市場に買物に行く途中、突然大通りの交通が遮断され、黒塗りのベンツが何台も何台も走ってきた。乗っているのはガタイのいい、背広姿の男たち。
 「なんだなんだ、なんの大名行列だ?」と見ていると、ひときわ長いベンツのリムジンが白バイに挟まれて走ってきた。窓は濃いスモークで覆われ、車内の様子は見えないが、どうやら誰も乗っていないようだ。
 そういえば、ロシアのプーチン大統領がアテネを訪問中だと聞いた。間違いない・・・この車はプーチンを迎えに行くのだ。

 黒塗りの行列は市場の手前、政府関係の庁舎の前で止まった。長いリムジンが出口に横付けされ、赤い絨毯が建物と車の間に敷かれた、と思ったら強風であおられて飛んでいった。数人の背広男が、あわてて絨毯をつかんで敷きなおした。ちょっと間抜けな光景だった。

 あのプーチンが今、この建物の中にいるのだ。待っていれば車に乗り込む姿を見ることができるだろう・・・道の反対側で、私はカメラを構えて待つことにした。
 しかし10分待っても20分待っても何の動きもない。野次馬の数は増える一方だが、警備員は携帯電話で「ウッソー、マジで?ワハハ・・・」とか私用電話しているし、リムジンの運転手はトランクを開けて掃除をしていた。緊張感ゼロなのである。
 ふと道路のこっち側に目をやると、TVカメラ用のやぐらがあるのに気がついたが、カメラは放置されたまま、スタッフは誰もいない。

 きっとプーチンが出てくるのはずっと後なのだろう。冷たい小雨が降ってきたので、私はあきらめて市場に向かうことにした。プーチンねえ・・・これがコイズミやアラファトやビンラディンやシャキーラやミック・ジャガー(あ、路線が変わってきた)だったりすれば、がんばって待つのだけれど・・・。
 買物を終えて宿に帰り、フロントのオヤジに「プーチンの車を見たぜ」と言ったら、「そう、プーチンが来ているのだ。ロシア人マフィアや売春婦にもっと仕事をさせてくれ、麻薬の輸入量を増やしてくれ、と言いに来たのだ」と彼は冗談半分、本気半分で言った。残念ながら、ギリシャでもロシア人の評判は良くないらしい・・・。


 なんか知らんが、いつのまにかこの宿の日本人の間で、私が料理番になってしまった。はじめは多田君と2人で食べるために作っていたのだが、いつのまにかみんなが食べるようになったのだ。
 8日は親子丼を作った。この旅で3回目の親子丼だが、今回は最高の出来だった。鶏肉をさばいてワインと醤油につけておいたら、下味がしっかりとついて美味しくなったのだ。
 醤油といえば1リットル入りのキッコ−マンを買ってしまった。250ccの小瓶の2倍の金額なので、はるかに大瓶の方がお得なのだ。しかし1リットル・・・塩分を採りすぎない程度にがんばって使おう。

 そしてアテネも耐えがたい寒さになってきた。昼間でも摂氏4、5度しかない。
 この宿で暖房があるのは私の部屋だけだ。フロントにも食堂にも暖房はなく、料理をしたり食事をするときが辛い。私は部屋に帰ればいいが、ほかのみんなはどこに行っても寒く、「寒い寒い」と会えば挨拶のように繰り返し、ぶるぶると震えている。

 一番かわいそうなのは多田君だ。彼は夜11時から朝7時まで、時給500ドラクマ(約150円)でフロントの番をしなくてはならない。深夜から朝にかけては寝袋に入るからまだいいが、起きている間が辛いのだ。
 だから、8日の夜は私の部屋の電気ストーブをフロントに持って行って暖めてあげた。しかし1200ワットのフルパワーで使うとヒューズが一発で飛んでしまうほど宿の電気系統は弱いので、800ワットの「中火」で広さ1畳ほどのフロントを暖め、多田君とマチコちゃんと3人で肩を寄せ合って暖をとった。その姿は、きっと焚火にあたる難民の子供たちのようだったろう。

