旅の日記(番外編)

インド・バラナシその3、デリー編(2003年2月6〜10日)

人生の階段を駆け上がる

 10日ぶりのフレンズ・ゲストハウスのドミトリーは満員だった。僕のいない間にバラナシはすっかり暖かくなり、卒業旅行の若い旅人で溢れている。仕方なく他の宿を探そうと裏路地を歩いていると、フレンズ・ゲストハウスのオーナー、ラジャに偶然出くわした。
 「今、君の宿に行ったけど、ベッドは全部埋まっていたよ」
 「ナ〜ニ、ノープロブレムね。エキストラベッド出すから、カモンカモン」
 というわけで、僕は再び彼の客となった。ま、すぐにネパールに向かうからどこでもいいんだけどな、とも思ったが、その夜のラジャの発言によって僕の運命は大きく変わることになる。

 「五星ホテルに無料で泊まるのは簡単だ。今度デリーで行われる、国際青年テロ会議に出席すればいいのだ」
 相変わらず掛布のようなハスキーボイスで、ラジャはそういった。10日前、「カジュラホーに行けば女は簡単にクドける」と彼が言った時は聞き流してしまったが、「五星ホテルに無料で宿泊」というくだりに、僕を含めたドミトリーのみんなは「ん?」を耳を傾けた。
 何でも、彼の知り合いの政治家がこのたび世界中の若者を集めたテロに関する会議を行うのだが、期待ほど人数が集まらなかったらしく、この際外人ならバックパッカーでも何でもOK!ということで参加者を探しているらしい。2日間に渡って行われるその会議に出席すれば、五星ホテルでの宿泊と、首相や大臣を交えた豪華ディナー・パーティがついてくるらしい。

 何ともオイシイ話だが、心配なのは、そんな会議に小汚い格好の僕たちが出ていって場違いではないのか、また発言を求められたらどう反応したらいいのか、ということ。
 しかしラジャは、「今の格好のままでノープロブレムね。テロはいけない、とか何とか言っていればOKね。後はパーティで首相と肩並べてフォト、撮ることね」と、白い歯を見せてニカニカ笑っている。心配性の僕は本当か?といぶかしがるが、他のみんなはあっという間に行く気になっている。
 「じゃあ、みんなでデリーだ」「遠足みたいね」「おやつは一人300ルピー」「それ、多いよ」
 僕といえば、ちょうどデリー方面から夜行列車で戻ってきて、延びに延びたネパールINをようやく実現しようとするところである。しかし「リスザル」の異名をとるほど寂しがりやの僕は、楽しそうなイベントに向けて団結しつつあるみんなを尻目に、自分の予定を淡々とこなせるほどタフでもクールでもない。
 「で、青山さんはどうしますか?」
 「・・・ふふ、俺かい?どうせ時間はたっぷりあるし、行っちゃおうかな〜ん」

 年齢が上であることと、英語が話せるという理由だけで、僕はフレンズ・ゲストハウスから派遣される10人の「リーダー」になってしまった。厳密にいうと僕が一番年上じゃないんだけど、そこらへんは微妙な問題なので、みんな忘れよう。
 国際会議は2月10日と11日に行われる。僕たちは9日発の夜行列車でデリーに入ることにし、それまでの3日間を思い思いに過ごすことにした。

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 団体行動に入るとなかなか日記が打てないだろうから、僕はドミトリーで一生懸命パソコンに向かった。
 その合間、旅行者が集まるレストラン「モナリザ」に食事をしに行ったとき、僕はあまり再会したくない人に捕まってしまった。2000年の5月、南米エクアドルの安宿「スークレ」で一緒だった「織田無道」である。
 本名は知らないが、目のギョロンとした坊主頭の中年親父で、人の話にはあまり反応を示さないが、自分が話すときはやたらとテンションをあげ、相手をやたらと指差す男なのである。たとえば、「おたく、どこからインドに入りました?」と聞く間も、ずっとこっちを指差しているのである。やめろ!その指を下げろ!と言いたくなるのだ。
 僕はエクアドルで会ったときから、いくら笑っても眼光だけ変わらないこの男を、密かに「キチガイじゃないか?」と思っていたのでよく覚えているが、向こうは僕のことなどすっかり忘れていた。ただ日本人であるということだけで、平和に昼食を食べていた僕に話しかけてきたのだ。

