旅の日記(番外編)

インド・バラナシ編(2003年1月19〜20日)

ガンジス河で少女は僕のために泣いた

 ネパールに向かうべく、ブッダガヤーでパトナー行きのバスチケットを買ったのだけれど、やっぱりやめた。あまりにも寒いのだ。
 今年、数十年ぶりという大寒波が北インドを襲った。ブッタガヤーでも濃霧に包まれた日が続き、暖房施設の無い安宿では部屋の中でも息が白い。しかし、毛布や寝袋に包まれて眠れるだけでも幸せだ。路上生活者の間では数百人単位で凍死者が出ているという。
 ここでこんなに寒いのだから、ヒマラヤの足元ネパールはもっとひどいだろう。タイから引きずっている風邪もこじらせてしまったし、僕はネパールを延期して、先にヒンズー教の聖地にして北インドのハイライト、バラナシに向かうことにした。
 (後で聞いた話だが、霧に包まれるインドより、むしろ同時期のネパールの方がスカッと晴れて暖かったらしい)

 このあいだ「旅行者にとっては鉄道が現実的な旅の手段だ」と僕は書いたが、訂正しなくてはならない。鉄道のない地域ではやっぱりバスが味方となり、ブッタガヤーとバラナシも直行のバスで結ばれている。
 ただし、「凸凹道をエッチラオッチラ進む」というのは間違っていなかった。ブッタガヤーを朝7時に出たローカル・バスは6時間で着くとのことだったが、実際にバラナシのバス・スタンドに着いたのは夜8時のことだった。所要時間13時間、その間はまさに苦行だった。道はガタガタだが、それを上回るくらいバスもガタガタで、つまりガタガタの二乗という振動によって窓は閉めていても自然に開き、車内を寒風が吹きすさぶのだ。まるで雨のシベリアをバイクで走っているくらい寒くて冷たくてみじめで、タイでの暖かい思い出が走馬灯のように去来した。

 インドは貧しさの割には治安がいい、という印象を僕は持ったが、バラナシはどうも違うらしい。屈指の観光地なだけに人々は擦れ、金を目当てに言い寄ってくる輩が多く、噂では週に一人とか月に一人とかのペースで旅行者が行方不明になっているらしい。宿によっては夜間外出禁止、というルールを設けているところもあるのだ。
 だから遅くても夕方には着くはずのバスに乗ったのに、結局、降り立った街には夜の帳が下りていた。僕はバスが一緒だった、インド旅行慣れをしていそうな日本人とリキシャをシェアして、安宿の集まるガンジス河沿いの旧市街に向かった。
 ごり君おすすめの「フレンズ・ゲストハウス」のドミトリーにチェックインしたのは、午後9時ごろのことだった。

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 次の朝、さっそくガンジスに出てみた。
 「母なる河」に面したバラナシは古くからヒンズー教の聖地として栄え、ここで沐浴をすればそれまでの罪が清められるという。また死んだ後、遺灰が河に流されればその人は現世の輪廻から解放され、天国にのぼることができるらしい。だから毎年100万人ともいわれる巡礼者がバラナシを目指すのだ。外国人旅行者にとっても北インドでは外せないマスト・プレイスで、タイ帰りが「カオサン、カオサン」と騒ぐように、インド帰りもまた「バラナシ、バラナシ」と騒ぐ傾向がある。

 ガイドブックで紹介されるバラナシの写真。まるで真夏の湘南のように、階段状のガート(沐浴場)で何万人というヒンズー教徒がガンジスの水を浴び、そのほとりではサドゥー(苦行者)たちが悟りの瞬間を夢見て座禅を組んでいる。
 そんな光景を想像していたのに・・・実際は、季節はずれの海水浴場といった感じだった。
 なにしろ大寒波到来中で、バラナシもその例外ではなく、冷たい霧が街を包んでいる。みんな白い息を吐きながらゴホンゴホン咳をしている中、冷水に身を浸す人は少ない。
 僕は河に沿って並ぶ、閑散としたガートを歩きながら下流の火葬場を目指した。

 沐浴場と並び、この火葬場もバラナシの大きな見所になっている。なにしろ窯ではなく、キャンプファイヤー状に組まれた薪の上で死体がガンガン燃やされているのだ。
 火葬の手順はこうだ。まず、金色やオレンジの布に包まれた死体が竹製の担架に乗せられ、数人の男たちが「エッサー!ホイサー!」みたいな声を上げながら運んでくる。そして火葬場に到着すると、男たちは担架を川岸に下ろし、まず布ごと死体をガンジスの水につける。焼く前に清めるのだ。
 その間に遺族が買った300キロ分の薪が四角に組まれ、故人の長男は頭の毛を剃られる。そして濡れた死体が薪に乗せられると、一番下に敷かれた着火用のワラに辮髪になった長男が火をつけるのだ。その種火は、2000年前から絶えることなく燃やされ続けている聖なる火だという。

