旅の日記(番外編)

韓国・ソウル編(2003年3月23〜26日)

「いじくり回された牛肉」とは!?

 タイを後にする日がきた。
 ゆでた鶏がごはんにのった、「カオマンガイ」を食べてから宿をチェックアウトする。フライトは夜なので、それまで土産物を物色するが、みるみるうちに暗雲が空を覆い、やがて叩きつけるような雨が降り出した。あまりに強いので、逆にすぐ止むものと思っていたのだが、豪雨は衰えることを知らずにカオサンの裏路地を水浸しにしてしまった。水溜りの中で巨大なゴキブリがのたうち回っていたのが哀れだった。

 結局2時間以上もスコールは続いたが、幸いにも空港に向かう時間ギリギリになって止んでくれた。西の空から射し込む夕日の中、僕たちは土産で膨らんだ大量の荷物を抱えて空港行きのバスに乗った。バス停はカオサンの外れにあるが、そのわずかな距離でも歩くのをためらうほどの雨だったのだ。止まなかったら、土産までずぶ濡れになっていただろう。

 ドン・ムアン国際空港に着いて、やや緊張気味のチェックイン。というのも、僕たちが持っているのはソウル行きの片道航空券。日本人が韓国を訪れる場合、ビザは免除となるが、厳密にいうと帰りの航空券を持っていることが条件となる。僕が航空券を買った旅行代理店のオヤジも、無事にチェックインできるかどうかはカウンターの人間の判断に委ねられるといった。つまりはそのときの運次第。それを覚悟の上なら、ということで購入したのだ。

 しかし、というか、やはりというか、ベトナム航空のカウンターのお姉さんは、僕たちの帰国便の有無よりも自分の化粧のノリが気になっているらしく、何も聞かずにボーディングパスを渡してくれた。何かあれば韓国からフェリーで帰るつもりだと、一生懸命説明するつもりだったのに・・・。
 余ったタイ・バーツで、空港内のバーガーキングで食事をした。そういえばバーキンは日本から撤退したらしい。カオサンにも新しく出店するそうで、タイでは調子よさそうなのだが。

 そして僕たちは午後7時にバンコクを飛び立ち、短いフライトののち、ベトナムのホー・チミン空港に着いた。ここでソウル行きの便にトランジットするのだが、それまで4時間以上もある。ベトナム航空の職員に「トランジット客」というシールを胸に貼られ、空港内で過ごすことになったのだが、彼は僕たちのチケットを見ていぶかしがっていた。片道というのが気になったらしいが、ここまで来たらよほどのことがない限り、問題になることはない。
 問題にするということは、僕たちをタイに戻すか、あるいは日本に強制送還させる、ということになる。それならあえて何も言わず、韓国まで行かせてしまった方が面倒がない。ただし入国時に何かあった場合、乗せてきた航空会社にペナルティが課せられる、というルールがあるのだが。(それが、本来入国審査と何のかかわりも無い航空会社が、自主的にアヤしい乗客のチェックインを拒否する理由だ)

 さて、深夜発のソウル便までずいぶんと時間があるが、ホー・チミン空港内は日本人で溢れていた。壁のモニターを見ると、これから予定されている便のほとんどが日本行きだった。成田、関空、名古屋・・・ベトナムと日本を結ぶ便って、こんなにあるんだなあ。

 免税店や土産物屋も、日本人観光客で大賑わいだった。
 僕たちはのどが渇き、ミネラルウォーターを買おうとしたのだが、小さなペットボトルで1.5ドルもするという。しかも空港内の店員はみな日本語が達者らしく、こっちがせっかくブリテイッシュなイングリッシュで「How much would this water be?」と聞いているのに、「イッテンゴ、ドル!」と、お姉さんは僕の目を見て力強く言った。
 そんな高い水、飲めるか〜!と、一度は店を後にしたのだが、喉が渇いて仕方がない。結局なけなしのドル札を2枚持って水を買ったが、おつりの50セントはベトナムの通貨ドンで帰ってきた。とほほ・・・5000ドン、それが50セント相当らしい。

