旅の日記(番外編)

インド・ブッダガヤー編(2003年1月16〜18日)

ダライラマ14世とシンプル仮面1号・2号

 静かな村だと聞いていたのに、ブッダガヤーは大変な賑わいを見せていた。
 通り狭しとリキシャが行き交い、それぞれに小豆色の袈裟を着た、日本人のような顔つきの若いお坊さんが乗っている。そんな中を荷物を背負いながら歩いて行くと、竹の棒を持ったインド人の警察官に「ハッシ!ハッシ!」と路肩に追いやられた。なんだなんだ、と思ったら、人払いされた道路をパトカーか数台と、それに挟まれた高級車が猛スピードで駆けぬけて行った。どうやらVIPらしい。

 「あれ、ちべっとぶっきょうのなんばー2ね」
 たどたどしい日本語が聞こえた。横を見ると、インド人の青年が立っている。チベット仏教のナンバー2?
 「そう、いま、だらいらまもきているよ。だからほてる、みんなまんしつ。どこもたかい、たかい」
 何?あのダライラマ14世が来ているの?どおりで人が多いと思った。あの小豆色の袈裟を着たのはチベット僧なのだろう。

 昨夜、夜霧に包まれたガヤー駅に列車が滑り込んだのは午後8時のことだった。ブッダガヤー行きのローカル・バスはもうないし、かといってオートリキシャを捕まえて行っても、暗い中宿を探すのは大変だ。僕はガヤー駅の目の前にある宿で一泊することにしたが、ミャンマーから来た青年たちは我先とブッタガヤーを目指していた。彼らにすればブッタガヤーを訪れるだけでなく、チベット仏教の法王にしてノーベル平和賞受賞者、ダライラマに会うことも大きな目的だったのだ。

 「どこ、とまる?いま、どこもまんいんよ」
 村外れにあるゲストハウスに泊まるつもりだったが、そのインド人青年によると、そっちはダライラマの説教会場に近く、どこも空いているはずがないという。その代わり、近くに別の宿があるので、そっちに行ってみようという。典型的なパターンである。そうやって自分の宿に連れ込もうとするのだ。
 しかし、本当にすぐそこだというので、一応見ておくことにした。気に入らなければ他を当たればいい。それに通りには外国人の姿も多い。宿の相場が上がっているというのも、まんざら嘘ではないだろう。
 「あなた、なんてなまえ?わたし、しんぷるさんね」−シンプルさんか、ほんとシンプルで覚えやすいな。

 しかし、シンプルさんは宿の経営者でもその手先でもなかった。最初に行ったホテルは満室だった。その次、そしてその次のゲストハウスも空いていない。シンプルさんは村の知り合いを訪ね歩きながら、僕のために空いている部屋を探してくれた。そしてようやく「プルジャ・ゲストハウス」という所で部屋があると、彼は何を要求するでもなく、「よかったよかった、じゃあねえ」と去って行った。
 会ってすぐ、彼は「おかねのためじゃないよ。わたし、おかねいらない」と言っていたが、僕は全然信用していなかった。しかし、彼は本当に親切心から僕を案内してくれたのだ。ごめんね、疑って。

 ゲストハウスの親父によると、ダライラマは10日ほど滞在するそうで、その間、毎日午後1時から説教をするという。僕は部屋に荷物を置くと、さっそくその会場に向かってみた。
 会場が近づくにつれて、賑わいはえらいことになってくる。「ダライラマよ永遠なれ!」なんて横断幕はぶら下がっているし、通りはチベット僧や外国人で溢れ、それをかきわけるようにリキシャやバイクがチリンチリン、ビービーいいながら走っているし、露店もズラリと並んでいるし、まるで明治神宮に初詣に来たような気分になった。

 すると、背後でざわめきが聞こえた。振り返った僕は、目を見張った。何百人という物乞いが行進しているのである。人集まるところ物乞いありの法則に従い、彼らは今まさに人々が集まらんとするダライラマの説教会場でいかにいいポジションをキープできるか、先を争ってやってきたのだ。

