旅の日記

タイ・バンコク編その2(2002年1月23〜25日)

2002年1月23日(水) 解剖学&法医学博物館!(Seeing Anatomical Museum!)

 そろそろバンコクの観光をはじめないと、いつまでたっても他の地方に動けない。今日はワット・プラケオ(タイ王朝の守護寺院)やワット・ポー(寝釈迦寺)を見に行こうと決めていたが、夜型が解消されないまま目が覚めたのは午後1時。
 時間があまりないので、今日はアテネのホステル「アナベル」でずっと一緒だった多田君のおすすめでもあり、また日本人パッカーの間で密かな人気を呼んでいる解剖学博物館と法医学博物館に行ってみることにした。両博物館はバンコクを南北に流れるチャオプラヤー川の対岸にあり、渡し船を使えばすぐの距離なのだ。
 博物館にはシャム双生児から死刑になった犯罪者まで、解剖された人間の遺体が数十体も展示してあるという。暑いときには怖いものを見て涼もうということだ。
 ただし気分が悪くなってはいけないので、腹ごしらえはあっさり味&量控えめの「10バーツラーメン」で済ませておく。

 カオサンロードから10分ほど歩き、茶色く濁ったチャオプラヤー川を船で渡るとそこには近代的なビルが何棟も並んでいる。バンコクでも有数の規模のシリラート病院。解剖学博物館や法医学博物館をはじめ、六つの博物館が研究の一環として病院敷地内に点在している。
 六つの博物館はいずれも「Museum」としか表示されていないので、広い敷地内で目的のものを探すのに手間取った。警備員のおじさんに何度も道を訪ねて、ようやく古い病棟の3階にある解剖博物館にたどり着く。

 さ〜て観光!観光!と、軽い足取りで入っていくが・・・いきなり足が止まる。ホルマリンで満たされた瓶がズラリと並んでいるが、入っているのは死産、あるいは生まれて間もなく死んでしまった幼児たちの遺体だ。中にはかなり育ったものもあり、水頭症だろうか、頭が肥大した少年の遺体もあった。
 少し離れたところにはシャム双生児(体がくっついて生まれてしまった、あるいは死産してしまった奇形の双子)のコーナーもあった。内臓を共有している双子、頭が繋がった双子、手足の数が少なかったり、あるいは逆に多い双子・・・ホルマリンに浸かって若干変色しているものの、すべて本物の遺体である。お菓子やおもちゃが捧げられている瓶もあった。
 ヘビーだ。精神的にヘビーだ。これらの写真をパチパチ撮ってホームページに紹介できるほど、僕の神経は図太くない(もともと写真撮影は禁止なのだけど)。エジプトのミイラとは生々しさが全く違い、僕の足取りはどんどん重くなる。

 もちろん大人のコーナーもあった。全身揃った遺体から眼球、内臓など部分だけの標本もあり、中には器用にも全身分の神経や血管、筋肉だけを摘出して入れたガラスケースもあった。
 大人の遺体はまだ子供よりは無念さが感じられなくて気が楽だ、と思った。

 しかし次の法医学博物館では無念たっぷりの大人の遺体、あるいはその写真がたくさん待っていた。「法医学」の名のとおり、ここで扱うのは殺害された、あるいは死因が不明な遺体だ。
 銃で打ちぬかれた男性の頭部がまっぷたつに切られてホルマリン漬けになっている。断面をみると、眉間から後頭部にかけて銃弾が貫いた跡がはっきりと見える。
 博物館の中心には5人の幼児を殺害してその内臓を食べたという、死刑囚「シーウィー」の遺体が主のように立っている。その脇を固めるのは婦女を暴行、殺害した死刑囚の遺体2体。殺害に使用された凶器も証拠として展示されており、ナイフ、刀、ナタ、銃弾、手榴弾、ドライバーなんてものもある。
 しかし最もショッキングだったのは遺体の写真だ。おそらく発見された時に撮られたものだろう。血や表情が生々しくて無念さを語っている。殺人事件の遺体といっても、TVドラマのように穏やかに殺されたものではない。手榴弾で上半身を吹っ飛ばされたものや目を見開いた血まみれのもの、元の顔が想像できないほどパンパンに膨れ上がった溺死体など、凄惨をきわめるものばかりだ。

