旅の日記

スペイン・コルドバ編(2001年5月22〜25日)

2001年5月22日(火) 欧州ツーリングスタート!(Back on the road again)

 朝一番でイベリア航空の倉庫に行き、バイクを引き取る。今日はこのままマドリッドを出るのだ。忙しい。

 一日分の保税倉庫代を追加で払い、待つ事約10分。小型のフォークリフトに運ばれて、木枠に入ったわがDRがやってきた!
  チリではそのまま渡したので、梱包を見るのはこれが初めてだったが、笑えるほどのテキトーさだ。普通、航空貨物の料金は体積と重さを組み合わせた立方キロという単位で決まる。つまり重さ、体積とも小さければ小さいほど安くなるのだ。だから、バイクを送る際はみんな前輪やハンドルを外したりして、いかにコンパクトにまとめるか工夫するわけだが、今回は純粋に重さ300キロまで固定料金。バックミラーも外さないままのDRが、そのまんま木枠に入っているのだ。おかげで木枠はスッカスカ。一緒に送ってくれたかどうか心配だったサイドケースがその隙間に入っていたが、こちらは何の固定もしなかったらしく、転がり回って傷がついていた。ま、気にしないけど。
 武田さんのハーレーは荷物のほとんどをバイクに載せたまま渡したが、こちらもそのまんま木枠に入ってやってきた。スイスカーゴ、そんなに余裕があるのか?

 隙間から手を伸ばしてDRの工具箱を開け、タイヤレバーを出して木枠を壊しにかかる。あまりに木枠がスッカスカなので、前面だけ板を外したら、後は中に入ってバイクを押して出られた。超ラクチンである。
 あとはバッテリー端子をつなぎ、ごみ箱でひろったポリタンクで運んできたガソリンを入れてエンジンをかけてみる。チョークを引き、エアクリーナーにちょっとガソリンを垂らしたら一発でかかった。面倒だったのが、前後のタイヤの空気が抜かれていた事。ハンドポンプでちょっと入れ、近くのスタンドまで持たせることにした。

 これで引き取り作業は終了。いらなくなった木枠は、どこからともなくやって来た兄ちゃんがフォークリフトに載せて、巨大なゴミ箱に捨ててくれた。
 途中でスタンドに寄り、ガソリンとタイヤに空気を入れる。一番安い95オクタンの無鉛がリッター147ペセタ(約98円)・・・高い。

 マドリッド市街に入ってさんざん迷ったが、無事、宿に到着。チェックアウトタイムが12時なので、それまでに戻って荷物をまとめて出る予定だったのだが、間に合わなかった。一人で宿に泊まるのは高いので、山本さんも今日から郊外のキャンプ場に引っ越す予定だったが、私と武田さんで500ペセタずつ寄付して、もう一泊してもらうことにした。
 宿の前の広場でパッキングをして、最後にバーガーキングでテイクアウトしたハンバーガーを3人で食べる。私と武田さんは一緒に出発するが、たぶん明日からは別行動になるだろう。山本さんのバイクは今さら、ブラジルの税関でモメているらしい。彼はまだしばらくマドリッドに留まる事になるだろう。
 3人で最後の記念撮影をして、いよいよ走りだす。山本さん、お元気で。早くバイクが来るといいね。

 事前によく調べたので、マドリッドを出るのはスムーズだった。そして向かった先は約70キロ南の古都トレド。かつてイスラム教徒にも支配されていたことのある城塞都市だ。
 郊外から、道はよく整備されたアウトピスタ(高速)になった。一般車のペースが速く、時速110キロで走ってもバンバン抜かれる。中南米ではあまり抜かれることが無かったので、ちょっと恐い。

 一時間ほどでトレドに到着。本当に近い。ツアーならマドリッド観光に日帰りで組みこまれるところだ。俺たちもあんなに時間があったんだから、バスで来れば良かった。
 郊外のキャンプ場に入るが、料金が高くて驚く。おまけしてもらっても一人約1100円・・・ユースホステルと変わらないじゃん。ヨーロッパはこんなものなのか。しかし、古城を改造したというトレドのユースは規則がうるさそうなので(間違っても部屋で調理はできないだろう)、キャンプ場に泊まることにした。

 テントを設営したあとは、川と城壁に囲まれたトレドの旧市街を散策する。細い路地の入りくんだ、迷路のような街。中世の趣きに満ちていて、ペルーのクスコに似ているところもあるのだが、こっちの方がどこかこざっぱりしている気がする。
 ぐるぐる回っているうちに疲れたので、小さなスーパーで食材を買って帰った。日が長く、おまけにサマータイムなので気付かないのだが、もう夜7時近いのだ。最近のスペインは夜10時にならないと暗くならない。
 シャワーを浴び、武田さんと夕食を作って食べる。最後の晩餐だが、疲れているので早く寝た。何しろ、今日は木枠壊しから観光までしてしまったのだ・・・。  


