旅の日記(番外編)

インド・カルカッタ編(2003年1月13〜14日)

肛門の感触で一日ははじまる

 僕は右手にマグカップのおばけのようなプラスチックの容器を持ち、左手の指と指をくっつけ、「孫の手」の先のような形にしていた。そして尻を丸出しにして便器に座り、初体験を前に緊張していた。
 マグカップのおばけには1リットルほどの水が入っている。ゴリ君の言うところの「ウンコ水」だ。

 アテネの宿「アナベル」でゴリ君と一緒だった時、不意に襲った喉の乾きに、僕は彼の枕元にあったペットボトルに手を伸ばした。透明な水、それは飲用に見えた。僕とゴリ君の仲、貸し借りしてならないのはお互いの彼女ぐらいのものだ。
 しかし、ゴリ君は珍しく慌てた。「ああ!ダメっす!それは俺の、ウンコ水です!」
 彼はインド帰りだった。そして紙で拭くより水で洗った方が尻にも環境にもやさしい、ということを亜大陸で静かに悟り、その姿勢をヨーロッパに帰ってからも崩していなかった。ペットボトルに入っていたのは、毎朝行われる儀式のための清めの水だったのだ。
 (ちなみにメキシコの「ペンション・アミーゴ」にいた頃、これも毎朝だが、しかし異なった儀式のために枕元にゲーターレイドの瓶を置いている人がいた。瓶は空で、そして彼は飲尿健康法の実践者であった。なんでも朝一番の尿が体にいいそうで、そしてゲータレイドの口が広がった瓶が採るのに最適だという)

 僕は頭の中で作業を一通りシミュレーションし、そして意を決して実行に移した。
 容器の水を左手に移し、手首と指のスナップを効かせて肛門にかける。第一波が表面の汚れを流したのち、ふたたび左手に水を補給して、今度は直に洗う。中指が肛門の感触を伝える。幸い今朝の便の状態は良く、そして便器も洋式だから初心者には楽だ。さらに数回、左手に水を補給→直洗いを繰り返したのち、あまった水で左手を洗う。水の冷たさが手と尻に爽快感を与えた。僕は一皮剥けた気がした。悪くないではないか!
 考えてみれば、変な趣向を持つ人、あるいは入浴時に執拗に体を洗う人、そして極端なケチでトイレットペーパーをわずかにしか使わない人を除き、西洋的な生活をしている人は自分の肛門の感触をあまり知らない。
 しかしインド人はこうやって毎朝、自分の肛門の感触を確かめているのだ。なるほど、インドの一日は肛門の感触ではじまるのだ、と僕は妙に納得してしまった。

 尻を左手で清める習慣があるのは、なにもインド人だけではない。アラブ人だってそうだし、タイ人だってそうだ。しかし、今まで僕が訪れた国では、旅行者まで付き合わなくても何とかなった。宿には紙が流せる西洋式水洗システムが導入されていたり、そうでなければ使用済みの紙を入れるゴミ箱があった。
 しかしカルカッタに到着して最初の夜、サダル・ストリートの安宿「マリア」のトイレで僕を待っていたのは、インド式便器と床上30センチに備えられた蛇口、そしてその下に置かれたマグカップのおばけだけだった。「紙はゴミ箱に」という貼り紙もゴミ箱自体もなく、それは「当然ここは手で洗う方式だからね!」という静かな主張の表れであった。
 ちなみにインド式便器は僕が今までに見た中ではアラブ式と同じで、すなわち汚物の流れる穴と両足を載せる台から成り、しゃがんで用を足すスタイルから、どちらかというと和式に近い。

