旅の日記

チリ・プンタアレーナス編(2001年2月11〜13日)

2001年2月11日(日) 本当の南の果て(The true southern tip)

 ・・・快晴。天候不順の今年のウシュアイアでは得がたい出発日和だ。昨夜のうちに支度は済ませていたので、朝食を食べて20分ほどで出発の準備を終える。田中さんの奥さんがお弁当にと、おにぎりを持たせてくれた。本当に嬉しい。
 そして12日間滞在した上野邸を後にする。みなさま、お世話になりました・・・。

 さて、あとはチリ側のパタゴニアを目指して北上するだけなのだが、実は1ヵ所、寄るところがあった。それは陸路で行ける本当の南の果てだ。
 1月31日に国道3号線の終点まで行って、そこが南の果てかと思っていたら、実は違っていたのだ。ウシュアイアから3号線を東に40キロほど戻ると、右に折れる分岐がある。それはビーグル海峡沿いに南下するダートであり、この終点こそが陸路の本当の南の果だと上野さんに教わったのだ。
 ウシュアイアは陸路で行ける世界最南の都市であるが、ビーグル海峡の対岸にはチリ領のプエルト・ウイリアムスという町がある。ここは飛行機か船でしか行けない町だが、正真証明、世界最南の町なのだ。しかし上記の3号線から伸びるダートロードの果てはそのプエルト・ウイリアムスより南なのだ。どこまで進めるかわからないが、うまくいけば南緯55度線をまたげるらしい。

 というわけで、分岐を 右に折れてやや細いダートを進む。途中にキャンプ場などがあり、道はよく整備されているので荷物満載でも快調に飛ばせた。(それがどんな結果を招くか、想像もせずに)
 青空の下、原生林の中を進む。清流にかかる橋を何本か渡り、遠くには雪山がのぞめた。ここら辺でもやはり風は強く、一定方向から吹きつづけるために木が曲がって生えていた。

 分岐から約100キロ走ったところで、道はある浜に出た。その先も道は続いているのだが、「通行止め」となっている。近くにいた人に聞いて見ると、徒歩でなければ入れないらしい。南緯55度線を越えたかどうか分からないが、とにかく今はここがバイクで行ける南の果てだ。ようやくたどり着いた。
 浜から小さな州がビーグル海峡に突き出していたので、その突端まで歩いて見る。軽いバイクならそこまで走るのだが、わがDRならハマることが目に見えていたのでやめておいた。さっきまで青空が広がっていたのだが、ここらは鉛色の雲が低くたちこめている。本当の南の果てはビーグル水道の冷たい水が黒い石の浜を洗い、嵐のような風が吹き荒れる
荒涼としたところだった。
 ウシュアイアのおみやげに、よく「World's End」あるいは「Fin del Mundo」というロゴが入っていた。「世界の終わり」という意味である。ここに来て、ようやくその実感を持つことができた。

 さて引き返すか、と思ったら、砂丘でハマった。リアタイヤを「サハラ」に換えても、すり減っているためか、やっぱりグリップしない。左にコケ、右に倒れ、四苦八苦しているうちに近くでキャンプしていた家族の子供たちがATV(4輪バイク)でやって来てくれた。空気圧の低い太いタイヤを四つもつけたATVはやはりパワフルだ。ロープでわがDRを引っ張り、簡単に砂から引き上げてくれた。
 丁重に礼を言い、来た道を引き返す。帰りも、快調に飛ばした。(繰り返すが、それがどんな結果を招くか想像もせずに)

 分岐まで戻り、北上する。リオ・グランデの町のスタンドで給油し、田中さんの奥さんのおにぎりを食べる。具は梅干や佃煮だった。アルゼンチンで食べる純和風のおにぎり。めちゃめちゃ美味かった。
 そこからチリ国境までは100キロほど。5回目のチリ入国も簡単に手続きは終わった。できれば今日中にフェゴ島から南米本土に渡りたかったが、ダート走行で思ったよりも時間をくってしまったので、フェリー乗り場の手前、来たときに泊まったセロ・ゴンブレロの町の宿に泊まることにした。明日にはパイネ国立公園の基地となるプエルト・ナタレスに着きたい。