 ドンなんて、韓国に持っていっても何にもならない。ここで使ってしまおうと、5000ドンで買える物を探すと、ピーナッツの小さな袋が0.5ドルで売っていた。
 お、買えるもの、あるじゃん、と思ってそれをレジに持っていくと、お姉さんはなんと、「コレハ50セント、ドンナラ8000ドンネ!」と言った。
 おおおーーい、5分前、50セント分のおつりって言って、5000ドン渡したのはオメーだろ!それが何で今、8000ドンになるんだよ!なにか、ベトナムってのは5分間で1.6倍もインフレが進むんか!すげーよ、デフレで悩む日本からしたらウラヤマシーよ、ぜひドンで貯金したいところだ。ドンでドンドン利子がつく、ワハハハ、って笑ってる場合じゃねーよ!

 ドルで買う場合とドンで買う場合の、あからさまなレート差に気づかないのか、それとも気にしないのか、まわりの日本人はブランド品や酒、化粧品などを買いまくっている。そのなかで、わずか1.5ドルの水と0.5ドルのピーナッツの袋を持って顔を赤くする日本人が哀れに見えたのか、裏から出てきた上司らしきおばさんは、「イイワヨ、5000ドンデ」と言った。
 かくして僕はピーナッツを5000ドンでゲットした。複雑な気分だった。僕の人生の歴史上、この一件を「3000ドンの攻防」と呼ぶことにしよう・・・。

 そして僕たちはベトナムを後にした。空港内にいた日本人のほとんどは帰国便で消えたため、ソウル行きの機内はガラガラだった。こんなときはエコノミークラスで良かったと思う。僕たちはそれぞれ3人分の座席を占領して、横になって眠った。

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 そして3月24日の朝、ソウル着。
 2001年に新しく出来たインチョン国際空港のあまりのピカピカぶりと、片道航空券での入国に少し緊張する。しかし僕よりちょっと年下の、銀縁メガネに7:3分けのカタブツそうな係官は、僕の「アンニョンハセヨー」を一瞥ではね返した代わりに、何も言わずにパスポートに入国スタンプを押してくれた。
 市内行きのバスに乗るためにターミナルビルを一歩出ると・・・寒い!電光掲示板には「3℃」の表示。早朝の高速道路から見える風景も、曇天の下、禿げ山やからっぽの田んぼが広がる寒々としたものだった。

 乗ったバスを間違え、本当はバス停から目的の宿まで歩いて行けるはずだったのに、地下鉄を乗り継がなくてはならなくなった。
 しかし、ソウルではうかつにガイドブックを広げ、「どこで乗り換えるのかな?」などとやってはいられない。なぜって、人が親切すぎるのである。ガイドブックを片手に駅でキョロキョロしていれば、まず間違いなく誰かが「どうしましたカ?」と、カタコトの日本語で話しかけてくる。困ったときには大いに助かるのだが、ちょっと確認のつもりで見ているときには、なんだかすまなくなってしまうのだ。
 後に登場する韓国在住・「のんべえ宗の」さん曰く、韓国人の日本人に対する親近感、親切度は昨年のワールドカップ共同主催のおかげで高まったという。
 それに比べ、われわれ日本人の韓国人に対する見方は、何か変わったのだろうか・・・?

 空港から電話を入れて韓国名物のオンドル(床暖房)部屋を予約した宿「大元旅館」は、官庁街の一画にあった。二人で25000ウォン(2500円)の割には便がよく、主人はうだつの上がらなそうな風体だったが日本語が話せる上に非常に親切で、釜山からフェリーで帰国するつもりだと告げると、その場で電話をかけて予約を入れてくれた。
 どういう関係かよくわからないが、宿の壁には松尾伴内(あれ?ラッシャー板前だったかな?)と大森うたえもんが宿に訪れたときの写真が飾ってあった。番組の取材というよりは個人的な付き合いみたいだが、いくらガダルカナル・タカやダンカンに差をつけられた感の二人でも、まさか一泊1250円の宿には泊まらないだろう・・・。
 オンドル部屋は洞窟みたいだったが、高い床はポカポカと暖かく、NHKの見られるテレビまであって快適だった。飛行機の中で寝たといってもせいぜい3、4時間なので、近くの食堂であさりうどんを食べてから夕方まで眠った。

