旅の日記

ロシア・モスクワ編(2002年7月11〜15日)

2002年7月11日(木) Tシャツカムバック!(Losing clothes)

 ホステルの朝食は午前9時から用意される。出発の準備を終えてからコーヒーとパン、コーンフレークを食べ、同室の人たちに別れを告げてホステルを出たのは午前10時だった。
 このとき、僕はいよいよ本格的にロシアを走るのだ、という思いでいっぱいで、肝心なことを忘れていたのだ。

 サンクトペテルブルグからモスクワに向かう道は入念に調べておいたので、人口500万人の大都市も難なく脱出することができた。ちなみに今までで一番苦労したのはベネズエラのカラカス。ある午後に街を出ようと決めたのに、その日の深夜になっても街の中心を出られないんだもん。そのうちに「牛次郎」号は壊れるし・・・あの時は苦労したね、ウメ夫妻、猪飼くん。

 街を抜けるとすぐに原野になったが、モスクワに向かう国道10号線は交通量が多く、しばらくは走るのに気を使った。遅いトラックが多いのだが、気をつけて抜かさないと、たまに後ろからとんでもなく飛ばしてくる高級乗用車がいるのだ。舗装の状態はこのあたりだと全く問題がない。真新しいアスファルトが敷かれていて気持ち良かった。

 さて、モスクワまでは700キロ以上ある。一日で行くのはきついので刻むことにしたが、問題はどこで泊まるかである。サンクトペテルブルグとモスクワの間には、ガイドブックに載っているような街はノブゴロドぐらいしかない。ここはサンクトペテルブルグから180キロの距離しかなく、2日目がきつくなるが、一応ユースホステルがあるのであたってみると・・・受付のお姉ちゃんの態度はめちゃくちゃ悪く、おまけに停められる場所はありそうなのにバイクは駄目だという。
 こんなのこっちからお断りだ。お前なんか一生しけたユースの受付やってろ!

 ロシアでも最も古いというノブゴロドの町は一見に値するらしいし、探せば他に宿もあるのだろうか、こうなったらもう面倒くさい。今夜はブッシュキャンプでもいいや、という気持ちでさらに南下する。
 すると、道沿いにたまに宿があるのに気がついた。交通量が多い分、ガソリンスタンドやドライブインは定期的にあり、たまにモーテルがくっついているところもある。

 よし、今日は適当なところでモーテルにしけ込むぞ、と思い、サンクトペテルブルグから300キロほど距離を稼いだところで、僕はあることに気がつき、そのあと数秒間意識が遠くなった。僕はサンクトペテルブルグのホステルに洗濯をお願いしていたのだが、それを受け取るのを忘れていたのだ!
 ああ、メキシコで買ったマルコスTシャツ、カンボジアで買ったインチキ・タンタンTシャツ、エストニアでこのあいだ買ったばかりの靴下・・・(パンツはボロボロなので、まあいい)。
 気付いても時すでに遅し。仕方ない、モスクワで仕入れるか。

 サンクトペテルブルグから約360キロ走り、西洋アルファベットで書くとJedrovoという町のあたりで、大きな整備工場やレストランと一緒になったモーテルを発見した。
 受付のおばちゃんたちは全く英語が話せなかったが、親切に部屋を案内してくれた。狭いけど、シャワーつきの清潔なツインで450ルーブル(約1700円)。ロシアで初めての飛び込みの宿としては上出来だ。バイクも警備員が見張っていてくれるし。
 午後5時でちょっと早上がりだが、モスクワとのちょうど中間地点である。僕はチェックインしてさっそくシャワーを浴び、ビールで体を冷やした。このところ晴天つづきでロシアは暑いのだ。


本日の走行距離          360キロ(計74226キロ)

出費                    200P  ガソリン
     450P 宿代
     35P 飲食費
計     685P
(約2610円)
宿泊         ABTO Park


2002年7月12日(金) モスクワ到着(Arriving in Moscow)

 モーテルを後にしてから200キロくらいは昨日と同じような原野の中のハイウェイだった。トラックを追い越したり、追い越されたりしながら一路モスクワを目指した。
 様子が変わってきたのは、モスクワまであと100キロというところだった。それまでポツン、ポツンと点在していた村と村がつながるようになり、やがて町となり、いつのまにか国道も片側3車線となって両側にビルが並ぶようになった。
 ロシアの首都、そしてかつて東側世界の中心だったモスクワの人口はおよそ900万人。これだけの都市となると、どこからがモスクワ、と境界を引くのは難しい。
 たとえば外国人のライダーが日本に来て、西から東京を目指したとする。すると、彼はどの地点でトウキョウに着いたと思うのだろうか?きっと、八王子や厚木あたりで「Oh!Central Tokyo!」と思ってしまうのではないだろうか?