 僕は部屋に戻り、ツインの部屋をシェアすることになった、インドは4回目という旅行者に聞いてみた。「あのー、やっぱりインドのトイレで紙を流すと、タイヘンな事になるんでしょうか?」
 沖縄の離島出身という彼は、知的な落着きを崩さずに答えた。「流れないこともないと思いますが、やっぱりやめた方がいいと思います。水で洗うのには、抵抗がありますか?」
 正直いって抵抗はあった。しかし、この先インドを回るにあたって、いつまでも西洋のスタイルに甘える訳にはいかない。それに自分のウンコや肛門の感触が怖くてインドを見られるか!とも思った。
 よし!ここは一発、俺の左手に新たな機能を加えようではないか!と僕は決めた。しかし、それが実現するのはインド2日目の朝、部屋をセンターポイント・ゲストハウスに移してからの事だった。

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 バンコクを飛び立ったエア・インディア351便は、インド時間で午後8時半にカルカッタに到着した。話に聞いていた通り、涼しい。機内アナウンスによると気温は13度で、僕はフリースを着てきて良かったと思った。
 片道の航空券でも入国審査はまったく問題がなかった。問題があったのはバックパックの方だった。
 預け入れ荷物が出てくるベルトコンベアーは、動き始めてからすぐに緊急用ブザーのけたたましい音とともに止まった。その後10分ほど待たされ、ようやく復旧したと思ったら最初に出てきたのが僕の荷物だったのだ。嫌な予感は的中した。3年間僕に尽くしてくれたバックパックは、肩のベルトが無残にちぎれ、機械油にまみれていた。間違いない、さっきの緊急停止は僕のバックパックが機械に巻き込まれたためのものだったのだ。
 航空会社に文句を言おうと思ったが、古いものだし、ロストバゲージでもないし、この時間だから、きっと深夜まで待たせれてようやく出てくるのは雀の涙だろう。何しろ相手はエア・インディアなのだ。僕は仕方なく、泣き寝入りすることにした。まあ、他のベルトをつけりゃ背負えるようになるだろう。

 安宿が集まるというサダル・ストリートまでは、空港で捕まえた日本人バックパッカー2人とタクシーをシェアすることにした。 一人は僕と同様にインドは初めてで、もう一人はベテランのようだった。しかし彼は「この時間でタクシーはちょっと怖いな。前、デリーで変なところに連れていかれた事があって・・・」と、早くも初心者2人をビビらせる。車が走り出した時も、「ああ、やっぱり空港で朝まで待っていれば良かった」と独り言のように言っていた。
 
 タクシーはボロボロの「アンバサダー」。インドの国産車で、丸っこい、かなりレトロなデザインをしている。運転手も負けず劣らず年季物で、「大きな古時計」と「おじいさん」を一緒にしてしまったような人だった。すなわち「チックタック、チックタック」とゼンマイ仕掛けでかろうじて動いている、という具合のご老体なのだ。
 スピードは時速40キロくらいしか出なかった。それで、時速30キロで走る他のオンボロ車とデットヒートを繰り広げる。目クソ鼻クソの争いに笑ってしまったが、運転手を見ると必死の形相でハンドルにしがみついている。車が故障で止まるんではないか、という危惧もあったが、運転手のゼンマイもいつ止まってもおかしくない、と僕は思った。
 車窓からは街灯の少ない、暗くて混沌とした大都会と、その影でうごめくインド人たちの姿が見えた。早くも怪しいムードに満ちているのである。

 結局、僕たちは無事にサダル・ストリートに到着した。普通ならここで一緒に宿探しになるのだが、何となく、僕はあとの2人と別れた。そして一人で入った「マリア」で、今まさにチェックインしようとしていた沖縄人に声をかけられたのだ。「ここ、ツインしか空いていないんです。良かったら私とシェアしませんか?」
 しかし、その関係も一晩しか続かなかった。翌朝、彼は僕にインドのトイレについてアドバイスをしたのち、他の宿のドミトリーを探すか、無かったらバラナシ行きの夜行列車に乗ると言い残して去っていった。
 「マリア」も悪くなかったが、風邪気味の僕はもう少し落ちつける部屋を求めて、「センターポイント・ゲストハウス」のトイレつきの部屋に移動した。そこで僕の初体験が繰り広げられたのである。