 そしてソウルを代表する繁華街、明洞(ミョンドン)に繰り出したのだが・・・ううーん、どこだ、ここ?と言いたくなるくらい、東京の繁華街、特に新宿に似ている。
 韓国の若者は日本の文化に敏感だと聞くが、果たしてそれは本当のようで、CDショップも日本人アーティストのジャケットがズラリと並んでいる。そんなのを見ていると、背後から「お、ウタダじゃん」と、いきなり野太い日本語が聞こえてきたり、すれ違う女の子たちが「やっぱさっきのコスメ見ようよー」などと話している。町並みも、行き交う若者の様子も日本みたいだなあ、と思っていたら実際日本人が多く混じっているのだ。僕たちも含めて。
 カオサンは渋谷化現象が進んでいる、と僕は書いたが、ここ明洞は明らかに新宿のノリである。足りないのはヨドバシカメラくらいのものだ。

 日本人観光客を当てこんでいるのか、それともソウルの若者にもウケがいいのか、日本語で書かれた飲食店の看板もよく目にした。しかしどこか間違っていたり、表現が微妙に合ってなかったりして、ほほえましい。その中でも、僕たちが一番ウケたのは「いじくり回した牛肉」だった。これ、狙って書いたとしたらすごいセンスだと思うんだけど。
 その後も3日間ソウルの繁華街をウロウロしたが、結局これを上回る看板は出てこなかった。「いじくり回した牛肉」は笑わせれくれるけど、食欲はそそらないので、僕たちはキムパプという海苔巻きを食べてから宿に戻った。
 韓国では日本料理も人気で、特に今はトンカツ屋が流行っているらしく、よく「日式」(日本式)と書かれたトンカツ屋を見た。まもなく帰国する僕たちには用は無いのだが。

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 翌3月25日もソウル市内をうろうろ。
 本当は李氏朝鮮時代の王宮を見に行こうとしたのだが、休みだったので仕方なく南大門(ナムデムン)の市場へ。ソウルには買い物のスポットがいくつかあるが、中でも南大門は食料品や日用品を中心とした庶民派の代表格。東京でたとえるならアメ横だ。
 アウトドアショップが数軒並んでいたので入ってみると、カセットコンロ用のブタンガス・ボンベで動くストーブやランタンが安く売っていた。日本のアウトドア界ではいまや珍しくないらしいが、海外でずっとガソリンストーブに頼っていた僕は、「おお、コンビニで売っているあのボンベが使えるのか!」といたく感動し、両方とも買ってしまった。ちなみに二つ買っても5000円以下だった。

 昼食に石焼ビビンバ(正確にはビビムパプという)を食べて、名門ロッテデパートを見学。そして夜、宿の近くの劇場でやっているミュージカル「NANTA!」を見に行った。
 これは97年の初演以来、ロングランを続けている異色のミュージカル。レストランの厨房を舞台に、わずか5人の出演者が台詞を一切口にしない代わりに包丁やフライパン、皿といった調理用具を楽器代わりに使い、その音と体の動きで観客をノセていく、という斬新かつ大胆な作品である。スピードとパワー、躍動感がウリのステージはイギリス公演でも絶賛されたらしい。
 物語はいたってシンプル。新米料理人を迎えた厨房で、果たして限られた時間内に結婚披露宴のための晩餐が用意できるのか、というもの。

 ショービジネスをかじったことのある僕だけど、1997年以来、ずーっと公演していて、しかもコンスタントに客が入っているなんて、えらいことである。僕なんかがやっていた舞台劇はせいぜい40ステージ、動員観客数2万人で、その席を埋めるだけでヒーヒー言っていたのだから。
 たしか日本でも公演されたことがあると思うけど、その時のCMか何かを見た記憶があって、ガイドブックでこのミュージカルのことを読んだときも、「ああ、あれか」と僕の頭にはすでにインプットされていた。
 せっかく近くの劇場でやっているのだから、ということで一番安いチケットを買って見てみることにしたのだ。