 適当に話を合わせているうちに、有名な旅行者のことに話題が移った。
 さて、中南米には「三大性人」といわれる、三人の女好きの中年旅行者がいる。さいとう夫婦の漫画「バックパッカーズ・パラダイス」にそのあたりのことは詳しく書かれているが、そのうちの一人、K氏の事になった。
 すると「織田無道」は、「知ってますか!あのK氏、今はカンボジアです。プノンペンで少女を買って、パッコンパッコンやってますよ!グワハハハ!」と、僕にツバを飛ばし、レストラン中に聞こえる大声で言った。
 まわりのテーブルにいた、日本人のうら若き卒業旅行生たちは、ゴキブリを見るような眼で僕たちを見た。こんなに恥ずかしいのはメキシコの「ペンション・アミーゴ」でお腹を壊し、ウンコを漏らして以来である。
 やめろ!こいつと俺を一緒にしないでくれー!
 僕は早々と話を切り上げ、レストランを去ることにした。「それじゃ、さいなら」と会釈する僕を、「織田無道」は無表情でただジーッと見つめていた。
 たまにいるのだ。こういう、旅行関係の中でしか居場所がなく、旅行ネタしか話せないような旅オタク親父が。俺も、こういう風にだけはならんとこ・・・。

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 さて、2月9日、僕たちはたくさんのおやつを抱え、デリー行きの急行列車に乗り込んだ。
 それがニューデリー駅のホームにすべり込んだのは翌朝の7時半。駅にはラジャから連絡を受けて出迎えが来ているはずだったが、どんな人なのか、どんな格好をしているのかも分からない。見当がつかず、駅をウロウロしていると、SPのような鋭い目つきをした、ダークグレーのスーツに身を包んだ男が僕たちに寄ってきて、そして携帯電話でどこかと連絡をつけている。まるで「いました、いました」と言っているように。

 すると、すぐにブロンズ色の派手な上下を着た、太鼓腹の、いかにも「代々いいもん食ってまっせ!」というような大男が満面の笑みで現れた。「ハーイ、トモダチ〜!グッモーニン!ワハハ!」
 彼こそがラジャの知り合いで、バラナシを地盤とする謎の政治家アービン・メノン氏であった。実はそれまで、僕はラジャの言っていることを100パーセント信じていなかったのだが、頭の切れそうな部下を引き連れた巨体の政治家、出迎えのジープ、そして駅前に掲げられた国際会議の巨大な看板を見たとたん、安堵とともに新たな緊張が生まれるのを感じた。
 「こりゃ、本当に国際会議だぞ。・・・俺らでいいのか?」

 メノン氏は、「日本の歌、知ってます。デンデンムシムシ、カタツムリ、オマエノ、オメデタ、ドコニアル?グワハハハ!」などと僕たちを笑わせたが、ふと真顔になると、こう言った。
 「会議にはテレビや新聞など、取材陣も来ています。彼らの前で自分たちが旅行者であることを決して言わないでくだサイ。あなたたちはこの会議のために日本から来た、NGOの人たちなのデス!」
 うーん・・・やっぱり緊張してきた。救いなのは僕たちの他にも、やはりバラナシで声をかけられたという韓国人の女の子が二人いることぐらいかな?