本日の走行距離        598キロ(計36870.5キロ

出費                  12.5P   ガソリン
   1P  コーヒー
   4000P  宿代
計        13.5P(約1490
         4000P(1ドル=560チリペソ、約790
宿泊         セロ・ゴンブレロの名も無き宿


2001年2月12日(月) ダブルパンチ!(Double trouble)

 朝、宿を出て40キロほど走ると、マゼラン海峡を渡るフェリーの乗り場に来た。天気は良いが、風が強い。ヘルメットを置いているだけで、勝手に転がっていってしまう。
 フェリーはガラガラだったが、よりによって係員が指定した駐車場所が思いっきり潮のかぶる位置だった。他に空いている場所はいくらでもあるのに・・・。しかし、揺れるフェリーの上では今更動かす事もできず、潮をかぶりながらバイクが倒れないように押さえるしかなかった。

 南米本土に上陸して西へ走り出すと、風はいよいよ強くなった。来るときは追い風となって実感が無かったが、これがみんなのいう「パタゴニアの風」か。たしかにこれはツライわ。
 どれくらい強いかというと、簡単に言えば台風くらい。向かい風ならまだいい。本当につらいのは横からの風で、バイクを思いきり斜めにしないとまっすぐ走ってくれないのだ。そしてその風が突然止んだりすると、これまた恐怖。バイクを傾けているものだから、バイクは明後日の方向にいきなり曲がっていってしまうのだ。ヘタをしたら、というより、ヘタをしないまでも簡単に反対車線にはみ出てしまう。これは注意が必要だ。
 そして風は肉体的にもたいへん疲れる。横からの風だと、首をまっすぐに保つだけでもけっこう筋力を使うのだ。そしてダートになると、風で舞いあがった小石やジャリがバシバシと体を撃ちつける。まるで空気銃のマシンガンで撃たれているように痛い。
 いつもは110〜120キロで巡航するのに、今日はギアをトップに入れることもできずに80キロぐらいが関の山。そして給油して300キロも走っていないのに、まさかのエンジンストップ。こんなに早くガソリンが無くなるわけがないので、はじめは別のトラブルかと思ったが、やはりガス欠だった。いつもはリッター20キロ以上は確実に走るのに、今日はリッター16キロ・・・。タンクをリザーブに切り替え、運良く近くにスタンドがあったので慌てて給油した。

 さて、今日の目的地はプエルト・ナタレスだが、その前にちょっとより道してペンギンのコロニーを見ようと思った。プエルト・ナタレスはパイネ国立公園観光の基地となる都市だが、その南約250キロにはプンタ・アレーナスという、もっと大きな都市がある。(名前が似ているので、本当にややこしい)
 ペンギンのコロニーはプンタ・アレーナスへ向かう道の途中にあり、ちょっと遠回りになるが、かわいいペンギンに会いたいので足を伸ばして見ることにする。しかし小さな看板に従ってダートを進むのだが、道はどんどん細くなり、荒れていき、 しまいには砂浜にぶつかって終わってしまったので諦めて引き返す。

 本道に戻ったところでバイクを止めて考えた。予定どおりプエルト・ナタレスに進むか、それともここから近い大きな都市、プンタ・アレーナスに行くか・・・。というのも、リアタイヤがかなり減ってきたのだ。
 サンチャゴで交換してまだ5000キロしか走っていないのだが、ウシュアイアに下るときに舗装路で思いきり飛ばし(オフロードタイヤが最も早く減る走り方)、最近でもダートをバリバリ走っていたので、予想以上に山が無くなってきたのだ。最悪でもサンチャゴまで帰れると思っていたのだが、まさかこんなに早く減るとは・・・。プンタ・アレーナスにタイヤがある保証は無いが、ここまできたらあと40キロ。やはり行ってみることにした。