 大都会だが、目指す「ホステル・トランプ」は高さ540メートルのオスタンキノ・テレビ塔の近くにあり、そのランドマークさえ見つければあとは簡単だろう、と僕は踏んでいた。
 しかし実際はそんな簡単にはいかなかった。モスクワの中心が近づいてきて、空にそびえる塔が遠目に確認できたのだが、街中に入ると道の両脇は高いビルばかり。ビルの隙間からチラッと見えたかと思うと、すぐにまた見失ってしまうのだ。一方通行も多いから、思う方向にもなかなか進めない。

 結局、2時間ほど塔のまわりをグルグルまわり、力尽きて道沿いにあったマクドナルドに入ってしまった。クーラーの効いた店内で、ビッグマックを食べながら紙ナプキンで顔を拭ったら真っ黒だった。排ガスに満ちた大都会をバイクで走り回るのはお肌に悪いのだ。

 休憩をとり、集中力を取り戻して再度トライ。すると今度は30分で目指す住所に着くことができた。そこはホテル「ツーリスト」。ホームページによると「ホステル・トランプ」はその内部にあるらしく、僕はホテルの一区画がホステルになっているのかと思っていた。しかし、それは正解であって正解じゃなかったのだ。
 ホテルの受付に行き、「ホステル・トランプに泊まりに来た。予約がある」と告げるが、英語が全く通じないばかりか、「ホステル・トランプ?そんなの知らん。ここじゃない」と受付のおばさんは言い、警備のおじさんも「うん、そんなのはここじゃない」と言う。
 落ち着けカズヒロ、ここはロシアなんだ、と自分に言い聞かせ(僕は暑さと大都会を2時間半も走りまわった疲れでイライラしていた)、「この電話番号にかけて予約を取ったんだ」と紙切れをおばさんに見せた。するとおばさんは「チッ、またアイツか」みたいな表情になり、受話器を取り、怒った口調で話し始めた。なんだ、なんだ?

 しばらくすると僕は敷地内の別の建物に案内され、そこにも英語をこれっぽっちも理解しない受付のおばさんが座っていて、僕はロビーで待つように言われた。そのおばさんもどこかに電話をかけ、額に血管を浮かび上がらせながら怒り口調で話している。どうやら「日本人がバイクに乗ってやってきた。聞いていない。どうなっているのだ?」と言っているみたいだ。僕は招かれざる客なのか?

 10分ほどすると、エレベーターからロシア人の男性が降りてきて「ハーイ、カズヒロサーン」となれなれしく声をかけてきた。その人こそが「ホステル・トランプ」の責任者、そしてホテルで唯一英語の話せるデミトリー君であった。
 「ホテル・ツーリスト」は外国人のほとんど泊まらない、ロシア人ビジネスマン向けの三つ星ホテルである。閑散とした館内から察するに、きっと客足はイマイチなのだろう。そこで英語の話せるデミトリー君をどこかから連れてきて、「ホステル」という名のもとに外国人バックパッカーも宿泊させることにしたのだ。
 ホームページはけっこう立派で、いかにも「ホステル・トランプ」という普通のホステルがあるように思ってしまうのだが、その実はホテルの内職のようなもので、その名前や、そんなことが行われていることさえも知らないスタッフがいるのだ。うーん、まさにロシア!どおりでドミトリーの部屋が無いと思った・・・。
 結局、僕は予約していたとおりにシングルの部屋をあてがわれたが、「警備員つき駐車場」というのは別料金で、一日あたり2ドルも取られるらしい。駐車場があるというから予約したのだが、まあ、ここはロシアなのでそんなこともあるさ。

