旅の日記(番外編)

インド・バラナシ編その2(2003年1月21〜25日)

100万人より価値のあるスーパースター

 2、3日したら、バラナシにも小春日和が訪れるようになった。風邪も良くなってきたし、ここいらで一丁、ごり君との約束を果たそうか。ナマステライダーズの掟その一、メンバーはガンジス河で沐浴をすべし。
 同じドミトリーの日本人たちと連れ立って近くのガート(沐浴場)に行き、交代交代で水に入ることにした。やっぱりみんな、ガンジス河に浸かったところを写真に撮られたいのだ。
 僕の順番は最後に回ってきた。この日のためにわざわざ持ってきた海パン一枚になって、石の階段を水の中に降りて行く。まわりの親父たちが石鹸で体を泡まみれにして洗っているので、階段は非常に滑りやすい。気をつけながら足を入れると、水は刺すように冷たかった。しかしモタモタしている方が寒いので、僕は気合を入れて一気に肩まで浸かった。

 ガンジスは聖なる河だから、ヒンズー教徒はその水に大変な浄化作用があると信じている。だからインド人は動物から人間までの各種死体、排泄物、ゴミ、汚水、病原菌、その他なんでもまとめて河に流し、その横で平気で体を洗っていると聞いていた。そんな水だから腹の一つでも壊すかな、と覚悟していたが、実際は意外と綺麗だった。ウンコも死体もないし、濁ってはいるものの、水はサラっとしていて清らかだ。
 あまりの冷たさに意識が遠のく中、赤痢だ何だって騒ぐ前に、今の季節では肺炎や心臓発作の方が心配だ、と僕は思った。・・・ごり君、約束は果たしたぞ!これで俺を正式なメンバーにしてくれ。
 あ、そうそう、ハーレー雑誌の「Vibes」2月号で、ごり君が紹介されるらしい。本名は武田圭介なので、興味がある人はどうぞ。

 意外に綺麗だと言っても、沐浴の後はさすがにシャワーを浴びたい。しかしバラナシのシャワー事情は劣悪で、「ホットシャワー有り」の宿でも、ひどい日になると一日数時間しか使えない。インドのボイラーは電気式で、そしてバラナシはインフラの遅れているインドでも特に停電が多いのだ。
 もともと午前9時から午後1時までは電気が流れない決まりなのだが、ひどい日になると午後4時に電気が止まり、午後11時に復旧なんてのもある。ロウソクの灯でがんばって夜を過ごし、そろそろ寝るか、という時間になって電気がつくなんて、「バカにしてんのか」と言いたくなる。ちょっとした停電なら、まず毎晩あると思っていい。

 だから夜、外出するときは懐中電灯が手放せない。ガンジス沿いの旧市街は狭い路地が複雑に入り組んだ迷路になっており、夜、停電で真っ暗になると迷子になってしまう。きっと、そんな風にバラナシの暗部に迷い込んで旅行者が行方不明になるんだろうなあ。
 また、そんな細い路地にまで野良牛が入り込んでいるので、路面をよく照らして歩かないと、そこら中に落ちている新鮮な糞を踏んづけてしまうのだ。

 野良牛といえば、これもインドの名物である。牛は破壊神シヴァが乗る聖なる動物だから、ヒンズー教徒は牛を殺したり食べたりしない。日本の牛は狭い小屋に押し込められて人工の飼料を与えられているが、インドの牛は人間に紛れて悠々と往来を行き来し、犬と一緒に生ゴミをあさっている。誰の所有物にもならずに、自由に生きているのだ。
 そうはいってもカルカッタでは街から牛を排除したし、ブッタガヤーは牛が入り込む隙間もないほど仏教徒で溢れていたので、バラナシに来て初めて「本当に野良牛がいる!」と実感できたのだ。
 あっ!牛に乗るといえば、南米で「牛次郎」に乗っていた僕たちはどうなるのだろう?もしかしたら僕たちが破壊神?・・・人生の?

 野良牛なんて言うとのどかな雰囲気だが、地面を這いながら必死にバクシーシを乞う、物乞いのおばあちゃんの前をノソノソ歩いているのを見ると、複雑な心境になる。前にも書いたが、今年は寒波のために物乞いの間に多くの凍死者が出ている。宗教が許せばぜひ目の前の牛に襲いかかり、その肉で栄養をつけ、その皮で暖をとってもらいたいところだが、そうもいかないのだろう。
 この国でスペインのマタドールが赤いマントを翻して牛の背中に剣を突き立てたり、故・大山倍達が正拳突きで牛を倒したりしたら、どうなるんだ?

 そういえば嘘か本当か知らないが、こんな笑い(?)話を思い出した。
 昔、印日合同の登山隊がヒマラヤに挑み、遭難した。テントの中で救助を待つ間、どんどん食料が少なくなっていき、やがて日本人が持って行ったコーンビーフの缶だけが残った。日本人はインド人に「食べろ」と勧めたが、インド人は「神が許さない」と拒否した。しかし日本人は「これは安物で、どうせ馬の肉だから大丈夫だ」とインド人を説得、彼らはコーンビーフを分け合って生き延びた。
 しかし彼らが救助されたあと、このエピソードが発表されると、その缶詰をつくった食料会社は「ウチのは100パーセント牛肉だ!」と抗議。それを聞いたインド人も「やっぱり牛を食わせたのか!」と怒り、その日本人は大変な板ばさみにあったという・・・。

