旅の日記(番外編)

韓国・釜山編(2003年3月29〜30日)

「NHK連続テレビ小説」を見てイライラする

 夜行列車が釜山の駅に滑り込んだのは3月29日の午前4時。街はまだ眠りの中で、僕たちは地下鉄が動き始めるまで駅の構内で待たなければならなかった。
 駅のホールにはいろんな人がいた。酔っ払いのオヤジ、白人のバックパッカー、ホームレス。僕たちの座ったベンチの横には、迷彩模様の軍服を着た青年を中心に、家族が集まっていた。おそらく彼はこれから徴兵に取られるのだろう。始発で旅立つ息子を見送りに来た父親の顔は、別れ酒で赤らんでいた。
 韓国には兵役があるから、息子がいる家庭には一度は訪れる試練なわけで、日本人が思うほど特別なことではないのかもしれない。しかし、それでも北朝鮮と韓国は確実に緊張状態にあるわけだから、家族はやはり心配なのだろう・・・。

 3月の遅い朝が訪れると、僕たちは地下鉄で南浦洞(ナンポドン)という怪獣のような名前の駅に行き、インターネットで探しておいた安いホテルにチェックインした。2人で3500円、いわゆるビジネスホテルで、衛星放送でNHKも見られる。
 テレビをつけると、ちょうど連続テレビ小説「まんてん」がやっていた。ソウルの宿でもNHKが見られたので、少しだけ見たことがあるのだが、僕はこのドラマが大嫌いだ。まあ、朝の連ドラなんてみんな同じようなものだと思うけど、内容にまるで現実味のない、すべてがキレイごとのカタマリに感じてしまうのだ。だいたい、あんなに純粋で、瞳だけやたらとキラキラ輝いて夢ばかり見ているヤツが今時いたら、ブキミである。藤井隆もシャツの第一ボタンまできっちり止めて「一緒にかなえようやないか」なんて言っている場合じゃないぞ!
 なんてブーブー文句を言っていたら、結局最後まで見てしまった。恐るべし、怖いもの見たさの法則。これがNHKの作戦かもしれない。
 そういえば、某民放局に勤める友達が言っていた。「テレビドラマってさ、バカっぽいの、あるだろ。あれ作ってるほうもバカなの作ってるなーって、わかってるんだよね。でも、そういうふうに作った方が結局、数字(視聴率)取れたりするんだよな」

 一眠りしてから韓国を代表する漁港、釜山港に行き、「チャガルチ市場」で昼食。世界各地の有名な市場が大体そうであるように、ここでもおばちゃんの客引きは強烈だ。市場にある食堂は観光客相手で値段も高いが、旅も先が見えてくるとついついサイフのヒモが緩む。アワビとサザエ、タコの刺身を肴に、昼間から焼酎の小瓶をいただく。一人2000円ナリ、チーン。
 ういー、酔っ払っちまったーい、と僕たちが良い気分で次に向かったのは、地下鉄「温泉場」駅。そのまんまの名前のとおり、温泉で有名なところで、僕たちは長い旅の垢を落とそうと「東莱ホテル」の大浴場に挑んだのだ。

 韓国の浴場のシステムは、日本の銭湯とほぼ一緒だった。ただ、体を洗うタオルを持ち込むことをしない。従って前を隠すこともない。みんな男らしくブラーン、ブラーンとさせているのだ。
 東莱ホテルの浴場のつくりはまるで日本の健康ランドで、客の顔も同じようなものだから、まるで日本に帰ってきたみたいだ。大小さまざまの浴槽とサウナを楽しみ、外に出ると、ういー、すっかり酔いが覚めちまったーい。

 というわけで市場に逆戻り。今度はカニ、ニーカーだ!と興奮気味に大きな屋内市場の一角にあるカニ屋に突入、中型のカニと焼酎を注文。しかし、かつて日本人と取引をしていたこともあるそうで、カタコトの日本語を話す愛想のいい店主の印象とは対照的に、出されたカニは身が乏しく、味も薄かった。
 うーん、日本で食うカニの方が旨いな・・・と思いつつ、外に出た僕たちに吹きつける3月の夜風は冷たかった。背中を丸め、僕たちはとぼとぼとホテルに帰った。

 翌30日は韓国を後にする日、そして厳密に言えば僕の長かった「海外旅行」が終わる日でもある。
 大阪行きのフェリーは午後4時に出港するが、出国の手続きもあるから早めに港に行かなければならない。本当は早く起きて、最後に釜山を半日観光するつもりだったが、眼が覚めたらすでに午前10時を回っていた。
 ホテルをチェックアウトし、いったん港に行ってフェリーターミナルのコインロッカーに荷物を預けて街に戻ると、もう急ぎ足でお土産を買う時間しか残されていない。スーパーで韓国海苔や朝鮮人参茶など、安いけどかさばる品々を買い込んで戻り、乗船カウンターでフェリーのチケット買うと、バンコク特製の国際学生証が効いて一人88,000ウォン(約8800円)だった。
 このフェリーは、おすすめである。

 一番安いチケットだったので、てっきり日本のフェリーの2等船室のような大部屋を想像していたのだが、実際は4人部屋で、しかも僕たち2人の貸切だった。
 フェリーは去年就航したばかりで新しく、大浴場もサウナつきでピカピカ。乗船前に酔い止めの薬を飲んだのが効果てきめんで、船はそんなに揺れなかったのだが(考えてみれば航海の後半は穏やかな瀬戸内海なのだ)、副作用で眠くて眠くて仕方がない。風呂に入ると、あとの時間はずっと船室のベッドで横になっていた。
 ただ、残念だったのは、フェリー会社のパンフレットによると「見所たっぷり」の瀬戸内海のクルージングを楽しみながら日韓を往復、とあるのに、釜山から大阪に向かう場合も、あるいはその逆も午後4時発の夜行の船旅になるから、景色はほとんど楽しめない。

 3月30日の夜、僕たちの寝ている間にフェリーは日本の領海に入り、瀬戸内海を大阪に向かって静かに東進するのだった。長かった旅の終わりも、すぐそこまで来ている。