そろそろバンコクの観光をはじめないと、いつまでたっても他の地方に動けない。今日はワット・プラケオ(タイ王朝の守護寺院)やワット・ポー(寝釈迦寺)を見に行こうと決めていたが、夜型が解消されないまま目が覚めたのは午後1時。
時間があまりないので、今日はアテネのホステル「アナベル」でずっと一緒だった多田君のおすすめでもあり、また日本人パッカーの間で密かな人気を呼んでいる解剖学博物館と法医学博物館に行ってみることにした。両博物館はバンコクを南北に流れるチャオプラヤー川の対岸にあり、渡し船を使えばすぐの距離なのだ。
博物館にはシャム双生児から死刑になった犯罪者まで、解剖された人間の遺体が数十体も展示してあるという。暑いときには怖いものを見て涼もうということだ。
ただし気分が悪くなってはいけないので、腹ごしらえはあっさり味&量控えめの「10バーツラーメン」で済ませておく。
カオサンロードから10分ほど歩き、茶色く濁ったチャオプラヤー川を船で渡るとそこには近代的なビルが何棟も並んでいる。バンコクでも有数の規模のシリラート病院。解剖学博物館や法医学博物館をはじめ、六つの博物館が研究の一環として病院敷地内に点在している。
六つの博物館はいずれも「Museum」としか表示されていないので、広い敷地内で目的のものを探すのに手間取った。警備員のおじさんに何度も道を訪ねて、ようやく古い病棟の3階にある解剖博物館にたどり着く。
さ〜て観光!観光!と、軽い足取りで入っていくが・・・いきなり足が止まる。ホルマリンで満たされた瓶がズラリと並んでいるが、入っているのは死産、あるいは生まれて間もなく死んでしまった幼児たちの遺体だ。中にはかなり育ったものもあり、水頭症だろうか、頭が肥大した少年の遺体もあった。
少し離れたところにはシャム双生児(体がくっついて生まれてしまった、あるいは死産してしまった奇形の双子)のコーナーもあった。内臓を共有している双子、頭が繋がった双子、手足の数が少なかったり、あるいは逆に多い双子・・・ホルマリンに浸かって若干変色しているものの、すべて本物の遺体である。お菓子やおもちゃが捧げられている瓶もあった。
ヘビーだ。精神的にヘビーだ。これらの写真をパチパチ撮ってホームページに紹介できるほど、僕の神経は図太くない(もともと写真撮影は禁止なのだけど)。エジプトのミイラとは生々しさが全く違い、僕の足取りはどんどん重くなる。
もちろん大人のコーナーもあった。全身揃った遺体から眼球、内臓など部分だけの標本もあり、中には器用にも全身分の神経や血管、筋肉だけを摘出して入れたガラスケースもあった。
大人の遺体はまだ子供よりは無念さが感じられなくて気が楽だ、と思った。
しかし次の法医学博物館では無念たっぷりの大人の遺体、あるいはその写真がたくさん待っていた。「法医学」の名のとおり、ここで扱うのは殺害された、あるいは死因が不明な遺体だ。
銃で打ちぬかれた男性の頭部がまっぷたつに切られてホルマリン漬けになっている。断面をみると、眉間から後頭部にかけて銃弾が貫いた跡がはっきりと見える。
博物館の中心には5人の幼児を殺害してその内臓を食べたという、死刑囚「シーウィー」の遺体が主のように立っている。その脇を固めるのは婦女を暴行、殺害した死刑囚の遺体2体。殺害に使用された凶器も証拠として展示されており、ナイフ、刀、ナタ、銃弾、手榴弾、ドライバーなんてものもある。
しかし最もショッキングだったのは遺体の写真だ。おそらく発見された時に撮られたものだろう。血や表情が生々しくて無念さを語っている。殺人事件の遺体といっても、TVドラマのように穏やかに殺されたものではない。手榴弾で上半身を吹っ飛ばされたものや目を見開いた血まみれのもの、元の顔が想像できないほどパンパンに膨れ上がった溺死体など、凄惨をきわめるものばかりだ。
ヘビーだ。これもかなりヘビーだ。僕は「牛次郎」号でブラジルを旅しているときに交通事故の現場に遭遇して、ウメさんなんかと運んだあの死体の手応えを思い出してしまった。
あの時も思ったけど、きっと人間、ひいては全ての動物の生と死というのは紙一重なんだと思う。あのブラジル人女性だって、あの日の朝までは当たり前にように目覚め、朝食を食べ、そして笑っていたんだと思う。それがご主人のわずかなハンドル操作の誤りで、まるでウソのように簡単に死んでしまったのだ。どんなに楽しく生きていようとも、幸せであろうとも、必ず死の影は忍び寄る。問題はいつになるか、ということだけだ。
「シーウィー」の前のベンチに腰掛け、僕はそんなことを考えていた。
さて、松井史織も精神的ダメージを受けたのだろうか?と思って心配したが、帰りに寄ったエアコンの効いたケンタッキーフライドチキンで、彼女は「おいしいおいしい!」とアイスティーを飲んでいた。そして「こうすると氷が溶けてお茶の量が増えるよね!」と、ストローで氷をガツガツ砕いていた。
やはりこんなときは女性の方が強いらしい。そういえば、あの博物館も制服姿の女子高生で賑わっていたっけ・・・。
渡し船に乗ってカオサン側に戻り、夜は宿でゆっくりした。明日こそは寺院を見に行こう。
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