 コアラのマーチはかわいいが、コジキのマーチは怖い。彼らはあまり会場には近づけないらしく、通りに沿って座り始めた。すると、瞬く間にプチ・難民キャンプが出来あがった。チベット僧、インドの物乞い、外国人観光客、それぞれの興奮が高まる中、ダライラマの説教タイムは近づく。

 だだっぴろい会場は高いトタンの塀で囲まれ、そのまわりを中に入れないチベット人が囲んでいる。やっぱり今さら来ても入れないのだろう、と諦めかけたとき、「外国人専用」という入口をみつけた。そこをくぐろうとしている白人を捕まえ、入るのには何が必要か聞いてみると、パスポートと写真2枚だけだという。それで通行証が無料でもらえるというのだ。
 僕は早速近くの写真屋で証明写真を撮ってもらい、それを手に会場に戻った。

 入場する際のボディチェックは厳しかったが、持ち込み不可だというカメラは、なぜか気づかれなかった。
 ダライラマの説教はすでに始まっており、会場に点々と置かれたスピーカーからは、彼の低い、深い声が流れていた。ただしチベット語である。
 外国人用の一画には英語の同時通訳が流れるスピーカーもあるが、こちらの音は小さくて、何を言っているのかよくわからない。それに瞑想とか何とか、使われている単語も難しすぎて、ちゃんと聞こえてもどれくらい理解できるか怪しいものだ。
 まわりの外国人も、訳を聞くというよりはダライラマの生の声を聞く、という点に重点を置いているようだった。ダライラマははるか向こうのテントにいるらしく、その姿は見えない。だから、スピーカーから流れてくる声だけが彼らとダライラマとの唯一の接点なのだ。

 1時間ほどダライラマの声を聞いて(しかも失礼なことにうつらうつらしながら)、休憩時間になった。まわりの白人の会話を耳を傾けると、みんなダライラマの話し声や笑い声に感動しているらしく、これを聞きにわざわざブッダガヤに来ているようだった。興奮冷めやらない者は、休憩時間でも座禅を組み、瞑想にふけっている。
 僕はこんなことが行われているなんて、露とも思わなかった。望んでもない幸運だが、会場は非常に埃っぽく、その後も延々とダライラマの声を聞いていられるほど僕はチベット仏教に興味があるわけではない。僕は会場を後にしてマハボーディ寺院を目指した。

 2500年前、釈迦はこの村の菩提樹の下で瞑想にふけっているとき、悟りを開いた。その場所に建てられたのが高さ50メートルの仏塔を誇るマハボーディ寺院であり、その裏には今でも菩提樹の木が枝を広げている。その木が2500年前に生えていたものか、後から植えられたものかは分からないが(おそらく後者だろう。なんたって2500年だから)、その幹は黄色や金色の布で覆われ、仏教徒の厚い信仰を集めている。
 その下で座禅を組んでみた。インド北部は霧の覆い、寒い日が続いているが、今日の午後の陽射しは穏やかだ。目を閉じれば、聞こえるのは菩提樹に集まる鳥の声と、遠くのスピーカーから響くチベット語の説教だ。ダライラマの声を聞きながら、釈迦が悟りを開いた場所で座禅が組めるなんて、なんて贅沢なんだろう。
 しかし、それで悟りが開けるほど人生は楽ではない。煩悩のカタマリである僕は、そろそろメシ食って宿帰って寝ようかなあ、と寺院を後にした。

 宿に帰る途中、またシンプルさんに会った。
 「あしたはどうするの?」というので、「ブッダガヤーの後はカトマンズを目指すから、バスのチケットを買いに行く」と答えた。すると、彼は明日ヒマなので、チケットを買うのを手伝ってくれるという。「ぼくといっしょにいけば、いんどじんぷらいすでかえるね」
 明朝、午前9時に宿に迎えに来てくれるということで話はまとまった。

●   ●   ●

 しかし次の朝、午前10時まで待ってもシンプルさんは来なかった。まあ、こんな事もあるだろうとは思っていたが。
 あきらめて一人で近くのホテルへ行き、そこから発着しているパトナー行きのバスのチケットを買った。パトナーはブッタガヤーの北にある街。そこを経由してネパールを目指すのだ。

