旅の日記(番外編)

インド・エローラ、アジャンター編(2003年2月14〜19日)

遺跡よりも白い虎に感動する

 国際会議が終わってしまえば、僕たちはもう用なしである。バレンタイン・デーの朝、僕たちは名残惜しい五星ホテルの部屋を、なんと7時半に追い出された。チェックアウト・タイムは12時のはずなのに・・・。
 空港に近いホテルからデリーの中心地までタクシーを使うと、けっこう料金がかかる。10時半に市内への送迎バスが出るというので、僕たちはそれをロビーで待つことにした。
 みんなはソファーにもたれて眠っていたが、ホテルの女性マネージャーはそれを見ると、「見苦しいので、寝るのならもっと奥に行ってください」と言った。送迎バスの運転手もぞんざいな態度だった。しかし、今までがおかしかったのだ。僕たちは小汚いバックパッカーに戻ったのである。

 エローラ/アジャンター方面に南下する列車は、夜9時にニューデリー駅を発つ。クロークに荷物を預け、夜になるまで駅前のメイン・バザールで各自、自由行動にした。
 メイン・バザールは安宿や土産物屋の並ぶ、デリーにおけるバックパッカーの溜まり場だ。4日ぶりにインターネットをすると、TIRAKITAのウメさんからメールが入っており、彼が取引をしているメイン・バザールの問屋が音信不通になったので、調査をしてほしいとのことだった。
 時間だけはたっぷりあるので調べてみると、その問屋はすぐに見つかった。ある日突然、政府の命令によって近所一帯の局番が変更になったらしい。可愛そうだなあ、と一瞬思ったが、自分の電話番号が変更になったのを取引先に連絡しないのも、インドらしいといえばインドらしい。

 夕方に集合して、団長と最後の晩餐。彼はメール・マガジンを書くためにデリーに留まるので、僕たちと一緒には来ない。彼は僕たちにあまり興味がないと思っていたのだが、彼は彼なりに別れるのが寂しいらしい。
 さて、僕たちは国際会議でいろんな土産をもらった。安っぽい記念のトロフィーや盾、大理石でできたタージ・マハルの模型などである。全部を持って旅を続けることは不可能なので、僕はプラスチックの盾だけを残して後はデリー駅で捨てた。本当はホテルに置いてきたかったのだが、それはあまりにも挑戦的に思えたのだ。
 しかし、他のみんなはそれらを有効活用していた。チカさんはタージ・マハルを50ルピーで商店のオヤジに売り飛ばし、ユースケくんもTシャツやズボンなんかと交換していた。実は、リーダーなんかよりもみんなの方がたくましいのである。

 夜8時すぎ、ニューデリー駅のホームに到着した列車に乗り込んですぐ、事件は起きた。
 リョウコちゃん改めマドゥーがトイレに行って、水道の蛇口を壊してしまった。差し込んでいるだけの蛇口が外れ、水道管から水がピュー!と出っ放しになってしまったのだ。
 その修理に気を取られているスキに、座席に置いてあったリョウさんのウエストバッグが狙われた。インド人の男が実にさりげなく持ち去ろうとするのを、ケイコちゃんが見つけて阻止したのだ。
 インドの列車は本当に盗難が多い。それも、デリー発ならなおさらだ。テキはこっちが何人だろうと怯まない。危険を冒してでも手に入れたい額の物品が、僕たちのバッグには入っているのだ。
 翌日の話になるが、物乞いのフリをした泥棒も現れた。小銭をせがみながらも、目は僕たちの荷物にいっている。物乞いの割に身なりが良すぎるのも実に不自然だ。僕たちは暴走族の集合写真のような、全員によるガンタレ攻撃でそのオヤジを追い払った。
 団体だからと油断していると、足元をすくわれてしまうのである。

 そんなこんなで、マンマード行きの夜行列車はデリーを出発した。
 デリーはインドでも最も評判の悪い都市だ。深夜、国際空港に着き、右も左もわからないままに悪徳旅行代理店に連れ込まれ、法外な金額のツアーを組まされる、という話は後を絶たない。インドで会った大学生のうち、実に4人に1人はこの手で騙されていて、「フレンズ・ゲストハウス」のドミトリーにも常に被害者がいた。初めての1人旅、初めての海外旅行でインド、それも深夜便を選ぶのもどうかと思うが、とにかくデリーは大きな名所が無い割に人がすれていて、アンケートを取れば必ず「インドの嫌いな街番付」の横綱に選ばれる。
 しかし、僕たちには良い思い出しかない。五星ホテル、豪華ディナー、それも無料で。デリー、実にいいところだった!わはは!

