しばらく陸や船の上で過ごし、体内に溜まった窒素が抜けたところで3本目。海洋公園にある「トゥンクー・ノーイ」と「トゥンクー・ヤーイ」のふたご岩がポイント。青い斑点のきれいなエイが見られて満足。
そして夜、怒涛の4本目はトーチ片手のナイト・ダイブ。満月の灯りは水中までそそぎ、手で水をかくたびに夜光虫がキラキラと光る。昼間はなかなか見られないエビやカニに光をあてると、「あっやめろ。まぶしいまぶしい」と、逃げていくのがかわいい。
紫色のイソギンチャクみたいなものがゆらゆらと泳いでいたが、あとで聞くとウミシダという生き物らしい。真っ暗な水中でそんなものをみると、まるで宇宙にいるみたいな気分で、とても同じ星の仲間とは思えない。陸上と水中の世界は、こうもかけ離れているのだ。
考えてみればほんの一週間前、僕たちはヒマラヤ山脈に抱かれた標高3300メートルの村にいた。それが今、南太平洋の海の底にいるんだから、なんて贅沢なのだろう。

さすがに一日4本も潜るとグッタリで、夕食後はトランプ大会を計画していたが、みんな崩れるようにして眠ってしまった。
そして翌朝も6時半起床。船はタオ島の沖に戻っており、大物が見られる定番のポイント「チュンポン・ピナクル」にいた。前日の疲れがまったく取れていなく、そのまま船で寝ていようかとも思ったけど、重い腰を上げて潜ったら大正解。
タオ島周辺は普段それほど透明度はよくないが、この日は30メートル先まで見える絶好のコンディション。しかも早朝なだけに他の船も来ていなく、僕たちだけの貸切状態。バラクーダの群れは洗濯機のようにグルグルと回り、ツバメウオの群れは軽やかに舞い、1メートルを優に超すヤイトハタは岩の上で巨体を休めていた。今までの中で、文句なしのベスト・ダイブだった。
2本目も同じポイントだったが、残念ながらそれまでの間に水は濁ってしまった。朝一番の美しさは、偶然がいくつも重なった幸運の産物であるらしい。
そして昼食を挟み、ミニ・クルーズ最後のダイブは、より島に近い「ホワイト・ロック」にて。ケースケ君が岩場のトリガーフィッシュをからかって遊んでいた。はじめからいると分かっていて、そして行動パターンが分かっていれば、それほど恐れなくてもすむ。
50分ほどたっぷりと潜って、南国のダイビングを締めくくった。本当はクルーズが終わったあとも潜りたかったのだが、耳の調子があまり良くないので大事をとることにしたのだ。
午後に下船。それぞれ用意された宿にチェックインし、一息ついてから「ビッグブルー・チャバ」に再集合。船上や水中で撮ったデジタル写真の上映会が行われ、そのあとは裏にある日本食屋「ひで食堂」で打ち上げが行われた。
今回の参加者の中に、30代半ばのサラリーマンの人がいた。とても酒好きな人で、僕たちは午前1時ごろまで彼にごちそうになってしまった。その人と帰る方向が一緒だったケースケ君によると、彼は酔っ払ってビーチで寝ていた犬に一時間ほど説教をしていたという・・・。
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3月20日は島のコテージで一日ゆっくりと。本当は日記を打つはずだったのに、ダイビングの疲れで集中できない。耳の調子もよくないし、腹も痛い。だるいだるい、ウエー、と、結局一日ゴロゴロとしてしまった。こんなことなら、最初からパソコンなんか開かないで海で遊んでいれば良かった。
翌21日の朝、島を後にしてバンコクに戻る。タオ島からスピードボートに乗って本土に渡り、そこから延々とバスで北上するのだが、隣に座った白人の中年男性が妙に汗臭くて気分が悪くなった。彼が体を動かすたびに、ワキの下のようなニオイがムッとしてくるのだ。我慢に我慢を重ねてようやくバンコクに着くが、バスはカオサンロードまでは行ってくれず、結局おろされたバスターミナルからタクシーを使うことになった。
疲れきってカオサンロードに戻ってきた僕たちは、クロさんと彼女が泊まっていたエアコンつきのホテルにチェックインした。僕たちが普段選ぶような宿の2倍はするが、まっさらな白いシーツにエアコンからの冷たい風。ベッドに寝転ぶと、あまりの気持ち良さに思わずニヤニヤしてしまった。
思えば子供のころ、風呂上りに布団に入ると気持ちよくてニヤニヤしたもんだ。それを感じなくなったのは、いつごろからだろう?
