旅の日記

モロッコ・エッサウィラ、シャウエン編(2001年6月16〜18日)

2001年6月16日(土) エッサウィラの音楽祭(Music festival in Essaouira)

 さんざん迷ったが、スペインに戻る前にエッサウイラという大西洋沿いの町へ足を伸ばしてみることにした。
 普段から国内外の芸術家が集まり、アーティスティックな雰囲気で「イケてる」町として知られるエッサウィラでは6月14日から4日間にわたり音楽祭が行われており、大変盛りあがっているらしい。マラケシュからは約160キロほど、しかも方角が完全はスペインと逆向きだが、せっかくなので覗いてみることにしたのだ。

 ゴキブリの館を後にして、2時間ほど西に走ると大西洋に出た。さんさんと照り付ける太陽、まぶしいビーチ・・・と思いきや、風が強くて冷たい。Tシャツの上にウンドブレーカー代わりのカッパ1枚では寒いくらいだ。
 エッサウイラの町に入ると、なるほど盛りあがっている。ステージが始まるのは夜かららしいが、町は待ちきれない若者と彼らの車で溢れ、大変な活気と混雑ぶり。これは苦労して安宿を探してもどうせ部屋はないだろう。町の入口にキャンプ場を見つけたので、そこに泊まる事にする。ただしここも風が強く、キャンプ場を囲むコンクリートの塀にへばりつくようにテントを張った。

 さっそく町に出てみる。
 前衛的なギャラリーが建ち並び、芸術化の溜まり場であるという町の雰囲気をかもし出している。そして通りには今風の若者ばかり。きっとモロッコの若者にとって、毎年6月中旬に行われるこの音楽祭は一夏の思い出。フジ・ロックフェスティバルやサザンの茅ヶ崎ライブぐらいの大イベントなのだろう。モロッコ中から若者が集まり、レゲエ調のファッションで町を練り歩く。この国でもボブ・マーレーは信仰を集めているらしい。

 昼食をとった後、祭りの本番まで間があったのでいったんテントに帰って昼寝をする。そして日が落ちる頃、ふたたび町に繰り出した。

 エッサウィラは小さな町だが、旧市街にメインのステージが二つ、そして小さなステージが各所に設けられ、そしてそこら中で自由に演奏しているストリートパフォーマーも入れると、大変な数の演奏が同時進行で行われていることになる。
 音楽のジャンルは民族系が中心。たまにジャス・テイストのものもあるが、いずれにしてもレベルは高く、夕陽に染まる港町に小気味良い太鼓のリズムがこだまする。顔をベールに包んだイスラムの女性たちも踊っていたりして、ちょっと妙な光景。

 メインのステージの近くには魚介を食べさせる屋台が並んでいた。エッサウィラ近海で捕れる魚は寒流で身がしまり、美味らしいのだ。せっかくなので小エビを皿に山盛り1杯、いわし塩焼き4尾、そして平目の塩焼き1尾の夕食を約800円で食べる。モロッコの食事にしては贅沢だが、日本ではこんな金額で食べられるものじゃない。音楽を聴きながらガツガツ食う。あー、やっぱり来て良かった。
 食後は人々でごった返すムーレイ・ハッサン広場のカフェに入ってミントティーをすする。カフェもたいへんな賑わいで、たまに白人旅行者もいるのだが、やはり多くはモロッコ人。お互い、お前はどこから来たのかとか言って盛りあがっている。やはり観光化された祭りより、こういう地元の人が楽しんでいる祭りの方が活気があって楽しい。

 しばらくステージを楽しんだ後にキャンプ場に帰って寝るが、遠くから聞こえる音楽は止む事がなかった。考えて見れば今日は土曜日、4日間の期間で一番盛りあがる夜だ。


本日の走行距離         190.8キロ(計43395.3キロ)

出費                    30DH   マラケシュの駐車場2日分
   25DH  昼食(ブロシェット=串焼き肉)
   6DH  水
   15DH  ミントティー3杯
   10DH  エッサウィラの駐車場
   70DH  夕食(魚介)
計       156DH(約1610円
宿泊         Camping Sidi Magdoul        


2001年6月17、18日(日、月) シャウエンに大移動(Last days of Morocco)

 音楽祭は17日も続くが、やはりメインは昨夜みたいだった。キャンプ場のみんなも帰り支度を始めている。強い風の中を苦労してテントをたたみ、走り出す。

 さて、どこまで行こうかな。これからスペインに戻る途中にはモロッコ最大の都市カサブランカと首都のラバトがあるが、はっきりいってどっちも興味が湧かない。その国の最大の都市を見ないと、その国のことがよく分からないというのは持論でもあるのだが、そろそろモロッコもお腹いっぱいになってきた。また大都市でウザい連中にからまれながら宿を探すのも面倒だし、もう一気に走れるところまで走ってなるべく早くスペインに帰ってしまおう。

 そう決めればもう走るだけなのだが、海から吹いてくる向かい風が強く、たいへん疲れる。向かい風は燃費も悪くし、わずか330キロでガソリンタンクがリザーブに切り替わった。パタゴニアを北上する際に経験した290キロというのに次ぐ燃費の悪さだ。

 カサブランカの手前で昼食をとり、次のラバトまでを結ぶ高速道路を飛ばす。高速道路はまだ安心して走れるが、大都市周辺の幹線道路の運転マナーがひどすぎる。片側1車線というのはウソで、対向車がいようと構わず追い抜きをかけるものだから、センターラインの上にはもうひとつ双方向の車線があるようなものだ。もうちょっとで正面衝突の危機一髪!というのを何度も見た。
 そしてラバトに差しかかるが、郊外の大通り、信号無視が多すぎる。信号が赤なので停まると、後ろからクラクションを鳴らして数台の車が抜かして行った。俺が間違っているのかと思いきや、ちゃんと停まっている車もいる。・・・おいおい、こんなひどいのはペルーのリマ、しかもスラム以来だぞ。

 その後も給油休憩を挟んで走りつづける。よし、こうなったらモロッコ最初の夜に泊まった、あのシャウエンの町まで行ってやろう。あの宿は快適だったし、町自体も良い所だ。
 夜8時ごろ、真っ暗になる直前にシャウエンに到着。走行距離700キロ弱、しかも後半は峠だったから悪くない数字だ。前に泊まったホテル・サラムを目指すが、途中の道が大工事をしていてたどり着けない。かわりにホテル「ボンサイ」なるところに入ったが、日本とはなんの関係もないらしい。

 18日はもう1日、シェウエンでゆっくりすることにした。モロッコの通貨がちょうど1日分残ったので、無理に手数料を払って小額を両替しても仕方ない。この町はゆっくりできるし、LAN接続OKのインターネット屋も見つかった。メールや日記を打ったり、その合間にカフェに行ってゆっくり食事したりしてモロッコ最後の1日を味わった。
 ちなみにこの日、「舞台劇コルチエコ先生」という舞台台本を書いたが、これはわかる人が見ないと全然わからないので、公開は控える。


2日間の走行距離         677.8キロ(計44073.1キロ)

出費                   350DH   ガソリン
   28DH  エッサウィラのキャンプ場
   140DH  シャウエンの宿2泊
   10DH  インターネット
   28DH  高速道路
   97DH  外食費
計       653DH(約6760円
宿泊         Hotel Bonsai インターネット IRIC Cahouen