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 翌日もほぼ丸一日、列車旅。
 車内でチカさんとチェスをした。みんなでの会話が一通り盛り上がってしまうと、彼女はオモムロにマグネット式のポータブル・チェス盤を取り出して「やりましょう」と言ったのだ。
 一回目、惨敗。二回目、何と4手目で詰まれてしまった。んん?なんだ、この人?と思っていると、彼女は自称「さすらいのチェスラー」で、本なんかを読んで研究しているという。おい、ずるいぞ、素人を相手にしちゃ!
 結局3戦3敗。勝てる気が全くしなかった。

 午後4時、マンマード駅のホームに降り立つと、夏の陽射しが僕たちを迎えた。1000キロも南下すると、さすがに気候が違う。そこからローカル列車に乗り換え、夜8時にエローラ/アジャンター観光の基地となるアウランガバードに到着した。
 「地球の歩き方」に載っていた駅近くの宿に行くと、全員で泊まれる大部屋が空いていた。夏の陽気、蚊取り線香の匂い、大部屋での集団宿泊。夏休みのキャンプのようで、ウキウキする。
 デリーではなかなか出来なかった洗濯をすると、夜の室内なのに、干したそばから乾いていく。空気がそれだけ乾燥しているのだ。心配した通り、すぐに喉がやられた。乾いているぶん、埃もひどいのだ。

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 翌2月16日に観光を開始したが、僕たちは二手に分かれることにした。
 エローラとアジャンターの遺跡は、それぞれアウランガバードから北に30キロと100キロ離れており、一日のうちに両方見ることは不可能だ。そして、エローラは火曜日、アジャンターは月曜日が休みになっている。僕たちがアウランガバードに到着したのは15日の土曜日。二日間で観光を終えようと思えば、16日/日曜日に遠い方のアジャンターを観て、17日/月曜日に近場のエローラを観なくてはならない。
 しかし、僕とチカさんとケイコちゃんとマエダくんは、アウランガバードの後、ふたたびインド北部を目指す。それほど急がない僕たち4人は、16日/日曜日にエローラを観て、17日/月曜日を休憩に、そして18日/火曜日にアジャンターを観て、そのまま北上することにした。

 一方、リョウさんとマドゥーとユースケ君は、きつい日程の中でこれからインド南部を目指す。一日でも無駄にしたくないので、16日/日曜日にアジャンター、17日/月曜日にエローラを観て、その夜のバスで南下する、というタフな計画を立てた。
 そんなわけで僕たちは二つのグループに分かれ、それぞれの遺跡に向かうバスに乗り込んだのだった。

 エローラ。その名を、僕は旅の途中で聞いた。
 旅人同士で遺跡について話しているとき、マチュ・ピチュやアンコールワット、またはピラミッドなどの名前があがった。しかしその時、ある旅人がこう言った。「インドのエローラを忘れてもらっては困るぜ」
 僕は遺跡好きのわりに、その名前を聞いたことがなかった。聞けば1000年以上も前に岩山から彫り出された一大寺院群だという。僕は悠久のロマンを感じた。
 もともと今回は行く予定では無かったのだが、それでもいつかは行くつもりだった。仕事をしながらの短期旅行でもいいと思っていた。人生の中でいつか、その遺跡が見られれば。
 それが、こんなにも早く実現してしまったのだ。

 しかし!そんなこんなで大きな期待を寄せてしまっていたため、結果からいうと、エローラは期待外れだった。この日記は3月に入ってから書いていて、今考えればエローラはまったく悪くないと思う。ただ、僕が過大な期待をしていただけのことなのだ。

 エローラはヒンズー、仏教、ジャイナ教の寺院が合計で34、岩山から彫り出された遺跡である。ほとんどが石窟になっており、その中を寺院にしているのだが、最大の寺院カイラーサナータは奥行き84メートル、幅47メートルの建造物が、あたかも基礎から築かれていったかのようにそびえている。しかし、これも巨大な岩山から彫り出されたもので、いわば一つの彫刻なのだ。

 カイラーサナータ寺院には、16という石窟番号がつけられている。その他1〜15までと17〜34までは入場が無料なのだが、16番、カイラーサナータだけは250ルピーという料金がかかる。これは外国人料金で、インド人は実にその25分の1、たった10ルピーで見学できる。バックパッカーなんかよりもよっぽど金を持っている高カーストの人でも一緒なのだ。