 モスクワは物価が高く、宿泊費も例外ではない。僕はシングルの部屋と駐車場で一日あたり27ドルだが、他のユースホステルのドミトリーでも16ドルくらいするらしい。古ぼけた部屋のベッドはスプリングがヘタっており、シャワーは水しか出なかった。暑いからいいけど、その水がまた地獄の底から湧き出したみたいに冷たくて、頭がキーンとするのだ。

 一息ついて近くのビアホールに食事に出たら、ビールとピラフ、サラダで4ドル半もした。ロンリープラネットによると、モスクワの物価は時としてニューヨークやロンドンと肩を並べるほとで、まじめに本職だけをしている安月給のサラリーマンなどは外食などとてもできないという。(ロシア人の多くは本職のほかにアルバイトや内職をして生活の足しにしているらしい)
 貧富の差は予想以上だ。田舎の寒村では今にも倒れそうな木造の家が肩を寄せ合っていたのに、ここでは大型のベンツがバンバン走り、一食何十ドルもする高級レストランで食事をする人たちがいる。


本日の走行距離          380キロ(計74606キロ)

出費                     79$  宿泊費(3泊分)
     200P ガソリン
     260P 飲食費
計     79$
(約9480円)
     460P (約1750円) 宿泊         ホテル・ツーリスト内「ホステル・トランプ」


2002年7月13日(土) 赤の広場に立つ(Visiting Kremlin)

 早速モスクワの観光を開始した。モスクワといえば、何といってもクレムリンである。
 クレムリンといえば、かつてホワイトハウスと世界を二分した政治の中心地という感じがするが、長い城壁で囲まれた敷地内には歴史のある教会や宮殿もあり、部分的に観光客にも開放されている。もともとクレムリンという言葉は「城塞」という意味で、地方都市にいけばそこのクレムリンがあるのだ。

 とりあえずクレムリンと内部にある4つの教会に入れるジョイントチケットを買い、入場する。教会の集まっている広場までちょっと歩くのだが、そこまでの道のりで少しでも歩道を踏み外したり、立ち入り禁止のところに踏み込むと、警備員が容赦なく笛を吹いて注意してくる。
 注意された方は「ちょっとくらいいいじゃないか」と不満気だが、考えてみれば権威こそ落ちたものの、クレムリンは今でも世界に大きな影響力を持つロシア連邦の政治の舞台なのだ。通りの反対側にはあのプーチンがいる大統領府や大統領官邸もあり、こんなところがよくロシアで開放されているなあ、と思う。(残念ながら今日は大統領府の屋根の旗が降りていた。これはプーチンがいないことを意味している)

 内部の教会はどれもそんなに大きくはないが、イコン画などの装飾や黄金に輝く屋根が美しい。しかし一通り見てみたが、「ふむふむ」といった感じで、大きな感動はない。
 次に別料金のチケットを買って「武器庫」と呼ばれる博物館に入った。その名の通り、かつて武器庫だった建物で、今でも昔の甲冑や刀も展示されているが、ウリは何といっても帝政ロシア時代の王族の金銀財宝である。

 豪華絢爛な衣装や馬車、王冠、食器セットなどがあるが、みんながガラスケースにへばりついて見ていたのは8個のイースターエッグだった。キリストの復活を祝うイースターエッグにはさまざまな趣向や工夫を凝らすものだが、この8個は有名な宝石職人の作った「インペリアル・イースターエッグ」というシリーズの一部で、世界的な財宝らしい。
 しかし、僕はまったく興味がそそられない。もともと宝石にまったく興味のない僕だから、くれるといったらそりゃもらうけど、別段欲しいとも思わない。きれいはきれいなんだけど、ただそれだけ。

 武器庫の中にはさらに別料金のダイヤモンド室があり、世界的な宝石が展示されているそうだが、ちょうど昼休みに重なり、もともとあまり興味ないし、武器庫だけで財宝には満足したからパスすることにした。
 午前中いっぱいをクレムリンで過ごし、城壁の外に出た。クレムリンを一望できるところはないかと探したら、目の前のモスクワ川にかかる橋からの展望が素晴らしかった。赤い城壁に囲まれた宮殿の勇姿。大枚はたいて入った内部より、僕は外からの姿に感動した。

