旅の日記

メキシコ・バハ半島編(1999年12月1〜4日)

1999年12月1日(水) メキシコの恐るべき新法律(Entering Mexico) 

 今日は久々の越境。早起きしてモーテルを後にし、近くのガソリンスタンドで給油とタイヤに空気を入れる。さて、いよいよ国境に向かいます。
 アメリカからメキシコに向かう車はフリーパスで抜けて行くのが多いので、流れにまかせず注意して目的の建物を探す。まずは道の左側にアメリカ側のイミグレーションオフィス(以下イミグレ)を発見。Uターンする場所があったのでアメリカ側に向かうハイウェーに戻り、イミグレでビザ免除プログラムの緑色のカードを返納する。その後、再びメキシコへ向かうハイウェーへUターンし、メキシコ側のイミグレへ。
 何やらそれらしき列に並んでいると、列を整理している係の兄ちゃんがツーリストカード(メキシコに72時間以上滞在する旅行者のみ必要)を作成してくれるおじさんのところへ案内してくれた。並んでいたのが何の列なのかは、後でショックとともに知ることとなる。
 口ヒゲをたくわえたおじさんは丁寧に英語でツーリストカードの記入方法を教えてくれた。「オフィスを出たところにある銀行で所定の料金を払い、その領収書を持ってきなさい」というので、教えられた銀行へ向かう。すると、銀行に行くためには一方通行の鉄の回転扉を抜けなければならないではないか。これはちゃんと戻れるのかい?と思いながら扉を抜け、銀行で二人分、300ペソを支払って戻ると、やはり帰り道を探すのに苦労した。どこにも標識や案内がないので、そこら辺にいた警察官に聞いてやっとおじさんのところへ戻れた。おじさんは領収書をチェックし、「じゃあ、次はカーパーミット(スペイン語ではペルミソ、車やバイクの一時持ちこみ許可証、メキシコ本土に行く人のみ必要)を作成するために、後ろの列に並びなさい」と教えてくれた。

 悲劇はここから始まった。問題の列に並ぶが、いっこうに進まない。待てど暮らせど進まない。しばらくして、オフィスの中から係官が二人出てきて、列の一人一人に整理番号をふっていった。私の番号は55番。さて、いつになるのでしょう。
 さすがラテンのノリは違うなあ、と妙に納得していると、列の前の方の人がテレビ取材を受けている。はて、何の取材でしょう、と思っていると、私の方にも新聞記者らしき女性がやってきて、英語で「新しい法律のことは知っていましたか?」と聞く。「ナヌ、新しい法律とはいったい?」と訪ねると、「今日から車を一時持ちこみするためには、デポジットを支払わなくてはならないのよ。え〜と、あなたのバイクは97年式?ということは、600ドルね」という。なんじゃそりゃ!600ドル!?聞いてないよ〜。しかも、その新しい法律のために新システムを導入したが、それが今朝、本番初日から故障しぱなっしで、朝8時に来た人もまだ終わっていないという(その時点ですでに11時半)。そういえば、呼ばれている番号もまだ一ケタ台。
 「今日中に終わらなければどうしますか?」と記者が言うので、「え?今日中に終わらないんですか?」とこっちが聞きたいくらい。こんなことなら昨日来ればよかったと思ったが、昨日は昨日で駆け込みの人が1000人並んだと言う。記者によると、あまりにも一時持ちこみと称してメキシコへ車を持っていき、不法に売る輩が多いのでこの法律ができたという。でも全員からこんな金額を取るとは乱暴な。たとえば、ロスに住んでいる貧しいメキシコ移民がクリスマスに実家に車で帰るのにも、高額なデポジットが必要なのだ。
 整理番号を受け取った人は、ほとんどオフィスの前から散って行った。私たちは他に行くところもないのでボーゼンとしていると、お、いつのまにか残っていた列が少しづつ進んでいるではないか。しかも、係官はこともあろーに番号をチェックしていない。列の前の方の人に「あんた何番?」と聞くと、「オレは44番、でも関係ないみたいだから後ろに入っていいよ」という。後ろの人も、「オレは番号すら持っていないので、前に入っていいよ」という。おお、何ていい加減でやさしい人々でしょう。
 無事44番の人の後に係官とご対面。バイクの国際登録証書を見せるとはじめは混乱していたが、受け付けてくれた。600ドルはカードで支払ったが、カード払いだとコミッションがかかる。現金でも支払えたが、そうするとスッカラカンになってしまうので、ちょっと不安だった。
 オフィスの裏側で待てというので、また小一時間ほど待つことになった。すると今度はテレビの取材がやってきた。どうやらサンディエゴのテレビ局らしく、カメラの前でインタビューを受けた。その後、税関に着いてから3時間の末に無事書類とバイクに貼るステッカーをもらい、それをバイクに貼る瞬間もテレビ局に撮影された。ちゃんと放送されるかなあ。