 会議は早速その朝から行われるが、その前に出席者の宿舎となる期待の五星ホテル「セントール」にチェックインすることになった。
 ホテルは市内よりむしろ空港に近く、会場となる国際会議場への行き来も専用のバスが用意されるという。配られた「会議の注意事項」によると、出席者は勝手に外出することはできないらしい。なるほど、デリーはインドでも特に評判の悪い都市で、よく国際空港に着いたばかりの旅行者がインチキ旅行代理店に軟禁されて法外なツアーを組まされる、という話を聞く。国際会議の出席者がフラフラ外出して、危ない目に会うのは主催者として最も避けたいところだろう。

 ホテル「セントール」はちょっとロシアのホテルみたいに殺風景な内装だが、巨大な吹き抜けのある、確かに僕たちが普通に泊まれるようなホテルではなかった。「地球の歩き方」によるとシングル料金は4500ルピー(約12000円)で、部屋の質とともに「三星ぐらいが妥当じゃないか」とも思ったが、それでもフレンズ・ゲストハウスのドミトリー料金の100倍以上の金額であり、タダで泊まる身としては決して文句は言えない。
 ホテルは会議のために貸し切られているようだった。僕たちはフロントの代わりに会議主催者が設けたカウンターに行き、そこで出席者として登録することになった。

 この時点で、もうメノン氏はどこかに消えていた。おそらく会議の準備で忙しいのだろう。カウンターに行き、「日本から来た出席者です」というと、事務員風のおじさんはA4の用紙を人数分用意し、「これに記入し、顔写真を一枚提出してください」と言った。
 それを見ると、名前や連絡先、勤務先の他に、政党に所属するならその名前、NGO活動家ならその団体名を記入する欄があった。茶色いカーディガンを着たおじさんは僕たちが記入するのをジッと待っている。
 ここでふと、新たな不安がよぎった。僕たちが正式な出席者ではなく、単なるサクラであると知っているのは、主催者といえどメノン氏だけではないのか?
 僕たちは団体名のところに、とりあえずWAKAMONODAN、ワカモノ団と記入した。

 さて、ここで和力者団(ワカモノ団と読む)と、それを率いる「団長」のことに触れなければならない。
 我々10人の中には「リーダー」の他に、「団長」と呼ばれる男がいる。その特異なキャラクターと発言、行動で常に僕たちの注目を浴びた「今回のイジられキャラNo.1」、沼口大知(25)である。
 団長の正体を、みんなは最後までイマイチ掴めなかった。今はとりあえず旅行者で、アジア横断をしながらメールマガジンを配信することに情熱を注いでいるが、日本では「和力者団」という社会人と大学生の混成サークルを率いている。そのサークルの主旨とは、日本で学んでいるアジア人留学生を応援し、アメリカが合衆国であるように、またヨーロッパがEUになったように、アジアも力を合わせて一つになって盛り上がろうぜ!うおう!というものである。

 国際会議など初めての経験であり、みんなは緊張の色を隠せなかった。しかし団長だけは日本でもよく政治家のパーティなんかに出席しているらしく、「いやー、インドに来てまでこういうのに出るとは思わなかったなあ、ハハハ」と余裕である。
 団長は政治や経済のことに詳しく、英語は若干苦手だが、こういう国際会議には興味があるらしい。他のみんなは五星ホテルに泊まる代わりに仕方なく出席するのであり、スキさえあれば抜け出して自由行動・・・と目論んでいるというのに。
 なので、みんなは密かに「面倒なことになれば団長に任せよう」、いや、「任せてあげよう」と思うようになった。実際、国際会議の会場に行くと、すぐに僕らは他の出席者から「どういう団体の人かい?」と聞かれたり、新聞の取材を受けたりした。そのたびに僕は目を輝かせ、「僕らはワカモノダンです!アジアを一つにするのです!代表はこのヌマグチです!」とテキトーなことをペラペラと言い、名刺を要求されれば「ヌマグチがいま、名刺をお渡しします。ほら団長、この人に一枚あげて!」と切りぬけた。
 団長、ごめん。だけど「和力者団」のいい宣伝になったでしょ?