本日の走行距離         99.2キロ(計39869.2キロ)

出費                  3575P   ガソリン
   1740P  保税倉庫代一日分
   575P  昼食(バーガーキング)
   500P  山本さん宿代寄付
   1680P  キャンプ場
   200P  夕食の食材(米など)
計       8270P(約5510円
宿泊         Camping Circo Romano


2001年5月23日(水) ドン・キホーテになる(Being Don Quixote)

 朝起きると、早起きの武田さんはすでに朝食の「出前一丁」を食べたあとだった。彼は今日、コルドバに行きたいというのでこれから別行動になる。私は途中に寄りたいところがあるのだ。
 私が「出前一丁」を食べ、荷支度を始めるころに武田さんは出発となった。軽く挨拶をして、別れる。メールで連絡もとれるし、狭いヨーロッパを同じ時期に走るのだから、またどこかで会えるだろう。

 キャンプ場を後にして、トレドの街が一望できる高台の上に登った。タホ川がつくった半島状の地形に、城壁に囲まれた密集の古都はある。眺めがよいのでしばらくボーッとしていたが、続々と観光バスがやってくるので立ち去る。

 トレドからは一般道で南東を目指す。アウトピスタも走りやすいが、やはり片側1車線の田舎道の方が風情がある。しかしスペイン人はこんな道でも、平気で時速140キロくらいで飛ばす。
 目指したのはカンポ・デ・クリプターナという風車の村。セルバンテスはこの村を舞台にして、ドン・キホーテが巨人と間違えて風車に突進していくというあのシーンを書いたといわれる。
 途中、コンスエグラという村でも丘の上に風車と古城があった。真っ青な空に花の咲く田園風景。のどかな村には風車と古城・・・最高のツーリング気分である。

 午後2時ごろ、カンポ・デ・クリプターナに到着する。今は使われていない白い風車は村はずれの丘の上に並んでおり、一応の観光名所にもかかわらず、人が少なくていい雰囲気である。
 写真を撮っていると、白いRV車に乗った地元のおじいさんが話しかけてきた。ヒマそうな彼は日本人がここに来ると一緒に写真に写って、後で送ってもらっているのだという。それらの写真をパラパラと見せてくれたのだが、私はある共通点に気がついた。写っているのはおじいさんと、日本人の若い女の子だけなのである。おばさんもいなければ、男もいない。 「チカ(娘)ばっかりじゃないか」というと、彼はニヤッと笑った。じゃあ、俺は写してあげる必要はないわけね。安心して風車とバイクの撮影に戻る。

 風車の一つが観光案内所になっており、ていねいに一番近いキャンプ場を教えてくれた。残念ながらこの村にはないが、ちょっと走ったところに湖のある自然公園があり、そこにキャンプ場があるという。今一度、真っ青な空に映える白い風車群を目に焼き付け、村を出る。

 キャンプ場のあるオサ・デ・モンティエルまでは30分ほどかかった。町外れに自然公園があり、施設の整ったキャンプ場がある。午後5時にはテントを張り、あとはのんびりとした。なぜかイギリス人モーターキャンパーが多いキャンプ場だった。


本日の走行距離        223.3キロ(計40092.5キロ)

出費                  1460P   キャンプ場
計       1460P(約970円
宿泊         Los Bantes Camping


2001年5月24日(木) 祭りに湧くコルドバ(Fiesta in Cordoba)

 コルドバでは今週、フィエスタ(祭り)が行われていると昨日聞いた。嬉しい反面、嫌な予感が。きっと街は観光客で溢れ、宿はいっぱいなのだろう。
 その予感は果たして的中した。朝、キャンプ場で出て快調にアウトピスタを飛ばすと、午後1時にはコルドバ市内に入った。かつて後ウマイヤ朝というイスラム国家の首都で、13世紀にいわゆるレコンキスタによりキリスト教徒の手に落ちた都市だ。モロッコに近づいているからだろうか、アラブ系の観光客が多いのだろうか、道路標識にもアラビア文字の表記が出てきた。

 ロンリープラネットでピックアップした宿に行って見るが、やはり満室。周辺が安宿街になっているが、狭い路地が入り組んでバイクを停めるのにも苦労する。適当な場所にバイクを置いて歩いて回る。
 良さそうな宿は軒並み満室。路上駐車も問題なさそうなのだが、やはりバイクの置ける宿を探すとなると、さらに難しくなる。「パーキング付き」と書いてあっても追加料金を払わなくてはならない宿が多い。そうでなくても一年に1度の「パティオ祭」の真っ只中、宿泊料金もピークなのだ。
 1軒、専用の地下駐車場のある、感じの良いホテルがあった。部屋は清潔、TV、電話、バス付きで4000ペセタ(約2600円)・・・ううむ、ちょっと高い。あきらめる。
 コルトバ市内はジリジリと午後の太陽が照り付け、気温は36度。ゴアジャケットを着て歩きまわった私は、この時点で汗ぐっしょり、疲労度70パーセント。