以下に、新しい悪法の詳細を記します。

デポジットの額(車の年式に応じて変わる)

1999〜2000年式

800米ドル

1994〜1998年式

600米ドル

それ以前

400米ドル

車の価格や、バイクであることも関係なし。たとえば、94年式のベンツは600ドル、99年式の原付は800ドル。おいおい。メキシコから出国するときに戻ってくるそうだが、私たちのようにグアテマラに抜ける場合は、向こうの国境でちゃんと戻ってくるのか不安。しかも、カード払いの場合は以下のコミッションがかかる。当然、この分は戻ってこない。

カード払いのコミッション

VISA、マスター

2.25%

ダイナース

4.25%

アメックス

4.85%

トラベラーズチェックは使えそうな雰囲気でない。(未確認)

この他に、通常の書類作成代15ドル+税15%が必要。
しかし、しかしである。カード払いだと、全てがペソ払いになっていた。ということは、戻ってくるとき(メキシコを出るとき)に、ペソの現金がゴソっと戻ってくることになる。そんな時にペソはいらん、ドルにしなさい。しかし時すでに遅し。今思えば、無理してでも待っている間にATMを探してドルの現金で払えばよかった。でも、米ドルでデポジットしても、ペソで戻ってくるというケースも多いに考えられるが。

ペルミソの有効期間は5ヵ月。必要なものはパスポートと登録証、ツーリストカード、クレジットカードのそれぞれのコピー。コピー屋は税関の裏にあるが、割高。

(12月10日追加 この法律は苦情殺到のため、中止になったそうです)

 さて、気を取りなおしていざ出発。有料の一号線を南下する。エンセナーダの町まで料金所が3箇所あったが、最後の料金所のおじさんがバイクからガソリンが漏れてるよ、と教えてくれた。見ると、なるほど結構な勢いでガソリンがたれている。こりゃ危険、道路脇に停めて原因を究明。このまえ換えたガソリンフィルターあたりかなと思っていたが、右側のキャブのドレンホースから漏っている。一瞬ドキっとしたが、ドレンスクリューの不具合のようだ。一度抜いて閉めなおしたら無事止った。よかったよかった。
 それにしても、海から吹く風が寒い。震えながらの修理を終えると、もう日も傾いていた。今日はエンセナーダの町で泊まる事に。地球の歩き方に載っていた、Motel Km103へ。日本に住んでいたことのあるスタッフが日本語で対応してくれるとあったが、日本語はおろか英語もダメだった。スペイン語の単語2、3と身振り手振りでチェックインする。
 昼食もまだだったので、モーテルの前のレストランへ。中の様子が全然見えず、ちょっとチャレンジだったが、安くてとてもうまかった。ビールも飲んで、もう最高。
 今日は色々あって、距離が稼げなかった。明日は走るぞ〜。

本日の走行距離    112.4キロ(計12826.2キロ)

出費            36.35$ 昨日のモーテル(カード)
                2.81$ ガス
                5.85$ 高速代
                  25$ モーテル 

             6048.53N$ ペルミソ、デポジット(カード)
                 300N$ ツーリストカード
                 120N$ 夕食(タコス、魚のソテー、ビール)
                24.5N$ ジュース
計            70.01$、6493.03N$

宿泊          Motel Km103       




1999年12月2日(木) サボテンの大地(The Land of Cactus) 

