旅の日記

アメリカ・サンフランシスコ〜セコイア編(1999年10月27日〜11月1日)

1999年10月27日(水) サンフランシスコ到着(San Francisco)

 朝起きたら、空は鉛色の低い雲に覆われて今にも雨が降り出しそうだ。久しぶりにカッパを着て出発。実にイエローストーン以来、一ヵ月ぶりのことだ。
 昨日意外と距離をかせいだので、サンフランシスコは目と鼻の先。昼前にはかの有名なゴールデンゲートブリッジが見えてきた。「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一(字がはっきり分からない)ほどではないが、その勇姿は旅情を誘った。刑務所として使われていた、あの有名なアルカトラズ島がすぐそこに浮かんでいた。
 街に入ると、映画で見た通り急な坂ばかり。スキー場ならコブだらけの斜面になるほどの急坂もある。荷物満載で走るのはつらいので、とりあえず予約を入れたユースホステルへ。
 サンフランシスコ市内には二ヵ所ユースがあるが、私たちが泊まるのはフィッシャーマンズワーフに近い方。ダウンタウンにある方は駐車場が無いので。ラッキーなことにプライベートルームに空きがあるというので、二人でダブルの部屋を貸し切る。相部屋のユースだと荷物が多い私たちは管理が大変なのだが、こうなると安心。2時半までは部屋に入れないというのでユースの前にバイクを置き、街へ繰り出す。
 歩いて10分ほどでフィッシャーマンズワーフに。古い波止場にシーフードレストランが建ち並ぶ。ゆでたカニを売っている露店を物欲しそうに見ている久美子を引っ張り、マクドナルドで昼食。明日アルカトラズ島に行きたいので、島行きのフェリーに予約を入れ(非常に人気が高いので、当日乗れる可能性は低いらしい)、名物のケーブルカー(チンチン電車みたいなヤツ)に乗る。片道2ドルと高いが、映画で見たとおりに車両から身を乗り出したら気持ちが良かった。ダウンタウンまでを往復する。
 帰って一服し、今度は夕食を食べにバイクで街へ。ネオン眩しい急坂はまるでジェットコースターみたい。向かった先はアジア圏外では最大という中華街。バンクーバー以来の本格中華が目的です。客が入っている店を選んでサービスセットなるものを頼むと、まずワンタンのスープが出てきた。レンゲですくって飲むと、嗚呼、おいしゅうございます。感動が冷めやまないうちにメインディッシュ登場。焼きそばに肉野菜いため、そしてエビフライ。いや〜、こういう良い意味で脂っこい食べ物に最近飢えていたんですね。舌鼓、16ビートで打ちまくり。
 幸福感に満たされたままユースへ帰り、早めに就寝。明日の予約が無い私たちは、朝6時半からキャンセル待ちに並んでベッドを確保しなくてはならないのだ。

本日の走行距離   82.3キロ(計9218.3キロ)

出費            5.74$ 昼食(マクドナルド)
                 36$ ユース(カード)
                  8$ ケーブルカー
                 21$ アルカトラズ島行きの船
                 15$ 夕食(中華)
               1.09$ 絵ハガキ
計            86.83$

宿泊          San Francisco Internatinal Hostel

「久美子の言わせて!」
うぉー。久しぶりに都会にきた。車や人がたくさんいる。そんなことより私の行きたかったアルカトラズ島がすぐそこに見える。うれしー。早くいきたい。明日のフェリーのチケットを手に入れた(カズに買わせた)から1日待たなきゃだけど…。でも雨降ってるんだよねぇ。明日晴れると良いなあ。雨よ、やめ!



1999年10月28日(木) アルカトラズ島(Alcatraz Island)

