旅の日記

ベネズエラ・カラカス編(2000年6月27〜30日)

2000年6月27日(火) ベネズエラ入国(Entering Venezuela)

 今日はベネズエラに入国する日。あれほど心配し、わざわざパナマからエクアドルまでバイクを飛ばしたと言うのに、コロンビアという国は、幸運なのか、まったく問題なかった。それどころか、大きな見どころは無いものの何気ない風景の一つ一つが美しく、人もやさしいコロンビアは私のお気に入りの国となった。わずか12日間、急ぎ足だったが良い思い出ばかりだ。

 朝、リオアチャの街を出て約100キロ先の国境を目指す。麻薬の問題から、コロンビアを出国する際には厳しい検問や荷物検査があると聞いていたが、コロンビア側では面倒なことは一切なく、国境に到着。パスポートに出国のスタンプをもらい、牛次郎のペルミソ(一時輸入許可証)にキャンセルのスタンプを押してもらって手続きは終了。いたってスムーズだった。わずかに残ったコロンビア・ペソで缶詰やお米などの食料を買い、ベネズエラ側へ。
 ベネズエラ側の手続きも簡単で、パスポートにスタンプをもらい、ツーリストカードを発行してもらって人間の手続きは終了。牛次郎のペルミソも、税関で簡単に発行してくれた。税関の職員の対応もとてもよく、古いパソコン(ウィンドウズ3.1)のワードで、書類を作ってプリントアウトしてくれた。Tシャツとジーズン姿のラフな格好の職員だったが、英語も話せて、非常に印象が良かった。人間、牛次郎の手続きとも手数料、税金など無し。

 ただ、問題は国境を後にしてからだった。国境から最初の大きな街、マラカイボまで200キロほどあるのだが、この間、いったい何回あったのか数え切れないほど検問が多かった。しかも、警官にあからさまに「金をくれよ」と言われたのが2回、罰金欲しさにブレーキランプが付いていないと難癖を付けられたのが1回。ワイロの要求はスペイン語がわからないフリをして切りぬけ(実際、あんまり分からないけど)、ブレーキランプはその場で直した。一時は20キロおきにある町ごとに検問があり、 その度に書類やパスポートの提示を求められた。難癖をつけられなくても、書類チェックの後には必ず「日本では何やってた」「どれだけ旅しているのか」などと、雑談を振ってくる。警官なのでそう邪険にもできないし、本当に面倒くさい。

 午後遅く、ようやくマラカイボに到着。南米最大の湖、マラカイボ湖に面した近代的な大きな街だが、我々には用は無い。銀行で金を降ろし、すぐに立ち去る。マラカイボから東に向かうと、湾を越える長い吊り橋を渡る。この橋が長さ10キロほどもあり、とても気持ち良かった。瀬戸大橋の次に長いんじゃないかな。

 その後はひたすら東に走る。コロンビアと違い、ゲリラの心配が無いので夜も問題なく走れるのが良い。産油国なのでガソリンが安く、リッター15円程度。燃費など気にせずに飛ばせるのだ。ただし、ガソリン以外の物価は高いけど。
 夜10時ごろまで走り、道路脇のガソリンスタンドで夕食を作って食べる。今夜のメニューは野菜炒めだ。外食が続くと、体が野菜を欲するのだ。
 食後、尚も走る。ここでウメさんの奥さんのKさんが運転に初挑戦。その昔マニュアルのミニクーパーに乗っていただけあって、初めてなのに全く問題なし。深夜12時ごろまで運転してもらい、私と交代。朝4時まで闇の中の一本道を飛ばし、耐えられないほど眠くなったので、ガソリンスタンドに牛次郎を停めて就寝。ベネズエラは昼間暑いものの、夜は涼しくなって心地よい。


出費                  500P  コーラ
            50B  コーヒー
            1000B  ファンタ2リットル
            700B  コーラ2本 
計        500P          1750B(1米ドル=680ボリバール)
宿泊         ガソリンスタンドに停めた牛次郎

久美子の言わせて!
 
アミーゴさようなら!いつもより支度もきちんと整え、いよいよアミーゴとお別れ。 すごく楽しかった。絶対また来る。チェリーの赤ちゃんに会いに来るよ。 女の子だといいね! アミーゴの前でタクシーを止めて、長期滞在組と悪のおっちゃん(山口氏)といよいよお別れ。 みんな一人一人と抱き合ってお別れの挨拶をし、タクシーに乗り込む。タクシーの中から唯土と目が合う。 唯土はちょっとうるうるきていたので、それをみたら「お別れ」という実感が沸いてきて ちょっと悲しくなっちゃった。でも泣かない。だって絶対また会うもん。 唯土。気を付けて自転車こいで南まで下るんだよ。そしてまた一緒にうまい酒飲もうね!