 炎はやがて太い薪に移り、まずは表面の布が燃やされる。するとバチンバチンという薪の爆ぜる音の中、焦げた手足や顔があらわになる。肉がどんどん燃えて無くなり、もはや骨ぐらいしか残らないころになると、火葬場の労働者が木や竹の棒でバンバン叩いて死体を崩していく。
 こうして人の体が完全な灰になるのに、約3時間かかるという。その間、まわりを遺族や見物客、肉が燃える臭いに誘われた野犬や野良牛が囲んでいる。
 労働者は淡々と手を進め、見守るインド人たちも極めて冷静だ。みんな、「こんなの見飽きているもんね」みたいな感じであり、悲しげであるのは長男ぐらいのものだ。それにつられて僕の心も予想以上に動揺しなかったが、燃やされているのが自分の親だと思ったら、やっぱりこれはすごい光景なのだなあ、とようやく実感が持てた。

 「あしたのジョー」ではないが、あとに残るのは真っ白な灰だけ。それがガンジスの緩やかな流れに飲み込まれることによって、故人は現世のしがらみから解き放たれて天国にいくのだ。
 この世に何かを残すことはその妨げになるので、火葬場においては写真撮影は厳禁である。外国人が火葬の間近に行っても特に問題はないが(ここは立ち入り禁止だ、罰金200ルピーよこせ、などと言ってくるニセ葬儀関係者はいるけど)、カメラを向けたら最後、自分がカンジスに流されることにもなりかねない。

 火葬場のすぐ後ろには死を待つ人たちの家があった。老婆ばかりが数人肩を寄せ合って、この地で荼毘に付される日をただ待ちながら生きているのだ。
 それはヒンズー教徒としてこの上ない人生の終わり方であり、ここで焼かれている人たちは果報者といってもいい。火葬場が悲しみに包まれていないのは、それが理由かもしれない。

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 少女に出会ったのは、その帰り道だった。
 20歳前後の目鼻立ちの整った可愛い娘で、サリーではなく、革ジャンを着て西洋風の格好をしていた。そんな娘が向こうから話しかけて来たのだ。
 「今、一人ですか?」

 閑散としたバラナシでも、外国人とみれば声をかけてくる輩だけは元気だ。「ボートに乗らないか?」「両替しないか?」「ミルダケ、タダ」「ビンボ・プライス、ノータカイ」
 クスリの売人も多い。「ハッパいらない?」とストレートに声をかけてくるのは可愛い方で、ひどいのになると「ハッパ、ハシシ、コカイン、LSD、ヘロイン・・・」などと、考えつくネタの限りを念仏のように耳元で唱え続けるヤツもいる。
 もっと無茶なヤツもいる。小鳥を売り歩いている男がいて、何気なく見ていたら、鷹の子供も小さなカゴに押し込められている。値段を聞くと200ルピー(約500円)と安い。「しかし日本に連れて帰れない」というと、男は言った。「買ってペットにするのではなく、逃がすのだ。この可愛そうな鳥を解放することによって、お前はグッド・カルマ(善徳)が得られるのだ」
 そんな無茶な話があるだろうか。「だったら、お前がさっさと解放すればいいじゃないか」と言うと、「そうしたくても俺には金がない。生活がかかっているのだ」という。なんて言いぐさだろう。かわいそうに、鷹の翼は折られているようだった。
 そんなアヤシイ輩の数の多さと執拗さは、モロッコを思い出させる。最後に「バカ!」「おまえなんて死ね」「国に帰れ」などと言う捨て台詞を言わない分だけマシだけど。

 つまり何が言いたいかというと、そんなヤツらが横行し、旅行者がよく「消える」街として知られるバラナシで、可愛い少女に声をかけられたからって、ホイホイと話にのるようでは世界はバイクで走れない。僕は「うん、一人だよ。じゃあねえ」とサラっとかわし、それ以上相手にしなかった。