 宿は無理そうなので、やはりキャンプ場にしよう。キャンプ場の場所を調べに観光案内所に行くが、2ヵ所あるうち、バイクで行きやすい列車駅の構内にある方に行く。すると「祭りの期間中、午後2時で営業終了」との貼り紙が・・・。怒りを通り越して笑いがこみ上げた。祭りってのは一番観光客が集まるんだろう?その時に早じまいしてどうすんのよ!・・・そうか、やはりそれは日本的な考えで、ラテン感覚からすれば自分が祭りに行く事の方が重要なのだろう。疲労度90パーセントにアップ。

 駅にたむろしていたタクシーの運ちゃんたちに市営キャンプ場を教えてもらい、行って見る。意外と街の中心から近い。施設の整ってそうなキャンプ場だったが、受付で次の試練が待っていた。
 一泊2450ペセタ(約1600円)・・・?料金体系を受付の姉ちゃんに聞くと、大人2人+テント+バイクあるいは車一台の基本料金でそうなるという。これは大人一人でも変わらないのだそうだ。ちなみに、テント+大人一人(車両無し)だと1250ペセタ。バイクが一台あるのと無いので、1200ペセタ(約800円)も変わるのだ。なんじゃそりゃ!
 私のすぐ後ろには、ドイツ人の老夫婦がいた。彼らは大きなキャンピングカーなのだが、彼らはキャンピングカーの追加料金200ペセタを払うだけで、2650ペセタで泊まれるという。2人で泊まって、大きな車を停めて、電気を使って、私と200しか変わらないのだ。
 そのドイツ人夫婦も「この料金体系はおかしすぎる、彼はかわいそうだ」と言ってくれた。そして、旦那さんの方が「いい考えがある」と言った時だった。おそらく彼は、私のバイクを彼らの敷地に停めれば(それならバイク一台の追加料金400ペセタで済む)、私はテントと大人一人の基本料金で済むはずだと言いたかったのだろう。しかし、いきなりお姉ちゃんが我々に逆ギレしたのだ。
 「料金がおかしいって言ったって、私が決めたわけじゃないのよ!まったく、何で私ばかりが毎日毎日、言われなきゃならないの? 文句があるならボスに言ってよ!気に入らないなら、出ていけばいいじゃない!」
 典型的なヒステリーである。このお姉ちゃんの前に「いわゆるヒステリーの見本です」と看板を置きたいほどだ。私はもう、相手にしないで立ち去ることにした。ドイツ人夫婦の好意はありがたいが、これで泊まる事になれば屈した気がする。
 「もう、いいから」、お姉ちゃんに言って受付を後にする。その間も、ドイツ人夫婦は「そんな言い方は無いじゃないか。ボスに言えばいいったって、君が言わなきゃ何も変わらないだろう?」とか言ってくれていた。そしてお姉ちゃんは、それに対してもまたギャーギャー言っていた。ありがとう、でも私はこんなクサレキャンプ場は御免こうむります。
 ・・・考えてみれば、このキャンプ場は市営じゃん!じゃあ、さっきのお姉ちゃんは公務員?おいおい、あれが観光客に対するコルドバ市の姿勢か〜い!アドレナリン分泌で、疲労度60パーセントに減少。

 結局、さっきの4000ペセタのホテル「マエストレ」に泊まる事にした。4000って言ったって、さっきのうんこキャンプ場(まだ言うか)と1550しか変わらない。地下駐車場に安全にバイクも停められるし(追加料金はなし)、たまの贅沢、良しとしましょう。
  このホテルだってキャンプ場に行っている間に空室は埋まり、予約がキャンセルになるのをロビーで待たねばならなかった。まったく祭りの時期になんか、来るんじゃなかった。

 しかし、それは疲労から来る一時的な怒りだった。やっぱり祭りの時期に来て良かったのだ!
 ホテルでシャワーを浴び、疲労度を50パーセントほどに落として街に出ると、もう、そこら中で大賑わい。まずはメスキータという、かつては世界最大のイスラム教モスクで、今はキリスト教のカテドラルに改築されたコルドバでも一番の観光名所に行くと、鮮やかな民族衣装を着た女性たちがミサを行っていた。
 そして賛美歌を歌い終えると、楽団の先導により彼女たちの行進が始まった。少女たちのグループ、若い娘たちのグループ、そしてそれ以上のグループ(娘のグループからこのグループに移るとき、いろいろな思いがあるのだろう)に分かれ、それぞれのリーダーが旗を持っている。彼女たちの後ろには、色とりどりの花で飾られた馬車が続いた。