 朝6時過ぎに起きて、フロント前のキャンセル待ちの列へ。列と言っても、私の前にお兄さんが一人いるだけだった。7時過ぎまで待たされて受け付け開始。残念ながらプライベートルームは予約でいっぱいだったが、相部屋でベッドは二つ確保できた。今夜もここに泊まれる。
 そのまま朝ごはんを食べ、アルカトラズ島へ。フィッシャーマンズワーフの埠頭から出ている船で10分ほどの距離だ。この島が見たくてサンフランシスコに来た、と言っても過言ではないほど私たちにとってはビッグイベント。クリント・イーストウッド主演の映画「アルカトラズからの脱出」やニコラス・ケイジ、ショーン・コネリーの「ザ・ロック」などでご存知の方も多いと思うが、この島は刑務所として機能していた。サンフランシスコの岸からわずか2キロほどの距離だが、間の海は流れが早いうえに水温が低く、泳いで渡ることは難しい。アル・カポネをはじめとする大物中の大物が収容され、脱獄不可能の刑務所として名を馳せたが、わずか2〜300名の囚人のために刑務所を運営するコストが割高で、1963年に閉鎖したそうだ。
 島に上陸し、まずは15分ほどの映画を見る。島と刑務所の歴史を紹介するものだが、印象深かったのは元囚人の方たちの生の証言。アルカトラズで一番つらかったのは反省房で、看守に背いたり刑務所内で暴力沙汰を起こした者が入れられるのだが、この三畳ほどの大きさの独房は常に真っ暗で、ひどいときは19日間も連続して閉じ込められたらしい。今はすっかり人の良さそうなお年寄りが「いやあ、あの時は参りました」などど証言しているのだ。暗闇の中でやることがないので、ボタンを投げ、それを見つけるゲームをして過ごしたそうな。それよりあんた、何やったんだ。
 映画のあとは実際の刑務所跡を見て回る。鉄格子の扉が開いていて独房の中に入れたりするのが楽しい。「脱獄不可能」とされているが、実は三人、脱獄して行方がわからない囚人がいるという。「アルカトラズからの脱出」のモデルとなった三人組だが、スプーンで地道に壁に穴を開け、レインコートで作ったライフジャケットを着て泳いで脱出したらしい。溺死した、というのが通説だが、死体は発見されていないらしい。愉快なのは自分たちが脱獄したのが朝まで分からないように張りぼての人の頭を作り、まくらの上に置いていたことだ。涙モノの努力、良い方に活かせよ。
 午後2時ごろまで島を見て回り、フィッシャーマンズワーフへ戻る。昼食はまた中華を食べたったのでがんばって中華街まで坂道を上り、昨日と同じ料理屋で焼きそばとチャーハンを食べた。
 今日は朝早く起きたので、腹がふくらんだら眠くなったきた。ユースへ帰ってふたたびチェックインすると、プライベートルームだという。おいおい、予約でいっぱいだったんじゃないの。このユースは若いスタッフが大勢いるが、みんな言うことが少しづつ違う。まあ、おかげで今日もダブルの部屋を貸しきり。しかも昨日より良い部屋だ。窓からは海が見え、がんばればアルカトラズまで見える。言うことなし。
 夕食は費用を浮かすため、近くのスーパーでインスタントラーメンを作って食べた。ここのキッチンは今までのユースの中でも格段に大きくて空いている。居心地の良いところだが、明日と明後日はサンノゼのユースに移る。

本日の走行距離      0キロ(計9218.3キロ)

出費              36$ ユース(カード)
               12.4$ 昼食(中華)
                3.8$ 夕食(スーパー)
計             52.2$

宿泊          San Francisco Internatinal Hostel

「久美子の言わせて!」
エンジェル久美子の願いは通じた。ぴかぴかのすこぶるいい天気になった。11:15アルカトラズ行きフェリーは無事出発。デッキに立って島を眺めながらのんびりしようと思っていたら10分ちょっとで到着。ざーんねん。刑務所(セルハウス)までの急な坂道を上りやっと入口。映画『ザ・ロック』のようにがしーんと牢屋の扉が閉まることはなかったけど、とても面白かった。日本語での説明テープを借りた私は一生懸命カズに説明したが、どうも話しがかみ合わない。なんて相性が悪いんだ。まったく。怒ってデビルと化し、ひとりでテープを聞きつづけ、あらゆる場所をさまよった。なかなかよくできたテープで吹き替えもやっている。声がとっぴょうしもないじじいの声だったり、お色気たっぷりの妹だったり人選ミスはあるがそれもまたおかしい。刑務所内をぐるぐるまわりやっと脱出。私もあんなとこに閉じ込められたらどうやって脱獄しようかと、そればかり考えてしまうだろうと思った。まあ、捕まるようなへまはしないので大丈夫だろう。
中華街でご飯を食べた。フォーチューン・クッキー(中国のクッキー)がもれなくついてきた。日本のかわら煎餅がくるっとまるまって中に紙が入っているようなやつなんだけど、その紙にいろんなことが書いてあって結構おもしろい。1つめはラスベガスでもらいそれには"あなたは何年も居心地のいい、物質的に裕福な生活を送るでしょう"2つめは"あなたは安定した収入について心配することはありません"3つめは"あなたのいちばんたいせつな望みはかなえられます"とさすがエンジェル、金には困らんようだ。全部いい事だらけなのかといったら、そうでもないのだ。カズのはあまりいいことが書いてない。ほんと運のない奴だ。可哀想だったのでコーヒーをごちそうしてやった。



