朝から携帯電話で連絡を取り合い、ダリョスは仲間と集まり出した。
ダリョスはリトアニアでもわりと裕福な方だと思う。看護婦の奥さんと共稼ぎだが、子どもが2人、車が1台、1000ccのバイクが1台、パソコン多数、ラジコンの車/船/飛行機多数。しかし集まってきた仲間のバイクもそうそうたるものだった。ヤマハR-1、カワサキZX-10、ZXR-6R・・・みんな最新式の大型スポーツバイクである。
リトアニアを走っているとあまりオートバイを見ないけど、あるところにはあるのだ。
「ショー」は町外れの広場から始まるというのでみんなで行ってみると、すでに100台以上のバイクが集まっていた。パネバジースだけでなくリトアニア全土、遠くは隣のラトビアからも来ているという。
「日本ではスポーツバイクとチョッパー(アメリカン)と、どっちが多いのだ?」とダリョスが聞いてきた。「ブームの波もあるけど、やっぱりスポーツタイプの方が多いかな」「・・・そうか、リトアニアはチョッパーばかりだ」
なるほど、集まったバイクはハーレーに代表されるようなアメリカンスタイルのものばかりだ。みんな「ヘルスエンジェルス」よろしく、革ジャンの背中にクラブのロゴを背負っている。
そこで僕は思い出した。バルト3国はほんの10年前までソ連の一部、バリバリの共産主義国家だったのだ。彼らはアメリカンバイクを楽しむと同時に、それが象徴する西側文化と自由も謳歌しているのだ。
映画「イージー・ライダー」の台詞を思い出した。焚火を囲みながら、ジャック・ニコルソンがピーター・フォンダとデニス・ホッパーにいう。「あいつらが怖いのは君たちじゃない。君たちが象徴するものだ」
「あいつら」、というのは保守的なアメリカ南部の白人だ。自分たちは自由だと信じていたのに、バイクで風のように旅する2人を見て、本当は違うことに気づく。それを認めるのが怖いのだ、と若き日のジャック・ニコルソンはいうのだ。
バイクはどんどん増え、200台は超えた。一般市民も子どもを連れて見に来ている。爆音に耳を塞ぎながらも、アメリカのバイクとそれが象徴するものを歓迎しているようだ。
広場では昨年お世話になったエルゲミウスのオヤジとも再会した。あいかわらずテンションが高かった。このショーのあと、ラトビアの友達にくっついてリガまで行くという。
しばしお互いのバイクを誉めたたたえたあと、一団はパネバジース市内をまわるパレードに出発した。
200台以上のバイクとなると、並走したとしても長さ500メートルほどの列になる。そんなのが一斉に走ったら信号で途切れてしまうではないか、と思うけど、答えは簡単である。信号など無視なのだ。
赤になっても、みんなクラクションとエンジン音を響かせて直進。交差する道のドライバーも怒るどころか手を振ってくる。「第一回パネバジースモーターサイクルショー」は町をあげてのお祭り、警察も味方なのだ。
あとでダリョスから聞いた話だけど、夜になってすっかり酔っ払ったライダーのグループが、別のバーへ行って飲みなおしたいと言い出したという。ほっといたら彼らは飲酒運転で飛ばすだろうから、なんとパトカーが彼らを先導したというのだ。イキなことするじゃないか、リトアニアの警察。
パレードは市内の公園まで続いた。そこがメイン会場であり、ステージや露店が出ていた。しかしそこに入るにはチケットが必要で、ライダーも例外なく1ドルほどの料金を取られる。僕のチケットはダリョスが用意してくれていた。
ステージではリトアニアのバンドがハードロックを演奏し、ときおり雨が降る中、ライダーたちはビールを飲みながらそれを見たり、談笑していた。
ライダーの多くは女連れである。しかも、みんないい女だ。
昨年、僕はリトアニアはめちゃくちゃに美人が多い、という印象を抱いたが、この前ヴィルニュスで思ったのは「あれ、こんなんだっけ?」。確かに去年僕が会ったのはプロのモデルやニュース・キャスターだったけど、普通の娘だってめちゃくちゃに可愛かった思い出があるのだ。
そこで僕は気がついた。やっぱりいい女はいい男とくっつくのだ。ヴィルニュスを普通に歩いていたって、美人は確かにいるけれども、ゴロゴロしているほどではない。しかし、この会場にはいい男がたくさんいる。身長が高くて2枚目で、いいバイクに乗って(ということは金も持っている)、というのばかりだ。だからいい女もゴロゴロいる。みんな薄着で夏を謳歌していて、こっちは頭がクラクラしそうなのだ。
そのうちに公園の隅ではゲーム大会が行われた。2台のバイクで10メートルほどの距離をどれくらい長い時間をかけて走れるか競ったり、後ろに乗った女性が水の入った大きなコンドーム(!)を高く掲げられたバーの上まで放り投げ、それを向こう側でキャッチしたりと、ラトビアのクラブが中心となってやっていた。
宴はいつまでも続くように思われた。6月の終わりで、北海道よりもはるかに北に位置するリトアニアでは一日のうち4時間くらいしか暗くならない。まめに時計をみないと時間の間隔がおかしくなる。そろそろ飽きてきたな、と思って時計をみると、まだ夕方くらいの陽の傾きなのにもう9時だった。
バー「エキストリームス」に寄って夕食を食べた後、僕はダリョスの家に帰った。しかし家主はまだまだ友達と会わなくてはならないと会場に戻って行った。
少しだけ日記をうち、居間のソファで寝ていたが、ダリョスの帰ってくる音が聞こえたのは午前4時ごろだった。そのとき外はすでに明るかった・・・。
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