旅の日記

チリ・サンペドロ・デ・アタカマ編その3(2001年1月10〜12日)

2001年1月10日(水) 月の谷の砂にはまる(Deep sand of Valle de la Luna)

 朝焼けの中、イキケを出発して一路南へ。砂漠の中の一本道をひたすら飛ばす。
 ほとんど休憩を入れる事もなく、午後2時ごろ目的地サンペドロ・デ・アタカマに到着。牛次郎で来たときと同じ宿に行くが、チリは今、夏休みで個室は満室。仕方なく、宿に併設してあるキャンプ場でのテント泊になる。

 そして予定どおり、この宿でリカさんと再会。とりあえず夕暮れに染まる「月の谷」を見ようと、二人乗りでサンペドロを後にする。「月の谷」はその名の通り、まるで月のような砂と岩の渓谷が広がる景勝地。20分ほどで到着できるはずだ。

 ・・・しかし15分後、いきなり我々はコケた。「月の谷」を通る道はダートなのだが、あるところでいきなり砂が深くなり、リア・タイヤが流れて、ありゃ、ありゃとバイクが振られて、そしてボテっと砂の中に落ちてしまった。砂なのでダメージはないが、二人とも砂まみれ。そして重いDRは砂の中にうまり、オンロード寄りのタイヤはグリップをしようとせず、ただ砂を掘り起こしてより深くバイクを埋まらせる。仕方なくバイクを横倒しにして、二人で砂の浅いところまで数メートルほど引っ張りださなければならなかった。
 情けない。実は走っていてコケるのは、このツーリング中初めてだ(立ちゴケはあったが)。しかも、女の子を後ろに乗せてである。しかし、リカさんは「気にしないで」と肩をポンと叩いてくれた。彼女は8歳年下だが、どっちが大人だがよくわからない。リカさん、申し訳ない。

 苦労の末、「月の谷」の深部に到着。ただし谷のどこが見どころかわからないので、ツアーで来ている人たちにくっついて回る。
 一番の名所らしき砂丘は登るのに疲れたが、頂上からの夕陽は美しかった。日が落ちるまで、他のツアー客とともに頂上からの展望を満喫した。

 暗くなってすぐサンペドロに戻った。そしてラーメンだけを軽く食べ、すぐに眠った。というのも明日はタティオ間欠泉群という所に行くツアーに参加するので、朝3時半起きなのだ。 


本日の走行距離      521.6キロ(計30006.6キロ)

出費                  7850P   ガソリン
   1500P  昼食(スパゲティ)
   2000P  キャンプ場1泊分
   8000P  タティオ間欠泉群ツアー代
計       19350P(約3800

宿泊         Camping Los Perales


2001年1月11日(木) アタカマ塩湖でコーヒーを(Coffee in Atacama salt lake)

 朝3時半に目覚ましは鳴ったが、私はすでに起きていた。というより、ほとんど眠っていない。1年以上ぶりのテントが体になじまないからでなく、近くでキャンプしていたグループが遅くまで酒盛りをしてうるさかったので、なかなか寝付けなかったのだ。1時間ほど眠ったが目が覚めてしまい、その後は眠れなかったというわけだ。

 朝4時過ぎ、ツアーのバスはホテルに迎えに来た。タティオ間欠泉群はボリビアとの国境地帯に広がっているが、そこまでの道は遠く、路面は荒れている。最初のうちは遠足気分で盛りあがっていたが、そのうちに眠くなり、寝ながら車に揺られる。

 朝7時ごろ、ようやく間欠泉群に到着。雲が多い天気で残念だが、雪山に囲まれたこのエリアには無数の間欠泉がボコボコいっている。朝日の中、のぼる湯気がきれいだ。私は朝焼けに映える間欠泉をみるためにツアーの時間が早いのかと思ったが、実はこれらの間欠泉は朝にしか活動しないからだそうだ。

 ここで我々は大きなミスを犯したことに気付く。卵を持ってこなかったのだ!日本人たるもの、温泉に行くのに卵を持っていかないでどうする!この景色を見ながら食べる温泉卵は美味かったろうな・・・。
 間欠泉の近くには温泉のプールがあり、一応水着は着てきたのだが、湯温が意外に低いので入るのはあきらめた。足だけを つけたが、それでもあがるときは足がすぐに冷たくなった。

 ツアー料金に含まれている朝食をたべ、近くにある他の間欠泉群を2ヵ所ほど回ったあと、車は帰路についた。眠いので、やはり寝ながら帰る。

 午後12時過ぎ、車は宿の前に到着し、ツアーは終了。昼寝が必要かと思っていたが、車の中で熟睡したので意外と元気だ。パスタの昼食を作ってたべ、午後からはアタカマ塩湖を見に行く。

 アタカマ塩湖はウユニに次ぐ、世界で2番目に広い塩湖だ。サンペドロからバイクで小一時間ほどの距離。路面は舗装されているので今日は安心だ。それにしてもインチキメットを被り、ホームセンターで買った日曜大工用のゴーグルをつけたリカさんは、まるでヤクルト配達のおばさんか鉱山労働者にしか見えない。

 アタカマ塩湖の中には水のある湖があり、そこはフラミンゴの保護区になっている。フラミンゴの数はウユニ周辺の湖より少なかったが、ここのフラミンゴは人をあまり恐れず、けっこう近くで観察できた。飛ぶときに見える真っ赤な翼が印象的だった。

 フラミンゴを観察した後は、真っ白な塩の大地が広がる中でコーヒーを沸かして飲んだ。ザ・ポリス(スティングがいたバンド)の「サハラ砂漠でお茶を」という曲をもじった企画だったが、なかなかナイスだった。しかしマグカップを忘れたので、鍋からズルズルすするしかない。インスタントだが、こういう景色の中で飲むとうまい。

 アタカマ塩湖の表面は、ウユニ塩湖とは全く違っていた。真っ平らなウユニに比べ、ここはゴツゴツとした塩を固まりが広がり、ここもまるで月面のよう。どこかで見た風景だな、と思ったら、アメリカ、デスバレー国立公園の「悪魔のゴルフ場」 に似ている。
 ただし塩の固まりはもろく、上に乗ると崩れる。平らなところではまるで霜みたいで、パリパリといわせながら歩くととても楽しかった。

 サンペドロに戻ると、もう夕食の時間だった。リカさんは明日、サンペドロを出るので今夜が最後の晩餐。ナイスな雰囲気のレストランでディナーを食べた。
 食後はワインを買って宿で飲んだが、さすがに昨夜はちゃんと寝てないのですぐに眠くなった。リカさんはフラメンコを踊るが、宿で一緒になったチリ人の女の子もやるというので、ラジカセでテープをかけて二人でクルクル踊っていた。見ているこっちが目が回ってきた。とてもかっこいいぞ。

 午前2時ごろ就寝。しかしワインを飲みすぎたのと眠すぎたので、その時の状況はよく覚えていない。  


本日の走行距離      127.7キロ(計30134.3キロ)

出費                   550P   水
   1000P  フラミンゴ保護区入場料
   6500P  夕食(ちょっとナイスなレストラン)
計       8050P(約1580

宿泊         Camping Los Perales


2001年1月12日(金) 別れと再会(Goodbyes and hellos)

 昼前、リカさんが旅立っていった。ロンリー青山、1人さみしく昼食を作って食べ、バイクの整備をする。

 しかしその時、聞きなれた声が「青山さん」と呼んだ。振り向くと、おお、チチカカ湖のアマンタニ島で一緒に年越しを迎えたアキラさんではないか! 彼からは「これからウユニ塩湖を越える」というメールをもらっていたので、ひょっとしたら再会できると思って宿の名前を伝えておいたのだが、うまくいったようだ。彼はウユニ塩湖のツアーで一緒になった柴田さんという友達と一緒で、今夜は3人でカレーを作って食べることになった。

 夕食前、町のインターネットカフェにいってメールの送受信をする。観光地なので料金は高いが、回線速度は前に来たときより断然速かった。

 そして午後7時からカレーを作り始める。ニンニクをたっぷり入れた久しぶりのカレーは美味しくできた。赤ワインを飲みながら、午後11時ごろまで3人で色々と話しをした。
 アキラさんと柴田さんは明日、ここを出るそうだ。私もそろそろ出ようかな・・・ここはのどかでいい所だが、観光地なので物価がイチイチ高いのだ。


本日の走行距離          0キロ(計30134.3キロ)

出費                   600P   コーラ
   700P  インターネット
   500P  夕食(カレーの材料費)
計       1800P(約350

宿泊         Camping Los Perales
インターネット ETNICO