1999年10月29日(金) 山の中のユース(Hostel in the mountains)

 今日はサンノゼへ移動する日。サンフランシスコからわずか5、60キロの距離だ。今夜から2泊、サンノゼのユースに宿泊する。なぜここで2泊するかというと、ハロウィーンをユースで過ごしたい、という久美子のリクエストがあったから。モーテルだと二人きりなので盛り上がらない。若人が集うユースで初めてのハロウイーンを過ごそうというのが目的だ。サンフランシスコのユースでも良かったが、平日でも予約がいっぱいの状況。毎日朝6時に起きてキャンセル待ちするのもつらかった。サンフランシスコのユースをチェックアウト時間ぎりぎりに出て、サンノゼへ向う。
 昼過ぎにサンノゼのダウンタウンに到着。シリコンバレーの一大中心地とあってきっと名高いハイテク企業が軒を連ねていると思いきや、そうでもない。Adobeの大きなビルはあったが、そのほかには確認できなかった。きっと他の場所にあるのだろう。ユースのガイドブックを広げてサンノゼのユースの場所を調べると、なんだ、全然郊外じゃん。サラトガという町にあるらしい。再びハイウェイにのるが、全然道がわからない。腹も減ってきたので道沿いにあったハンバーガー屋へ。幸い中に警察官がいたので、道を聞くことができた。
 ユースは夕方5時からしかチェックインできないというので、サラトガの町の喫茶店でココアなんぞを飲んで時間をつぶす。ようやく5時前になったのでユースへ向うが、道はどんどん町を外れ森の中へ。きついコーナーが続くワインディングとなった。すると道沿いに「Japanese Garden HAKONE−EN(箱根園)」という看板が。確かに道だけは箱根みたいだが。
 この道で本当にいいのか?と思った瞬間ユースの看板が見えた。ワインディングの道を外れ、さらに細い道を看板に従って登る。森はうっそうと茂り、陽もあたらない道の突き当たりにログハウス調のユースはあった。これでサンノゼって、新東京国際空港が成田にあるのと同じ位ムリがある。でも、これはこれで楽しそう。中に入ると、ツルッパゲのマイケルというスタッフが迎えてくれた。
 このユースは昼間は地域の集会場のような役目をしているので、朝9時から夕方5時までは宿泊客は出かけなくてはならない。夜は11時就寝で、酒は禁止。ホントに山小屋って感じで、こりゃハロウィンは期待できない。焼きそばを作って食べたあとマイケルに確認したが、やはり何もしないとのこと。明日ここを出てもうLA方面へ下るか、とも思ったが、マイケルが一生懸命このまわりの地図やガイドブックを探して持ってきてくれた。明日の予約をキャンセルするのが何だか悪いので、やはり明日も泊まることに。でも、ホントに明日、何しよう。サンノゼって、なんかパッと来るものが無いのよねえ。

本日の走行距離     171.6キロ(計9389.9キロ)

出費            5.15$ 昼食(ハンバーガー) 
               8.40$ ガス(カード)
               6.10$ 切手
                4.5$ 喫茶店
                 17$ ユース
              14.73$ 夕食(スーパー、カード)
計            55.88$

宿泊          San Jose International Hostel



1999年10月30日(土) 朝日新聞を読む(Reading Asahi Shimbun)