アミーゴ長期滞在組へ 「永遠の宴会」またしようね。

NY到着。スチュワーデスの態度がめちゃくちゃ悪いし、飛行機渋滞で着陸してから1時間以上、飛行機内で待機させられるし(ずーっと寝てたけど)初っぱなからむかつくー。 入国も「あ?君はとってもデンジャラスだ」と言われ、赤い紙袋にパスポート一式入れられ、別室に 行かされた。なんやなんやと思っているうちに、係りのおっちゃんに呼ばれ、「目的はなんだ?NYに いつまでいるんだ」と質問されなにがなんだかか、分からなくなっちゃってスペイン語で話してもらって やっと話が通じ、なぜか簡単にスタンプがもらえた。 アンティグアで知り合った、NY滞在の、のりくん、ゆうくんとなんとか再会できた。のりくんの彼女の あきちゃんと、のりくんの友達のあきくんとみんなで日本食居酒屋「go」にご飯を食べに行く。私は納豆丼を食べた。 7/4(アメリカ独立記念日)に向けて人がいっぱいで宿もいっぱいで、とりあえずのりくんの家に 泊めてもらう。のりくんの家というのは家兼美容室なので寝袋を敷いてすみっこで寝かしてもらう。 のりくんは彼女の家に泊まりに行った。やっぱり移動すると疲れるなぁー。 



2000年6月28日(水) カラカスをさまよう(Wondering around Caracas)

 朝は揺れる牛次郎の中で目が覚めた。すでにウメさんがハンドルを握り、首都カラカスを目指している所だった。途中交代し、約150キロ走って午後12時頃、カラカス到着。
 ベネズエラは産油国で、近隣の南米諸国と比べると経済的に豊かだ。首都カラカスはそれを象徴するかのような、近代的なビルが建ち並ぶ大都市。ただ、地図を見る限り海に近いので港町を予想していたが、実際は山間の都市で、風景はキトやカリに似ていた。

 ここ2、3日インターネットもやっていないし、カラカスからロンドンへ飛ぶチケットの値段も調べたかったので、物価が高いとは予想していたものの、カラカスに滞在すべく、市内のホテルを探す。しかし、予想以上に宿探しは難航した。ロンリープラネットに載っていたホテルをあたるが、軒並み値上りしており、一人10ドル以上は最低でもする。しかも客を見かけで判断し、汚い格好をしている我々には空室があるにもかかわらず「満室だ」と断わるような状態。他のラテン都市とは、一味も二味も違う、イヤな雰囲気がする。
 市内をさまよいホテルを探すが、安宿に見える安ホテルは時間制のラブホテルばかり。これはいくら探しても無理だと判断し、インターネットはまずあきらめ、旅行会社に行ってチケットの値段だけを調べて、カラカスを後にすることにする。

  しかし、カラカス市内の道というのが非常に分かりづらい。カラカスを出ようと判断したのが夕方だったが、夜8時になってもまだ市内から出れないでいた。一体何回、ウメさんに道を聞いてもらっただろうか。カラカスを東に抜ける道を探すだけなのに、渋滞の激しい道をグルグル回ってばかり。これは、方向音痴の俺のせいじゃないぞ。

 道を聞こうと寄ったガソリンスタンドで、牛次郎のエンジンから異音が聞こえた。調べているうちにセルの回りもおかしくなってきた。これはバッテリーが弱まっているのではなく、 何かが引っかかってセルが回らない様子だ。1回、押しがけして無理やりエンジンをかけてみると、この前直したジェネレーター(発電機)から火花が出ている!また故障だ・・・。
 とりあえずジェネレーターをエンジンから外す。普通、ジェネレーターというものはほとんど抵抗無しに手でシャフトを回せるものなのだが、このジェネレーター、いくら力を入れても回らない。ベアリングがイカれたか、中のコイルか何かがダメになったのだろう。しかし、ジェネレーターを開けようにもハンダごてが無いと元に戻せない。そうこうしているうちに、牛次郎を停めておいたガソリンスタンドの閉店時間となった。ちょっと先に24時間営業のテキサコの大きなスタンドがあるというので、ジェネレーターを外したまま、バッテリーの電気だけで走る。

