旅の日記

メキシコ・バハ半島編その2(1999年12月5〜9日)

1999年12月5日(日) 初インターネットカフェ(Going to an Internet cafe for the first time) 

 ここ、「セニョールマニャーナ」ホテルは居心地が大変よい。バイクも中庭に停められるし、何しろ主人のユカおじさんがいい人だ。あまりキレイじゃないけどちいさなキッチンもある。今日の朝ごはんはデリアンとブラジル人のジュカ、その彼女(名前忘れた、アメリカ人のかわいいパツキンギャル)と食べた。
 その後、銀行の裏にある、町唯一のインターネットカフェへ。1時間70ペソとのこと、ムム、若干いいお値段。急いで作業をしなければ。
 まずは、フロッピー5枚に分割したグローバルIMEをインストールしてみる。無事インストールが完了したので使ってみようとすると、使い方がよくわからん。しかも、ウインドウズがスペイン語版なので、出てくるメッセージがわからん。あげくの果てにはフリーズの連続。隣のパソコンを見ると英語版だったので、ええい、IMEはもういい、ってことで隣に移させてもらう。この時点で30分のロス。
 さて、気を取りなおしてホームページの更新。フロッピーに落としたFTPソフトをインストールして新しいファイルをアップロード。早速エクスプローラーを立ち上げて動作確認をすると、ファイルが二つ抜けている。何でだ、と思ったら、ファイル名が日本語だったために、認識されなかったらしい。ファイル名の変更をしようとしたら、それすらもできなかった。何だ、結局自分のパソコンでやり直さねば。この時点で一時間のロス。
 次はメール。フリーメール(米国のヤフーメール)経由でメールを引っ張り、片っ端からフロッピーに落とす。12月1日以来だから、40件ほどもある。全部落とすのに1時間弱かかった。結局140ペソもかかった。高〜。
 ホテルに帰る途中、屋台のとうもろこしを食べる。サンホセデルカボはいいところだが、食べ物が困る。レストランは観光客向けの高いところばかりだし、かといって屋台や安食堂もいいのが無い。とうもろこしは嫌いではないが、歯にはさまって困る。
 宿に帰ると、久美子が寝だした。具合が悪いというので熱を測ると、37度ちょっとあった。軽い風邪だろう。さて、さっき持ってきたメールを読みますか、と思ってパソコンを立ち上げて見ると、半分くらい文字バケしていて読めん。そうか、米国のヤフーだったから正確に変換されないのか。今度は日本のヤフーメールから落としてみよう。
 というわけで、久美子を置いて再度インターネットカフェへ。日本のヤフーメールを開くと、案の定何にも読めません。それらしきところにパスワードなどを入れ、受信箱の画面まで開いた。メッセージを片っ端から開き(当然読めない)、フロッピーに落としていく。また一時間ほどかかった。しかし、それで持って返っても、自分のパソコンでは開けなかった。保存したはずのページが、htmlのファイルで無くなってしまっているのだ。なんでだろう。
 結局、本日は210ペソも使ってホームページの更新しかできなかった。海外ネットの道は険しいなあ。

本日の走行距離       0キロ(計14404.2キロ)

出費             210N$ インターネットカフェ
                 14N$ とうもろこし
計              224N$

宿泊          Yuca's Senor Manana

「久美子の言わせて!」
だるーい。さむーい。胃がいたーい。風邪かなぁ。インチキ体温計で計ったら37度ちょっとあった。カズは熱があるとちゃんとした病気として認めてくれる。熱が無くても具合い悪いときもあるんじゃあ。ともかく胃が痛いので食欲もなく、ひたすら寝る。夜ちょっと起きて、日本から持参したパックの味噌汁を飲み、バファリンを飲む。カズはあんまり熱が無いんだからバファリンはちょっと…と口には出して言わないが目がそう語っていた。まあそんな事はいつものことで、気にしちゃあいけない。だって具合が悪いのはわしじゃ。好きにさせろ、と強制突破!そしてまた寝る。翌朝、ほれみろ復活したじゃないか。2ヵ月に1回位なら薬飲んでも大丈夫でしょ。見た目とだいぶギャプがあるが、ちょっと体の弱い私。