 しかし、頭にくるからといってカイラーサナータ寺院に入らないのは、エローラに来た意味がまったく無い。
寺院全体は巨大な象車をイメージしていて、基礎部分はぐるりと一周、象が彫られている。象が寺院全体を支えている、というデザインなのだ。壁面を彩るのは抒情詩ラーマーヤナとマハーバーラタの物語。中に奉られているのは巨大なリンガ、石のチンポコだ。僕はインド人に紛れて「これからもひとつ、よろしくお願いします」と、それをさすった。

 平均寿命が30年前後だった時代に、完成までに1世紀以上もかけた非常に贅沢な建造物である。だけど、いかんせん全体のスケールが小さいような気がする。全て岩山から彫り出したんだぞ、と自分にいい聞かせるが、それでもアンコールワットやアブ・シンベルほどガツン!と来るものがないのだ。彫りの美しさ、細かさもカジュラホーの方が優れていると思う。

 その他の石窟は差が激しかった。手の込んだ装飾の寺院もあれば、製作途中で放棄されたものもある。最初は一つずつていねいに見ていたが、遺跡は約2キロの範囲に広がっていて、炎天下の中を歩き回るのに疲れてしまった。最後の方は面白そうなところだけをピックアップして見た。
 石窟にはよく女神像があるが、胸のところだけ黒光りしているのが多い。みんなそこだけ触るので、ツルツルになって光っているのだ。おい、インド人!オッパイが触れるんなら、石でも何でもいいのかい!

 宿に帰り、その夜、アジャンターを見に行ったリョウさんたちと情報交換をした。お互いが見てきた遺跡の傾向と対策を話し合ったのである。

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 翌17日は、僕たち4人にとっての休息日。国際会議の炎の4日間の後も移動つづきだったので、久しぶりにゆっくりとできる一日なのだ。
 その日の夜行バスでリョウさんたち3人が去るので、僕たちはバスターミナルに近い宿に引っ越した。僕たちの新しい部屋に荷物を預けると、リョウさんたちはエローラへと出かけて行った。見送ったあと、僕たちはゆっくりと昼食を食べ、そして前から気になっていた公園に行ってみた。入口が安っぽいハリボテの岩や恐竜で飾られていて、何やらテーマ・パークのようなのだ。

 入ってみると、果たしてそこは動物園だった。
 入園料はわずかに6ルピー(15円)。地元市民の憩いの場、という規模だが、象がいて鹿がいて猿がいて、爬虫類館にはコブラもいる。黄色い毛に黒い斑点の鮮やかなジャガーもいた。
 案内板にはどっちの方向に何がいるか、絵で示されている。トラの絵が描かれていたので、「おお、ぜひ見てやろうではないか」と、僕たちはそっちの方向に足を早めた。

 するといたのだ、トラが。しかも普通のトラではない。全身真っ白、ホワイト・タイガーなのだ。しかも一頭ではなく、三頭もいる。しかも、炎天下だというのにグターっと寝ているのではなく、ちゃんと起きてウロウロ歩いている。しかも、時折「グルル・・・」と喉を鳴らす。「しかも」続きの、実にサービス精神に溢れたトラなのだ。

 昔、サーカスかサファリ・パークか、あるいはマジックショーか忘れたけど、何かのテレビCMで「ホワイトタイガー来たる!」みたいに仰々しく騒いでいたのを思い出した。 それが15円という金額で、手の届きそうな距離で見られるのだ。
 僕は「昨日のエローラよりすごいじゃん!」と不覚にも思ってしまった。期待と現実のバランスがいかに印象を変えるか、僕は学んだのだった。やっぱり人生は期待しすぎない方がいいのだ。

 動物園のあとに両替に行ったが、なかなか外貨を受けつけてくれる銀行が見つからなくて手間取った。
 疲れたので、甘いもので元気を出そうと駄菓子屋であの懐かしい「メガネチョコ」を買った。しかしあまりの暑さに柔らかくなっており、取り出そうと指で押すと、裏のアルミ箔が破れるかわりに中のマーブル・チョコレートがつぶれてしまうのだ。
 おい!どうやって食べりゃいいんだよ!