 そこからロシアで最も大きいといわれる「救世主キリスト聖堂」を見に行き、さらに新アルバート通りに足を伸ばしてみた。大きな通りの左右にショッピングセンターの並ぶモスクワでも最もモダンなエリアだが、僕はそこの大きな本屋で手ごろにまとまったロシアのロードマップを買った。B5版のカードカバーの本になっていて、ガソリンスタンドの位置や細かい村の名前まで載っている。これで約3ドル、お買い得だ。
 ロードマップは他にも数種類いいのが出ていて、西からロシアを横断しようとする人は、無理に入国前に探さなくてもモスクワで十分見つかると思う。

 ふたたびクレムリンに戻り、今度は東側にある「赤の広場」を目指して歩いていたら、城壁の近くに「無名戦死の墓」があった。これは第2次大戦で戦死した兵士たちに捧げられたもので、真ん中には消えることのない火がともっている。モスクワでは結婚式を挙げたあと、この墓に報告にくることが習わしになっており、僕が見ている間にも一組のカップルが現れて花束を捧げていた。

 そして「赤の広場」に出た。
 だだっぴろい石畳の広場。社会主義をたたえる市民たちが、かつてここを産め尽くしたのだ。その中心に立ち、まわりをぐるりを見まわしてみる。西にクレムリン、東に巨大なグム百貨店、南に玉ねぎ屋根の聖ワシリー聖堂。
 80年代に思春期を迎えた僕なんかだと、社会主義の象徴であるクレムリンや赤の広場なんて、決して行くことのできない別世界のようなイメージがまだ残っている。その中央にこうして立つことができるなんて、と思ったら久しぶりに感動してしまった。
 ちなみに「赤の広場」は全く赤くない。僕は共産党の大会かなんかで、無数の赤い国旗が振られただろうから「赤」なのかと思っていたけど、それも違った。古いロシア語では「赤」という言葉は「美しい」という意味でもあり、つまり「赤の広場」とは「美しい広場」という意味なのだ。

 広場の中心を歩いて、突き当たりの聖ワシリー聖堂に行ってみる。本当はその途中にレーニンの遺体が展示されているレーニン廟があるのだが、公開時間が過ぎていたので閉まっていた。
 さて、聖ワシリー聖堂だが、サンクトペテルブルグで僕が気に入ったあのスパス・ナ・クラヴィー聖堂のモデルになったといわれるように、左右非対称、てんでバラバラの高さの塔が並んだ、生物的なデザインをしている。残念ながら2本の塔は修復中だったが、夕陽に映えるその姿はかなりカッコ良かった。

 この聖堂はわがままで無茶ばかりしたことで知られるイワン雷帝の命により建てられたが、完成した聖堂を見た彼は「こんな美しいものが二度と建てられないように」と、設計者2人の目を繰りぬいてしまった。このイワン雷帝というのは実の息子も撲殺してしまうほどの無茶な人だから、人の目を繰りぬくぐらい何とも思わないのだ。
 この逸話から我々が学ぶべきことは、「出る杭は打たれる」あるいは「触らぬ神にたたりなし」ということだ。でもつまんないものを建てたら、それはそれで首をはねられるのだろう・・・。

 帰りにグム百貨店に寄ってパンツでも買って行こうと思ったら、高い、高すぎる。百貨店というよりは独立した小売店が集まった一大アーケード街なのだが、値段は驚くほどに高い。下着屋があったので、男性もののトランクスを見たら・・・1200ルーブル(4500円)。一応箱には入っているけど、聞いたことのないブランドだし、そんなに高いものとは思えない。僕は一桁間違えているんじゃないかと思ったくらいだ。
 他の店でも金額は同じようなものだった。正直いってロシアなんか経済破綻だとか、平均月収が数十ドルとか聞いていたから、ロシアで最も由緒正しい百貨店といえどもパンツぐらいは買えるものと思っていたのだ。
 つまり、それくらい貧富の差が激しいのである。パンツを買えなかった僕は、すごすごとホテルに帰りながらそれを実感したのだった。


本日の走行距離            0キロ(計74606キロ)

出費                    150P  クレムリン入場料
     175P 武器庫入場料
     95P 飲食費
     94P ロードマップ
     113P 虫除け、ロウソク
     20P 地下鉄
計     647P
(約2460円)
宿泊         ホテル・ツーリスト内「ホステル・トランプ」


