旅の日記

バルト3国編(2001年8月20〜23日)

2001年8月20〜21日(月、火) 一気にリトアニアまで下る(Straight down to Lithuania)

 ハラ家は快適だが、いつまでも新生児のいるお宅におじゃまする訳にもいかない。20日の午後、マルコたちに見送られて出発、ヘルシンキの港を目指す。
 フィンランドと、次に走ることになるバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の間にはバルト海がある。これをフェリーで越えるわけだが、昨日調べたところ意外に本数が多く、所要時間も高速艇だと1時間40分。適当な時間に港に着き、適当な便に乗った。

 フェリーを降りると、そこはエストニアの首都タリン。
 EU諸国内はほとんどフリーパスだったため、パスポートやバイクの書類を提示して入国するのが久しぶりに感じる。イタリアで買った私のグリーンカードは東欧諸国は対象外なため、バルト3国ではいちいち短期間の自動車保険を買わねばならない。しかもエストニアの保険の最低日数は15日・・・そんなにいらないから、もっと安くしてよ。

 さて、タリンはバルト3国の首都の中でも美しいとされるが、フィンランド側は快晴だったのに、着いたとたん雨が降ってきた。最近の私は本当に雨に祟られている。
 雨の中、宿を探して都会をウロウロしたくはない。タリンに興味がないわけでもないが・・・カッパを着て、そのまま南下することにした。
 雨足が強まる中、タリンから130キロ下ったParnuという町に着いた。国道沿いにキャンプ場の標識があったので行って見ると、4人用の暖房つきコテージが130クルーン(約900円)。迷わずチェックインし、びしょ濡れになった衣服をコテージ中に広げて乾かす。
 夜はキャンプ場の売店で買った安いウオッカを飲みながら、スカンジナビアの写真を整理した。北欧は素晴らしかったが、物価の安いバルト3国まで下るとやはりホッとする。

 翌21日、50キロほど南下して次国ラトビアとの国境に着く。ラトビアの保険の最低日数も15日、しかも8.3ラティ(約1600円)とバカ高い。しかし買わないと入国できないので、仕方なく払った。

 さらに200キロほど南下して首都リガに着いた。人口80万人、バルト3国の中でも一番の都市である。その分、風情で他の2首都に劣ると言われるが、インフォメーションセンター周辺の旧市街はなかなか良かった。なんのイベントかは知らないが、広場では民族衣装に身を包んだ少女たちが合唱していた。

 インフォメーションセンターで教えてもらったキャンプ場に行くが、なぜか閉まっている。旧市街に戻って安ホテルが集まる鉄道駅周辺を走ってみるが、バイクが停められそうな宿はまるでない。仕方なく、リガも通過する事に。
 でも「仕方なく」という表現は間違っているかもしれない。なぜなら、本当にその場所が見たいのなら、もっと徹底的に泊まる場所を探すはずだから。・・・バルト3国に対してあまり興味がないというのが、これでバレてしまうだろう。

 次のリトアニアまで向かう途中にキャンプ場でもあるかと思っていたが、何もないまま、国境に到着してしまう。今日2回目の国境越え、リトアニアの保険は最低日数が3日で、料金も10リタス(約300円)と良心的だった。
 時刻は午後7時、そろそろ宿を確保したいが、国境にあったホテルは30ドルと高い。すると一人のお兄さんが話しかけてきて、この先のPasvalys(パスバリス)という村にもっと安いホテルがあると教えてくれた・・・このお兄さんの一言が、私の運命を変えることになる。

  国境から30キロほど走って、何にもない田舎の村、パスバリスに到着。おまわりさんを捕まえてホテルの場所を聞いたら、そこまで案内してくれたばかりか、ホテルにバイクが置けないので警察署に停めることを許可してくれた。
 ホテルは一泊10ドル、何の変哲もないビジネスホテル調の古い部屋。しかしここに泊まったことが、さらなる旅の発展へと繋がったのだ・・・。


2日間の走行距離      512.6キロ(計60291.9キロ)