 テキサコのスタンドに入れてジェネレーターを見ていると、自称メカニックという、妙に陽気なオヤジたちが寄ってきた。カラカスのセントロに24時間営業の電気系専門の修理屋があり、連れって行ってくれるというので、ウメさんと2人で一緒に行く。しかし、彼らの乗っているバンは牛次郎の上をゆくポンコツで、断絶魔のようなエンジン音でバタバタと走るのだ。しかも、オヤジたちの様子がおかしい。こりゃ、酒に酔っているか、もしくは・・・。まあ、彼らの車に乗るところはテキサコのみんなも見ているし、猪飼さんもKさんも残してきたので、そう大それた悪さはしないだろう。
 しばらく走ると、以外にも(?)、ちゃんと修理屋に連れていってくれた。しかし、ここの修理工、困っている人を助けようとする気持ちがない。壊れたジェネレーターはロクに見もせずに直せないと言うし、裏にたくさん別のジェネレーターが並んでいるにもかかわらず、調べもせずに「合うのは無い」と突っぱねる。ちゃんと仕事しろよ・・・。あやしいオヤジたちはその場で一生懸命ジェネレーターを直そうとしたが、いくらやってもシャフトは回らない。すると、オヤジたちは友達で部品を持っているヤツがいるというので、そこへ行こうという。もう夜も12時近くなり、かなり眠くなってきたので、明日の朝でもいいと思ったが、せっかくなので連れていってもらう。
 しかし、着いた先は別のガソリンスタンドで、3人いるオヤジの内一人がそこから歩いて友達の所へ買いに行くという。「一緒に行く」と行っても危険なのでダメだといい、部品代として約10ドル、よこせという。これは、いよいよ怪しいが、もうどうにでもなれ、と思って金を渡す。するとオヤジはフラフラと、ジェネレーターを持って夜の街に消えて行った。
 さて、ガソリンスタンドには我々2人とオヤジ2人の4人が残されたが、良く見ると2人のオヤジは似ていて、兄弟だと言う。2人ともとても陽気に正気を失っており、「クラックは最高!」とか言っている。やはりジャンキーだったか・・・。兄弟のバカ話に付き合う事約20分、ようやく「部品を買い行った」オヤジは戻っていたが、案の定、部品は見つからなかったという。その後、牛次郎を停めていたテキサコのスタンドに戻ったが、やはり「ここで金を出すのは危険だ」とか言って、さっき渡した10ドルは返してくれなかった。まあ、こうなるのは目に見えていたが・・・。
 明日の朝、また来てやるから、とか言ってオヤジたちは去って行った。本当に来られたら、それはそれで面倒なんだが。しかし、最初はちゃんと修理屋に行ったし、自分達で行ってもタクシー代で10ドルくらいはかかったかも。まあいい経験だったと思って、本日はとても疲れたので、スタンドの片隅に停めた牛次郎の中で寝る。野宿2連泊だ。


出費                  300B  朝食(エンパナーダ)
            350B  コーラ
            600B  コーヒー牛乳
計        1250B
宿泊         ガソリンスタンドに停めた牛次郎 2連泊

久美子の言わせて!
 
日本人のやっている友達旅館はいっぱいで入れないと言われ、今日ものりくんちかぁー悪いなぁーと 思っていたらちょうど、紀伊国屋があり、「地球の歩き方が」あったので立ち読みし、安ホテルの電話 番号を暗記し、宿をGET!でも高ーい。メキシコの10倍。とりあえず1週間まとめて支払い、 7/5発だけど、いつ出発しよう。お金もつかなー。NY高いよー。 



2000年6月29日(木) カラカス脱出(A new generator)

 朝、牛次郎の中で寝ていたら、スタンドの警備員に起こされた。ここで眠るな、という。こんな警備員いたっけか、と思いながら、壊れたジェネレーターを見せて、これを今から直すからあと数時間停めさせてよ、という。しかし、その警備員は「今すぐ車をどけろ」という。見ての通り車は壊れているので、今は動かせない、というが、「じゃあ、押せ。ぐずぐずしていると、警察を呼ぶ」と言う。これにはウメさんともども、 頭に来た。困っている人を助けようともせず、人をみかけで判断し(実際、汚い格好はしていたが)、壊れていようが何だろうが関係ないと言うのは、どういう事だろうか。ガソリンこそ入れてはいないものの、昨晩からみんなでジュースやパンなどを買っているし、一応は客だろう。それを説明しても、その警備員は納得しない。ウメさんと、こいつはアホなので相手にするのはよそう、という結論に達し、英語の話せるスタンドのマネージャーを捕まえて説明すると、もう数時間停めることを認めてくれたばかりか、ジェネレーターがを売っている店まで車で連れて行ってくれるという。一時は、ベネズエラの人は冷たい人なかりだと思ったが、わかってくれる人はいるもんだ。また、カラカスの人は、英語を話せる人が多い。経済発展に伴い、教育水準も高いのだろう。

