旅の日記

ギリシャ編その3(2001年12月1〜6日)

2001年12月1日(土) アンコウとカキの鍋(Eating everything at the market)

 今日から12月。ギリシャというと暖かいイメージがあるが、実際は四季がはっきりしている。冬は予想以上に寒いうえ、1年分の雨が集中的に降る季節でもあるのだ。
 今日、その雨が降った。息は白く、汚い街は曇天に覆われ、雨はシトシトと途切れなく降り、かなりミジメな気分である。宿は完璧に近いが、暖房が無いという欠点がある。暖房さえあればここで冬を越せるのだが。

 さて、日本人のDNAには「寒いと鍋料理が食べたくなる」記号が書きこまれており、それが今日、機能した。暖かい鍋がどうしても食べたくなったのである。
 ちなみにモロッコ人のDNAには「旅行者を見るとガイドはいらないか?といいたくなる」記号があり、ラテン人のDNAには「車やバイクに乗ると限界まで飛ばしてみたくなる」記号が書きこまれているのだ。

 平野君と「現代のアゴラ」に行き、前から目をつけていたアンコウ屋でアンコウを買った。平野君は明朝の便で日本に飛ぶので、今夜が最後の晩餐。どうせならドーンとアンコウで行こう!と決めたのだ。それでもキロあたり約800円だから、そんなに贅沢品ではない。
 メインキャストが名優でも、脇が弱ければ良い舞台はできあがらない。安くておいしい脇役を探して市場を歩いたら、ビニール袋に入ったカキが売られていた。生ではとても食えないが、鍋物には十分。一袋、身だけで500グラムはありそうだが、約300円とバカ安なので購入を決定。
 アンコウとカキ!なんて素敵な共演なんだろう。気持ち悪くニヤニヤ笑う日本人2人を、ギリシャ人はどう思ったのだろう?

 ついでに食堂で昼食を食べた。私は前回と同じ魚のスープを頼んだが、平野君はチャレンジャーである。牛の足がデーンと入ったスープをオーダーしたのだ。
 一口飲んで、ピタッと彼の動きは止まった。私も試したら、それはアブラそのものを飲んでいるような濃厚な汁で、「天下一品ラーメン」のこってりスープどころの騒ぎじゃなかった。どうやら骨についた脂身も食べるものらしいが、それは「コラーゲン」という久しく使わなかった言葉を思い起こさせた。ある意味、体にいい料理かもしれない。
 私はすっかりアブラまみれになった口で、「これでこの牛が狂牛病だったら、間違いなく俺らも感染するね」と言った。平野君はクチャクチャ脂身を噛みながら、「昨日のステーキだって怪しいッスね」と言った。
 正直なところ、狂牛病が心配でバイクの旅はできない。狂牛病で死ぬ確立より、乱暴運転のギリシャ人の車に轢かれて死ぬ確立の方が100万倍ほど高いだろう。

 夜、トシヤス君も交えて3人で鍋を作った。といっても、白菜の代わりのレタスとネギをちょっと煮て、本だしで味を整え、ブツ切りにしたアンコウとカキを加えるだけだが。ちなみにポン酢は醤油にレモンとオレンジの汁を加えて作った。
 そうして出来たアンコウとカキの鍋は、予想を上回る感動的な美味さとなった。ポン酢を使わなくても、アンコウとカキから濃厚なダシが出たのだ。ただ、アンコウをよく洗わなかったので砂っぽくなってしまった。アンコウって砂を大量に飲んでいるのね・・・初めて知った。
 具を食べ尽くしたあとも、雑炊というクライマックスが残されていた。ていねいにすくった汁の上澄みでごはんを煮込み、最後にとき卵を加えたら完璧な雑炊ができあがった。
 日本人のDNAには「うまい日本食を食うと日本人で良かったと思う」記号が書きこまれているが、3人とも例外ではなかった。ギリシャ産のアンコウとカキのおかげで、長期旅行者が失いかけていた日本人としてのアイデンティティは保たれたのだ。