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 腸も肛門もすっきりした後、僕は街に出てみた。
 カルカッタは人口1200万人、インド第2の都市だそうだ。「地球の歩き方」は「ここほど生活感に満ちた都市はないだろう」と紹介しているが、それは観光資源に乏しいということの裏返しでもある。しかし、初心者がインドの都市がなんたるかを学ぶにはちょうど良いかもしれない。
 たいしたあても無く、僕はフラフラと都市の喧騒に飲まれて行った。

 インドの印象は確かに強烈だった。
 タクシーやバス、リキシャ(人力車)、そしてクラクションの音に満たされた道路は中東や北アフリカを思わせた。しかし、決して同じではない。この国はもっとエネルギーを感じさせる。僕の第一印象はアラブの土台にラテンの陽気さと怪しさをのっけて、そして二で割らない、というものだった。
 町全体、そしてインド人全員から「まだまだウチはこんなもんではないでっせー」というオーラが感じられ、まるでお化け屋敷の入口に立っているような気分になった。

 市内をぐるぐる回り、最後にたどり着いたカルカッタ公園は市民の憩いの場であるというのにゴミだらけだった。しかし、その中で本当にインド人はピクニックしたり、昼寝したり、クリケットをしていた。
 公園をズンズン進んで行くと、サーカスのように大きいテントがいくつも並んでいる一画に出た。ド派手な色合いテントの前にはテーブルが一列に並び、座っている人は目の前に出された葉っぱの上のカレーを一心不乱に食べている。テーブルの反対側には大きな鍋とオタマを持った男が控え、誰かが「おかわり!」というと、すかさず「エイヤ!」と葉っぱにさらなるカレー汁をぶっかける。博多ラーメンの店の「替え玉!」「あいよ!」を思い出した。
 テントには宗教的なメッセージが書かれている。どうやら宗教団体とかボランティア団体とか自称・聖者の方たちが宣伝用に並べているらしい。中は祈祷所や集会所になっているようだ。テントを持たないサドゥー(苦行者)たちは、それらのまわりにほったて小屋をたて、焚火を起こしてその前で瞑想にふけっている。どうやら、この一画はカルカッタ公園の中でも「宗教コーナー」となっているらしい。

 一つのテントに、乞食やサドゥー、そしてどちらとも区別がつかないが、とりあえず満員の東急線に一人でも乗り込んだら即パニックになるようなキャラクターの人たちが、わらわらと群がっていた。
 その前でヒゲを生やした身なりのいいオヤジがマイクを片手に何かをしゃべっていたが、集まった人たちは「そんなんどうでもいいから、早くなんかよこせー」と騒ぎ、全員右手を差し出した。するとヒゲ男は突然怒りだし、竹の棒を持ち出して目の前に伸ばされた手という手をバシバシ叩き始めた。ヒゲ男の怒号と人々の悲鳴に、あたりは騒然となった。
 えらい所に来てしまったな、と僕は思った。

 「宗教コーナー」の向こうはカルカッタを東西に分けるフーグリー河で、そこには沐浴所があった。
 有名なバラナシの沐浴所ほどではないが、ここでもコンクリートの岸が階段状に河に落ち込んでおり、人々はそこで、とても綺麗とは言えない灰色の水に体を沈めていた。
 岸がコンクリートでないところは泥やヘドロであり、そこにはプラスチックから生物の死骸まで、ありとあらゆるゴミが溜まっていた。そんなところで乞食の少年少女がバケツで河の水をすくい、金目のものを探している。裸足だが、破傷風だウイルスだと騒ぐ前に明日の糧が約束されないのだ。
 僕は、そんな人たち越しに、フーグリー河に沈みゆく太陽を見ていた。肛門の感触で一日がはじまり、そしてゴミを漁る子供たちを見て日が沈む。そのとき僕は、インド人は全員左手だとしても、左利きの旅行者はやはり右手でお尻を洗うのだろうか、と考えていた・・・。