 夕方になって、エローラに行っていたリョウさんたちが帰ってきた。僕たちの部屋でシャワーを浴びてもらった後、みんなで最後の晩餐。近くに何と牛肉を出す店があって、そこでビーフ・カレーを食べたのだ。
 ビーフ・カレー・・・日本では何の違和感もなく食べられているが、牛を神の使いと崇めるインド人の料理と牛肉が結びついた、実は矛盾と波瀾に満ちたメニューなのである。

 そして3人を見送りにバスターミナルへ。インドの列車はよく眠れるが、バスはそうもいかない。丸一日観光をしたあと夜行バスで移動というのは、タフなリョウさんらしいスケジュールだ。リョウさんは元ボクサーでカポエラもやっていて、どんなに遅く寝ても朝7時にはパッチリと目が覚めて、あの国際会議中も深夜に筋トレをやるくらい元気だった。
 ついでに言うと彼はドレッドで、早稲田卒で、そして大学時代は「かくれんぼ」を真剣にやるサークルに入っていた。今では在学中からやっていた飲食業の道に進み、自分の店を持つために奮闘している。

 彼にとって、自分が早稲田卒だったりするのは大したことではない。それは彼という人物を構成する要素の、ほんの一つでしかないのだ。
 早慶だろうが東大だろうが高級官僚だろうが、ペーパー・テストで決まる物事しか誇れない人は淋しいと思う。リョウさんは早稲田を卒業すると同時に相手のアゴにアッパーを叩き込み、カポエラのステップを踏んで身をひるがえし、そして居酒屋を切り盛りする。僕はそんな彼をカッコいいと思うのだ。
 しかし、そんなリョウさんともお別れ。ユースケくんとマドゥーともお別れ。3人はローカル・バスに揺られてアウランガバードのバスターミナルを後にした。

 宿に帰って、チカさんとハンデつきのチェスをした。ビショップ、ナイトを一つずつ落としてもらって、ようやく僕の勝ち。しかし悔しがる彼女を見てこっちも悔しくなった。そりゃ、重要なコマを二つも落とせば勝つって!
 ・・・このとき僕の心に、密かに「打倒・さすらいのチェスラー」の火がともったのだった。

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 2月18日は、僕たち4人がアジャンターを見る番。アウランガバードには戻らないので、荷物を全部持ってローカル・バスに揺られる。約3時間、100キロの道のりを北上する。
 アジャンターはエローラと違い、最初にしっかりとしたチケット売場とゲートがあった。大きな荷物を預け、250ルピーの料金を支払って入場する。今日の陽射しもきつい。日本なら真夏の陽気だ。

 さて、アジャンターもエローラのように岩山から彫り出された石窟が並んでいる遺跡だが、エローラには仏教/ヒンズー教/ジャイナ教の3種類の寺院があったのに対し、ここでは全てが仏教信仰のために築かれた。そして彫刻やレリーフが見もののエローラに対し、アジャンターが誇るのは石窟内面の壁画だ。
 よく一緒にされてしまう二つの遺跡だが、実はこうしてその性格が異なっているのだ。

 エローラが期待ほどではなかったので、アジャンターには大きな期待を寄せないことにした。しかし結果からいうと、それにしたって物足りなかった。ガイドブックや絵葉書に載っている美しい壁画の写真は高出力の照明を当てて撮ったもので、実際には暗い室内灯に照らされた、はっきりとしない輪郭を追わなければならない。
 もちろん保護のためだが、そうして壁画が冴えないとすると、あとに残る寺院の規模や彫りの美しさはエローラに軍配が上がる。しかしいずれにせよ、ホワイトタイガーの感動には及ばない。

 アジャンター最大の見所は第1窟の壁画だというが、僕は最後の26窟の寝仏像やレリーフの方が好きだった。リョウさんたちはバスの都合で許された3時間の観光時間では足らなかったというが、僕たちは2時間半ほどで見終わってしまった。・・・もったいないことしたのかな?

 ゲートを出たところでチカさん愛用のテンガロンハットが風に飛ばされ、谷に落ちてしまった。鉄柵から見下ろすと、斜面のずっと下に引っかかっている。
 その帽子はチカさんがチベットで購入した思い出の品で、そして日焼けが気になる年頃の彼女には無くてはならないマスト・アイテムらしい。急な斜面を下って取りに行くのは不可能なので、別の場所から谷底に降り、干上がった川原を歩いて取りに行くことにした。
 ロッククライミングや冬季登山をやる彼女だから一人でも大丈夫のはずなのだが、「リーダー」と呼ばれた男は「フフフ・・・こういう時は男の出番です」と、クール&タフを装ってついていった。