 腹を膨らませたあと、平野君とドラの家に行った。最後の夜はみんなで飲もうと約束していたのだ。
 やはり明日の早朝にロンドンに帰るカズヤ君と、平野君、ドラ、そして私の4人で安ワインとメタクサを飲んだが、飲み始めたのが遅かったので、すぐにカズヤ君と平野君が空港に向かう午前3時となった。
 強い雨の中、タクシーに乗りこむ前の平野君と固い握手を交わした。柔道と山登りで鍛えた大きな手だった。あと20時間もすれば彼は日本の地を踏むことになるだろう。

 大学を休学し、工場で働いて資金を作った。気持ちが萎えかけ、「世界一周」を思い立った場所に戻って決意を確認したこともあった。海外に出るのは短期旅行の韓国についで2回目だった。夏はレモン畑で野宿をし、新鮮な実を絞って飲んだ。冬はライディングジャケットを買う金がなく、Gジャンで震えながら走った。テロの影響でアジア横断をあきらめ、エーゲ海の孤島で1週間を過ごした。誰もいない砂浜で、焚火の炎を見ながら走った日々を振り返った。そして「いい旅だった」と思うことができた。
 半年間、22000キロ、世界半周の旅は終わった。そして青年は一つ歳をとって日本に帰る。

 走り去るタクシーの助手席から彼が向けた笑顔はすがすがしかった。何かをやり遂げた男の顔だった。酒が入っていたこともあるが、ジーンときた。
 そして部屋に戻って寝ようとしたら・・・おい!平野君!大事なものを忘れてんじゃん!ドラが印刷してくれた帰国記念のポストカードの束!さっきの笑顔は、単なるヨッパライの笑顔かい!
 私が本当に本当に良い人なら、どこかで無理やりタクシーを捕まえて空港まで行くのだが、残念ながら安ワインを飲みすぎた私には気力も体力も残されていなかった。ごめん平野君、日本に送ってあげるから勘弁して・・・おやすみ。


本日の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 1660Dr   インターネット
     1250Dr 昼食(スープ)
     3000Dr 宿代
     1000Dr 夕食(鍋)
計     6910Dr
(約2240円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月2〜3日(日、月) 博物館と生産的活動(National Archaeological Museum)

 日曜日は全ての博物館が入場無料なので、国立考古学博物館に行ってみた。アクロポリスの丘も無料だが、今日も雨。やはり入場料を払ってでも晴れているうちに行っておいて良かった。

 ギリシャの遺跡から出土した品のほとんどが収められるというので、かなりの規模の博物館を予想していたのだが、思ったよりも小さかった。そして朝はそれほど辛くなかったのだが、歩いて博物館まで行ったら昨夜の暴飲暴食がたたり、腹が痛くて体がだるい。落ち着いて展示を見ることができないのだ。

 それでも重い体を引きずって館内を巡ったが、それに見合うものはあった。ほとんどの展示物が紀元前のもので、3000年前のミケーネ文明のものも多いが、目を引いたのはブロンズ像の精巧さだった。石の加工技術の高さは遺跡でも見られたが、2000年前の金属の加工技術にも驚かされた。宮本輝の「海辺の扉」の冒頭に出てくる「馬に乗る少年」などは、風を切る疾走感に満ちていた。
 うーんギリシャ人、この時代にがんばりすぎた分、最近は疲れちゃったのかな?

 博物館から戻ってきたら、かなり疲れていた。夕方まで昼寝をして、夜は日記を打った。寝る前、平野君が置いて行った梅こんぶ茶をトシヤス君と多田君とで飲んだ。そろそろ彼も日本に着く頃だろう・・・。


 平野君がよく使う言葉に「生産的活動」というのがあった。「生産的活動」をしていないと不安になるのだという。だから彼は時間があれば何かをする。やることが無ければ腕立て伏せをして体を鍛える。そうして「今日も生産的な活動をしたから、無意味な1日ではなかった」と安心するのだ。
 そういった意味では、3日はたいして生産的な活動をしなかった。「現代のアゴラ」に買物に行ったあと、キプロス〜エジプト間のフェリーのことを聞きにキプロスの観光局まで歩いて行ったが、閉まっていた。シンダグマ広場には巨大なクリスマスツリーが設置されていて、私をちょっと焦らせた。
 昨年のクリスマスはペルーのクスコだった。あれからもう1年経ったのか!?