出費                   115mk  ガソリン
19mk  ピザ
200mk  フェリー
130eek キャンプ場
38eek ウオッカ
60eek エストニア保険
8.3lt  ラトビア保険
1.57lt  マクドナルド
10lts リトアニア保険
12lts 食材の買物
40lts ホテル
計     334mk(約5980円      228eek(1ドル=約17クルーン、約1610円
      9.87lt(1ドル=約0.6ラティ、1280円
     62kts(1ドル=約4リタス、約1860円宿泊         Camping Joekaaru(20日)
           Hotel VieusButis(21日)  


2001年8月22日(水) モデルたちとタダ酒で盛りあがる(Party with models)

 本当に旅は先が読めない。正直なところ、バルト3国は通過するだけだと思っていたのに、ここでも大きな出会いが待っていたのだ。

 朝、ホテルをチェックアウトしているとき、ロビーで一人の男が話しかけてきた。飛行機乗りのような、船乗りのような、はたまたライダーのような妙な格好をしている。
 しかし、そのどれもが正解だった。エルゲミウスというこのオヤジは飛行機乗りであって、バイク乗りでもジープ乗りでも、ボート乗りでもある。リトアニアとラトビアにまたがった「Extremus」(エクストリームス、つまり究極という意味)という何でもありのクラブの中心メンバーで、自宅に写真などがあるから見に来いという。

 別段急ぐこともないので、コーヒーを一杯ごちそうになるつもりで村外れの彼の家に行って見ると・・・!!!
 彼はSASという整備工場の社長で、だだっぴろい敷地には所狭しと整備待ちの車が並んでいる。塗装専用のガレージ、整備用のガレージ、その他よくわからんガレージ・・・など、とにかく広く、そしてそこら中で整備士たちが仕事をしている。一体何人従業員がいるのか、よくわからんほど規模が大きい整備工場だ。とても「村の整備工場」とは片付けられない。

  そして塗装専用のガレージには彼の軽飛行機が入っていた。塗装工たちが忙しく塗装面を磨いている間、このオヤジはのんびりとホテルでコーヒーを飲んでいたのだ。何といい身分だろう。

 彼のオフィスではクラブの写真やプロモーションビデオ(!)を見せてもらった。その名のとおり何でも徹底的に、クレージーにやるクラブで、例えばビデオの中で彼は飛行中のグライダーの翼の上に立ち、クラブの旗を振っていた・・・。
 飛行機、バイク、4駆、ボート・・・面白ければ何でもアリみたいなノリで、クラブのマークもバイクのエンジンとプロペラ、4駆のタイヤを組み合わせたセンスの良いデザインだ。
 エルゲミウスとクラブ「Extremus」、ただものじゃない。旧共産圏のリトアニア、貧しくて暗いイメージがあったが・・・彼のまわりにいる限りでは、ぜんぜんそんなことはないぞ。

 クラブは40キロほど南にいったPanevezys(パネヴェリス)という大きな街にバーを構えており、今夜行く用事があるので一緒に行こうという。彼の工場にはいくらでも寝るところがあるので、泊まる場所の心配もないと言ってくれた。
 ・・・この申し出を断る手があるだろうか?面白いそうなニオイがプンプンするではないか!

 その後、昼食をごちそうになり、村の新聞社に行って取材を受けたりしたが、オフィスに戻ってもエルゲミウスは仕事をする気配をいっこうに見せず、クラブ員と電話をしたり写真の整理を していた。工場ではあいかわらず整備士たちが忙しそうに働いていた・・・。

 夕方になって、トラ模様にペイントしたドハデなハイラックスでパネヴェリスに向かう。しかし、この車などまだ可愛い方だったのだ。
 途中で待ち合わせた彼の友達(当然クラブのメンバー)の車は・・・なんじゃこりゃ!開いた口が塞がらない!3台のジープを組み合わせて作ったという超特大、超ハイアップのジープ。トラクターのタイヤを履かせ、ロシア製の8気筒トラックエンジンで振りまわす。運転席に座ると、まるでトレーラーに乗っているような視線の高さだ。

 この特大ジープの助手席に乗せてもらってパネヴェリスの街に入ったが、とても気分がいい。道ゆく人、みんな首がねじ切れるまで振りかえるし、子どもたちは手を振りながら追ってくる。スピードこそトラクターといい勝負だが、爆音を轟かして進むその姿に、道を譲らない車はない。まさに「そこのけそこのけ」、王様気分なのである。