 赤く光るストーブの電熱線を見ていたら、冬を実感した。12月なのだから当たり前と思うかもしれないが、実は私にとっては新鮮な感覚なのだ。なぜならこの2年間、私は基本的に夏を追いかけて旅をしてきたので、冬というものをまったく経験していない。雨ばかりの北欧も寒かったが、あれはあれで向こうの夏なのだから、やはり冬という感覚は無かった。
 白い息、赤い電熱線、クリスマス模様の街・・・冬なのだ。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 7350Dr   飲食費
     17500Dr 宿代(5泊分)
     1600Dr インターネット
計     26450Dr
(約8580円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月9〜11日(日〜火) パパの沈没&料理日記(Lazy days in Athens)

 「パパ」と呼ばれた男は、「まばたき一つで一週間」と言われたメキシコシティ、ペンション・アミーゴの日々を彷彿とさせる沈没ぶりをアテネで見せている。しかし、パパにはパパの事情があるのだ。
 毎日昼前に起きて、ダラダラと朝食兼昼食(最近はオムレツに凝っている)を食べて、「ドナドナ」を歌いながら市場に買物に行って、魚や肉や野菜なんかを買って、帰って、部屋でメールを打って隣のカフェで送受信して、夕食を作って「子どもたち」に食べさせ、酒飲んで、ボイラーの調子のよい深夜を狙ってシャワーを浴びて寝る・・・だけではないのだ!

 たしかに物理的な行動は以上の説明でほぼ網羅している。しかし、パパにはパパの苦悩があるのだ。アテネにバイクを置いてどこに飛ぼうか、いやバイクをインドまで船で送ってそこから西へ向かえば、いやいや、パキスタンの情勢は依然不透明、とか考えているのだが、同時にいろんな人とメールでやり取りをしており、「こっちで会おうぜ」とか「ここで再会しましょう」などとお誘いがあったりして、迷っているのだ。
 「そんなん自分で行きたい場所を決めて、そこに行けばいいだけやんか」という方も関西に限らずにいるだろうが、いやね、これがけっこう迷うものなのよ、ジッサイ。
 人に流される・・・というのは、時に面白いものだ。予想もしなかったところに行ってしまったりして、それはそれで面白い旅になる。南米の「牛次郎」の旅で私はそれを実感した。
 しかし、いつまでも迷っているわけには行かない。アテネの寒さも厳しくなってきたので、クリスマス前には動くことにしよう。

 さて、多田君も実はソニーのバイオC1を持っているのだが、出発の数日前に買ってそのまま持ってきたというから、あまり活用はしていない。
 9日、私の部屋に持ってきてもらって、 ホームページやMP3のデータを入れてあげた。省電力のCPU「クルーソー」を搭載した彼のバイオは、ノーマルバッテリーのまま3、4時間は使えるという。そしてハードディスクは20ギガ!それが展示品だったので、CD-ROMドライブつきで13万円(!)で売られていたらしい。私なんか初期型のC1を出たばかりの時に買ったから、ドライブを入れると25万円は払った記憶があるぞ・・・。

 多田君は音楽CDも大量に持っているので、それを見せてもらったら・・・うお!ブランキー!ストーンローゼズ!アラニス・モリセット!ザ・スミス!ジャミロクワイ!
 そんなわけで、わがパソコンとCDドライブは9日夜より、大量の音楽データをMP3へ変換する不眠不休の作業を課せられたのだった・・・壊れないでね。
 ちなみに9日の夕食は鶏肉の炊き込みご飯だった・・・まあまあだった。


 10日の午前中は久方ぶりに晴間がのぞいた。
 クリスマスが近いので、そろそろお世話になった人たちにクリスマスカード代わりの絵葉書を出そう。土産物屋が多いプラカ地区まで散歩がてら歩き、絵葉書を15枚ほど買った。
 帰りに市場に寄り、サバを2尾買った。味噌がないので味噌煮は出来ないが、醤油で煮付けてみようと思ったのだ。煮付けか・・・ドブロウニクで村上さんがつくってくれたなあ。