 朝から南下を始める。エンセナーダの町から出るのに道に迷い、住宅地の中をさまよったが、未舗装の急な坂道のアップダウンで緊張した。昨日の有料道路はエンセナーダの町で終わり、ここからは片側一車線の細い道。一生懸命走るが、結構寒い。途中SanQuintinという町のレストランに入る。昨日のレストランが安かったので、調子に乗って町で一番キレイそうなところに入ったら、結構いい値段だった。難しいなあ。
 そこからはアップダウンの激しい山道となった。まったくといって路肩が無く、すぐそこは崖だったり岩だったりで、いきなり急カーブが現れたりする。途中、起きたばかりの事故現場と、横転したタンクローリーの残骸を目撃した。スピードの出るDRならまだいいが、自転車や遅いバイクでこの道を走ったら恐いだろうなあ。抜かされるたびに命がけの思いだろう。ただ、巨大なサボテンがいっぱい生えているので、いかにもメキシコって風景で楽しい。
 最近日が落ちるのがめっきり早くなった。4時半には暗くなってしまう。今日はSanta Inezという集落で夕方になった。一軒だけあったガソリンスタンドに入ると、ポンプも何もない。オヤジが一人ポツンと立っていたので、「ガソリンスタンドはどこだ」と聞くと、「ここだ」といってジェリ缶を持ってきた。なるほど、原始的ね。オヤジは給油するのに、最初口でホースの中のガソリンを吸って勢いをつけていた。おいおい、大丈夫かよ、あんたの体。楽しい経験だったが、ガソリンは結構高かった。しかし、この先しばらく町は無いので仕方ない。
 その後集落に二軒あるホテルのうち、安い方にチェックイン。今日は400キロ走れなかった。明日はもっと走るぞ。

本日の走行距離    387.6キロ(計13213.8キロ)

出費              163N$ 昼食(魚料理)
                  60N$ ガス
                 100N$ ガス
                 230N$ ホテル
                  50N$ 夕食(スーパー)
計               603N$

宿泊          Mini Hotel

「久美子の言わせて!」
メキシコ入国しても寒いっす。トレーナーとフリースを重ねて着てもまだ寒い。日差しは暑いんだけど。早く暖かいところへいかねば。今日は久しぶりにまわりになんもない道を走った。途中サボテン畑があったり、でっかいサボテンがいっぱい生えていた。サボテンを見て実家に置いてきた、私のサボテン達を思い出した。先日帰国したときに気になって見に行くと、「はにゃぁ!」かっ、枯れているではないか。怒って母に聞くと「ちゃんと水やってたけど枯れちゃったわよ」だって。こらーもっとやさしく世話しなさい。そんな母なので、ちゃんと面倒みているかなぁと心配になった。日本へ帰ったらあんなでっかいサボテンを置けるような家に住みたいなぁと野望を持つ久美子であった。そういえばイヴばあちゃんちにはあったなぁ。さすがばあちゃん。
道も舗装はされているものの、なんだかしらんが中央付近にたくさん穴があいていた。バイクで走っているとその穴がちょっと見にくい。べつに穴の上を通ったからといっても落ちる心配はないのだが、結構衝撃がある。そんな道がしばらく続いたら最初は心配だったけど、段々プレステ(TVゲーム)をしてるみたいで、つぎは右だ、左によけろ、と自分で運転しているかのようにひとりで遊んでいたら不謹慎にも面白かった。それにカズが面白いように私の意思とは逆に運転していたというのもある。ほんと気の合わない二人だ。ともかく事故のないように安全運転!
ロスカボス目指して走っている途中にあった、ちっこいモーテルに宿泊。中は見た目より悪くない。トイレ&バスへの扉がカーテンっていうのがちっとやだけど、それぐらいは許してやろう。「ライトはもうちょっとで点くからね」とモーテルのおっちゃんは言った。どうやらここは自家発電らしい。買い物から帰ってきたらおっちゃんの言うとおり電気は点いていた。夕御飯を食べビールを飲み「およげたいやきくん」を熱唱していたら、あら、あらら。ひゅーんってヒューズが飛んじゃったみたいに電気が消えてしまった。なんもみえんよ。「電気、電気」とカズがライトを用意。21:30。消灯時間らしい。なんでロウソクが置いてあるのかなぁと思ったらそう言うわけだったのね。かしこまり。よかった歌がへたっぴで消えたんじゃなくて。ほほほ。たまにはロウソクの灯りってのもいいもんだ。 




1999年12月3日(金) ひたすら走る(Ride Long) 