 ヘビーだ。これもかなりヘビーだ。僕は「牛次郎」号でブラジルを旅しているときに交通事故の現場に遭遇して、ウメさんなんかと運んだあの死体の手応えを思い出してしまった。
 あの時も思ったけど、きっと人間、ひいては全ての動物の生と死というのは紙一重なんだと思う。あのブラジル人女性だって、あの日の朝までは当たり前にように目覚め、朝食を食べ、そして笑っていたんだと思う。それがご主人のわずかなハンドル操作の誤りで、まるでウソのように簡単に死んでしまったのだ。どんなに楽しく生きていようとも、幸せであろうとも、必ず死の影は忍び寄る。問題はいつになるか、ということだけだ。
 「シーウィー」の前のベンチに腰掛け、僕はそんなことを考えていた。

 さて、松井史織も精神的ダメージを受けたのだろうか?と思って心配したが、帰りに寄ったエアコンの効いたケンタッキーフライドチキンで、彼女は「おいしいおいしい!」とアイスティーを飲んでいた。そして「こうすると氷が溶けてお茶の量が増えるよね!」と、ストローで氷をガツガツ砕いていた。
 やはりこんなときは女性の方が強いらしい。そういえば、あの博物館も制服姿の女子高生で賑わっていたっけ・・・。
 渡し船に乗ってカオサン側に戻り、夜は宿でゆっくりした。明日こそは寺院を見に行こう。


出費                   125B   宿代
     220B ビタミン剤
     150B Tシャツ
     160B 飲食費
     4B 水上バス
計     659B
(約1990円)
宿泊         Green House


2002年1月24日(木) ド派手なワットを見にいく(Temples of million colors)

 昨夜は久しぶりにまともな時間に眠れ、今日は午前9時に目が覚めた。空も真っ青、今日は一日ワット(寺院)観光をするぞ!
 カオサンロードから南へ歩き、まず目指したのはワット・プラケオ(タイ王朝の守護寺院)。15分ほどの距離だが、近づくにつれて「ワット・プラケオは閉まっているよ」というウソつきが何人も話しかけてきてうっとうしい。彼らは親切を装って話しかけ、「その代りに私がバンコクを案内しましょう」といって高額なツアー会社、または土産物屋に連れこもうとする輩だ。相手にするとバカを見るので、親の仇を見るような目で睨んで追い払う。

 そして到着するが、さっきのウソつきどもを引きずってきて「これでも閉まってるというのか!」といいたいほど入場口は賑わっていた。団体客が多いが、大半は中国や台湾、韓国などからのアジア勢。タイ人の修学旅行生も何組かいた。
 一人200バーツ(600円)という、タイにしては大金を払って入場すると、まずは寺院のまぶしさに目がくらむ。ところどころに金箔が貼られ、そうでないところも赤や青、緑の塗料が惜しみなく塗られている。タイの寺院の特徴の一つに天を刺すような尖塔があるが、ワット・プラケオには某ビール会社の社屋を思い出させる黄金の塔があった。くすんだ色のカイロから来た身には痛いほどまぶしい。

 ギリシャからエジプトに飛んだときにも「違う世界にきたなあ」と思ったが、タイもやはりヨーロッパやエジプトと全く違う世界だ。獅子の置物なんかあったりして、むしろ思い出すのは沖縄の首里城。僕はよく知らないのだけど、きっと琉球王国とインドシナの国々は文化の交流があったんだと思う。そう遠くないし。

 内部も観光客で溢れていた。カメラを構えれば誰かがファインダー内に入ってくるし、うかうか歩いていると誰かの撮影を邪魔してしまう。それにしても世間の人ってのは何で写真を撮るのがあんなに遅いんだ?僕はせっかちだから、撮りたいと思ったら数秒のうちにカメラのふたを開けてシャッターをきってしまうのだ。
 本堂には緑色のヒスイでできた高さ66センチ、幅50センチの仏像が納められていた。材料が材料なだけにこの寺院の規模にしては小さいが、この仏像こそがタイ仏教のご本尊らしい。本堂に入る前に水で身を清め、うやうやしく拝む信者の姿も多かった。

 小さいご本尊の次は、巨大な仏像を見にワット・ポー(寝釈迦寺)に向かった。10分くらいの距離だが、炎天下のなかを歩くのはやはり辛い。途中、コンビニに寄って缶コーヒーと肉まんの昼食を食べる。こんな組み合わせは何年ぶりだろう?
 