2002年7月14〜15日(日、月) モスクワでショッピング(Shopping in Moscow)

 百貨店でパンツの買えなかった僕は、モスクワの反対側にある洋服の市場に行ってみることにした。この市場は「地球の歩き方」に載っていたのだが、ついでに言わせてもらうと、この「地球の歩き方・ロシア編2002〜2003版」は、ひどい出来である。
 これを持ってロシアを旅行する人は、みんな首をかしげるだろう。誤字・脱字だらけの上に、「何ページ参照」というのが間違っていたり、情報そのものが間違っていたりする。何せ、この本を買うと「訂正のお知らせ」という紙がペランと挟まっていて、それに書いてあるだけで実に27ヵ所の訂正箇所があるのだ。しかも、それはほんの氷山の一角で、細かいところを入れればこの数倍はミスがある。いったい、この本の編集者は一度でも校正刷りに目を通したのだろうか?今年の観光シーズンに間に合うように、やっつけ仕事で発売したというのが見え見えなのだ。

 僕は「コニコヴォ」という駅の近くにある市場に行ったのだが、地球の歩き方には「地下鉄カニコーヴァ駅のそば」としか書いていない。モスクワの地下鉄には9つの路線があり、駅の数は100を超える。「何々線の」という説明がなければ、虫眼鏡でないと見えないような地下鉄路線図の中から一つ一つ名前をチェックして探さないといけないのだ。例えるなら、はじめて東京に来る外国人が「地下鉄Sangenjyaya駅の近く」とだけガイドブックに書いてあって、それを探し出すようなものだ。

 しかも、駅名のカタカナ表記が統一されていない。情報には「カニコーヴァ駅」とあるのに、路線図では「コニコヴォ駅」となっている。ロシア語の表記で見比べないと、同じ駅だということが分からないのだ。
 今までも「地球の歩き方」は国によって出来がバラバラで、ひどいものもあったが、このロシア編はまさにロシア人が編集したんじゃないかと思うほどである。

 そんなこんなで、僕は洋服の市場に何とかたどり着いた。巨大な倉庫のような建物の中に、ニセモノのナイキやアディダスを扱うような小さな店が並んでいる。そうそう、こんな感じのいかがわしくて安っぽいところを探していたのだ!
 と思ったら、ここも決して安くはなかった。なにせニセナイキのTシャツが2000円もするのだ。そりゃニセモノの値段じゃないだろう!結局、広い市場の中をぐるぐると回り、僕はオレンジの無地のTシャツ(約1700円)、パンツ(450円)、靴下(300円)を買った。これじゃ日本のユニクロで買った方が安くて、質も上だろう。

 次に、インターネットをやりに「赤の広場」の近くにある巨大な地下ショッピングセンターに行ってみた。ところが、そこにあったピカピカのインターネットカフェは、予想通りパソコン本体に触ることができなかった。自分のフロッピーを使う場合はカウンターに持っていって、「このファイルとこのファイルを何番のパソコンに送ってくれ」とお願いしなくてはならないのだ。自分のパソコンで打った日本語のメールを送ることはできたが、とてもFTPソフトをインストールしてホームページを更新することはできない。また出直すことにした。

 そのあと、歩行者天国になっているアルバート通りをブラブラしてみたが、日曜日で人出が多く、通りの左右には多くの大道芸人がいた。地下鉄の駅にも芸人はいるのだが、モスクワの特徴はバイオリン弾きが多いことだ。さすがにチャイコフスキーの国である。
 中には4重奏をしているミニ楽団や、素人の耳には大人としか思えないような音色を聞かせる子どもたちもいる。

 まあまあ快適な「ホステル・トランプ」、いや「ホテル・ツーリスト」だったが、その夜、事件は起きた。
 僕の泊まっている棟が改装工事に入るので、今日の夜か明日の朝には別の棟に移らないといけない、とはデミトリー君から聞いていたけど、夕食を部屋で食べていたら、いきなり2人のおばさんがドアをけたたましくノックして、「今すぐ移動しろ」というのだ。
 僕は夕食をまだ食べているし、洗濯物も干しっぱなしだし、荷物も散乱しているので、「あと30分くらい待って欲しい」とジェスチャーで伝えるが、分かってもらえない。というより、彼女たちは理解しようとしないのだ。