 そんなわけで「フレンズ・ゲストハウス」からの派遣団は急きょ「和力者団」となり、会議出席者の証である顔写真入りのパスが渡された。そうして僕たちはホテルから専用バスに乗り、国際会議の舞台に向かったのだった。

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 そこはインドを代表する巨大な国際会議場だった。出席者といえども入場のチェックは非常に厳しく、カメラなどの電子機器は入口で預けなければならなかった。考えてみれば、会議の名称は「International Youth Conference On Terrorism(国際青年テロ会議)」。その会場がテロに遭ったらシャレにならない。そうでなくてもヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が絶えないインドではテロの危険は常にあるのだ。

 我々の乗ったバスは後発隊だった。メインの大ホールではすでに開会式が行われており、まさに現役の首相がスピーチをしているところだった。パンフレットに載っているのと同じ、酸いも甘いも知り尽くしたような顔だった。
 会場に行くと、会議の全容がなんとなく掴めてきた。主催したのはインドの最大与党であるBharatiya Junata Yuva Morchaの青年部。日本でいえば自民党青年部だろうか。そうなると、あの謎の政治家メノン氏もここの党員ということになる。
 50を超える国々から200人近い出席者が集まったらしいが、大ホールを埋めた人々の大半はインド人。おそらく党員か支持者なのだろう。青年会議、というわりには壇上にいるインドの偉いさんは爺さんや婆さんばかりだし、会場に座っているのもいい歳のオッサンばかり。やっぱり団長の言うとおり、政党の青年部というのは30代や40代を指すのだろう。僕はてっきり「青年会議」だから、10代や20代のお利口そうな大学生なんかが集まっているのかと思っていた。

 その後、壇上の偉いさんたちが次々と「テロは人類共通の驚異だ!」「力を合わせて撲滅しなくては!」というようなスピーチをしたが、鼻についたのは「パキスタンはテロ支援国家だ!」「インドは平和的な民主国家だ」「イスラム教徒は攻撃的だ」というような発言。
 この時点で、早くも僕たちは「ん?」と思ってしまった。どうも、会議自体が茶番のような気がしてきたのである。

 連続スピーチの後、ビュッフェ形式の昼食が用意された。
 それまでハエのたかっているような、小汚い定食屋でばかり食べていた僕たちは「肉!肉がある!」「このパスタ、マイウーです」「デザートにアイス、あるじゃ〜ん!」と興奮を隠せなかったが、以後、四日間に渡って食事のメニューはほぼ同じだった。そして最後には「安食堂が懐かしいなあ」と思うようになるのである。人間の欲望は実に贅沢だ。
 昼食の会場でメノン氏と再会した。メノン氏は会場の盛り上がりに満足している様子で、「ハーイ、トモダチ〜、エンジョイしてる?」と上機嫌だった。他国の出席者もラフな格好をしている人が多く、聞くとデリー大学に留学している外国人学生もかき集められたらしい。日本人の学生も数人いて、僕たちもけっこうリラックスしてきた。

 昼食のあと、出席者は五つのグループに分けられ、別々のテーマについてグループ・ディスカションをすることになった。ここで大ホールを盛り上げていた党員や支持者はいなくなったので、各グループは4、50人ほどになる。一つのグループに僕たちがまとめて10人行ってしまうとかなり目立ち、発言を求められても困るので、僕たちは2、3人ごとに分かれて各グループに紛れることにした。
 僕が選んだのは「テロと人権、民主主義」について議論するグループだった。

 さて、国際的なグループ・ディスカションというときっと議論が白熱し、分散したといえども日本人として発言を求められたらどうしようか、と心配していたが、実際はディスカションの体を成していなかった。
 議長、司会者などはすべてインド人であり、彼らの仕切りでディスカションは進むのだが、与えられた時間はわずかに2時間弱なのに、インド人の偉いさんの話ばかりが長い。タジキスタンやアイボリーコースト、キルギスタンなどから来たマジメな出席者がマジメな意見を言おうとするのに、すぐに司会者は「話を簡潔にしてください」と言って打ち切ろうとする。
 やがてイスラエルとパレスチナの代表が火花を散らしたり、発展途上国からの参加者が多いので大国批判(特にアメリカ)に話が及んだりしたが、ようやく盛り上がってきたな、と思ったら司会者が「これでディスカションは終わりです」とピリオドを打ってしまった。
 そして最後に国会議員だという議長がまとめのスピーチを行ったのだが、なんとそれがヒンズー語。それを聞いた会場のみんなは、「こいつ、今までの内容分かってんのか?」と心配な顔になった。

