旅の日記

アメリカ・ソルトレイクシティ編(1999年9月26〜27日)

1999年9月26日(日) タイヤを求めてソルトレイクシティへ(Salt Lake City)

 昨晩に引き続き、朝食もエリックと食べる。夕食はごちそうになったので、今度は私がおごってあげた。朝食後もエリックは「俺はもう少し暖かくなってから出発する」と、いかにも私たちと話したげな雰囲気だったが、今日は急いでタイヤを探さねばならない。エリックと再会の約束をし、モンテペリエの町を後に。
 ソルトレイクシティまでの道はエメラルドブルーに輝く湖をかすめたり、小川の流れる谷を縫ったりと、変化に富んでおもしろい。木々はすっかり紅葉し、目に眩しい。って、のんきに思えないほど、むちゃくちゃ寒い。今までで一番寒い。晴れているのに、南下しているのに、標高も下がっているのに、小雨のイエローストーンより寒い。指先がしびれて痛い。さすがの久美子も眠れないほど寒い。
 こごえながら山を下り、ソルトレイクシティまで100キロ残したあたりからようやく生きた心地がしてきた。シティに近づくとハイウェイは片側3車線の太い道となった。
 途中いくつかバイク屋を見たが、日曜のため営業していない。タイヤ探しは明日まで待つ必要があるようだ。
 午後早くソルトレイクシティに到着。モルモン教の神殿が高くそびえたっており、2002年の冬季オリンピックに備えて町中で工事が行われている。モーテルをいくつかあたるが、どれも相場が高い。YWCAがあったので中に入って尋ねると、どうも話しが通じない。よく聞くと、心に深い傷を負った女性を保護する施設だった。それは失礼しました。
 YWCAでユースの場所を聞き、行ってみると個室でリ−ズナブルなプライス。どうせ明日一日でタイヤ交換は出来ないだろうから、2晩泊まる事に。
 カルガリーでオイル交換をして以来2500キロほど走ったので、ここいらでもう一回と近くのスーパーでオイルを購入。バルボリンのSAEが1リットル150円ですよ。安さに感激。
 オイルフィルターともどもユースの駐車場で交換していると、山口氏がやってきた。こんなにも早く再会できるとは。今後もデスバレーあたりまではルートが一緒なので、何度と無く会える予感。
 ユースには他に日本人が二人いた。一人はニューオリーンズを目指してバスで旅をしているミュージシャンの卵と、もう一人は若干ふくよかな運送会社の社員だ。両方とも男性。
恐ろしいのは、久美子の発言だ。スーパーに行く途中、久美子が「あの小太り、挨拶ねえよ」と言った。私たちが日本語で会話しているのは分かっているのだから、普通は挨拶くらいするだろう、とのこと。見ず知らずの方を「小太り」呼ばわりする上に、挨拶を求めるとは。まさにデビル久美子。
 夕食は相変わらずのチンするディナー。明日は無事タイヤ交換できるだろうか。

本日の走行距離  261.3キロ(計4236.7キロ、オイル交換二回目)

出費          22.12$ 朝食(カード)
              3.92$ ガス(カード)
               4.8$ 昼食(マック)
             78.20$ ユース(2泊分、カード)
             13.62$ オイルやパン、ジュース
              9.57$ 夕食(冷凍食品、ビール、サラダ
計          132.23$

宿泊    Salt Lake City Internatinal Hostel

「久美子の言わせて!」
 
タイヤが減ってきたので交換しようと急いでソルトレイクシティへ向かう途中での事件。
そもそも「タイヤが減るとどうなるの?」という私の質問に奴は「パンクしやすいのとブレーキがききにくくなる事かな」と簡単に答えた。それを聞いて「あぶないじゃないか!」と思った。そして走り出して2時間位経ってちょっとした街に来た。赤信号でブレーキをかけたとき「ふがっ、あー、わー」と奴はまた奇声をあげた。前にはでっかいトラック。
 ブレーキがきかなくてもうだめかと思った、がバイクは普段のように止まった。その奇声は反対側の道に大きいバイク屋があったからだって。あまりにもあほな話しすぎてヘルメットの上から奴のあたまを叩いた。今度からは運転中に変な声は出さないでくれと一喝!
じゃないと恐ろしくて後ろに乗れません。まったく。 



1999年9月27日(月) 「チンシン」タイヤ入手、末日聖徒キリスト教会の神殿へ
                                       (Changing rear tire)  
 朝一番でバイク屋へ電話すると、早くも二軒目で適合するタイヤがあるので見に来いと言う。130/80−17というサイズはあまり無いのでは、と心配していたが、あるでないの、あるでないの。
 街の大通りを南に下ると、大きい「HONDA&SUZUKI」という看板が目に入った。かなり大きなバイク屋、というよりディーラーだ。中にはオン、オフ、ATVが所狭しと展示されている。タイヤを見せてもらうと、台湾の「チンシン」というメーカーのマキシというブロックタイヤだった。タイヤのみで69ドルだという。エイボンやミシュランのタイヤも、注文すればその日のうちに入手できるという。ただし金額をきくと、いずれも140ドル前後だった。どうせメキシコに入る前にロスかサンディエゴで前後とも新しいタイヤに換える予定なので、安価な「チンシン」に挑戦。今まではいていたノーマルのタイヤ(8600キロ使用、スリップサイン出まくりの坊主)より、かなりオフ寄りのパターンだ。重戦車DRのタイヤ交換は骨が折れるので、店でやってもらうことにする。
 無事「チンシン」を身につけ、装い新たとなったDRで午後はソルトレイクシティを総本山とする末日聖徒キリスト教会の大神殿へ。まわりをうろうろしていると、日本人の宣教師の方が話しかけてきて、神殿のまわりを案内してもらった。鹿児島出身の小川さんという女性で、他にも7人日本人の宣教師がいるという。俗に「モルモン教」と呼ばれているが、正式名称は「末日聖徒キリスト教会」なのだそうだ。失礼しました。
 神殿そのものは入れないのだが、まわりの講堂などを案内してもらう。興味深かったのは、なぜソルトレイクシティが総本山なのか、という話。そもそもヤングさんという偉い方が開拓者たちを導き、19世紀前半にニューヨークから延々と歩いてきて、この場所で神殿をつくる、と宣言したそうだ。乾燥した土地、ちかくに大きな塩湖があること、などが聖地エルサレムを彷彿とさせたから、という学説が有力だそうだ。案内してもらっている時に、敷地内で山口氏を目撃。赤い糸の運命を感じる。
 夜はスーパーで売っていたうどんに肉を入れて食べる。ユースのキッチンが混んでいて、鍋が空くのにかなり待った。それにしても、冷えた体に温かいうどんは染みますなあ。
 明日はここを出て、アーチーズ国立公園のゲートシティ、モアブまで走る予定。「チンシン」君、よろしく頼みますよ。タイヤを入手するのにもう少しかかると思って「ソルトレイクシティ編」を立ち上げたが、早くも終了。
 
本日の走行距離  20.6キロ(計4257.3キロ、リアタイヤ交換一回目)

出費          91.89$ リアタイヤ(工賃込み、カード)
              7.43$ 24撮りフィルム4本
             10.56$ 昼食(ファミレス、カード)
              4.78$ 夕食(うどん、肉) 
計          114.66$

宿泊    Salt Lake City Internatinal Hostel