 途中でバイク2台と合流し、そのままクラブのバーに向かうと思いきや、ハイラックスと巨大ジープは川沿いの公園に向かった。そこには人垣が出来ており、テレビカメラと照明が並んでいる。我々はその中に割って入り、テレビ局のスタッフに迎えられた。
 何でも、今から三菱のRV車が当たる抽選会の収録が行われるそうで、エルゲミウスとクラブ「Extremus」は盛り上げ役として呼ばれたそうだ。会場の真ん中には数万通、数十万通の応募手紙が山となっており、司会のお兄さんがその中から当選者1名を選ぶ手順を、クラブのメンバーとコンパニオンのお姉さんたちに説明した。

 そしてスポンサー提供のビールが振る舞われるなか、収録開始。クラブのメンバーとコンパニオンのお姉さんたちが選んだ手紙数通の中から、はえある最終当選者1名が決定!ワー、パチパチ。私はクラブの一員として、ビールを飲みながら画面の隅に映っていた。
 それにしてもコンパニオンのお姉さんたちのキレーなこと。リトアニアは一般のお姉さんたちもメチャクチャにスタイルが良くて可愛いが、中でもプロは特別である。こんな娘たちと一緒に飲めたらいいな・・・。

 はかないと思われた夢は30分後、現実のものに。
 収録が終わったあと、打ち上げがクラブのバーで行われたのだ。クラブと同じ名前のバー「Extremus」は、バイクや車の部品を内装に使った凝ったつくり。ガソリンスタンドの給油機が置いてあり、ノズルからは生ビールが出る仕組みになっているのだ。

  エルゲミウスが「適当にそこらへんに座って」と指差して先は、おお!あのコンパニオンたちの隣でないか。緊張しながら「英語話せる?」と聞くと、全員英語ペラペラ、しかも4人のうち2人はモデルとして東京に来たことがあるという。お高くとまることもなく、みんなフレンドリーで、さっそく エルゲミウスにカメラを預けて記念撮影をした。
  いやー、絶世の美女に囲まれながらタダ酒(打ち上げもスポンサー持ち)、たまりませんな!笑いが止まらん!ガハハハ!!こんな思い、日本の飲み屋でしようと思ったら一体いくらかかるだろう?

 これも全て、今朝、あのホテルでエルゲミウスに会ったからだ。本当に人生、先が見えないなあ・・・。
 しみじみ考えていると、今度はテレビ局のスタッフが話しかけてきて、明日、番組に出演してくれという。ぬおお!モデルたちと盛りあがった次は番組出演!通過するだけと思っていたリトアニア、忘れられない想い出がどんどん出来ていくぞ。

 何時にエルゲミウスの工場に戻ったかわからないが、2人とも飲みすぎと眠気でフラフラだった。しかし工場にはまだ整備士が残っていた。・・・このオヤジ、本当にいつ仕事をするんだ!?


本日の走行距離         6.3キロ(計60298.2キロ)

出費                  1.37lts  ミネラルウェーター
計     1.37lts(約40円
宿泊         エルゲミウスの工場


2001年8月23日(木) 番組生出演!(Live interview on TV)

 テレビ局には午後6時に来るよう言われたので、もう一泊エルゲミウスの工場でお世話になることになった。ただし彼はラトビアの首都リガで行われる車とバイクのイベントに参加するので(つまり、また遊び)、午後から3日間工場を留守にする。
 一緒に昼食を食べたあと、友達の車で工場を後にするエルゲミウスを見送った。ありがとう、あなたのおかげでリトアニアで素晴らしい経験をさせてもらった・・・また会いましょう。

 さて、私は午後3時にパネヴェリスのバー「Extremus」に向かった。私はテレビ局の場所も街のこともよくわからないので、エルゲミウスに代わって昨夜会ったクラブのメンバー、ホンダCBR1000F乗りのダリョスが案内してくれることになったのだ。