 ディスカションを簡単にまとめると、外国からの出席者、特に途上国からの人たちが「テロの定義とは何ぞや。大国が巨大な武力で小国の権利を踏みにじるのはテロではないのか?」というような事をいうのに対し、インド人の偉いさんは相変わらず「パキスタンは悪い国だ」「ワシが警察官僚として北インドにいたとき、イスラム教徒のテロがあってのう」などと言い、話がまったく噛み合いませんでした、ちゃんちゃん、である。
 ここで、僕たちは「やはりこの会議は茶番だ」と確信したのだった。しかし五星ホテルと豪華ディナーをエサに呼ばれた僕たちは、文句を言えた義理ではない。

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  グループ・ディスカションの後は各国代表による、おのおのの国のテロへの姿勢、というのを発表する場となった。
 ここで日本からの参加者が僕たちだけだとパニックに陥るが、心配性の僕は日本からもちゃんとした(?)参加者がいることを昼食のときに確認していたのだ。公明党の参議院議員、遠山清彦氏と、民主党の議員候補が3人。代表としてスピーチするのは遠山氏とのことだった。考えてみれば日本人の参加者は20人弱、50数カ国の中で最大勢力なのだ。
  発表はアルファベット順に行われた。アフガニスタンの代表は白髪のオヤジで何が青年なのかよく分からないが、国が国だけに注目が集まった。しかし小声で当たり前のことに言うにとどまり、期待外れ。アンゴラは代表が席をはずしていて後回し、ベラルーシ、ブルガリア、中国・・・と進んで行って、わが日本の番が近くなった。

 するとネズミ色のスーツを着た、民主党の議員候補Oという男が僕のところにサササ、と歩み寄ってきた。脂ギッシュで頭頂部のハゲた、ニターッというイヤラシイ笑いを浮かべた中年男である。僕はすぐに「生理的にこいつはキライだ」と思った。
 彼は、「次に遠山さんが壇上にあがるとき、私が『イヨッ!遠山!』と声をかけるので、皆さん、『ガンバレ!』って声をかけてくれませんか?」と言った。しかしその0.01秒後、電光石火の早さで僕は「嫌です」と断った。
 Oは笑顔を保ったまま、しかしコメカミの血管をピクピクとさせて言った。「嫌って・・・恥ずかしいってことかナ?」
 僕はハッキリと言ってやった。「そういう問題ではなくて、この場にそぐわないと思うからです」。すると彼はしぶしぶ自分の席に戻って行った。
 まさか天下の大政党の正式候補の申し出を、どこの馬の骨とも分からない小汚い若造が断るとは思わなかったのだろう。ザマミロ、なのだ。

 だいたい、なんでこんな国際的な舞台で日本語で「イヨッ!」とか「ガンバレ!」とか言わなくてはならないのだ?純粋に盛り上げるためなら「Let's go!」でもいいではないか。それなら協力してやらないこともない。
 彼はきっと、遠山議員に対して「ちゃんと応援してますぜ」というのを示したかっただけなのだろう。そんな日本人の間だけのパフォーマンスに付き合わされたらタマランのだ。