1999年12月6日(月) バハ半島の先っちょ(Tip of the peninsula) 

 朝起きたら、久美子が復活していた。天気もいい。よし、今日はカボサンルーカスへ行って、バハ半島の先っちょへ行こう。
 カボサンルーカスは、我々が宿泊しているサンホセデルカボより30キロほど南西の、バハ半島の本当の先端の町。アメリカ人向けのリゾート地として栄え、ハードロックカフェやマクドナルドもある。この町にいると、あまりメキシコといった感じがしない。本当の先端までは道がないので、船着場からグラスボートに乗るしかない。一人10ドルは仕方ないか、といったところ。底がガラスになっている小船に乗って、いざ出航。
 船は港を出て、先端の方へ。そこは「エルアルコ」と呼ばれているところで、岩のアーチや洞窟があり、景勝地として有名でビーチもある。まず船は名所をいくつか巡った。感慨深かったのは、やはり本当の先端の先端。写真の岩だ。半島の先にいくつか岩山が海面から出ているが、このちいさな岩が最も南の岩。この先はもう陸地はありません。いやあ、サンディエゴからここまで約1700キロ、長かった。岩の上には私たちの訪れを歓迎するかのようにアザラシが乗っかっていた。
 船は私たちをビーチで降ろしてくれた。一時間後に迎えにくるまで、最南端のビーチでボケっとしていた。水着を持ってくればよかった、とさっきまで思っていたが、ここの海は波が荒く、とてもカナヅチの私が入れる状態ではなかった。しかし、景色は素晴らしかった。グラスボート代のもとは十分取った感じ。
 早めに宿に戻れたので、再度インターネットカフェへ行って挑戦。今度は自分のパソコンを持っていって繋がせてくれと頼んだが、電話線が一本しかないからダメだという。仕方ないので、カフェのパソコンであれこれやってみるが、どれもうまくいかない。また2時間ほどやってしまったころ、主人がとなりのオフィスの電話線を借りてあげるよ、と言って案内してくれた。カフェのパスワードを入れてもらい接続してみると、一発で繋がった。最初からそうしてよ。日本語で読める完全なメール、うれしいなあ。でも、これでまた250ペソも取られた。何だ、長距離でも電話屋から自分のプロバイダーまで繋いだ方がよほど安かったじゃん。授業料は高いのだ。
 夜は久美子が誕生日祝いにと、メキシコ料理屋でごちそうしてくれた。本場のマリガリータはうまかったが、強かった。量も多くて、一杯でかなりいい気分。料理は魚の蒸したの。マジうまくて、和広しあわせ。

本日の走行距離     72.9キロ(計14477.1キロ)

出費             110N$ ガス
                 71N$ 昼食(マクドナルド)
                 20$ グラスボート
                 20N$ 港使用料
                 35$ ホテル代
                 50N$ 洗濯代
                250N$ インターネットカフェ
                 30N$ テレカ
                340N$ 夕食(メキシコ料理、久美子)
計              871N$、55US$

宿泊          Yuca's Senor Manana

「久美子の言わせて!」
昨日に引き続きインターネットカフェに挑戦。カズはあれあれ?と首をひねって、同じことの繰り返し。だめならすぐあきらめるべし。押すときと引くときの見極めが大切!だから最初から電話屋にいってパソコンをつないでもらおうって言ったのに。ちょっとだけやりたいことがある、とカズが言ったのでちょっとのつもりが250ペソもとられた。電話屋だったら1分5ペソなので30分やったとしても150ペソで完璧だったのにー。あほちん。今回は許してやろう。もっと学習しなきゃだね。インターネットカフェの授業代(使用代)がとても高くついた。やれやれ。