 朝は7時半きっかりにツルッパゲのマイケルに起こされた。まったく規則正しいユースだこと。でも寝ぼけているヒマは無い。9時までには出て行かなくてはならないのだ。キッチンで手早く朝ごはんを食べ、とりあえずユースを後にする。
 まずはマイケルからもらった周辺の地図を片手に、近くのハイキングトレイルへ。バイクを停めた駐車場から15分ほど歩いて、何とか湖(もはや覚えていない)に着く。地図にはキレイだとか何とか書いてあるが、水はほとんど干上がり、残った水も変なニオイと色をしている。置いてあったピクニックテーブルに座るとハエがたかってきて、気分がとってもブルーになってきた。マイケルには悪いが、やっぱり今日はサンノゼの街で過ごそう。
 サラトガから20分ほど戻り、ふたたびサンノゼへ。駐車場を探してウロウロしていると、オフィスビルの一階に「Asahi Shimbun」の看板が。うおー朝日新聞じゃん、8月いっぱいまでお世話になっていた会社じゃん、と興奮気味にのぞきこむ。土曜日ということもあってオフィスのドアは閉められ、中ではアメリカ人のおばさんが一人、黙々と仕事をしていた。朝日新聞は「アサヒコム」というホームページを開設しているが、その管理はサンノゼで行われている。この事務所はおそらくそのセンターだろう。だとすると、大○さんとか、平○さんとかの事務所はここなワケね。ふ〜ん、なるへそ。中に入っておばさんに訪ねても良かったが、邪魔するのも悪いのでそのまま立ち去る。
 無事無料の駐車場を見つけてバイクを停め、本格的にサンノゼの中心地を歩く。「ハイテク博物館」なるものを見つけて中に入ってみると、オープン一周年記念とかでお偉いさんとかが挨拶している。博物館に入るのは8ドルもかかるというので、土産売り場で時間をつぶす。
 腹が減ってきたので、近くのマクドナルドへ。現在マクドナルドではビッブマックが2個で2ドルという驚異的なキャンペーンを行っており、本来不器用な私はビッグマックは苦手なのだが、がんばって食べる。
 食後は何しよう、と思ったら、近くに図書館があった。中に入ってみると、世界各国の新聞や雑誌が置いてある。そして、嗚呼、朝日新聞が。この朝日新聞は「衛星版」と呼ばれるもので、日本から記事をデータ化して世界6箇所の印刷拠点へ送り、現地で印刷されたものだ。何を隠そう朝日新聞の社員だったころ、この衛星版事業に1年ほど従事していた。読者の立場になって異国の地でその衛星版に出会えるとは、何とも感慨深い。久しぶりに朝日のコラムを読み、質の高い日本語の活字に触れた。いやあ、いいものですなあ。ちなみに久美子は女性誌を持ってきて、覚せい剤で逮捕された歌手の槙原(♂)とその彼氏の記事などを読んでいた。私も読んだが。
 図書館には他にも日本の本が置いてあったが、みんな古いものだった。「地球の歩き方」のアメリカ版が置いてあったが10年前のシロモノで、開くとすえた臭いがした。いつの間にか夕方になっていたのでサラトガの町へ戻り、昨日と同じ喫茶店でココアを飲んでユースに戻る。
 ユースには土曜日とあって、昨日より多くの宿泊客が来ていた。個室は家族連れが優先されるというので、今夜はバラバラに男部屋と女部屋に。野菜炒めの夕食を食べ、やはり11時に規則正しく寝る。明日はツルッパゲのマイケルともお別れだ。
 
本日の走行距離     82.7キロ(計9472.6キロ)

出費            4.50$ 昼食(ハンバーガー) 
               3.50$ 喫茶店
                 17$ ユース
               2.52$ 夕食(スーパー)
計            27.52$

宿泊          San Jose International Hostel



1999年10月31日(日) フレスノへ(Fresno)

 朝、マイケルが起こしに来る時間より前に久美子が男部屋に来て、「カズ!」と私を呼んだ。その切羽詰った声に私ばかりでなく、まわりの人も起きた。「寝坊!」と久美子は騒いでいたが、時計は7時半。昨日で夏時間は終わり、今日から時計は1時間戻る、ということを知らなかったらしい。ということは、久美子は女部屋で6時20分に目覚ましを鳴らし、起きて私を一時間待っていたということか。人騒がせな。
 朝ごはんを食べ、ユースを後にする。今日は移動日。アメリカで最後となる国立公園、セコイア国立公園の手前の町フレスノが今日の目的地だ。ユースを出て、太平洋沿いのサンタクルーズという町までは激しいワインディング。日曜日ということもあって、多くのバイク乗りとすれ違う。皮ツナギとレーサーレプリカの、峠仕様のバイカーも多いが、お願いだからコーナーを攻めながらピースサインはよしてくれ。危ないでしょ。
 途中の町のイタリア料理屋でコーヒー休憩をとり、昼食はまたもマクドナルドで食べた。だって、日曜日はチーズバーガーがわずか39セントなんだもの。今日はハロウィーンということもあって、家族連れが多かった。
 再びフレスノを目指して走りだすと、見覚のある湖が見えてきた。湖というより貯水池なのだが、二年前に新婚旅行でアメリカへ来たときにレンタカーで立ち寄ったところだ。おお、あの時行った公衆便所もそのままだ。
 午後3時ごろにフレスノに到着。ここには安いモーテルが多いので、ガイドで目星をつけていた一軒のモーテルへ。ガイドに載っていたとおりの安い金額で泊まれたが、電話の調子がおかしい。部屋を換えてもらったが、それでもダメだった。仕方なく、今日のネット接続はあきらめる。明日はセコイア国立公園で巨木の森を見る。
 