 夜、トシヤス君とカレーを作ったが、「インスタントコーヒーを入れるとコクが出る」と彼がいうので入れたら、本当だった。今回は時間をかけずに普通の肉(豚だと思ったら牛だった)と野菜のカレーだったが、十分美味かった。これが唯一、生産的な活動だったかな?
 食事のあと、トシヤス君が宿を発った。彼は今夜のフライトでマルタ共和国に飛び、3日間ののちチュニジアに渡るのだ。これからもおたがい旅を謳歌し、ホームーページに綴っていこう。だけどウイルスだけはもうコリゴリだね。気をつけて・・・。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 4950Dr   飲食費
     900Dr インターネット
     6000Dr 宿代(2泊分)
計     11850Dr
(約3840円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月4日(火) ハッピバースデートゥミー(My 30th birthday)

 恐れていた事態が発生した。といっても、避けようのないことなのだが。
 今日はこの旅に出てから3回目の誕生日、そして30歳になってしまったのだ。あ〜30、さんじゅう、サンジュウ、ということは三十路!!心はまだ青春まっしぐらのつもりなのに、もうオッサンよのう・・・。
 旅に出て初めての誕生日はメキシコだった。2回目はペルーだった。そして今回はアテネ。来年はどこだろう?って、いいかげん日本に帰らなきゃ。

 今振り返ると、最高の20代だった気がする。いい仕事もできたし、いい恋愛もできたし、いい結婚もしたし(誤解の無いように。俺は結婚したこと、そして離婚したことをこれっぽっちも後悔していない)、いい生活もしたし、いいバイクに乗ったし、いい酒を飲んでいいメシも食ったし、 いい友達にも会えたし、いい旅もしている。この調子で30代もガンガン行こう!
 ・・・あ、今、思い出した。ブラジルで生駒先生に四柱推命で占ってもらったとき、確か30代は苦労すると言われたような気がする。まあ・・・がんばろう。

 誕生日も30回目となると自分へのプレゼントなど考えないが、今日からささやかな贅沢をはじめることにした。1日あたり500ドラクマ(約160円)の追加料金を払い、部屋に電気ストーブを入れてもらったのだ。
 強・中・弱の3段階のスイッチがあるが、「強」に入れたら一発でヒューズが飛んでしまった。「中」と「弱」の二つしか使えないが、それでも部屋が小さいので十分だ。うーん、やばいなあ。暖房が入ると、この部屋はますます快適だなあ。そしてこの快適さが、私の決断を鈍らせているのだ。

 どこで冬を越すかいいかげん決めなくてはならないのだが、ブラジルもいいしエジプトもいいしタイもいいし、うーんうーん・・・ と、ちびくろサンボのトラのようにグルグルと考えを巡らすと、結局はバターのように思考が溶けてドロドロになってしまう。そうさせているのはこの宿の快適さだ。「もう少しゆっくりと考えよう」と思ってしまうのだ。
 これがとんでもない宿で、暖房もなくてシャワーは水で、特大ゴキブリが這い回っていたりすると、どこでもいいから一刻も早く飛びたいと思うのだが。

 夜は多田君とドラの家に行った。まことにずうずうしい話だが、昨夜、ドラに「明日、俺の誕生日だから祝ってくれ!」と電話したのだ。
 そんなわけで、押しかけ&無理やりな誕生会を自ら主催してしまった。といっても私がスパゲティを作って、みんなで飲んだだけだが。
 何も期待していなかったのだが、多田君は干しイチジクを買ってきてくれて、ドラはキリンのラガービールを用意してくれていた。うわあ、感激だなあ。気を使わせちゃったなあ。困った30男だなあ。ボカぁ、幸せだなあ。