 全長46メートルの黄金の寝釈迦は今日のハイライトだと思っていたが、修復のために鉄骨で組まれた足場に囲まれていた。まともに見えるのは肘のあたりから見上げる顔と足の裏くらい。仏像の大きさギリギリに寺が建てられているので、ちょっと退いて全体像をつかむこともできない。
 足場が無ければ正面からお顔を拝見できるのに、残念。しかし横顔だけでもさすがに迫力はある。足の裏は真っ平らで、呪文のようなものが書かれていた。お釈迦様はまじめな話、偏平足だったらしい。
 ちなみに寝そべっているというのは悟りの境地にいることを表しているという。日本にも寝釈迦はあるのだろうか?

 ワット・ポーには寝釈迦のほかにも、お堂がいくつもあった。ワット・プラケオに比べてずっと人は少ないし、規模は同じぐらいだし、入場料は10分の1だし、こっちの方がずっと気に入った。
 暑い中を歩くのに疲れたら、涼しいお堂に入ればよい。仏像の前、線香の臭いの中で正座をしていたら、まるでお盆に田舎を訪れたような気分になった。やはり同じアジアなんだなあ。どこか懐かしい感じがするのだ。

 ワット・ポーをひと通り見たら、かなり観光した気分になった。しかしせっかくここまで来ているので、チャオプラヤー川の対岸にあるワット・アルン(暁の寺院)まで足を伸ばす。
 三島由紀夫の小説の舞台にもなったこの寺院は、陶器の破片が埋め込まれた白い尖塔がシンボルだ。ワット・プラケオやワット・ポーに比べると色使いが大人しく、ガウディが建てた家の装飾に感じが似ている。名前の通り、本当は朝日や夕陽のもとで見た方が塔が映えるそうなのだが、青空に伸びた白い塔も悪くはなかった。

 チャオプラヤー川の東岸に戻る船着場に食堂があったので、昼食はそこで鶏肉とにんにくがのった白米を食べた。松井史織は「スキヤキ」というのにチャレンジしたが、それは日本のすきやきとは似ても似つかない唐辛子のスープだった。辛いのが苦手な彼女だが、チゲ鍋を食べていると思えばおいしい、と顔を真っ赤にして食べていた。

 いったん宿に引き上げ、夕食にまた「レックさんラーメン」に 食べに行くが、そこでバンコクに来た日に会ったトモさんとジャスミンさんに再会した。今年のカオサンロードは彼らにとっても疲れるらしく、少し離れた静かな宿に引っ越したというので部屋を見に行った。すると隠れ家のような木造の一軒家で、カオサンのお祭り騒ぎとは別世界の落ち着きようだった。
 ここならバンコクでもゆっくりできそうだ。アユタヤから戻るときにはこの宿に泊まることにしよう。


出費                   125B   宿代
     240B 寺院の入場料(合計)
     4B 水上バス
     174B 飲食費
     35B インターネット
     10B 絵葉書
計     588B
(約1780円)
宿泊         Green House
インターネット    Hello Internet


2002年1月25日(金) タイ式マッサージに挑戦(Thai massage)

 アユタヤには明日移動することにして、今日は一日、宿で日記を打つことにした。アユタヤなんて列車で2時間の距離なのだが、それでも1週間いた場所を引き払うというのは心の準備が必要なのだ。
 昼食に「10バーツラーメン」を食べた帰り、タイ式マッサージに挑戦することになった。宿の近くに日本人の経営するマッサージ屋「チャイディ・マッサージ」があり、せっかくタイに来ているのだから一回くらいはやってみたら?と松井史織に説得されて決心したのだ。

 なんでマッサージに決心が必要なのか?それは僕がくすぐったがり屋だからである。
 中学生のころの記憶が蘇る。高校受験が終わってあとは卒業式を待つだけの僕たち、その日の「授業」も絨毯敷きの視聴覚室で映画鑑賞だった。たしか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だったと思う。みんな上履きを脱いで床に寝転びながら、「ビフ」がマイケル・J・フォックスの頭を叩いて「ハロー?誰かここにいるのか?」とかいうシーンを見ていたのだ。
 そのとき、まだ純朴な青山少年は背後に迫る影に気付かなかった。「今だ!」「やっちまえ!」冷酷な声に我に返るも、時すでに遅し。僕はマエダハルオ、ヤシマエイスケ、イワミヤスシなどの極悪集団に捕まり、映画に飽きた彼らのくすぐりの標的にされたのだ。
  「ワハハ・・・やめろお前ら・・・ヒャハハ・・・」顔は笑っているが、必死の懇願である。しかし彼らがやめるはずもない。なぜなら僕は「くすぐると稀にみる面白いやつ」としてすでに知られており、僕が暴れたり、のたうち回ることが彼らの退屈をしのぐのだ。(みなさん知っています?中世の拷問にも「くすぐり」ってちゃんとあるんですよ。それぐらい苦しいのだから)
 彼らの手がようやく止まったのは、視聴覚室に「バキン」という音が響いた時だった。僕があまりに暴れたため、横で寝ていたキムラの眼鏡を腕で叩き割ってしまったのだ。