 ダリョスは30歳、1000ccのバイクを軽々と扱う長身だ。バーで一服したあと、私のHPを見たいというので、パソコンがあるという彼のオフィスに向かうと・・・パソコンがあるも何も、彼は本職だった。
 ホームページの企画やデザイン、映像のデジタル処理、編集を行うのが彼の仕事。雑居ビルの小さな部屋が彼のオフィスだが、最新のパソコンがあって、アシスタントに若い少年が一人いる。企業のHPやリトアニアで行われたラリーのビデオなど彼の仕事を見せてもらったが、どれもセンスがよく、とても一人でコツコツ作ったとは思えなかった。

 彼に私のHPを見せてしばらくすると、もうテレビ局に向かう時間になった。ダリョスと2人で街外れにあるテレビ局、その名も「Aukstaitiyos Televiziya」を訪れる。パネヴェリスを中心とした地方のローカル局、スタジオも一つしかない。

 着いてしばらくすると、インタビュアー兼通訳のアグレさんがやってきた。笑顔が眩しいリトアニア美人・・・本当にこの国には美人がゴロゴロしている。
 状況がイマイチ把握できていない私に彼女が説明してくれたが、番組は6時半からの30分番組で、収録ではなく生放送!らしい。前半がニュース、後半が誰かのインタビューになるのだが、前半のニュースが少なければ15分でも20分でもインタビューで埋めなければならないのだ。・・・ちょちょいとインタビューに応じるつもりだったが、急に緊張してきた。

 本番開始までの30分で、アグレさんと質問の内容などを打ち合わせる。英語で会話したあと、彼女は視聴者に向かってリトアニア語に訳さなければならないので、思ったよりも多くは話せないとのことだった。

 そして本番開始。同じスタジオの横でアナウンサーのお姉さんがニュースを読み上げ、我々は声を立てないよう、それが終わるのを待つ。数本のニュースとそれに伴うビデオクリップを流し、コマーシャルになった。時刻は6時45分、7時までの15分間を私とアグレさんの会話で埋めなければならない。
 コマーシャルが終り、我々の前に置かれたモニターに彼女の顔がパッと映った。リトアニア語なので何をいっているのかよくわからないが、「え〜皆さんこんばんわ。今夜は遠くヤポンからバイクでやってこられたカズヒロ・アオヤマさんがスタジオにお越しになりました・・・」などという紹介があって、インタビュー開始。打ち合わせたとおり、今までのルートや経験などを説明した。

 インタビューが始まってしばらくすると、モニターに私の旅の写真がパッと映った。いきなりだったのでビックリしたが、これはダリョスの気のきいたアドリブだった。本番中に私のHPから写真をダウンロードし、インタビュー映像に挿入したのだ。さすが本職、やることがニクイ。
 いざ始まってみると時間はアッという間に過ぎ、無事、インタビュー終了。途中、「あ、今、テレビに映っているんだな」と思うとニヤついてしまうほど、余裕もあった。

 番組が終了した後、今度はテレビ局のお偉いさんが地元の新聞に記事を書きたいというので、アグレさんに通訳に入ってもらって20分ほど彼女の質問に答えた。そしてアグレさんも雑誌に記事を書きたいといい、番組でも私のその後を追いたいというので、彼女とメールアドレスを交換した。
 ・・・俺はひょっとして、リトアニアで有名人になるかもしれない。

 スタジオでアグレさんやアナウンサーたちと記念撮影したあと、テレビ局を後にした。バイクで走り出す姿もカメラで撮影された・・・コケなくて良かった。
 帰りにダリョスの家に寄り、奥さんが録画してくれた番組のビデオテープをもらう。さっそく見てみるが・・・きゃー、やっぱり自分の動く映像は恥ずかしい。前歯が一本ないから「TH」の発音もヘンだし・・・しかし、またとないお土産になった。日本で見るにはNTSC方式に変換しないとダメだけど・・・。

 明日の昼、ダリョスのオフィスでインターネットをやらせてもらう約束をして、エルゲミウスの工場に戻った。考えてみればリトアニアの保険は今日で切れる。明日、ダリョスの所に寄った後、ポーランドまで約200キロ走るけど・・・大丈夫だろう。


本日の走行距離       102.7キロ(計60400.9キロ)

出費                     2lts  コーヒー
計     2lts(約60円
宿泊         エルゲミウスの工場