 多田君は夜11時から宿のフロントに立たないといけないので、一足先に帰った。そのあとドラといろいろ話をしたが、聞けば聞くほど頑張っているなあ、と思ってしまう。てっきり自費留学だと思っていたが、奨学金で来ているとのこと。偉いなあ、親のスネをかじっていないんだなあ。

 そしてこれは先日のことだが、彼女もかなり重度の偏頭痛持ちだとわかった。私の偏頭痛(正式には群発性偏頭痛という)はベッドの上をのたうちまわり、嘔吐するぐらいの激しい痛みだが、彼女もそれぐらいだという。日々常に起きるのではなくて、人間関係などの心理的ストレスがたまると起きるというのも一緒だった。
 これはかなり感激した。同じ痛みを分かち合える人に初めて会えた。ドラもそうだという。フツーの低レベルの頭痛、私たちからいえば「ケツの青い痛み」しか知らない人は、「バファリンでも飲んだら?」と言うが、はっきり言ってそれどころの騒ぎじゃない。目の奥に小人がいて、痛感神経の根幹をキュッ!と締め上げているような鋭利な痛みなのだ。激しい痛みのさなか、「俺の顔は変形しているんじゃないか?」と心配になって鏡を見てしまうほどなのだ。
 1度起きると長くて数時間は痛みが続く。そしてそれが2、3日に一回、約一ヶ月に渡って起きるようになるのだ。そうなると「運転している間に起きたらどうしよう」とか「仕事中に起きたらどうしよう」とか、心理的ストレスを増やす結果となり、悪循環につながるのだ。
 日本の医学では根本的な治療法はないらしい。だから、Don't worry be happyでラクーに生きているのが一番なのである。(頭痛の物理的な原因は血管が膨張し神経を圧迫することなので、アメリカなどではその箇所の血管のバイパス手術をするなど、思いきった治療法もあるという。だけどいくらかかるんだろう?)

 あ、すっかり頭痛の話になってしまった。・・・お祝いのメールをくれた皆様、ありがとうございます。


本日の走行距離          0キロ(計67752.1キロ

出費                 3150Dr   飲食費
     1900Dr インターネット
     7000Dr 宿代(2泊分)
計     12050Dr
(約3900円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2001年12月5〜6日(水、木) パパとブーメラン小箱(Returned parcel)

 5日、平野君が忘れて行ったドラお手製のポストカードを彼の実家に送ってあげた。
 40枚のポストカードは写真用紙の小箱に入っているので、その箱に白い紙を貼りつけ、中央に大きく「TO:」から宛先を書き、そして「JAPAN BY AIRMAIL」 とつけ加えた。そして念のため、右下、余ったほんの小さなスペースに「FROM:」に続けて私の名前と宿の住所を書いておいた。
 宿から50メートル離れた郵便局、「Abroad(海外行き)」と大きく書かれたポストに投函した。まだクリスマスカードやギフトで混雑する前だから、一週間〜10日も見れば十分だろう。数千キロの距離を越え、無事に届けよ。

 6日朝、宿のフロントの前を通ると、夜勤の多田君に代わってシフトに入ったばかりのオヤジ(愛想はイマイチだがかなり親切)が、「ヘイ、ミスター。郵便が届いているぜ」と、見覚えのある小箱をさし出した。 お、届いた届いた、平野君のポストカード・・・って、ここに届いてどうすんねーん!お前は数千キロの旅に出たはずなのに、50メートルしか動いてないじゃん!
 最初は料金不足で戻されてきたのかと思ったが、切手にはていねいに消印が押されてあった。間違いない、郵便局は宛先と送り主を取り違えたのだ。

 小箱を持って50メートル先の郵便局に文句を言いに行くと、忙しそうな女性局員は逆ギレ気味に言った。
  「あ?ギリシャってのは、送り主の名前と住所を左上に書いて、中央に宛先を書くのよ。あんたのは位置が逆じゃない。だから中央に書かれたここに(と右下の隅に小さく書かれた私の名前と住所を指差して)、届いたのよ。当たり前じゃない」
 むむむ、そう出たか・・・。でも、確かに位置が逆に見えるかもしれないが、日本の宛先の方が断然大きく、しかも「TO:」から書かれているし、「JAPAN AIRMAIL」とつけ加えたし、ギリシャの切手が貼ってあるし(逆だったら日本の切手だろう)、しかも「海外行き」と書かれたポストに投函したのだ。ちょっと考えたら、いや考えなくてもわかるだろ、フツー。

