旅の日記

スペイン・セビージャ編(2001年6月19〜21日)

2001年6月19日(火) イベリア半島に戻る(Back to Spain)

 モロッコ最後の夜はダニにやられた。
 まったく、ゴキブリが出ないと思ったら今度はダニか。全身に赤い跡がつき、強烈にかゆい。とんだお土産である。

 シャウエンを後にして、約1時間半でスペイン領セウタとの国境に着く。モロッコ側の国境は入国側と出国側が壁で隔てられており、今日通る出国側の方が雰囲気が猥雑としていた。
 無料であるはずの出入国カードを売りつけようとするオヤジ、「手続きを代行するから」という自称ガイドがいるのは入国側と同じだが、すごいのはスキあればスペイン側に行こうとたむろしている人の数である。おばちゃん、おじちゃん、若者・・・みんな指をくわえて、富が約束されると信じているゲートの向こう側を見ている。その群衆はときに通過する車の妨げになるほどで、そのたびに警察官が警棒をふりかざして人々を排除する。警察官がアヤしいと判断した者を捕らえ、引きずって行く様子も何回か見た。すごい光景である。
 出国手続きが昼休みにかかってしまい、係官は我々を前に悠々と休憩をとっていたが、中米の国境越えを思い出せばこんなの可愛い方である。前に並んでいた欧米人はかなり頭に来ていたが。
 モロッコを去る時、足元を巨大なゴキブリが通った。やっぱり最後はこいつか。まったく、私のモロッコ滞在はゴキブリに呪われていた。今までの20ヵ月の旅で遭遇した数と質(大きさ)を、この14日間ではるかに上回ってしまったのだから。

 セウタ側はノーチェック。パスポート提示も無かった。ゲートをくぐると、そこはもう整然としたスペインの街並みである。国境ひとつでこんなに雰囲気が変わるのは、なかなか無いぞ。個人的にはアメリカのサンディエゴ〜メキシコのティファナの国境に勝る変化だと思う。

 さあ、フェリーに乗ってスペイン本土へと思ったら、フェリー乗り場の近くに大きなスズキの代理店があった。リアタイヤがあるか聞いてみると、ダンロップのトレールマックスがあるというので交換を依頼する。チリでイギリス人ライダー、クリスに売ってもらったミシュランのT66Xはグリップはともかく、買ったときにすでに使いこんだ中古だったのに約5000キロももってくれた。25ドルでは十分にモトを取ったろう。
 ついでにオイルとオイルフィルターも換え、フェリーに乗る。チケット売り場のお兄さんが私のバイクを小型と中型と間違えてくれ、ちょっとだけ料金をトクした。

 今日も風は強く、船は心配するほど揺れた。トイレに入ったら床に吐しゃ物が広がっていた・・・危うくもらいゲロするところだった。

 無事ジブラルタル海峡を越え、スペイン本土へ。先日泊まったアルヘシラス郊外のユースへ行くが、あいにくと客が多く相部屋。個室でなきゃ、あの高い料金を払う気は無い。さらに進み、イベリア半島のほぼ南の突端に位置するタリファという町のキャンプ場に泊まる事にする。
 この近辺は常に風が強いらしく、風力発電の巨大な風車がズラリと並んでいた。ローターの直径は20メートルはある。それがグルグルとすごい数で回っているのだ。これは何気なく、実はすごい光景。

 風は強いのはキャンプ場も同じだった。風除けの垣根はあるのだが、それでもテントが飛んで行く勢い。夜も風でテントが揺れ、なかなか熟睡できなかった。


本日の走行距離         151.6キロ(計44224.7キロ)

出費                    14DH   朝食(コンチネンタル)
   125DH  ガソリン
   20DH  駐車場
   18600P  リアタイヤ、オイル
   5320P  フェリー
   425P  昼食(ボカティージョ、ビール)
   1000P  テレカ
計       159DH(約1650円
       25345P(1ドル=約180ペセタ、約16900円
宿泊         Camping Rio Jara


2001年6月20日(水) フラメンコに酔う(The cradle of Flamenco)

 モロッコも暑かったが、スペインも相変らずあちい。
 次の目的地はアンダルシア地方最大の都市セビージャだが、それまでの道のり、うだるような暑さである。しかもケチって有料道路を使わずに一般国道を使ったので、余計に時間がかかる。ただし道の両脇は見渡す限りのひまわり畑が続いた。みんな、スペイン南部を走るなら6月がいいぞ!

 カディスという港町のカフェで休憩。この町は海からの風が心地よかった。ここで一泊しても良かったのだけど、もうちょっと走りたくなった。

 さらに150キロほど走ってセビージャの街に入ると、街角の電光気温計は39度と出ていた。・・・どこまで行ったら涼しくなるのかな?
 キャンプ場を教えてもらいにインフォメーションセンターに行くが、あいにくと営業していない。ダメもとで安宿街に行って見ると、意外にもバイクを中庭に置かせてくれる宿が簡単に見つかった。若干割高だが、便利な場所だし大都市では仕方がない。

 暑さでかなりまいっていたのだが、夜はがんばってフラメンコを見に行った。
 セビージャはフラメンコの本場だが、実はあまり期待はしていなかった。というのも、店で行われるショーはあくまでも観光客向け。「ロス・ガジョス」という評判の良い老舗のタブラオだが、毎日2回、決まった時間に行われる決まったショー。おざなりな雰囲気があるのでは、と思っていたのだ。先日コルドバで祭りに遭遇し、そこら中で普通のおばちゃんや女の子が衣装を着て踊っていたのを見て、かなり満足していたのだ。やはり、こういう民族舞踊は生活の中で見ないとダメだろうって。