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 またインドの、というより特にバラナシの名物に、バングラッシーという飲み物がある。
 ヒンズー教では「心の目が見えなくなる」として、牛を食べるほどではないが、飲酒も制限している。特に聖地バラナシの中心地、「黄金寺院」の周囲2キロには酒屋が一軒もない。
 その代わり、ということでもないのだが、ここではバングラッシーという飲み物が街角で売られている。酒とは酔い方が違うけど、飲むと気持ちが良くなると評判のヨーグルト・ドリンク。その色が薄い緑なのは、ある植物の葉が混ぜられているから。
 ある植物とは、まあ、平たく言えば大麻草である。

 「地球の歩き方」には「飲むのはやめましょう」と書いてあるが、一般向きに書いた本なのだから、そう書くだろう。しかし一般論でいえば自分一人で起こせないバイクでアンデスの山奥に入るべきではないし、ブレーキの効かない車でゲリラ地帯を旅するべきではない。
 そこに果たして何が待っているのか?それはアントニオ猪木に言わせれば「行けばわかるさ」なのである。
 ある日、僕は人と牛をリキシャかきわけて一軒のジュース・スタンドに入ると、4種類ある濃さのうち、2番目に薄い「ミディアム」のバングラッシーを注文した。

 効果が現れたのは宿に帰ってから。瞬きのたびにシャッター音とともに場面が切り取られる感じがして、やがてポンピング・ブレーキをかけたように時間の流れ方に細かいムラが生じてきた。そのうちに五感が薄れ、自分が果たして本当にそこにいるのか怪しくなってきた。ドミトリーの鏡に向かい、ちゃんと自分がそこにいるか、頬を手でこすって確かめた記憶がある。
 その後、意識が遠のく中、不安にかられた。こうやって旅行者が行方不明になるのではないか、と思ったのだ。バングラッシーをやって死んだ話など聞かない、と自分に言い聞かせるのだが、こうやって意識を失い、ガンジスに沈められた者は戻ってきて証言のしようがないではないか、ともう一人の自分が言う。
 世界の裏側に来てしまった気がした。ちゃんと帰れるのだろうか、と思った。思いっきりのバッド・トリップだ。

 結局、僕は次の朝まで18時間も寝続け、感覚が普通に戻ったのはその日の夕方だった。
 フレンズ・ゲストハウスの前のガートでは毎晩プージャー(ヒンズー教の礼拝)が行われている。聖地バラナシでは、結構あちこちでこういった儀式が行われているのだ。
 太鼓や鈴の音の中、聖職者が火を振りかざす厳粛な儀式を見ていると、無事にこっち側に戻って来られた、としみじみ思った。
 バングラッシー・・・もう飲むのは止そう。

 バングラッシーで問題なのは、喫煙とは違って一気に体内に摂取するので、効果が後からまとめて来る点だろう。あっ、強すぎたな、と思っても、全部腹の中に納まっているのだから後戻りが出来ないのだ。
 やっぱり「地球の歩き方」の言うとおり、良い子のみなさんは真似してはいけません。どうしても真似するときは一番薄い「ライト」からはじめて、飲んだあとは自分の部屋で大人しくしていましょう。街を出歩いていたら、それこそ行方不明になっちゃうぞ!

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 バラナシで過ごす最後の日、街は熱気に包まれていた。街角には警官が立ち、通りから露店や牛、物乞いなんかが排除されている。宿のオーナー(正確にはその息子)のラジャに聞いてみると、その日はインドのスーパスターが父親の違灰を流すためにバラナシに来ているのだという。

 名前はよく聞き取れなかったが、なんでもそのスーパースターはインド映画界を代表する男であり、その父親は作家で脚本家だったという。ドミトリーにいた日本人女性が「その男は演技が上手いのか?」と聞くと、ラジャはあきれ顔で「当たり前じゃないか、スーパースターだぞ」と言った。
 「女性のスーパースターはいるのか?」と僕が聞くと、「元ミス・ユニバースで売り出し中の女優はいるが、女のスーパースターはいない」と彼は答えた。「ミス・ユニバースはスーパースターではないのか」と聞くと、またラジャはあきれ顔になり、「スーパースターはあらゆる面で完璧でなければならない。ルックス、演技、歌、ダンス、全てだ」と言った。
 年間の製作本数世界一といわれるインド映画界において、「スーパースター」の称号は決して安くない。「スター・にしきの」の前に「スーパー」がつくことは、この国でもあり得ないのだろう。

 そのスーパースターが宿の近くをパレードするというので、みんなで見に行った。通りの両側を人々が埋め尽くし、まわりの建物のバルコニーや屋根にまで見物客が登っている。
 しばらくすると、歓声と車のクラクションともに、白い花で飾られたトラックが僕たちの前に現れた。その荷台にはスーツを着た関係者がたくさん乗っていたが、どれがスーパースターなのか分からなかった。彼らはそのあとガンジスに出ると、やはり白い花に包まれた船に乗り換え、灰を流すために河の中程まで出て行った。

 その夜、インターネットカフェでメールを打っていると、ふと、あることに気がついた。バラナシに来て一週間になるが、その夜だけは一瞬たりとも停電がないのだ。となりのコンピューターに座っている、同じ宿の日本人に「今夜は停電がないね」と話しかけると、彼は「そうっスね。もしかしたらスーパースターが来ているからじゃないですか」と言った。彼は冗談のつもりで言ったのだが、考えてみると大いにインド的で有り得る説だ。
 宿に帰ってからラジャに聞いてみると、「そうだ、スーパースターが来ると24時間電気が流れるのだ」と彼は真面目な顔で言った。
 なんだ、やればできるのに、やらないだけじゃないか!インド政府!
 それにしても100万人の市民が毎晩停電に悩んでいるのに、その人が来るだけで改善されるなんて、やっぱり「スーパースター」はすごい。安くないわけだ。