 何も言葉が通じない国はロシアが初めてではない。言葉が通じなければジェスチャーや簡単な筆談で今までは何とかなってきた。ただし、それは相手がこっちを理解しようとほんのちょっと忍耐力や想像力を使ってくれたからである。
 しかし、ロシアのホテルのおばちゃんはそうはいかない。彼女らにしてみればロシアが世界の中心であり、ソ連時代の客を客とも思わないホテルのやり方が全てであり、ロシア語を話せない方が悪いのであり、外国人宿泊者の言う訳のわからないことを、いちいち想像力を働かせて理解する必要などないのだ。

 仕方なく荷物をまとめはじめたが、彼女たちはその後も10分おきに部屋にやってきて「はやくしろ、はやくしろ」という。さすがに僕もキレてしまって、「うるせえクソババア、今やってんだろ!」と日本語で怒鳴ったら、今度は警備員を連れてやってきた。何なんだよ、ほんと・・・。
 他の部屋の外国人宿泊者も混乱して、怒っている様子だった。しかしホテル側は動じない。これが彼らのいつものやり方だからだ。
 しかし、僕たちが怒っているのには別の理由もあるのだ。僕たちがはじめからロシア式の三つ星ホテルに泊まりに来たのなら、覚悟はできている。しかし、僕たちは「英語の通じるフレンドリーなホステル」というホームページを見たからここに来たのだ。それが、デミトリー君がいなければ、英語を話せたり西側的なサービスを心得たスタッフは一人もいないじゃないか!
 なんか、今日は文句ばかり書いているな・・・ストレスが溜まっているのかな?

 移動した先の部屋は西日があたって暑いが、改装したてで綺麗だった。予約は3泊だったが、まだホームページの更新ができていないし、東に向かう前に揃えたい物もあるので、もう一泊することにした。(文句を言いながらも)

 15日、更新するホームページのデータをフロッピーに落として、今度は中央電話局に行ってみると、あったあった、ごく普通のパソコンが。無事にホームページが更新できて一息つく。モスクワでやっておかないと、次にどこでできるか分からないのだ。
 近くの西側風高級スーパーでシャンプーや洗剤を買い、街をちょっとぶらぶらしてから地下鉄に乗ってモスクワ大学に行ってみることにした。

 モスクワの地下鉄網はサンクトペテルブルグのよりはるかに大規模で、駅によってはまるで宮殿のように内装が美しい。僕はモスクワの地下鉄なんて危険だと思っていたが、西側諸国の地下鉄よりはるかに安全な雰囲気がある。何せ、寝ている人がいっぱいいるのだ。僕は地下鉄の中で寝るのは日本人だけかと思っていたが、モスクワの人も寝るのである。もちろん、昼間の間だけだろうけど。

 また、地下鉄の駅や街に警官の姿を見るのだが、みんなが言うように外国人観光客を見ると寄ってきて「罰金」を要求するような悪徳警官には、僕は会わなかった。「赤の広場周辺の警官には注意!」とよく言われるのだけど、どの警官も僕には近寄ってこない。日本人じゃなく、中央アジア人や中国人に見られているのかな?
 ちなみにモスクワまでバイクで走ってきて、検問で停められたのも一回だけだ。それも書類を見せたら、10秒で「行っていいですよ」。サンクトペテルブルグ〜モスクワ間は交通量が多くていちいち停めていられないというのもあると思うが、検問は何度もあったのに、その一回以外はみんなフリーパスなのだ。

 さて、モスクワ大学が近づいてきたが、どういうわけか僕の乗った列車はその一つ手前の駅で止まってしまった。しばらくホームで待ったが、次の列車も、その次もその駅止まりだった。
 そのうちに時間が過ぎ、面倒くさくなって、僕は引きかえしてホテルに戻り、明日の朝の出発に備えて支度をするのであった・・・。


2日間の走行距離           0キロ(計74606キロ)

出費                    650P  衣類
     65P インターネット
     194P 飲食費
     216P 洗剤、シャンプー、食材など買物
     20P 地下鉄
     27$ 宿泊費
計     1145P
(約4360円)
     27$ (約3240円) 宿泊         ホテル・ツーリスト内「ホステル・トランプ」
インターネット    Time Online(14日)
           中央電話局(15日)