1999年12月7日(火) ラパスに移動(Moving to LaPaz) 

 この町は快適だが、そろそろ先を急がねばならない。メキシコ本土行きのフェリーのターミナルがあるラパスの町まで戻ることに。ロマンス小説の作家、元祖色男デリアンとお別れの写真を取る。次生まれるときには、デリアンみたいな金髪のナイスルッキンなアメリカンガイに生まれて、日本で英会話教師をしながら、いっぱい女の子と・・・。おっと、話を元に戻そう。
 というわけで、サンホセデルカボを後にし、ラパスまで北上。デリアンに教えてもらったペンションカルファルニアにチェックイン。ここはファン、トイレ、シャワー(水)付のツインが130ペソ、中庭にバイク駐車可能。宿の前にバイクを停めて荷物を運んでいると、一人の男が「日本人ですか」と話しかけてきた。見ると、どう見ても日本人には見えない、百歩譲って日系3世って感じの人だった。彼も日本人の観光客なのだが、「地球の歩き方」を見たいと言うのでしばらく貸してあげた。
 その後、近くにインターネットカフェがあるというので見に行くと、なんと!自分のPCをつなげるサービスをやっている。なんていい所なんでしょう。宿に帰ってパソコンを取ってくる前に、フェリーのチケット売り場へ行ってあさっての便のチケットを買う。バイクの一時輸入許可証は苦労してティワナで取ってあったので、スムーズに買うことができた。
 そして、宿に帰りパソコンを持って再度カフェへ。アクセスポイントの電話番号とパスワードを入力してもらい、一発で接続。「ぱそ」の原稿などを送る。30分使用で30ペソなり。こうでなくちゃ!
 夜は屋台のハンバーガーを食べる。安くてうまかった。明日はバハ半島最後の日。

本日の走行距離     197.1キロ(計14674.2キロ)

出費             130N$ 宿代
                 52N$ 昼食(タコス)
               1368N$ フェリーチケット(二人+バイク)
                 35N$ インターネットカフェ(コーラ一本含む)
               60.8N$ 水、靴下など(スーパーで)
                 20N$ 夕食(ハンバーガー)
計           1665.8N$