 小さい劇場だったが、この夜もほぼ満員だった。その多くが日本人で、うち、制服姿の修学旅行生が半分以上を占めていた。銀縁メガネににきび面、両手をブレザーの上着のポケットに入れているような純朴な高校生たちで、「どこから来たのだろう」と僕たちは興味深々だったが、じゃんけんで負けたチカさんに訪ねさせると「岡山県」とのことだった。
 男子生徒の中に一人だけ女子が紛れていた。そしてどうも、まわりからチヤホヤされている雰囲気だった。きっと最近まで男子校で、生徒数確保のために女子も受け入れるようにしたのだろう、と思って見ていたが、それが「NANTA!」とどういう関係があるのかというと、まったくない。

 さて、観客の熱気と期待と思春期の男子生徒の悶々に満ちた中、ステージにスポットライトが点され、「NANTA!」の幕はあがった。
 なるほど、ノリのいい舞台である。4人の男女扮する料理人が、ところ狭しとステージ上の厨房を駆け回り、韓国の伝統的な太鼓のリズムで鍋やフライパンを叩く。「NANTA!」は漢字で書けば「乱打!」になり、まあ、読んでそのままの雰囲気である。エネルギーに満ちたパフォーマンスの合間に中年の支配人が出てきて、4人にチャチャを入れる、という構成で物語は進んでいく。

 しかし、そんな楽しげなステージの中に、僕とチカさんを嫌悪させるものがあった。それは、本物の食材を使っているということだ。
 たとえば、4人の料理人がキャベツを包丁で刻む。包丁とまな板がぶつかり合い、そこに素晴らしいビートが生まれる。しかしキャベツはどうなるか。まな板からはみ出し、ほとんど床に落ちる。あるいは料理人がふざけて投げ合ったりする。
 今の高校生はどう感じるか分からないが、僕らの世代だと声を大にして言いたい。「食いもんで遊ぶな〜!!」

 頭がカタイと言われればそれまでだけどね、インドやネパールあたりから帰ってくると、どうも異常に見えるんだよね。本物のレストランでも材料が余って処分したり、食べ残しが生じることはあるんだけど、「食べる」ということを前提にして食材に向かうのと、あくまで舞台の小道具、しかも使い捨て、というのは根本的に違う気がするんだよなあ・・・。このステージを自分の子供に見せて、それで真似して家のキャベツで遊んだら、俺は怒っちゃうと思うよ。
 とまあ、チケットのモトは十分に取れるステージだったのだけど、そこだけが引っかかってしまったのだ。

 「やっぱり食物は食べるためにあるのだ!なんか食わせろ!」と、その帰り道、僕たちはサラリーマン風の人たちで賑わっている一軒の食堂に入った。まわりはみんな、お好み焼きのようなものを食べている。チヂミである。
 「NANTA!」のステージに負けないくらいイキのいいお兄さんは僕たちを席に座らせると、やがてカキやサザエがふんだんに入った海鮮チヂミを持ってきてくれた。旨かったのは言うまでもないが、一緒に頼んだ「マッコリ」というお酒が、安い上にまた絶品だった。白濁して酸味の効いた味で、日本で言うところのどぶろくだろう。

 いい感じに酔っ払い、まわりを見回すと、韓国のお父さんたちも同じボトルをテーブルに並べている。ここで、チカさんが大いに酔いを醒ます発言をした。
 「向こうもモッコリやねえ!」・・・いや、マッコリだってば。
 いずれにせよ気に入ったこのマッコリ、僕たちは宿で飲むためにもう一本買って持ち帰ったのだった。

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 3月26日は、問題の北朝鮮をこの目でみてやろうじゃないか!と、「統一展望台」に向かった。
 韓国と北朝鮮の国境というと「板門店」の名をよく聞くが、そこは軍事施設が集中し、その手前の統一展望台の方が庶民の村が見えたりして、生の北朝鮮の姿が見られるという。しかも予約制の高額のツアーに参加しないと行けない板門店に対し、統一展望台は自由に訪れることができる。

 と期待を胸に、ソウルから列車に揺られ、寒風のなか一時間以上もバスを待ち、ようやくたどり着いた展望台だが・・・霧で何も見えないじゃないか!
 目の前を流れる川の対岸がもう北朝鮮だというのだが、その川だってこっち岸がようやく見えるくらいだ。コイン式の望遠鏡を覗き込み、ようやく向こうの土地が見えた!と思ったら、僕が見ていた方角は川の合流地点で、そこの対岸はまだ韓国側だという。