 宿に戻って、さっそくサバをサバいてみた。
 まともに切れる刃物がアミーナイフと平野君が残していった100円ショップのミニ包丁しかないので、3枚におろしたら背骨に大量の肉がついてきてしまった。もったいないので骨ごとブツ切りにして油で揚げて食べる。考えてみれば、自分で揚げ物をするなんていうのも初めてだ。

 夕方、サバをコトコト煮付けていると、その音が聞こえたのか臭いが届いたのか、ドラが遊びに来た。(本当はギリシャ留学の先輩としてマチコちゃんに会いに来たのだけど)
 ドラも交えて煮付けを食べたが、初めてにしては上々の出来にみんなも喜んでくれた。日本じゃまったくといっていいほど料理をしなかった私が、人に煮付けを食わせて喜ばせるほどになったのだ。ちょっと成長した気分。
 普段は暖房の効いた部屋で過ごしているドラにとって、この宿の食堂は居難いほど寒いらしい。食後は宿唯一の電気ストーブを誇る私の部屋で、遅くまで私と四柱推命の話をしていた。私は四柱推命の回し者ではないが、信じられる部分もあるというのをドラに説明するのに苦労した。彼女は自分の運命が外なる力に左右されるのが嫌なのだ。


 11日になると、宿の日本人は私と多田君の2人だけになってしまった。アテネが長い多田君だが、まだ市場の魚売場に行ったことがないというので、今日は2人で買物に行った。
 アテネの市場は呼びこみが積極的だ。「ほら、イカを持ってきなよ」「エビエビエビエビ、イキのいいエビ・・・」などと、ギリシャ語にときおり英語を混ぜて声をかけてくる。私はいつものように適当にあしらってしまうのだが、初めての多田君はその度に足を止め、店のオヤジが見せる品々に純粋な驚きの声をあげていた。

 今日はあまった白米があるので、鍋料理にして雑炊を作ろうということになった。具は多田君のリクエストで中型のカニをまるごと2匹、そしてもう一品、小魚を買って唐揚げにしようということになった。
 今日こそは簡単にしようといつも思うのだが、市場に行くとついつい凝りたくなってしまう。まったく、この市場が無かったらアテネにこんなにも長居はしなかっただろう。

 そしてキッチンが空いた夜8時ごろから調理を始めた。宿のコンロは屋外にあって寒いのが難点だが、ヨーロッパにしては珍しくプロパンガス式で、パワーはかなりある。
 まずは小型の鍋で小魚を揚げ、できたそばから塩とレモン汁をかけて食べた。うん、なかなかイケる!料理って楽しいな・・・と純粋に思いながら、コンロの前でビールの缶を傾けた。

 小魚の前菜のあとは鍋だ。ふんぱつして買った白菜と大根ももちろん美味かったが、多田君が買おうといったカニが予想以上に美味かった。大きくないので身は少ないが、苦労してほじくり出して食べると甘く濃い味が口に広がる。宿のオヤジも「今夜はスペシャル・フードだな」と、テーブルの上のカニの残骸を見て言った。ギリシャ人もカニは好きらしい。
 仕上げの雑炊を食べ終わると、すでに時刻は10時を回っていた。ほとんど酒が飲めなかったという多田君だが、最近は自分でも不思議なくらい飲めるようになり、今夜はビールを5、6缶は空けていた。
 俺は料理をするし、多田君は酒を飲むし・・・旅は人を変えるなあ。(ちよっとだけね)


3日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 3360Dr   飲食費
     7000Dr 宿代(2泊分)
     3000Dr CD-Rディスク
     250Dr 地下鉄
     1000Dr テレホンカード
     750Dr 絵葉書
     2700Dr インターネット
計     18060Dr
(約5860円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月12〜13日(水、木) シイタケのありがたみ(Dried mushrooms)

 12日、インターネットをやったら田代まさしがノゾキで逮捕され、自宅から麻薬が出て再逮捕されたというニュースを知った。そして、正直いって笑ってしまった。ようやく芸能活動を再開できた矢先だというのに・・・これ、狙ってやったとしたらオモシロすぎるぞ。まあ、和田アキ子など支援してくれた大物芸能人の好意を土足で踏みにじったわけだから、業界への復帰は完全に不可能だろうが。
 次はAV男優ぐらいしかないんじゃないか?タイトルは「マーシーのノゾいてランナウェイ」とか「盗撮の魂・P-1グランプリ(PはパンツのPね)」とか・・・。