 そうして村をぶらついていると、バイクに乗ったインド人青年が話しかけてきた。
 「ぼくのこと、おぼえている?」
 「あっ、なんだ、シンプルさんじゃないか、今朝、待っていたんだぞ。来なかったじゃないか」
 「・・・?それは、ごめんね(よく分かっていない様子)。ところでいまから、すじゃーたむら、いきませんか?」
 「スジャータ村?このバイクで連れていってくれるの?よし、行こう行こう。レッツゴー」
 「わかりました。でも、そのまえにもうひとり、ともだちをのせます」

 シンプルさんと僕を乗せた小さなホンダのオートバイは、ブッタガヤーの路地裏に入っていった。すると、一軒の家の前で一人のインド人青年が立っている。バイクはその前で止まった。
 我々を待っていたその青年の顔に、見覚えがあった。ああ、シンプルさんじゃないか・・・ん?じゃ、俺の前に座っているこの男は誰だ?
 2人を見比べると、インド人の青年であることと、寒そうに顔中をマフラーで覆っているという共通点があるだけで、まったくの別人であった。どおりでさっき、会話が成り立たないと思った。
 2人は友達らしく、バイクに乗ったシンプルさんモドキは「いまからさんにんで、すじゃーたむらいきましょう」と言った。今さら名前を聞いても混乱しそうなので、僕は密かに彼らをシンプル仮面1号・2号と呼び、タッグとして考えることにした。

 それにしても若干雲ゆきが怪しい。僕は彼らに挟まれ、バイクに揺られることになったが、果たして大丈夫なのだろうか?
 スジャータ村はブッタガヤーから数キロ離れた小さな村で、長い苦行を終えた釈迦が乳粥を食べ、「マイウー!」と言ったかどうかわからないが、その美味さに感動したところらしい。釈迦に乳粥を与えた人がスジャータという人で、このエピソードは仏教上大きな出来事らしいが、その朝のスジャータ村は冷たい霧に覆われ、僕にはただの寒村にしか見えなかった。釈迦が6年間苦行したという「前正覚山」も、白く厚いベールの向こうだった。

 「それではつぎ、わたしのおみせ、いきましょう。わたし、おみやげや、やってます!」と、シンプル仮面2号は唐突に行った。ほら、おいでなすった!
 しかし1号には昨日世話になったし、2号にもスジャータ村に連れてきてもらったし、ちょっとしたもの、なんか可愛いものでも買ってやろう、と僕は思った。
 だがブッタガヤーに戻り、2号が経営するというマハボーディ寺院近くの店に連れて行かれると、紹介される品々の金額はぜんぜん可愛くなかった。例の菩提樹の実で作ったという数珠は35ドル、香木で作った数珠は10ドル、仏陀像は25ドル。いくら外国人といっても高級ツアー客じゃないんだから、お礼代わりにそんな金額のものは買えない。

 シンプル仮面2号は数珠を持って僕に迫り、1号は入口でこちらの様子をじっと伺っている。しかし、やっぱり買えない金額だ。僕は「本当にごめん、買えないよ、ごめんごめん」と頭を下げた。
 敵がどんな反撃に出てくるか心配だったが、予想に反し、2号は「いえいえ、とんでもありません。こちらこそ、むりにとはもうしません」と頭を下げた。1号も合わせて頭を下げた。
 僕はそのまま「ごめんごめん」と頭を下げながら、エビのように背を丸めて店を出た。向こうも「いいえいいえ」と頭を下げていた。なんだ、やっぱりいい奴らじゃないか。結局、彼らはタダで僕を宿に案内し、そしてスジャータ村まで連れていってくれたのだ。ありがとう、シンプル仮面1号・2号!

 店を出て歩き出すと、次のインド人がはやくも話しかけてきた。
 「ぼくのこと、おぼえてる?」
 なんだ、この村の日本語使いは、みんなそうやって話しかけるのか・・・。