宿泊          Pension California

インターネットカフェ Baja Net (Madero430)、30分30ペソ。自分のPC接続可。

「久美子の言わせて!」
久しぶりに荷造りをした。ランドリーから帰ってきた服やパンツをたたんでいたらあらっ、小汚い、所々がすりきれているパンツが混ざっているではないか。ちゃんと確認したが、やはり私のじゃない。カズが盗んできたのか?いやーこれは違うだろー。多分メイドのパトリシアのか他のお客さんのだろう、と思ってパトリシアに渡しに行ったが見当たらず受付にいたユカに事情を説明して渡した。そういえば昔うちでもパンツ事件があり、あれは迷宮入りしてしまった。それはおにいちゃんが一人暮らしをしていたときのことだ。洗濯物が汚れたらまとめて実家に持ってきて、お母さんがキレイにしたものを持って行くという贅沢な生活を送っていた。ちゃんとコインランドリーでやりなさい。ともかくそんな事を繰り返していた。ある日お母さんが私とお姉ちゃんに「これ誰の?」と女性もののパンツを差し出した。二人とも「私のじゃない」といったら、お母さんは「じゃあ、おにいちゃんのか」とおにいちゃんの洗濯物かごに入れてしまった。数日後、おにいちゃんがおこって家にやってきた。「俺のじゃない。見れば分かるでしょ」と大激怒。それに対しお母さんは「あらっそうなの。わからなかったわ」と全く動じない。その後その謎を秘めたパンツはどこに行ったのやら。
やっと街のナイスなインターネットカフェからメールの送受信が出来た。うれしいなぁ。でもこの先もこんな調子が続くだろう。久しぶりに溜まってたメールを読み、ちょっと話がずれてはいるものの楽しい。そうそう今日はあやしい日本人に遭遇。名前は聞かなかったけど、見た目からしてちょっと変。だってへんちくりんなTシャツ着てたんだもん。たぶんベネトンのだけど漢字やら韓国語、ハングル文字などいろんな文字が書かれている。ありゃあ、ちょっとやそっとの人じゃ買わないね。もしくは貰っても着ないだろう。色も赤地にいろんな色で書かれていた。それを長旅の一枚として持ってくるとはうーむ。ある意味捨ててもいいやとかそういう事なのかな。それにしても一流ブランドでもちょっと遠慮したい。でも今日本でむちゃくちゃ流行ってたりして。キムタクとかが着ちゃってたらどうしよう…。ともかくその兄ちゃんがあれやこれや早口で説明してくれた。人懐こい様に見えないが側に寄って来る。なんじゃと思ったら。地球の歩き方が読みたかったらしい。地球の歩き方泥棒かとちと疑った。すまん。でもにいちゃんが教えてくれた銀行でお金をおろしている間も外で待機していて、一緒にホテルに戻る途中ちょっと手に汗握るカズクミであった。なぜならば、そのにいちゃんが「こっちから行きましょう」と強気に発言(もともとそういう話し方だけど)。その人通りの少ない道を歩いていると、後ろからひゃあっと面白いように二人組のこれまたあやしい男たちが近寄ってきた。スラれるっ、と一瞬頭に浮かんだ。カズもそう思ったらしく、二人はそれぞれガードした。泥棒だったのかただの通行人だったのか分からんが、なんなくその二人の男たちはすっといなくなり、ほっとした。まるでテレビで「これがスリの手口だ!」を見ているかのようだった。あーやって鞄や財布を盗まれるのねーっと、ちょっと分かったような気がする。帰ってカズとその話で盛り上がる。カズはその兄ちゃんもグルかと疑った、とちょっと反省していたが、そのかもし出す雰囲気は充分すぎるほどあてはまる。いい人もいれば悪い人もいる。見極めねばやられる。たくましくなろう。




1999年12月8日(水) シュワちゃんの最新作を見る(Watching the movie"End of days") 

 「ペンションカルファルニア」は安くて気に入った。シャワーが水なので日中の温かいうちに浴び、中庭で日光浴をする必要があるが、赤と白を基調にペイントされた妙な建物の造りが楽しい。今夜もここに泊まる旨をフロントに告げ、メールの送受信をしに昨日のインターネットカフェへ。
 昨日同様自分のPCを接続するが、今日は悲しいほど回線が遅い。カフェのお兄ちゃんによると使用しているサーバーの容量が小さいため、多くの人が使用する日中は遅くなるという。にしても、4つのアカウント(カズ、クミ、それぞれ2つ)からメールを送受信するのに、40分ほどもかかった。送信する方が時間がかかったが、途中からsmtpのサーバーをカフェの使用しているものに設定しなおしたら速くなった。
 昼食は町一番に安いという中華料理屋に入ったが、たぶんマズさも町一番だったろう。腹が減っていたが、あまり食べられなかった。帰りに映画館を発見、映画は英語なのかスペイン語なのか聞いたところ、英語でスペイン語の字幕らしい。おお、そりゃいい。しかも最新の映画で一人30ペソ(330円くらい)。
 宿に帰って昼寝をしたあと、夕方に映画館へ。4つ上映しているうち、私たちが選んだのはシュワルツネッガー最新作「エンド・オブ・デイズ」。シュワちゃん扮する主人公が、1999年の末日に世界を滅ぼそうとする悪魔と対決するというもの。映画はそこそこだったが(ブラピのファイトクラブの方が全然良かった)、映画館の雰囲気が面白かった。椅子は簡素でスクリーンも小さく、学校の視聴覚室か試写会場といった感じ。いいところでブチっと画像が途切れ、いきなり10分の休憩が入るし。子どもの頃、場末の映画館で「東映まんが祭り」を見たのを思い出した。でも、ヒゲぼーぼーでビーチサンダル姿、ポカリのペットボトル(中はウーロン茶)とポテトチップスをぶらさげた私が、映画館の中で一番汚らしい格好をした人だった。
 夜はタコス屋のタコスとトルタス(肉入りのサンドイッチ)。バハ半島最後の夜はこうして有意義に過ごせました。