本日の走行距離     292.3キロ(計9764.9キロ)

出費               5$ コーヒー 
               3.91$ 昼食(マクドナルド)
               7.47$ ガス(カード)
               8.61$ 靴下、シャンプー
              27.94$ モーテル(カード)
               9.10$ 夕食(スーパー)
計            62.03$

宿泊          Rodeway Inns

「久美子の言わせて!」
あーびっくりした。普段目覚し時計で起きない私(贅沢!)は久しぶりにとび起きた。だって9時に部屋を出なきゃ行けないのに8時24分だったんだもん。そりゃ焦るでしょう。まったく。で、慌てて寝袋まとめてカズの部屋へ行って隙間から覗くと、みんな静かに寝ている。これだから男はだめねー。でも他の人を起こすのは申し訳ないと思ったので、とんとんとドアをノックし、ちいさな声で「カズ」と呼びかけたら、一番ドアの近くに寝ていた兄やんが、がばっと勢いよくベッドの上で跳ねたのでこれまた慌てて退散。皆さんに迷惑をかけてほんとにごめんなさい。やっぱり早起きは私にあってない。ねぼすけのままでいいのだ。しぃーしっしっ。



1999年11月1日(月) セコイア国立公園(The biggest tree in the world)


 フレスノのモーテルを後に、セコイア&キングスキャニオン国立公園へ。この二つの公園は隣接しており、主な見物はセコイアという世界最大の木の森。ヨセミテのマリポサ・グローブと同じ種の木だが、こっちの方が大きい木が多い。デカいものフェチの私としては、「世界最大の木」として名高い「シャーマン将軍の木」と出会えることをずっと夢に見ていた。あ〜楽しみ。
 平地のフレスノから一気に山を登り、昼頃公園に到着。まずはキングスキャニオンにある、3番目に大きい木とされる「グラント将軍の木」へ。会社で言えば常務といったところか、いやあ、大きい。すでにヨセミテのグリズリージャイアントより大きい。これはシャーマンに期待できますなあ。
 南に下り、セコイア国立公園のエリアに入ると、「シャーマン将軍の木」はあった。駐車場にバイクを停め、どれがその木かな、と少し森へ入ると、一目でわかる馬鹿デカさ。あまりの分かりやすさに、笑ってしまった。やっぱ、社長は違いますな。ここまで大きいと、もはや神々しいって感じ。高さ84メートル、根元の周囲31メートル、重さは推定で1400トン、樹齢は2300〜2700年だそうだ。一番低い枝までだって40メートルあるし、その枝だって普通の木の大きさ。世界にはもっと高い木や太い木はあるそうだが、体積という面ではこの木が最大らしい。ということは、地球上で最も大きな生命体だそうだ。しかも、今でも成長は続いている。しばし時を忘れ、口を開けて見上げていたら首が痛くなった。
 目的を達したので公園をあとにする。峠道を一気に下り、99号線と合流。ロスはもうすぐそこ。明日には着くだろう。今日はトゥラレという99号線沿いの小さい町で見つけた安いモーテルに宿泊。やった、このモーテルはちゃんと電話が使えるぞ。夕食は近くのスーパーで売っていた味の素のすきやき丼をチンして食べる。久しぶりの白米はおいしいなあ。

本日の走行距離     285.7キロ(計10050.6キロ)

出費           17.28$ 昼食(公園でサンドイッチ、カード) 
              29.70$ モーテル(カード)
              12.17$ 夕食(スーパーですきやき丼)
計            59.15$

宿泊          Village Inn Motel

「久美子の言わせて!」
今日は世界で一番大きい木を見た。確かに大きかった。うおーとは思ったが、カズほどではない。ヤツは「うおー」といってぼかーと口を開けしばらく見とれていた。そのアホヅラの写真を撮っておけば皆様にお見せできたのにと、とても残念です。次回は決定的瞬間を撮ってみせるので乞うご期待。