 斜面の下に着くと、帽子は上からだとだいぶ下に見えたのに、下からだとけっこう上にある。しかも斜面は急峻で、とげや「ひっつきむし」のたくさんついた枯草に覆われており、足元は乾燥した土がボロボロと崩れて頼りない。
 チカさんは躊躇した。しかし僕はまだクール&タフを気取っている。「フフフ・・・こんなのビフォア・ブレックファースト。おっと失礼、朝メシ前です」
 僕はフンガ!フンガ!と四肢を使って登っていった。すると、枯草が体中を引っかく。トゲや「ひっつきむし」が髪の毛や服につく。「フフフ・・・こんな程度・・・イタタ、イタタ、痛いじゃないか!」

 格闘の末、テンガロンハットは持ち主のもとに帰った。
 「やっぱり、いざってときには頼りになりますね、リーダー」「フフフ・・・お安い御用さ、ベイビー」。僕は刺さったトゲの痛みを我慢し、あくまでもクール&タフに言った。
 こうして「リーダー」と呼ばれた男はセコセコと信頼を集めるのだ。そうして全身をメッキで固めると、今度はそれが剥がれやしないかと不安になるのだ。すべて自信の欠如と小心のなせる技である・・・。

 チケット売場の横のレストランで昼食を食べ、荷物を引き取って移動。僕たちはブシャヴァルという町から列車で北上するので、そこまでまたローカルバスに乗った。
 のどかな所を予想していたのだが、夕方になって着いてみると、ブシャヴァルは人であふれ、ゴチャゴチャとした喧騒の町だった。
 駅前に適当なホテルがあったのでチェックインした。そして近くの電器屋でバラナシ、「フレンズ・ゲストハウス」のラジャに渡すポータブル・CDプレーヤーを買った。
 一週間前の会話。
 「ねえラジャ、国際会議に行ったらお土産買ってきてあげるよ」
 「だったらCDプレーヤー、プリーズね」
 「ええ?CDプレーヤー?そりゃ、高いよ!」
 「ノーノー。みんなで割ったら一人オンリー200ルピーね。ミーのおかげで五星ホテルに泊まれるんだから、それでもベリー安いね」
 「・・・わかったよ。みんなと相談してみるよ」
 僕は予定を変更してバラナシには戻らなくなった。ブシャヴァルで買ったCDプレーヤーは、ケイコちゃんとマエダくんに持っていってもらうことにした。

 後日談。CDプレーヤーを受け取ったラジャは喜んでいたが、ACアダプターがないので電池がすぐ無くなるとこぼしていたらしい。贅沢言うな!みんなで集めた2000ルピーだと、それしか買えなかったんだよ!商売繁盛しているんだから、電池ぐらい大人しく買いなさい。

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 2月19日。列車の都合で丸一日をブシャヴァルで過ごすことになった。
 散歩がてら町を歩いているうち、裏路地に迷い込んだ。そこでは子供たちが遊んでいたが、外国人の滅多に訪れない町だから、僕たちは注目の的になってしまった。
 「どこから来たの?」「名前はなに?」「駅ならこっちだよ」
 あれよあれよという間に子供たちは増え、僕たちは2、30人に囲まれた。最初は可愛かったが、やがて彼らが金や物を要求しだすと逃げ出したくなった。しかし店に入ってやり過ごそうと思っても、みんなその前でジーッと待っているのだ。

 ブシャヴァルはガイドブックにも名前ぐらいしか載っていない、旅行者にとってはほとんど用のない田舎町だ。しかし、それでも僕の感覚では2、30万人はいると思う。
 「地球の歩き方」の巻頭の地図を見ると、旅行者にとって重要な町しか載っていなく、あとはあたかも山か平原かのような感じで描かれている。しかし、実はそんな部分にもこういう町が無数にあるのだ。
 一説によると、インドの人口は中国を抜いて世界一になったらしい。低カーストの人は戸籍すらないから正確な数は掴めないが、「一人っ子政策」も何もないインドでは、いまだに人口爆発は続いている。

 僕はこれまで人口爆発だ環境破壊だ、と言われてもピンと来なかった。しかし、こんな田舎町でも喧騒に包まれ、そして彼らインド人が何も考えずにゴミをその辺に捨てたり、川やドブがペットボトルやビニールで埋まっているのを見ると、さすがに身震いしてしまう。
 彼らはまだ、先進国の人間に比べれば一人あたりのゴミの出す量は少ない。しかし、彼らがみんなスーパーやコンビニで買い物をして、過剰包装の商品をビニールの手提げ袋に入れてもらう生活になったら・・・。