本日の走行距離        0キロ(計14674.2キロ)

出費              60N$ インターネットカフェ
                 78N$ 昼食(中華)
                 18N$ ソフトクリーム
                130N$ ホテル
                 60N$ 映画
                 36N$ 夕食(タコス屋)
計              382N$

宿泊          Pension California

「久美子の言わせて!」
「シュワちゃん」って最近、誰も呼ばないなあ。久しぶりに聞いたよ。映画はイマイチ。でも映画館はおもしろかったなあ。観に来ている人たちも様々だ。映画は予告が一編でそれはニコラス・ケイジもので高級車泥棒のお話。タイトルはたしか「60 SECONDS」。これがまた画面が切り替わるのが速いこと速いこと。ケイジ、車、時計と、くるくるまわって、全然ついていけましぇーん。そして本編が始まった。ざわざわしていた館内も静まり、皆スクリーンに夢中。途中エロエロシーン(胸が映る程度)になったら、所々から「ワァオー」「オー」とおっさんや女の人の声が響く。万国共通ってことやね。爆発シーン続出!さて、どうやって脱出するんだ?ってとこで「休憩」。あれが「続く」だったら最悪だ。「はじまるよー」も何もなくいきなりスクリーンに画像が映る。あっ電気消すの忘れてたーって感じで館内の電気が消える。メキシコ人はなんともいい加減だが、なんせメキシコですからねぇ、と許せる。クライマックスで教会の椅子が後ろから順々に飛んでいくシーンがあるんだけど、それだけに20ペソ支払うね。あとは矛盾だらけでよく分からん。まっ30ペソ分の元は取ったか。



1999年12月9日(木) メキシコ本土へ出航(Voyage to the mainland) 

 メキシコ本土行きのフェリーは午後3時出航だが、積みこむ作業や手続きがあるので午後12時半にはラパスから20キロほど北の港に来るように言われていた。ペンションカルフォルニアのチェックアウトは12時だというので、ぎりぎりまでホテルでのんびりして港へ行く。
 港までの道には静かな湾がいくつもあり、右を見ればサボテンと岩山、左を見ればマングローブとエメラルドグリーンの海という景色が続いた。こんなきれいなところがあると分かっていれば、昨日ゆっくり来れたのに。
 港に着くと、白いフェリーが接岸していた。ペルミソのチェックなど簡単な手続きがあり、あとは積みこみまで待て、という。この時点でまだ12時40分ごろ。おそらくバイクは最後だろうと考えていたが、本当に最後の最後だった。はじめにトレーラーやトラックなどの大型車を入れ、つぎに乗用車、そして唯一のバイクは余ったスペースに積めこむって感じ。午後3時出航なのだが、ようやくバイクをフェリーの中に入れた時点でもう3時をまわっていた。中に入ると、いろんな人がここに停めろ、いや、あそこに停めろ、と違う指示を出す。しまいには一人の作業員がバイクのキャリアをつかみ、持ち上げてあそこまで動かそう、などという。それは無理じゃ、離さんかい、と大人げなく声を荒立ててしまった私であった。結局トレーラーと車の間に停め、トレーラーとタイダウンで固定した。たぶん倒れないと思うが。汗だくになってバイクの積みこみを終了し、船室まで行くともう船は出航していた。
 メキシコ本土のマサトラン行きのフェリーには4種類の船室がある。一番安いのはサロンクラスといって、ただ普通の椅子がずらりと並んだ大きな船室。次がツーリスタクラスといって、6畳ほどの個室に2段ベッドが二つと洗面台がある。その上のクラスになると個室にシャワーがついたりトイレがついたりするらしい。貧乏旅行者の定番は当然サロンクラスだが、軟弱な私たちは贅沢にもツーリスタクラスにした。料金はサロンクラスの二倍だが、航海時間は18時間ほどもあるし、ゆっくり眠って明日グアダラハラまで一気に走れば元は取れると思ったのだ。
 私たちの船室は4人部屋だったが、二人で貸切なので結構広い。船が揺れる度にあっちこっちでギシギシときしむ音がするのがうるさいが。フェリーの中にはカフェテリアやバーまであり、結構楽しい。こうして船に乗っていると、北海道に行ったのを思い出すなあ。懐かしや、サンフラワー号。明日はいよいよメキシコ本土。グアダラハラまで走るぞ〜。