 夕食にチャーハンを作っていたら、ドラが遊びに来た。今夜から宿のオヤジが重い腰をあげて食堂に電気ストーブを出してくれたので、彼女はそれにずっとあたっていた。小さいストーブだが、自分のプラスチック製の足を溶かすほどの威力を誇り(設計ミスという噂もある)、食堂は昨日までが嘘のように快適になった。
 話はかわるが、ドラは気前がいい。今夜はペットボトル入りのワインとこぶ茶、梅こぶ茶をパックごと持ってきてくれた。食後、そのワインを飲みながら越冬のプランのことなどを話した。彼女も大学が休みの間にどこかに行く予定だが、出てくる地名はニューヨークとかアムステルダムとか・・・悪いこといわないから、もっと暖かいところへ行きなさいって。

 13日、ようやく固まってきた移動の決心が木っ端微塵になった。
 まず、最近までイスタンブールにいた市川君からアテネに向かっているというメールが来た。市川君はブダペストで会ったススキDF200に乗っているライダーで、私と別れたあとルーマニア、ブルガリアを経てトルコに下り、イランとの国境付近まで足を伸ばしていたのだ。
 トルコ東部は険しい山地で、今ではバイク走行は不可能に近い。市川君はドウバヤジットの町が気に入って滞在している間に雪と氷に閉じ込められ、列車にバイクを載せてイスタンブールまで戻ったらしい。
 市川君・・・アテネの次はどうするのだろう?ぜひ再会して聞いてみたい。

 そして、今度はイスタンブールに滞在中の荒木夫妻から近日中にアテネに向かうというメールが届いた。荒木夫妻!今夏、日本からロシアに渡って中央アジアを抜け、トルコまで走ってきたのだ。筋金入りのライダー夫妻、奥さんの旧姓は「滝野沢」、そう、あの滝野沢優子さんである。すでに世界の多くをバイクで走った、女性海外ライダーの先駆者だ。
 こりゃ待たないわけには、そして会わないわけにはいかないだろう。

 おまけに、ドブロウニクでずっと一緒だった女子大生モバイラー・松井史織嬢からも、近日中にアテネに来るというメールが来た。松井さん、市川君と荒木夫妻を待つついでに、あなたも待っててあげましょう。だから早く来なさい。
 しかし・・・この様子だとクリスマスは間違い無く、そしてひょっとして年越しもアテネか!?

 そして同じく13日、私や多田くんの食生活をさらに豊かにする発見があった。市場の近くにある中華食材店が、小さいながらも食材の宝庫であることが判明したのだ!(多田くんは存在自体は知っていたのだが、入ったことは無かったらしい)
 里芋がある!干しシイタケがある!ラーメンがある!ワサビがある!もちろん醤油もラー油もある!海苔もある!豆腐もある!わーい、ワッショイ、ワッショイ・・・中華食材大感謝祭、急きょ開催の大騒ぎなのだ!

 とりあえず里芋と干しシイタケを買い、今夜は煮物にすることにした。
 宿に戻り、早速「乾物の王様」にみずみずしさを取り戻していただくため、ご入浴の手はずを整えた。ああ、今思えば我が人生において、干しシイタケを水で戻したことなんてあっただろうか?水を吸って、みるみるうちに光沢を帯びていく深茶色のかさ。こみあげる香りと感動。こんなにも神聖な儀式だったとは・・・。
 そうして蘇生あそばれたシイタケと里芋、キッコーマン、だしの素さえあればまずい煮物などできるわけがない。にんじん、じゃがいも、豚肉にも協力を仰ぎ、今までアテネで作った料理の中でも最高においしいものが出来あがった。
 多田くんは涙を流し、のたうち回って美味さを表現していた。私の方も、これ以上記すことはない。私は今日、美味い煮物を作れる男になったのだ!


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 1600Dr   飲食費
     10500Dr 宿代(3泊分)
     3000Dr CD-Rディスク
     1400Dr インターネット
計     16500Dr
(約5350円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe