旅の日記

メキシコ・グアダラハラ編(1999年12月10〜13日)

1999年12月10日(金) 本土上陸、グアダラハラ到着(Arriving Guadalajara)

 昨晩は船室のきしむ音がうるさくてあまり眠れなかった。高い個室にしたんだからゆっくり寝て元をとらねば、と思うと余計眠れなってしまった。
 寝不足のまま起きると、もうすぐマサトランに着くと言う。予定より一時間も早い。急いで荷造りし、バイクのところへいこうとしたが、接岸後でないとダメだという。一番最後に入れたバイクだから、出すときは最初だろう。船が接岸するのを待ち、久美子と二人で重い荷物を担いでバイクのところまで歩く。
 すると、車で旅行しているアメリカ人が、「あんた、テレビでインタビューに答えていた人だろ」と話しかけてきた。おお、テイファナでペルミソを取得する際にアメリカのテレビ局のインタビューを受けたが(12月1日)、無事放送されたようだ。これでグローバルな有名人、とか思っていると、信じられない言葉が彼の口から発せられた。「あの高額なデポジットを課すという法律は、苦情殺到で2、3日で中止になったそうだよ」。
 は?では私の払った600ドルはどうなるんじゃい、と言うと「ペルミソを取得した国境まで戻ると返してもらえるらしい」とおっしゃる。何?ティファナまで戻れということかい。そんな無茶な。そのアメリカ人は、とにかくメキシコシティで当局にかけあってみれば、とアドバイスしてくれた。そうする予定だが、果たしてメキシコシティで600ドル返してもらえるだろうか。グアテマラとの国境で返還される可能性は皆無に等しい。
 いきなり気分がブルーになった。なんてこったい。しかし、それはそれ。今日はグアダラハラまでがんばらねば。
 ラパスの港で税関のチェックなどがあったので、マサトラン側では手続きは一切なし。バイクに荷物を載せ、15号線を一路南へ。砂漠が中心だったバハ半島の景色とはガラっと変わって、ジャングルというと大げさだが、高温多湿なヤシの木の深い茂みが続く。途中いくつか川を渡るが、どこも茶色い水で豊富な水量があった。
 昼過ぎにTepicという町に到着。昼食のタコスを食べる。そこからグアダラハラまでの200キロは有料の高速道路。一般道もあるが、軟弱な私たちは当然快適な方を選んだ。メキシコの高速はよく整備されているが、かなり高い。200キロ走るのに途中4つの料金所があり、計245N$も取られた。しかも、料金所の路面がオイルで汚れていることが多く、一回走り出そうとしてアクセルを開けたら、おもいっきりホイルスピンしてバイクがななめを向いてしまった。恐怖。
 そしてマイナーなトラブル発生。高速を走っていると、いきなりハンドルがロックして動かせなくなった。何とか路肩に寄せて見ると、フロントのフェンダーが道具箱にひっかかっていた。サスがへたってきて、沈み込む量が増えたためだろう。とりあえず元に戻して走り出したが、そのうちフェンダーを切るか何かしなければ。
 高速を飛ばし、午後4時ごろグアダラハラに到着。途中で時間帯が変わったので、グアダラハラでは5時になる。メキシコシティに次ぐメキシコ第2の都市(人口500万)だけあって、とにかく町がデカイ。市内に入ってから、「セントロ」という案内をたどって走るが、全然着かない。そして、メキシコの大都市の運転の荒さは、そりゃ暴力的。車線なんてあって無いようなもの。隙間があれば割って入る、まるで歩行者のような感覚。特に凄いのが路線バス。我が物顔で狭い車道を右に行ったり左にいったり。
 何とか町の中心地、セントロに到着。「自由市場」という巨大な市場の近くの安宿にチェックイン。ここら辺のホテルは駐車場はおろか中庭もないが、ここHotel Mexico70はフロントの前にバイクを入れさせてくれた。しかもツインで110ペソ。少々ぬるいがお湯のシャワーも出るし、こりゃええわ。
 ホテルに荷物を置き、バイク屋でオイルを買った。そして夜は自由市場をブラブラし、屋台でピザ生地の上に具(2種類、ポテトと鶏肉)がのった妙だがうまい食べ物を食べる。そしてスーパーでビールを買い、寝るのであった。今日は疲れた〜。
 
本日の走行距離     505.8キロ(計15198.1キロ)

出費              93N$ ガス
                 40N$ 昼食(タコス)
                245N$ 高速料金
                 90N$ ガス
                110N$ 宿
                200N$ オイル
                 30N$ 夕食(屋台)
               40.2N$ ビール、水など
計            848.2N$

宿泊           Hotel Mexico70

「久美子の言わせて!」
グアダラハラのホテルにチェックインし、重い荷物を3階(4階の高さ)まで運ぶ。途中にすり鉢みたいな低い石の灰皿が何ヵ所か置いてあった。カズはそれを見て寿司の出前か?とまたとんでもない事を言った。普通に考えてこんなメキシコであるわきゃねーだろぉ。たしかに奴は目は悪いがいつも変なとこでそそっかしい。以前にも似たような事があった。私のお姉ちゃんとカズと3人で夜道を歩いていたら、突然カズが道の端っこに転がっていたスーパーの白いゴミ袋にむかって突進して行った。そして袋に向かって「みーちゃん」(猫を見れば必ずそう言う)と言った。そして猫ではないと気づき、得意の言い訳をしながらとぼとぼと恥ずかしそうに帰ってきた。よくわかんないんだったらいわなきゃいいのに。ほんと、あほちんな奴だ。



1999年12月11日(土) グアダラハラ観光(Seeing Guadalajara)

 今日はグアダラハラ観光の日。街はデカイがセントロ(中心地)に宿を取ったので、観光スポットは歩いて回れる。

 まずはセントロの中でもひときわ目立つカテドラル(大聖堂)へ。何でも1561年から60年の歳月をかけ、様々な建築様式を取り混ぜて造られたらしい。デーンと構えたその勇姿は、メキシコはサボテンや砂漠だけじゃない、と言っているようだった。
 次はハリスコ州の庁舎へ。ここも17世紀に造られた重厚な建物だが、中には壁画の巨匠オロスコ(わしゃ全然知らんが)によって描かれた天井画がある。メキシコ独立の父と言われるイダルゴ神父(同じく知らんが)を描いたものだそうだが、タッチが荒々しく迫力満点。永井豪のデビルマンを思い出した。市庁舎には何故か花嫁と花婿がいて、この天井画をバックに写真を撮っていた。いい絵だが、もっとバックはふさわしいものがあるだろう。物好きなカップルだと思ったら、あとで別のカップルも来ていた。何か意味があるのかしら。

  その後、インフォメーションセンターで教えてもらったインターネットカフェへ行く。マシンも古くあまりキレイでない所だったが、とても安い。1時間20ペソ!で、しかも10分単位で課金してくれる。とても良心的。とりあえずメールをフロッピーに落とす。

  宿に帰る前に、昨日いった巨大な「自由市場」へ。3階建ての野球場のようにデカイ建物の中には、ところ狭しと衣料品から玩具屋から食べ物屋まで何でもある。とても活気があり、香港の街を思い出した。2階部分が小さな食堂が集まった食堂街になっており、私たちが向かった先は日系の中島さんという方のお店。ここは原付で5大陸を走破した藤原さんに教えてもらった店で、安くておいしい魚料理が食べられるとのこと。行って見ると、週末のお昼時ということもあって大変な賑わい。それらしき人に話し掛けると、やはり中島さん本人だった。藤原さん夫妻の事を話すと、とても喜んでいた。焼き魚(鰆)とスープ、白い御飯をたらふく食べた。どれも美味かったが、とくに焼き魚にはメキシコの赤い大根のおろしを添えてくれて涙モンだった。で、お勘定を払おうとすると、「気持ちだから」と言って受け取らない。そんな、見ず知らずの私たちに、何ていい人なんでしょう。明日も来ますが、明日はちゃんと払います、と約束して宿へ。

  宿へ帰ってフロッピーに落としたメールを読み、今度はパソコン本体を持って先ほどのカフェへ。LANアダプターも持って行って、カフェのシステムとのLAN接続を試みる。カフェの一台のマシンからケーブルを引っこ抜き、自分のバイオとつなげる。そんで適当に設定を変えたら、やった、簡単にインターネットができた。で、メールの送受信をやろうとしたら、サーバの設定がうまくないためかダメだった。仕方ないのでヤフーメール経由でメールを送る。
 帰る頃にはすっかり暗くなっていて、イルミネーションがとても綺麗だった。でも結構暑いので、クリスマスや年末といったイメージがわかない。広場にオープンカフェがあったので、イルミネーションを見ながらスパゲティを食べた。物価も安いし、グアダラハラは良い街だ。
 
本日の走行距離        0キロ(計15198.1キロ)

出費             110N$ 宿
                 36N$ インターネットカフェ
                112N$ 夕食(スパゲティとビール)
計              258N$

宿泊           Hotel Mexico70
インターネットカフェ  Computer Rent(LAN接続可能、一時間20ペソで分単位で課金)

「久美子の言わせて!」
今日は一人でグアダラハラの雑踏を歩く。なぜかというと奴と喧嘩したからである。険しい顔で歩いていたので、道ですれ違う人はあのねえちゃん、こわい顔してどこいくねん。とでも思っただろう。でもひとりで散歩していたらすっかり気分がよくなった。そして仕方なくカズと合流。あるいていると日本人が珍しいのかじろじろ見られる。カズが「なんで久美ちゃん目立つんだろう?」と言ったので、「かわいいから」と言ってやった。しーっしっし。ともかく危険な目に会わないよう気をつけなくちゃだわ。ぶさいくでもやつらには関係ないからね。こわいこわい。
夜は街全体がクリスマスに向けてライトアップされていてとても綺麗だった。明日は日曜日なのでカテドラル(大聖堂)へいってお祈りしてこようっと。たのしみたのしみ。




1999年12月12日(日) 中島家訪問(Visiting Senor Nakajima's house)

 今朝はゆっくりめに起き、飯を食いに街にでる。しかし日曜日のため多くの店が閉まっていた。マクドナルドの場所はチェックしていたので、そこで食べる。
 その後、昨日のカテドラルへ。すると、ウエディングドレスのような純白のドレスを着た少女が大勢いた。結婚式のおまけかい?とも思ったが、それにしては数が多すぎる。あとで聞いて見ると、メキシコの子どもは8歳になると初めて教会でミサの後にもらう食べ物(神父さんが口に入れてくれるやつ。名前がわからない)をもらえるようになるらしく、今日がその「教会デビュー」の日らしい。日本で言うと七五三のようなもんやね。なるほど、どおりで街の洋服屋で子ども用のドレスがいっぱい売っていた訳だ。
 カテドラルの後はカバーニャス孤児院へ。この建物は1980年まで150年間孤児院として使われていたもので、中には壁画の巨匠オロスコ(また登場)の最高傑作といわれる天井画がある。昨日の庁舎同様、すんごい迫力の絵だが悪く言えばおどろおどろしく、子ども心にこれを見たら怖いだろうなあ、と思った。現在は文化センターとして使われているらしく、中ではいろんな芸術家の個展が開催されていた。その中にオロスコの作品集みたいなのをやっている部屋があって行って見ると、ビックリした。だって、オロスコの顔写真が飾ってあるんだもん。白黒だが眼鏡をかけていて、写真の下の説明によると何でも1950年くらいまで生きていたらしい。何だ、オロスコって今世紀の人だったのね。てっきり昨日の庁舎といい今日の孤児院といい、建物が完成した時に「センセ、ひとつ頼んますよ」みたいに当時の偉い人に依頼されて描いたのかと思った。ってとこは、何かい、古い建物に近代の画家に絵を描かせたってことかい。それってすごいなあ。大阪城の内部に岡本太郎が太陽の絵を描くようなものでしょ。その勇気をたたえます。
 いったんホテルへ帰り、オイルを交換する。メーターのボルトが緩んできていたので増し締めをしようとすると、あら、やってしまった。力を入れた瞬間、ボルトがネジ切れてしまった。残ったボルトを出す事が不可能。仕方なし、そのうち直そう。
 そして腹が減って来たので、いよいよ昨日の中島さんのお店へ。今日はサカナのフライとスープを食べた。久美子はエビのニンニク炒めを食べた。とても文章で言い表わせないくらいおいしい。岸朝子(だったっけ?料理記者暦40年のおばさん)風にいうと「大変おいしゅうございました」。大学生の息子さん、ヒロシさんが店を手伝っていたので、日曜日でもやっているインターネットカフェの場所を聞くと(昨日のところは休みだった)、それならうちでやっていけば、と言ってくれた。
 いったんホテルへ帰りパソコンを持って、仕事あがりのヒロシさんと一緒にバスに乗って中島家へ。家では愛犬ピンキーちゃんが出迎えてくれた。ヒロシさんはコンピューターエンジニア目指して大学で勉強中で、パソコンも自作でウインドウズ98を搭載、アプリケーションもそうそうたるものが入っていた。ヒロシさんのパソコンから電話線を抜いて自分のPCに繋ぎ、ヒロシさんのIDとパスワード入れて接続するが、ホストが応答しない、というメッセージが出てしまう。ヒロシさんのパソコンでやり直すと、ダイヤルしてからかなり時間が経ってネゴシエーションが始まった。もっとガマンするようにモデムの設定をしなければいけなかったのね。時間もあまりないので、そのままヒロシさんのパソコンからホームページを更新する。作業後は中島さんご夫妻とヒロシさんとお話をした。600ドルのデポジットの件を話すと、明日ヒロシさんがどこで返してもらえるか電話で調べてくれるという。おお、何て力強いお言葉。
 帰りはヒロシさんに愛車ワーゲンビートルでホテルまで送ってもらった。明日も中島家におじゃまする予定。

本日の走行距離     13.8キロ(計15211.9キロ、オイル交換7回目)

出費             110N$ 宿
              48.60N$ マクドナルド
                  8N$ 自由市場のプリン
                  9N$ バス
              11.50N$ ジュース、水
計            187.1N$

宿泊           Hotel Mexico70

「久美子の言わせて!」
中島ファミリーはなんていい人たちなんだろう。見ず知らずの私達にいろいろとお世話してくださってほんとに感激。Muchas grasias.(ありがとう)お店ではおいしいものをごちそうしてくれて、自宅ではパソコンを使わせてもらい、明日はお昼御飯までごちそうしてくれるんだって。にんともかんとも。うれしいかぎりだ。今朝、神様に懺悔したからかな。中島さんの家でいろんな話を聞いた。中でもおおっと思ったのは、友達の日本人の男の人がスペイン語をこちらで学び日本へ帰って今は通訳のお仕事をしているそうだ。仕事数は少ないが、ひとつの仕事をもらうと結構いい給料をもらえるらしい。よしっがんばってスペイン語を習得するか、と再び考え直したのだった。



1999年12月13日(月) 志花さんと出会う(Meeting Shika-san)