本日の走行距離      18.1キロ(計14692.3キロ)

出費              50N$ 夕食(フェリーのカフェテリア)
                  6N$ ポテトチップス
計               56N$

宿泊           フェリーの快適だがうるさい個室

「久美子の言わせて!」
いろいろ手こずったが無事入船。フェリーの甲板からバハ・カリフォルニア半島にお別れをした。そして神様に懺悔をした。「ラパスに来たらうちに泊まってくれ。200ペソでいいよ。助かった。クリスマスプレゼントが入る」とユカのホテルで知り合ったおやじ(ブルーノ)がそう言っていた。が、一日早くラパスに着いてしまったので泊まる所を地球の歩き方(私達は地球歩けと呼んでいる)で探してペンション・カリフォルニアに行くと、おや、あなたふたりで130ペソっておやじの家より安いやんけ。とすぐにチェックイン。おやじの幸せを踏みにじってしまったのだ。だってこっちの方が安いんだもん。おやじゆるせ。と懺悔したのである。
メキシコへ入ってからカズと形勢逆転!なぜかというと、言葉が英語からスペイン語へと変わったからだ。カズは幼少時代にイギリスで住んでいたので英語圏では何一つ困らなかった。会って話す人皆に「君は発音がいいね。すばらしい」と誉められ、そうとう鼻高々だった。(ありゃあ、ピノキオだったらとっくに折れてるね)。最近はつたないスペイン語ではあるが会話力はカズよりある私の方がなにかと活躍。先日トイレットペーパーを貰いにホテルのフロントに、カズは果敢にも一人で行ってきた。まったく言葉が通じず、しまいには「トイレ、からから、けつふきふき」とジェスチャーでやったらしい。そしたら「おー、これね」と理解してくれたらしい。その光景が目に浮かぶ。日本人代表としてちょっとお恥ずかしい…。だんだん慣れてもっとスペイン語も上達するだろう。がんばりまっしょ。
今日はフェリーで睡眠。フェリーに乗り、酔う前に寝なければと早速夕寝(!)をした。2、3時間位寝て起こされた。すでに外はまっくら。風が強かったせいかフェリーは激しく揺れていた。私達の部屋の前は医務室で具合いの悪そうな人が何人か中にいた。ひとが吐いたものを見るとこっちまで気持ち悪くなるので、ちみたち医務室に行く途中で吐いたら承知しねえぞ!と、ちょっとデビルになる。夜はぎーぃぎーぃと軋む音を聞きながらメールを書いていたら遅くなってしまった。いかん。寝なければ。寝る準備をして、トイレに行った。トイレはなぜか電気が消えていた。が、えいっ入るべし。いざ出陣!と気合を入れてまっくらな個室へと踏み込んだ。トイレでの用事は無事済んだが、あれ?えーっとカギカギと、にゃいー!カギの場所がわかんなくなっちった。うえーん。朝までトイレの中?いや朝になっても窓がないから日が差し込むわけでもない。脱出できましぇーん。ともかく暗闇の中、手探りに上からカーギ、カーギと探し無事脱出。なんだかアルカトラズ刑務所の独房に入れられたみたいだった。あーこわかった。