3月22日、タイ最後の日。チカさんは買い物に行ったが、僕はクーラーが効いた部屋で日記打ち。
夕方に多田君と待ち合わせて食事。カオサンにある日本食屋に行ったが、ここの店主の笑顔がいつも気になる。通りでよくビラを配っているのだが、「よろしくお願いします」といって渡すその笑顔は、一見満面なのだが、よく見ると目が笑っていない。頬の筋肉で無理やり笑顔を作っている感じなのだ。
食事をしていても、よく「お味の方はどうですか?」と聞きにくるのだが、そのときも同じ顔だ。僕は彼という人をよく知らないので何とも言えないが、あれはあれで心から笑っているのだろうか?悪い人にはとても見えないんだけどね・・・。
そしてビリヤードをしにいった。
ソイ・カウボーイの入り口にあるプールバーに入り、チカさんと多田君とテーブルが空くのを待っていたのだが、目の前でプレイしていた佐野元春似の日本人は、「この店は勝ち抜き制だから、待っていてもいつまでも空かないよ」と言った。
すなわちビリヤードをしたい人はプレイしている二人の横のホワイトボードに名前を書き、勝ち残った方と次にやる。ゲームは「エイトボール」で、代金は負けた方が支払う。つまり仲間うちだけで可愛くやるのは許されず、実にハスラーチックでハードボイルドなルールなのだ。初心者としては、なかなか緊張してしまうではないか。
佐野元春は、どうみても旅行者には見えない。かといって、駐在員にはもっと見えない。長めの髪に黒いシャツ、そしてワニだかヘビだかのブーツを履いている。僕よりちょっと年上だろうが、彼はまったく表情を変えない。もしかしたらシブく決めているつもりだろうか、左利きでキューを構える姿も真剣そのものだ。そしてカッコつけるだけあって、やはりうまい。
彼は対戦相手の日本人を負かすと、僕たちの方に来て、あいかわらず無表情で「誰か、やる?」と言った。躊躇してしまった僕の代わりに、多田君がひょこっと立ち上がり、適当なキューを見つけてきて試合は始まった。
多田君も下手ではない。だけど、佐野元春と普通にやったら負けるだろう、と僕は思っていた。しかし、無表情でシブく打つ佐野元春のショットは不運にも外れが続き、ビールで気分のよくなった多田君がニャハニャハ笑いながらテキトーに打つと、入ってしまう。そしてまさかの勝利。佐野元春は無表情でタバコに火をつけると、テーブルを去っていった。多田君は「俺、勝っちゃった。ワハワハ」と白い歯を見せて笑っていた。
続いて僕が入り、多田君を負かすと、今度はチカさんの番だった。その後は背の高い白人の男の子が入ってきた。2メートル近くある彼は整った髪に銀縁のメガネをかけていて、日本なら絶対「ハカセ」とあだ名をつけられるタイプだ。まじめそうな人なのだが、動きがコミカルでかわいく、そしてよく笑う。ビリヤードはとても上手で、僕たちは全員負けてしまった。
そんな調子で深夜までビリヤードをして、最後にゴーゴーバーに行ってタイ・ガールを眺めながら3人でビールを飲み、最後の夜を締めくくった。やはりバンコクの夜は熱くいかがわしく、そしてバカ明るくなきゃ。
旅行中、何度となく訪れたタイだったが、今度はいつ来られるのだろうか?