 本当は今日グアダハラハラを後にする予定だったが、昨日洗濯した衣類が全然乾いていないのと、中島さんちの昼食会にお呼ばれされているので、出発は明日に延期。
 お昼時よりちょっと早めに中島家にお邪魔し、屋上で洗濯物を干させてもらう。奥さんのあやこさん得意のメキシコ料理ができるころ、日本人学校の教師の井上志花さんと、あやこさんのお姉さんのたえこさんがやってきた。中島さんちの長男ヒロシくんと次女ハルミさんも一緒に、にぎやかな昼食会となった。食後はヒロシくんが600ドルのデポジットの件で方々に電話して問い合わせてくれたが、当局はグアテマラとの国境で返す、と言っているらしい。とりあえず行ってみるしかない。
 夜は志花さんと待ち合わせて、志花さんの先輩の服部さんも一緒に4人でタコスを食べた。移動は服部さんの車だったが、グアダラハラに来て6年というキャリアが物語るように運転がアグレッシブだった。よく聞く話だが、服部さんも「メキシコで人を跳ねたら逃げろ」の鉄則を信じているらしい。でもバイクだったらコケちゃうなあ。
 うまいタコスをたらふく食べたあとは、志花さんともう一軒行く事に。こじゃれたレストランで流暢なスペイン語でビールをオーダーする志花さん、カッコイー。志花さんは私よりずっと年下だが、異国の地で一人、しっかりと生きている。そういえば中島家の長女のマユミさんも年下だが、自分で広告代理店を経営している。もっと成長し、オトナにならねば、と思うカズヒロであった。
 午前1時ごろまでビールを飲み、帰りはメキシコ初のタクシー。メーターの無いタクシーだったが、志花さんが料金を交渉してくれたので安心だった。ただ運転はとってもエキサイティング。赤信号も一時停止もなんのその、裏街道まっしぐらでホテルに着いたのだった。志花さん、今度は日本でねー。

本日の走行距離     19キロ(計15230.9キロ)

出費             110N$ 宿
                  8N$ パン
                  2N$ 公園入場料
                 50N$ 夕食(タコス)
                136N$ ビール
                 40N$ タクシー
計              346N$

宿泊           Hotel Mexico70

「久美子の言わせて!」
またまたカズがやーっちゃった。中島さんちでお昼ご飯をご一緒するちょっと前にお邪魔して、洗濯させてもらったり、オートバイの雑誌を読んだりしていた。奥さんのあやこさんが「バナナ食べますか?」と一房のバナナをくれた。カズは「久美ちゃん食べる?」と言ったので「うん。1本くれ」とここまでは普通だ。だが、ここからがやっぱりカズ。バナナを1本取るのにえい、やあ、ふんっと力を入れたら、反対の手で押さえていた4本のバナナの方がいっぺんにバリバリっともげてしまった。おかしくって大笑していたら、あやこさんが「一人、2本ずつね」と笑いながら言った。本当はあと2本根元の所が折れちゃってたんだけど、それは勘弁してもらった、というかバレてなかったのでそのままにしてしまった。カズが責任を取り(あたりまえだ!)2本、私が1本、あやこさんが1本でバナナは一応はけた。カズが「俺はこういう星の下に生まれているんだ」とぽつりと言った。なんて、人生裏目っちゃうんだろう。不思議な人だ。
関西人の志花(しか)さんとお友達になる。夜ごはんを一緒に食べた。志花さんはグアダラハラで日本人学校の先生をしている。でも来年の3月で日本へ帰ってしまうんだって。酒を飲みながらいろんな話しをした。志花さんの彼氏は今は大阪に住んでいるんだけど前は語学の勉強&遊びで1年位、一緒にグアダラハラに住んでいたんだって。その前は彼はグアダラハラ、志花さんは北京(中国)という遠距離恋愛をしていたそうだ。でもその時、お互いの進む道が違うんちゃう?ということで別れ話をしたら、「今からそっち行くからまっとき」といい、彼は北京まで飛んできたそうだ。そういうのってなんだかいいなぁ。(行動力のある男ってかっこいい!)で今年、ほなそろそろ結婚しよかぁということになったらしいが、タイミングが合わなくて、なかなかうまくいかんと言っていた。早く幸せになって欲しいなぁ。志花さん、日本へ帰ったら大阪遊びに行くでー。