 高台にそびえる展望台の下の方に大きなスピーカーが設置されていて、そこから白い闇に向かって男性の声が大音量で発せられていた。おそらく北朝鮮に対し、「おーい、北のみんな〜、目を覚ませ〜」というようなことを言っているのだろう。しかし当然ながら対岸からの反応はない。霧の中にむなしく声が響いているだけだった。

 仕方なく、展望台のロビーで上映されている「晴れていたらこんなん見えるんでっせ!」というビデオを見て国境の雰囲気を味わったが、それにしても北朝鮮、ソウルから近い。
 韓国の地図を見ると、ソウルがいかに北寄りに位置しているかがよくわかる。国境からの距離はわずかに60キロ。金正日はソウルなんてその気になればすぐに陥落してやる、などと豪語していたらしいが、あながちハッタリに聞こえないほどに近いのだ。ソウルにいると南北問題など忘れてしまうほどに平和で近代的なのだが、朝鮮半島が抱える北朝鮮という爆弾は、そのほんの郊外に迫っているのである。

 今回、韓国を初めて訪れて、僕はその先進国ぶりに驚いた。インドやネパールからタイに行くと、タイも十分先進国だと感じてしまうのだが、そこから韓国に来ると、もうホップ・ステップ・ジャンプという感じで、日本と何も変わらないじゃないか、などと思ってしまう。
 いや、むしろ韓国経済の方が好調で、市民もイキイキとしているように感じられるのだが、しかし彼らにはここまでがんばってきたというのに、将来的に大きくその足を引っ張るかもしれない北朝鮮という存在があるのだ。統一が果たされたとき、北朝鮮が韓国経済に与えるインパクトは、東ドイツが西ドイツに与えたものの比ではないという。
 韓国と北朝鮮の人口比はおおまかに2:1。つまりこのまま統一が果たされれば、韓国人の4人家族の家に北朝鮮の人が2人来て、「あのー、今日からお世話になります・・・」というような感じになってしまう。

 分断された同じ民族の国。「だったら仲良く元に戻ればいいじゃないか」と単純に思うのは、きっと北朝鮮問題の当事者の中では、日本人だけじゃないだろうか。
 以前、韓国人の男の子に「やっぱり統一して欲しいか?」と聞いたことがある。しかし彼の答えは単純じゃなかった。北と南が今の瞬間にエイヤ!と一つになったら大変だから、金正日政権が倒れたのち、国際協力のもとに北朝鮮の国力を回復して、その上で統一を果たして欲しい、というのだ。簡単に言えば、北朝鮮の人に足を引っ張られるのはイヤ、ということである。ただし自分勝手とは言えない。誰だって台所事情はあるのだ。

 ちょっと時空がねじれてしまうが、日本に帰ってきてから「朝まで生テレビ」の、北朝鮮について討論する会を見たのだが、専門家の見識によるとアメリカも中国も腹の底では南北朝鮮統一なんか望んでいない、というのだ。
 中国が望んでいない理由は忘れたが、アメリカに関して言えば韓国内でも反米感情が高まり、これで統一が果たされてしまうと、「用の無くなったアメリカ兵は朝鮮半島から出て行け」ということになってしまう。朝鮮に火種を残したままの方が駐留が続けられ、アメリカの覇権が及ぶのである。つまり北朝鮮を生かさず、殺さず、という方針だというのだ。
 この見識が合っているのかどうかは分からないが、大いにあり得ることである。つまり、平均的日本人が思っているほど韓国の人もアメリカ政府も中国政府も、単純に「ぜひ統一しましょう!」というモードではない、ということだ。

 統一展望台からソウル市内に戻り、賑わう雑踏を歩きながら僕は考えた。「大国の思惑の中で、いつも翻弄されるのは庶民なのだ・・・」
 見上げると、黒豚専門の焼肉屋の看板だった。「おお、旨そう!」・・・その夜は黒豚のサムギョプサル(三枚肉の焼肉)だった。え?もっとまじめに考えろって?