腕時計のアラームは午前6時にセットしていたのに、ロシアを前に興奮しているのか5時半に目が覚めてしまった。昨晩つくっておいた鶏肉と大根の煮物を食べ(本当は夕食用だったのだけど、家主から差し入れがあって今朝に持ち越したのだ)、出発したのは6時58分だった。
こんなに早く出たのはロシア入国の手続きに時間がかかると思ったからである。2年前に同じ国境を越えた友達は、実に6時間もかかったという。夏で日は長いが、サンクトペテルブルグまで約360キロ。慣れないロシアの都市に夜に着きたくはない。
雨ばかりだったエストニアだが、昨日かなりまとまった量の雨が降り、そのおかげで今日はカラッと晴れている。ブランキー・ジェットシティのナンバーを口ずさみながら、青空の下を気持ちよく走った。
220キロ離れた国境の町ナルバに着いたのは午前10時。長丁場の国境越えに備えてマクドナルドで早めの昼食を食べ、余ったコインでガソリンを入れてから、いざ国境ゲートに向かった。
ロシアの役人はきっと能面のように無愛想で、荷物の検査も厳しく、ひょっとしたらイチャモンをつけられてワイロを要求されるかもしれない。ホンジュラスの国境に挑むような覚悟でいたのだが・・・僕を待っていたのは制服姿の笑顔のおばちゃんだった。
「○☆×!」。ロシア語なので全くわからないが、ニコニコしていて、どうやら僕を歓迎してくれているらしい。彼女から整理券のような紙切れを受けとって先に進むと、イミグレーションと税関のゲートがあった。
イミグレーションのお姉ちゃんはあんまり愛想がなかったが、僕のパスポートとビザを見て怪しむそぶりも何も見せず、秒殺の早さで「ダ、ダン!」と入国のスタンプを押してくれた。
税関のお兄さんに至ってはカタコトながら英語が話せ、英語の税関申告書を持って待っていてくれた。
ロシアに入国する場合、持ち込む外貨や貴重品を用紙にリストアップして税関に申告しなければいけない。ロシアは入国のときより出国の方がチェックが厳しいらしく、申告書に記入した以上の外貨や記入されていない貴重品は没収される恐れもあるという。
お兄さんは申告書の書き方をていねいに教えてくれ、僕は米ドルやユーロ、パソコンやカメラ類を持ち込む旨を用紙に書いた。
荷物検査はなし。お兄さんは僕のバイクの書類とにらめっこをして一時輸入許可証をタイプしてくれ、ロシア入国の手続きは30分で終わってしまった。
日曜日で車が少なかったからかもしれない。本当は日曜日で何か問題があるんじゃないか、と内心心配していたのだが・・・。
ゲートをくぐると、すぐに保険会社の出店があった。お兄さんが小屋から出てきて、「おーい、保険に入らんといかんぞー」と走ってくるのだ。本当は入らなくてもいいらしいが、そんなに高くはないし、頻繁にあるという検問でも印象が違うだろうと思い、勢いあまって3ヵ月分入っておいた。(俺もやっぱり小心者だよ、Yoggy!)
さて、これで記念すべき60カ国目、そして一つの国としては最も長い距離を走るだろうロシアに入国。とりあえず最初の目的地サンクトペテルブルグを目指して、そのまま東へ進んだ。
ロシアに入って舗装が荒れてきたが、それでも気になるほどではない。タリンとサンクトペテルブルグを結ぶ幹線道路は交通量も多いから、きっとよく整備されている方なのだろう。道の脇は針葉樹林か、のどかな村。サンクトペテルブルグまでの140キロであまり大きな町はない。
すたれた感じがしてきたのは、サンクトペテルブルグの郊外に差しかかってからだった。共産主義の象徴のような巨大な団地の壁は落書きだらけで、路肩には汚水や油、ゴミがたまっている。広場には悪そうな若者がたむろしていて、僕はルーマニアのブカレストに雰囲気が似ていると思った。
しかし、街に入っていくにつれて趣きのある古い建物が並ぶようになり、雰囲気もだいぶましになった。人口500万人のサンクトペテルブルグは思ったより大きな都市で、行けども行けども中心街に着かない。ひょっとしたら通り越して街の反対側に来てしまったのではないかと心配したころ、いきなり巨大なイサク神殿の前に出た。
目指す「ホステル・ホリディ」は街を東西に横切るネヴァ川のほとりにあり、街の中心にさえ出れば簡単に見つかる。着いたのは午後2時ごろ、国境越えも楽だったし、「順調順調!」と思っていたら、ここからちょっとした問題があった。
同ホステルにはエストニアからメールで問い合わせて、「うちにはbackyard(裏庭)があるので、そこにバイクを停められます」という返事をもらっていた。しかしいざ行って見ると、彼らが「backyard」というは単なる裏通りのことで、囲いも何もない。しかもホステルの裏は刑務所。夜な夜な受刑者に向かって愛を叫ぶ家族や恋人が立つ通りに、バイクを路駐しろというのだ。
ホステルの言い分は、「バイクを停められるspace(場所、空間)というから、ある、と答えただけ。裏の通りにも表の通りにも、バイクを停められるspaceはたくさんあります」
「そんなこと言ったら、世界中のホステルが駐車場完備ってことになるぞ!」「・・・そうかもしれませんね」
他の宿に行こうと思っても僕はエストニアで3泊分前払いしてあり、それは戻ってこないという。24時間営業のパーキングに入れるにしても、その分の料金はもちろん別になる。
結局「ガソリン臭いから嫌だ」とか言われながらも、建物の中のホールに入れさせてもらった。この建物のドアがまた意味不明で、両開きなのだが、片側が床に釘づけされている。僕はバイク用の工具を持ち出して釘を抜かなければならなかった。
やれやれ、しかしこんなことで驚いていてはロシア横断は果たせない。とりあえずサンクトペテルブルグ到着の旨を知らせようと、ヴィルニュスで会った小林さんに電話をかけてみるが、これもまた一苦労だった。
テレホンカードを地下鉄の駅で買ってきたのだが、公衆電話は何種類もあるみたいで、ホステルの電話では使えなかった。フロントのお姉さんは「こんなカード見たことない。きっとモスクワ専用だわ」(おいおい)。
駅まで戻って使える電話を見つけたのだが、受話器の向こうの小林さんの声は聞こえても、こっちの声が通じない。きっと故障しているのだと思い、苦労して別の電話を見つけるが、結果は同じ。よく見ると英語の説明が貼ってあり、「電話が繋がったあと、話す場合は会話ボタンを押してください」。
何じゃそりゃ!話すに決まってんだろ!電話だぞ、電話。それとも何かい?ロシア人てのは時報や天気予報やQ2ダイヤルやリカちゃんダイヤルばっかり聞くってのか?
「会話ボタン」を押し、「もしもし、青山ですけど」と僕は言った。すると小林さん曰く、「無言電話ばっかりかかってくるから怖かった・・・」
とりあえず明日の午後に会う約束をして、僕はホステルに帰った。
朝5時半起きではさすがに眠く、僕は早めに寝ることにしたが、夏のサンクトペテルブルグは蚊が多く、耳元の羽音に何回も起こされた。エストアニアよりさらに1時間進んでいるから、夜11時でも日本の夕方ぐらいの明るさだし、慣れないと安眠がなかなかとれないのだ。
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