 ところがプロの技、さすがにかっこいいじゃん。
 まずは最初にギター弾きが3人出てきて一曲披露。そしてそのうちの一人が残り、歌い手が2人出てきて歌い始める。この歌い手の男性の喉が、すごい。マイクも何も使わず、朗々と150席ほどの劇場に響き渡るのだ。厚い胸板に大きな声。なんか、セクシーだなあ。「オス」という価値規準で見ると、俺は完全に負けちゃってるなあ。どっかの鳥みたいに人間の求愛行為も鳴くことだったら、この人たち、えらいモテるんだろうなあ。いや、そうじゃなくてもモテるんだろうなあ・・・などと考えてしまった。
 そしていよいよ踊り子登場。髪を凛々しく後で束ね、あのスソのヒラヒラしている衣装を着ている。音楽はギター1本と歌、手拍子と木製のカスタネットのみ。それらの繰り出す激しいリズムとともに、バシバシと踊るのだ。うん、バシバシ。とにかく激しく、熱い。まるで「これが情熱の国スペイン」と誇示しているかのように。
 ところどころでスカートのスソを跳ね上げ、ショールをふり回す。それがリズムにビシッと合って、かっこいい。そして一連の動きが終わると決めのポーズを取って、観客に「どう?」と自信たっぷりの視線をよこす。これがまた、かっこいい。

 踊り手は女性ばかりではない。女性の後には男性が登場、よりエネルギッシュである。ただ、スカートのスソやショール、扇子といった小道具が無いのがちと淋しい。
 女性3人、男性2人が交互に踊り、最後は全員が登場、一気に舞台はクライマックスの様相を呈す。5人が組んで踊ったり、あるいは次々に中央で出てきて技を競ったりと、踊っている方も楽しんでいる様子。決しておざなりな感じは無く、必死な表情さえも見えた。
 一時間半のショーはあっという間に終了。これでワンドリンクつき3400ペセタ(約2300円)は安い!


本日の走行距離         304.6キロ(計44529.3キロ)

出費                    525P   トイレットペーパー、パンなど買物
   1705P  キャンプ場
   6000P  セビージャの宿2泊前払い  
   700P  夕食(ハンバーガー、ビール2杯)
   3400P  フラメンコ
計       12330P(約8220円
宿泊         Hostal Orense


2001年6月21日(木) セビージャ観光(Town of Sevilla)

 今日はセビージャの街を観光した。
 まずは、ギネスブックに世界最大と認定されたカテドラルへ。学生証の提示で入場料700ペセタが200に。やった!
 なるほど、中はデカイ。巨大な柱が立ち並び、天井ははるか上にある。金箔の祭壇も今まで見た中で一番大きいし、パイプオルガンも巨大だ。

 カテドラルの中は団体観光客で一杯で、日本人の団体も数組いる。アンダルシアの他の都市ではあまりいなかったのに、なぜだかここは邦人率が高い。しかし、私はここで日本人団体客を見なおしてしまった。「フラッシュ撮影禁止」と各所にデカデカと掲示されているのに、欧米の観光客たちはパシパシ光らせまくっていた。光らせてもほとんど意味がないのに・・・。一番マナーが良かったのが日本人で、フラッシュを光らせる事もなく、大人しく観光していた。いいぞ!ニッポン!

 この地もかつてイスラム国家に支配されていた歴史があり、このカテドラルも当時のモスクの跡に建てられた。カテドラルにある「ヒラルダの塔」というのもイスラム時代に建てられたもので、階段ではなくらせん状のスロープを延々と登って行くと、セビージャの街を見渡せる高さ70mの展望台に出る。そこには大きな鐘がいくつも吊るされていて、ちょうどそれが大音量で鳴るところだった。

 カテドラルの次は隣にあるアルカサバへ。ここは学生証の提示で入場料700ペセタが無料になった!
 さすがにイスラム時代の王城。贅を尽くした造りで、モロッコ帰りでも満足する美しさであある。白を基調とする清潔感あふれる内装で、グラナダのアルハンブラ宮殿の赤と並び称されるのだという。
 やはり人間業とは思えない緻密な彫刻が随所に施されていて、この地がイスラム王朝の支配下にあったことをしっかりと確認させてくれる。しかし、これら建物を建てたのは今のモロッコ人の祖先なんだよなあ・・・。彼らを見ていると、とてもこんな根気があるとは思えないのだが。

 帰りに郵便局に寄り、モロッコの砂漠で買ったあの絨毯を送る箱を買う。
 モロッコのロードマップやガイドブックも一緒に入れたら、約2キロになった。日本まで船便で3450ペセタ、航空便だとさらに2800上乗せだという。3ヵ月もかかるというが、ケチって船便にする。その間に絨毯に折り目がつかなければいいが・・・。

 その後はインターネットをやったり、ビールを飲んで昼寝するなどゆっくりとした。いい身分だが、スペインに戻ると外食費が高くてなかなか良いものが食べられない。今日はスーパーでキャビアとパンを買ってきて、キャビアサンド。え?十分いいもの食ってるって?


本日の走行距離             0キロ(計44529.3キロ)

出費                    200P   カテドラル入場料
   200P  小包用箱
   3450P  小包郵送料 
   565P  昼食(ハンバーガー、ビール)
   550P  インターネット
   200P  缶ビール2本
   585P  パンやキャビア、野菜など
計       5750P(約3840円
宿泊         Hostal Orense インターネット  First Center