 午後7時すぎだというのに、昼間が暑いからだろうか、祭りはこれからが本番とばかりに街は活気に満ちていた。疲労を忘れて歩きまわる。
 イスラム教徒が支配する前、この街はローマ帝国だった時期もあった。だから街にはローマっぽい部分と、イスラムっぽい部分と、そして中世以後のスペインっぽい部分がある。古い城壁や橋、水車、教会などを見て回る。

 ローマ時代の橋を渡って川の反対に行くと、広場は移動遊園地やサーカスで賑わっていた。地元の女の子たちは、みんな民族衣装のまま乗り物に乗っている。違和感を覚えるが、考えて見れば日本のコギャルが花火大会の帰りに、浴衣のまま遊園地で遊んでいるようなものだ。

 ようやく日が落ち、バールで生ビールとボカディージョの夕食を食べてホテルに戻ると、もう11時近かった。帰り道、ライトアップされたメスキータのミナレット(尖塔)が夜空に輝いていた。
 せっかく部屋に電話があるので、ネット接続を試みる。電話ジャックは日本と同じRJ‐11型だったのだが、念のためモデムチェッカーで調べると電圧オーバーで直接接続は不可。仕方なく久々に音響カプラーなんぞを引っ張り出し、受話器とくっつけてトライするが、i-PassのコルドバAPはネゴシエーションには成功するものの、「IDとパスワードの確認」でハネられてしまう。入力間違いはないのだが・・・?まあ、海外のAPはこんなものだ。また明日の朝、やってみたら繋がるかもしれない。
 日記もたまっているのだが、今日はこれで疲労度100パーセント。おやすみなさ・・・ガーガーギリギリ(もう歯ぎしりしている)。


本日の走行距離        304.7キロ(計40397.2キロ)

出費                  2800P   キャンプ場
   800P  保税倉庫代一日分
   200P  昼食(バーガーキング)
計       3800P(約2530円
宿泊         Hotel Maestre


2001年5月25日(金) メスキータに入る(Entering Mezquita)

 朝9時にフロントに行き、今夜も宿泊可能かを聞く。昨日の話だと、予約状況によっては今朝チェックアウトしなければならない場合もあるということだったが、どうやらその必要は無さそうだ。これでもう1日、コルドバでゆっくりできる。

 朝食をホテルで食べ、メスキータに向かう。昨日は昨日で、無料で入れてセレモニーも見られて良かったが、立ち入りが制限されてよく内部が見られなかった。今日は午後1時半までしかやっていないというので、午前中に行くことにしたのだ。
 メスキータは、もともと8世紀に建設が始まったイスラム教のモスク(寺院)だった。その後3回に渡って大規模な拡張工事がなされ、25000人を収容できる世界最大級のモスクになったが、キリスト教徒の支配に変わってカテドラルへの大改造が行われた。よってメインの祭壇付近は思いっきりカトリック調なのに、かつてイスラム教徒で溢れた大ホールは、赤と白で塗り分けられたアーチが結ぶ無数のイスラム様式の柱が立ち並ぶ。薄暗い館内に浮かぶ柱の光景は、コルドバの名物でもあるのだ。
 数奇な歴史に翻弄された、世にも不思議な建物メスキータ。日本に例えるなら、東大寺のてっぺんに十字架が立って、大仏様の手に聖書が載せられているようなものだ。

 メスキータの入場料は1000ペセタと予想以上に高かったが、次のアルカサル(城塞)が無料だったので助かった。メスキータの西に位置するこの城塞の内部には、アラブ様式の美しい庭園がある。
 ・・・って、午前12時前ですでに蒸発してしまうほど陽射しが強い。のんびりと庭園を散歩している場合ではないので、さっさと木陰を歩いてホテルに帰る。

 快適なホテルに戻ったあとは、ひたすら日記打ち。最近、書くことが多くって困ってしまう・・・。もっと端折ればいいのだが、ついつい書いてしまうのだ。
 午後4時ごろ、ボガディージョを食べに出て、また午後9時ごろにバールに行ってビールとオリーブの実、チョリソをつまんだ。昨日も来たこのバールは、ずっと大音量でスペインの音楽がかかっていて雰囲気がよろしい。うん、スペインのCDが欲しくなってきたぞ。今のところ、かなりビバ!スペインなのだ。


本日の走行距離            0キロ(計40397.2キロ)

出費                   350P   昼食(ボカディージョ)
   1000P  メスキータ入場料
   200P  コーラ
   90P  トマト、りんご
   800P  バール
計       2440P(約1630円
宿泊         Hotel Maestre