 こっちが引くということは、1400ドラクマ分の切手を無駄にするということだ。ちびまる子ちゃんに出てくる花輪クンばりに「アハハ、ベイビー。そんなこと言っても、フツーわかるだろう。ボクはおフランスでもどこでも、これで届かなかった試しはないよ。もしかしたらギリシャって、特殊なのかナ・・・」 と嫌味を込めて言ったら、私じゃ何もできないから2階の上司と話してくれ、とため息をついてその女性局員は言った。
 そして2階に行き、冴えなさそうなその「上司」と、宛先の位置から花輪クンの「ベイビー」まで1階と同じ会話を繰り返した。するとその男は、「我々は日々、多くの郵便物を処理している。だから宛先を書く位置にご留意いただけないと、こういう結果になるのだ。しかし、今回は特別にこの小箱を受け取って日本まで送りましょう」と英語で言った。それは日本語に訳すと「悪いのはお前だが、今回は大目に見て日本まで届けてやる。だから感謝しなさい」ということだったが、まあ、届けてくれるのであれば問題はない。すっきりしないが、「アハハ、ベイビー。わかってくれたかい、サンキュー」と言い残して郵便局を後にした。
 それにしても、朝、あの小箱を見たときは驚いた。ブーメランじゃないんだから・・・。

 その夜、同じ宿の寒いドミトリーに宿泊しているバックパッカーのあいちゃんと、ギリシャ留学の準備に来ているマチコちゃんを、「ヘイ、ベイビーたち。俺の個室には暖房があるのさ。来ない?」と誘い、私の部屋に軟禁することに成功した。それは変態おじさんが「可愛いお嬢ちゃんたちだねえ。セーラームーンの下敷きがあるから、ボクの車まで来ないか?」と言っているようだったかもしれない。

 何度もギリシャに来ているマチコちゃんが面白いことを言っていた。
  「あんな、ギリシャ人の友達に聞いたんやけどな、ギリシャ人てな、自分のナワバリのボス意識が強いんやて。だからバスに乗れば運転手がボスで、客が何と言おうと、俺がボスという態度にでんの。なんかの店なら店主がボスやし、郵便局なら、ある窓口におけるオバサンは、もうその窓口のボスなの。誰の意見も聞かないの。だからいつもケンカして、経済の発展に繋がらないんやて」
 うーん、と私は納得して唸ってしまった。そう言えばそんな感じがする。イタリアからのフェリーも、今日の郵便局も、そういえばこの間の市場でも・・・。あれはまだ平野君がいたころ、市場に魚の缶詰の試食販売をしている屋台があったのだが、平野君がひとつ試そうと楊枝に手を伸ばしたところ、オヤジが「勝手に取るなよ」と、ピシャッと平野君の手をたたいたのだ。あれはきっと、自分の聖なるナワバリを侵された怒りだったのだ。平野君も相当怒っていたけどね・・・。

 寝る前、多田君も含めて4人で記念撮影となった。
 私がセッセと三脚を用意していると、マチコちゃんが「そんなんしていると、お父さんみたいやなー」と言った。「ほんまやなー、お父さーん」とあいちゃんが続いた。おい!やめてくれ!せめて、お兄さんといいなさいお兄さんと、君たち。
 「やったらパパやな。この世代で子供おったら、パパって感じやねん」「ほんまやなー、パパー」
 パパ!?・・・誕生日よりも30歳になったことを自覚させる夜だった。それにしてもパパって・・・。


2日間の走行距離          0キロ(計67752.1キロ)

出費                 2700Dr   飲食費
     5850Dr インターネット(ウイルスバスターを2時間かけてアップデートした)
計     8550Dr
(約2770円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe、Downtown Internet