 なぜかいつも背中にハエが止まっていて、そして教室の床を磨くことに異常な執念を燃やす担任のオオシオは「青山を含む当事者全員で弁償するように」との判決を下し、一人3000円という当時としては大金の支払いが課せられた。僕は何も悪くないのに・・・。
 しかし極悪集団はその後もいっこうに反省せず、高校に入っても大学生になっても、はたまた社会人になっても事あるごとに僕をくすぐりの刑の処すのだ。僕はその度に暴れ、何かを破壊したり、人を傷つけたりする。(こんなことを書くと、日本に帰ったときにくすぐりが待っているような気もするが)

 だから僕はくすぐったいことを極力さけてきた。床屋に行っても顔を剃るのは断っていたし(首なんかとてもくすぐったいじゃない!)、聴診器を胸に当てられるのも嫌なんだから、マッサージなんて受けたことがあるはずもない。
 そんな僕だから、タイ式マッサージに挑戦というのはかなりの覚悟なのだ。

 とりあえずはお試しということで30分、80バーツの「タイ式マッサージ・コース」をお願いする。
 「チャイディ・マッサージ」のいいところはクーラーが効いていることだ。午後1時、暑い盛りに店内は賑わっており、僕は一番奥のマットに案内された。
 若いキレイなお姉さんに「ウツブセ、ナッテクダサイ。痛カッタラ、イッテクダサイ」と説明を受ける。そしていざ、うつぶせになると・・・ うおお!?すごい力で背中が押される。ぐいぐいぐい。彼女のどこにこんな力が、と思って見上げると、いつのまにか馬乗りになっているのはタフそうなタイおばさん。「グフフ・・・安心しな。手加減はしてやるよ」。マウントポジションを取りながら、勝ち誇った彼女と目が合う。

 タイおばさんは指を使い、膝を使い、僕のツボを確実に射抜く。はじめは「痛い!」と声が出そうになるが、ツボにはまっているので気持ちも良い。「イタキモチイイ」のだ。体の触りかたもチョコチョコ、というようなくすぐったい感じではなく、ガッシガッシと要所要所をワシ掴みにする感じだから、僕でも耐えられる。
 微妙な痛みに額に汗を浮かべ、気持ちよさに鼻水を垂らし、僕はクーラーで冷たくなった枕に顔を沈めてウンウンと唸る。タイおばさんは僕の背中に乗って、ぐいぐいと力を込めながら隣のおばさんと話している。きっと「コノ子ハ細イネー」などと言っているのだろう。

 最後に起きあがれ、というのでそうすると、タイおばさんは素早く僕の背後に回った。ゴルゴ13ならきっと反射的に手刀が出ているだろう。しかし僕はそこまで反射神経は良くなく、あえなく羽交い締めにされる。「なんだなんだ!?カオサン・スープレックスか?」と思っていると彼女は片足を僕の腰に回し、それを軸に私の上半身を大きくひねった。すると「ボキボキボキ !」と僕の背骨は大きな悲鳴を上げた。今度は足を替えて逆に「ボキボキボキ!」。普段姿勢の悪い僕だから、これで背骨がまっすぐになった気がした。

 30分はあっという間に過ぎ、タイおばさんの圧勝で死闘は幕を閉じた。僕は「参りました」と頭を下げて料金を払い、ソファーで体を休めながらサービスのパイナップルとお茶をいただいた。もちろん格闘技でも何でもないが、おばさんの手の平で転がされたような心地よい敗北感があるのだ。
 マッサージ・・・意外といいじゃないか。松井史織が「ほら、気持ち良かったでしょ?」というので、負けず嫌いな僕は「う〜ん、まあまあだね」と言っておいたが、密かにまた来る事を決心したのであった。


出費                   125B   宿代
     80B タイ式マッサージ
     7.5B 電話
     120B 飲食費
     30B インターネット
     17.5B クリーニング
計     380B
(約1150円)
宿泊         Green House
インターネット    Hello Internet