 もう3日になってしまった。私の誕生日、12月4日を半島南端のロスカボスで過ごすという野望の実現のため、先を急がねばならない。朝6時半という、私たちにとって驚異的な時間に起きてひたすら走る。
 午前中だけで400キロを走り、Santa Rosaliaの町で昼食を食べる。海沿いの眺めの良いレストランだったが、味はイマイチだった。午後もう一踏ん張りし、夕方にLoreto着。カラオケボックスのような、ドアが全部ガラスで狭いモーテルにチェックイン。だけど電気が一晩中使えるだけ昨日よりマシなのだ。
 明日中にはサンホセ・デル・カボに着きたいが、そこまでもう500キロはある。バハ半島、でかいなあ。

本日の走行距離     642.9キロ(計13856.7キロ)

出費              52N$ ガス
                 73N$ 昼食
                 83N$ ガス
                 22$ モテル
               38.5N$ 夕食(スーパー)
計            246.5N$、22$

宿泊          Motel Salvatierr




1999年12月4日(土) 和広の誕生日(Kazu's 28th Birthday) 

 今日も朝早くから走る。道は平地がしばらく続き、たまにカーブのきつい山道となる。山道になると、カーブの度に十字架が置いてあり、花が添えられていたりする。メキシコの皆様、もっと安全運転を心がけるように。
 昼食をラパスの中華料理屋で取り、午後3時ごろサンホセ・デル・カボに到着。いやあ、長かったあ。日本の本州くらいの長さはあった。
 サンホセ・デル・カボは空気が湿っていて、ヤシの木が多く、南国情緒ただよう静かなリゾート地。30キロほど西のカボ・サン・ルーカスの方がもっと華やかな観光地だが、そこはあまりにもアメリカナイズされ、ホテルの相場も高いと言うのでここでゆっくりすることに。
 町の中心にある広場にバイクを停めると、デリアンという白人の中年男(しかし、かなりカッコいい)が声をかけてきた。安くていいホテルを紹介してくれるというのでついていくと、ユカという男のホテルに案内してくれた。その後町のホテルを何軒か見たが、ユカのホテルが快適そうでバイクも中庭に停められるので、二泊の予定でチェックイン。
 夜は1個7N$のトマレを食べて28回目の誕生日を祝ったあと、部屋でデリアンとビールを飲みながら話した。彼は昔やり手のビジネスマンだったが、家庭を顧みず仕事に没頭したため、愛する妻と子供は彼のもとを去っていってしまったらしい。そのショックから彼は旅に出、もう2年ほどラテンアメリカを回っているらしい。そのうち1年はバハ半島だけで過ごしたというから、よほどバハが気に入ったのだろう。今はロマンス小説の作家をしていて、私たちの部屋の上にある、ベランダみたいな屋根だけある場所に住んでいる。現在執筆中の作品は自叙伝風のものだが、その本をハッピーエンドで終わらせるために「幸せ」を探して旅を続けている。イチイチ言うことがカッコいいが、本当にカッコいいので仕方ない。
 明日はデリアンに教えてもらったインターネットカフェに行って、ホームページをアップロードする予定だ。

本日の走行距離     547.5キロ(計14404.2キロ)

出費              62N$ ガス
                100N$ 昼食(中華)
                 70$ ホテル二泊分
                 14N$ トマレ2個
                155N$ ビール(スーパー)
計            331N$、70$

宿泊          Yuca's Senor Manana

「久美子の言わせて!」
今日は久しぶりにうんこが出た。バハ・カリフォルニアを走っていると途中に程よいトイレが無い。ガソリンスタンドでもあまりキレイじゃないし、かといって「のうんこ」はまだ勘弁して!なのでキレイで安全かつ清潔であるモーテルでするのが望ましい。日頃から便秘症である私はそういえば最近いつしたっけ?と忘れてしまう。お姉ちゃんが洸太郎(甥)が生まれてから珍しく3日坊主で終わらず欠かさずこうたろう日記をつけている。それには1日の行動やうんこの回数など細かく書いているのを見て、旅に出たら私もつけようと思っていた。時々忘れてしまうが、気をつけて忘れずにつけているので今日も早めにマークしようと思って手帳に「う」と記入したとたん、12月4日?って、そうだ今日はカズの誕生日だあ。とはっと思い出し「誕生日おめでとう!」といった。カズは、「うんこで気づく旦那の誕生日…」と淋しそうに言った。まあいいじゃないの、思い出したんだから。堅いこと言うな。ともかくおめでとうなのだ。しーっしっし。