 何はともあれ、そのマネージャーに部品屋に連れていってもらい、新しいジェネレーターを買う。約150ドルは痛い出費だが、これが無ければ走れない。写真の赤い丸で囲んだ部分が新しく買って取り付けた、新ジェネレーターだ。

 無事牛次郎は復活したので、カラカスを後にする。しかし、やはり道が分からない。迷いながら、約2時間かけてようやく東へ向かう高速道路を見つける。

 道路さえ見つかれば、後はひたすら走るだけだ。目的地は世界最大の落差を誇るエンジェルフォールへ飛ぶ拠点となるシウダード・ボリバール。カラカスからは約12時間はかかるという。

 ベネズエラの道路はよく整備されており、郊外に出ると飛ばせる道となった。深いジャングルが続いたと思ったら、乾燥した土地にサボテンが群生しているところもあり、ベネズエラの景色は結構奥深い。
 カラカスでネットが出来なかったので、途中で寄ったガソリンスタンドの公衆電話から音響カプラーを使ってメールの受信を試みる。カラカス市内のアクセスポイントに電話をすると、以外にも3回ほどのトライであっさり接続でき、速度も早かった。23通のメールを無事受信。

 その後も一路東へ。何も無い闇の中を走りつづけていたら、突然前方が明るくなった。街か?と思ったら、 巨大な石油精製基地だった。その規模は本当に一つの街くらいの大きさだ。煙突からは火が吹き、各建物に付けられた無数の照明は煌煌と夜空を照らしていた。ベネズエラの国力は、ここから生まれているんだなあ。

 さらに午前3時ごろまで走ると、目的地シウダード・ボリバールの手前まで来られた。街中に入ると面倒なので、今日も郊外のガソリンスタンドに牛次郎を停めて就寝。体はタオルで拭いたものの、さすがにシャワーを浴びたくなってきた。明日こそはホテルに泊まろう。


出費                  600B  ジュース
            250B  コーヒー
            3000B  テレホンカード
計        3850B
宿泊         ガソリンスタンドに停めた牛次郎 怒涛の3連泊
インターネット    公衆電話


2000年6月30日(金) シウダー・ドボリバール着(The town of Ciudad Bolivar)

 朝は車内の猛烈な暑さで目が覚めた。ベネズエラの夜は以外と涼しいが、朝は早い時間から強い日差しが照りつける。寝るときは窓を全てカーテンで覆うのだが、それでもサウナのような暑さになるのだ。
 牛次郎を停めたガソリンスタンドから走り出すと、20分ほどでシウダー・ドボリバールの街中に入った。ロンリープラネットのガイドブックに載っていたホテル「カラカス」に行って見ると、一人約5ドルで清潔な部屋、しかもインターネットカフェや旅行代理店も入っているという便利さ。スタッフの応対も非常に良く、即チェックインする。
 久しぶりにシャワーを浴び、ホテルのロビーにある旅行代理店のオフィスで2泊3日のエンジェルフォールへのツアーに申し込む。拠点となるカナイマ村までセスナで飛び、そこからボートに乗って世界で最も高い滝・エンジェルフォールへ行くツアーだ。料金は食事、宿泊込みで230ドルだが、セスナから滝を見る遊覧飛行は別途40ドルで、そちらも申し込んだ。

 さて、その後はひたすらパソコンに向かう。ここ数日は全く日記を打っていなかったので、非常に時間がかかる。ホテルのオーナーが親切で、宿泊しているのとツアーに申し込んだサービスで、インターネットカフェが閉まる夜10時以降、電話線を無料で貸してくれるという。夜10時まで待つのはちょっとツライと最初は思ったが、日記とメールを打ち終えたのが夜11時ごろだった。やはりためるものではない。


出費                 3500B  ホテル代
            1050B  ビール3本
            1900B  昼食(炒飯)
            270$ ツアー料
計        6450B
         270US$
宿泊         Hotel Caracas
インターネット    Hotel Caracas