 予定を変更してプンタ・アレーナスへ向けて走り出すと、ホンダ・アフリカツインを駆るアルゼンチン人、アドリアンと出会った。彼もこれからプンタ・アレーナスへ行くというので、一緒に走ることにする。
 月並みな表現だが、出会いは本当に不思議だ。私がもし予定どおりプエルト・ナタレスに向かっていたら、彼とは道ですれ違い、止まる事もなく、ただ手で挨拶して終わりだったろう。それが一緒に走り、ホテルを探し、同じ部屋に泊まることになったのだ。
 37歳の彼はこれからウシュアイアまで下り、そしてアラスカまで北上するそうだ。とても明るく笑い上戸で、なかなか面白いヤツだ。英語がちょっとだけできるので、スペイン語と英語を交えての会話となった。統計的に見ると、私は30〜40代のバイク乗りのオヤジによくモテる。
 インフォメーションセンターで教えてもらった宿はなかなか良いところだった。若い主人は街の地図をくれ、バイク屋やインターネットカフェ、スーパーの位置をていねいに教えてくれた。
 アドリアンとレストランに行ってビールを飲みながらピザを食べたあと、街を回ってタイヤを探す。しかし、DRに合うサイズのタイヤはやはり無かった・・・。そしてここはチリ南部でも最大の街、ここに無いと言う事は他でも望めないということだ。

 しかもわがDRを良く見ると、右側のフロントフォークのオイルシールがイカれて、オイルが漏れているではないか!四万キロ以上も無交換で、昨日みたいにダートを飛ばした代償か・・・これにはマイった。シールのスペアは持っていないし、タイヤも無いのにこの街で合うシールが手には入るとも思えない。他のを無理やり流用しても一時的にはうまくいくとは思うが、そのうちにまた漏れるだろう。第一、私にはそんなに試行錯誤をしている時間がない。

 タイヤが無いのとフォークオイル漏れのダブルパンチ!
 これで、ある決心がついた。本当はこの後、パイネ国立公園を見て、アルゼンチンに再度入国し、カラファテで氷河、バルデス半島でシャチを見て、ブエノス・アイレスまで北上してからサンチャゴに戻ろうと考えていたが、陸路でアルゼンチンを北上するのはもう無理だ。プエルト・ナタレスから約2000キロ北のプエルト・モンまでフェリーが出ているので、パイネ国立公園とカラファテの氷河を見た後、それに乗って帰ろう。 プエルト・モンからサンチャゴまでは1000キロ。それくらいならタイヤも持つし、完全な舗装路だからフォークへの負担も少なくて済む。
 ブエノス・アイレスやバルデス半島などは、今後の人生のためにとっておこう・・・。それより、このトラブルによって出会ったアドリアンとの時間や、乗る予定の無かったフェリーでの船旅を楽しむとしよう。


本日の走行距離      278.1キロ(計37148.6キロ

出費                  9100P   ガソリン
   1800P  昼食(ピザ)
   1500P  インターネット
   1150P  夕食の買物、ビール
計        13550P(約2660
宿泊         Hospedaje Independencia
インターネット SKY Internet


2001年2月13日(火) フェリーを予約する(Making a reservation on the ferry)

 今日は、さっそくフェリーの予約をしに船会社のオフィスに赴いた。
 会社の名前はNavimag。パタゴニア、特にチリ方面の観光地ではよく宣伝を出しているので、目にする機会の多い名前だ。プエルト・ナタレスからプエルト・モンまで3泊4日、2000キロ弱の船旅。何人部屋か分からないが、一番安い大部屋で一人200ドル、バイクは追加で44ドル取られる。まあ、この間を自走しても何だかんだいって140、150ドルくらいはかかるだろうから、プラス100ドルで楽しむ船旅ということにしておこう。
 さて問題の日程だが、週に1便しかなく(宣伝には2便とあるのに)、2月22日か3月1日ということになった。しばし考え込むが、3月中にはヨーロッパにバイクを送りたい。ちょっと急だが、2月22日発の便にする。あと9日しかないが、その間でがんばってパイネ国立公園やペリト・モレノ氷河を見よう。

 フェリーの予約の後はインターネットをやったり、買物に行ったり。夜はアドリアンと肉を焼いて食べた。彼は本当にいつもニコニコ笑っていて、頭に来たエピソードを話すときも満面の笑みだ。彼の自宅はアルゼンチン北部、残念ながら今回は行けないが、そのうちに訪れてみたい。 


本日の走行距離        1.2キロ(計37149.8キロ

出費                   244$   フェリー
   4426P  夕食、今後の食材の買い出し
   1500P  インターネット
計        5926P(約1170
         244$(約26840
宿泊         Hospedaje Independencia
インターネット SKY Internet