 しかしその20分後、宿の近くで乗合のボートを捕まえ、今まさにガンジス河クルーズに出航しようというとき、さっきの少女が10ルピーの料金を船頭に払い、乗り込んできたのだ。
 バラナシは河から見た方がよくわかるという。数人乗りの小さな手こぎボートに乗って、ガートや火葬場を逆側から見ることはバラナシ観光の「お約束」なのだが、少女は目の前に座ると、見物モードの僕を無視していきなりこう言った。「なんであなたはそんなにナーバスなの?」
 「外国にいる時はいつも気をつけているんだ」と僕は答えた。すると、彼女は僕の目をじっと見つめて言った。「あなたにインドの名前をあげる。あなたはサガラ、海っていう意味よ。なぜならあなたは海のようにシリアスで、そして深い」
 ガンジスに浮かぶ舟の上で、僕はいきなり「サガラ」になった。彼女は「ジーア」、心という意味らしい。
 「ねえサガラ、あなたには奥さんはいるの?」とジーアは訪ねた。僕は「居たが別れた」と答えた。するとどうだろう。彼女は「オーマイ・ゴッド」とつぶやくと、両目から涙を流して泣き始めたのだ。

 心清き人なら、ここで「なんて優しい娘なんだろう」と自らも感涙を流すかもしれない。しかし心の汚れたこの僕は、「すげえ演技力だな、おい。じゃなかったら相当の天然だな」と思った。だって出会ってまだ20分しか経っていなく、交わした言葉もわずかだというのに、相手の身の上話で泣けるなんてどう考えてもおかしい。
 その後、彼女は自分のことを話した。バラナシに移り住んで2年になるが、ここの習慣は特殊で、いまだに友達ができないという。そして彼女は言った。「ねえ、私の友達になってくれませんか?今日一日を一緒に過ごしましょう」

 少女の瞳は輝いている。ここで心清き人や、あるいは「可愛いからまあいいか、グヘヘ」と思える人は二つ返事で「イエスイエス!」というところだが、この僕は可愛いけどヤバそうな娘や可愛いけど天然な娘はノーサンキューなのだ。
 なにしろここはインド、そしてバラナシなのだ。また、僕がジャニーズ系の顔立ちをしており、普段からモテモテなら「ふふ、またかよ。困るぜベイベー」と思うかもしれないが、僕はモテない。モテたためしがない。一度だけバンコクで綺麗な日本人女性から「今、お暇ですか?」といわれたことがあったが、その時だって逃げた。そこが日本人ビジネスマンの社交場、そして歓楽街であるタニア通りだったからだ。僕はボラれるのも、チャオプラヤー川に浮かぶのも嫌なのだ。

 ジーアは空気を察して、「嫌ならハッキリ言って」と言った。
 「嫌というわけではないけど、会ったばかりで君を信用するわけにはいかない」
 「サガラ、じゃあ、私を信用できない理由をあげて」
 「・・・うーん、わからない」
 「わからないのに拒否するというの?それは失礼じゃない?」
 「じゃあ、君は僕を信用するのかい?」
 「あなたはさっき、初めて会ったとき、私を無視したわ。あなたは私を騙そうとはしていない。それにあなたの目を見ればわかるわ」(そうやって小悪魔的な瞳で僕を見つめる。だけど言っていることは無茶苦茶だ)
 「僕はロクに話したこともない人を信用できないんだ」
 「サガラ、じゃあ、あなたにはどれくらい時間が必要なの?どれくらい話せばいいのよ?」
 「・・・わからない。その時によるよ」
 「わからないなんて失礼よ。あなたは今まで出会った外国人の中で一番失礼だわ。だけど、自分の魂に正直な人ね」
 ジーアの瞳は潤んでいた。ろくに観光も出来ないまま舟は折り返し地点を過ぎ、もとの船着場に戻ろうとしていた。
 「ねえ、最後のチャンスよ。お願い、考え直して!」彼女は僕にすがった。
 「ごめん、やっぱり無理だよ」僕は水平線を見ながら言った。出会ってまだ2、30分だというのに、もう恋人の別れ話のようになっている。中島みゆきの「わかれうた」が頭の中で流れた。

 岸に着くと、少女はそれ以上何も言わず、うなだれたまま舟を降りて消えて行った。一体、何だったのだろうか?バラナシ観光初日にして大ハプニングなのである。
 宿に帰ってドミトリーのみんなに報告すると、反応はさまざまであった。
 「絶対もったいないですよ。それはきっと純愛です」
 「俺だったら食事ぐらいなら付き合うな」
 「でもクスリ盛られそうじゃない?それともヘンなところに連れ込まれるとか」
 「本当にモテたんですよ。ついていったら人生、大きく変わったかもしれないですよ」
 「ガンジスに浮かぶ、なんて変わり方は嫌だぜ」
 だが、最後に宿のオーナーであるラジャ君(独身27歳)に聞いてみると、「良い人は向こうから話しかけてこないってば」とのことだった。
 ほら、俺はやっぱりモテていなかったのだ。万歳!・・・とほほ。