 さて、その遠山議員の発表だが、見事だった。
 英語の発音はちょっと固かったが、しかし十分に流暢で、抑揚のある話し方で聴衆の耳を傾けさせた。彼は、次世代を担う我々がテロに向かって立ち上がるべき、しかし一国で対策を練るのは不可能、したがって国際的な繋がりをもって対応すべきだが、インドはその舞台としてふさわしい、とヨイショした。
 しかし、彼は次に「テロはいけないことだが、終わりのない憎しみあいは避けるべきだ。パキスタンの代表がこの場にいないのは問題だと思う」とハッキリと言った。これは外国人出席者の誰もが思っていたことであり、にわかに会場から拍手が起こった。
 発表が長引くと議長がベルを鳴らして催促するのだが、そんなこともなく、彼は「こうした問題に対し、わが日本は断固として戦いつづけます」と簡潔にまとめた。終わったあとの拍手は大きかった。僕は創価学会の信者でもないし、公明党の政策もよく知らないけど、この発表だけに関しては「いいぞ!遠山!」と思った。
 彼の正式な経歴を知らないけど、もしかしたら僕とそんなに歳が変わらないんじゃないか、と思うほど若く見え、バイタリティに満ちていた。

 さて、その後はリビアの代表がアメリカの軍事行動を批判したり、レザージャケットを着た美女のセルビア代表が「私は本当に若いので、この壇上にあがる権利があると思います」なんて痛烈な皮肉をカマしたり、スイスの代表が「テロは貧しい国に残された最後の手段であることを忘れてはならない」などと中立国らしいことを言ったりした。
 しかし、せっかく場が盛り上がってきたと思うと、インド人の偉いさんが長々とスピーチをし、相変わらずパキスタン批判や当たり前のことしか言わないので僕たちを白けさせる。
 どうも主催者は外国人より、ゲストとして呼ばれたインド人の政治家の方を大切にしているようなのだ。司会者はそういった人たちが壇上にあがるたび、名前の前に「honorable」という枕言葉をつける。訳すれば「高貴な」「名誉ある」ということであり、例えば、「次はわがインドの名誉ある文部大臣、○○氏より有り難いお言葉をいただきます」なんて感じなのだ。この単語が妙に鼻につく。
 俺だって名誉ある31歳住所不定無職バツイチ、サクラとして参加しています、エヘン、なのだ。

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 さて、女性の「名誉ある」厚生大臣が、イスラム教徒によるテロでインドでは六万人の死者が出ています!というアカデミー級の熱っぽいスピーチをして、初日のプログラムは全て終了した。
 会議場の一階で夕食が用意されていたが、それにありつけたのは午後10時だった。ここで韓国人の女の子二人がウンザリとした顔でやってきて、「明日もどうしても出席しなければならないの?」と僕に聞いた。こらえて笑顔で対応したけど、僕は本当は声を大にしてこう言いたかった。
 「俺はおめえのリーダーじゃねえんだよ、自分で判断しろ、この四角いペヤング顔!」(注・韓国の女性全部が四角い顔、ってことじゃないよ。そいつの顔がたまたま四角いの)
 ・・・僕だって疲れていたのだ。

 ホテルに戻ったのは午後11時過ぎ。しかし、我らが10人のワカモノ団を年齢順に「セピア派」と「ヤング派」に分けると(ヤングってすごい死語だな)、後者を構成するリョウさん、ケイコちゃん、リョウコちゃん、ユースケ君たちは部屋に集まる相談をしていた。
 その会話を耳に挟んだ「リスザル」の僕は、「行きたい!行きたい!仲間に入れてエ!」と一瞬思ったが、やっぱり自重するほど疲れていた。せっかくのバスタブに湯を張り、入浴後、バスローブに身を包んで窓際に立ち(そんなの置いてないんだけど)、「下界のインド人どもめ、グフフ」とやろうとも思ったが、面倒くさいのでシャワーだけにして、すぐにベッドに横になった。翌朝は7時半に朝食、8時過ぎには会場に向けて出発なのだ。
 一泊40ルピー(約100円)のドミトリーに泊まる貧乏旅行者が、数日のうちに国賓級の扱いを受ける身分になってしまった。人生の階段を駆け上がった感があるが、偉い人のスケジュールは忙しいのだ。